4月 022011
 

哲学は、古代のギリシャにおいて、アルケー、すなわち万物の根源は何かという問いから始まった。哲学としてのシステム論の結論は、世界がそこから立ち現れ、哲学がそこから始まるところのアルケーとは、不確定性であるというものだ。アルケーが、あれやこれやの要素であるとか、基体=意識主体であるとかいった従来の哲学者たちの主張は、本来のアルケーの忘却から生じる。不確定性は、時間的にも、理論的にも、すべてに先立つのである。

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Fig.01. プラトン(左)とアリストテレス(右)。ラファエロの「アテナイの学堂」の一部。

1 : 哲学の根源と根源の哲学

アルケー(ἀρχή)とは、始まり、起源、第一原因、第一の場所ないし権力、主権、支配、命令[1]などの意味を持つ古代ギリシャ語である。アルケーが何であるかは、古代ギリシャの哲学において、重要なテーマだった。

世界最古の哲学者は、ミレトスのタレスであるというのが、一般的な見解である。タレスは、いかなる著作も残さなかったので、彼の思想の詳細を知ることはできない。しかし彼が、万物の根源が水であることを合理的に説明しようとした哲学者だったということは、同時代の人々の証言から確かである。このように、哲学は、始まりを問う哲学として始まった。

その後、アナクシメネスは空気を、クセノパネスは土を、ヘラクレイトスは火をアルケーと考えた。エンペドクレスは、水、空気、土、火の四元素がアルケーだとする四元素説を唱えた。四元素説は、アリストテレスに受け継がれ、そして、アリストテレスの権威のもと、長い間ヨーロッパの知識人を支配したが、近代になって、放棄された。

近代になって科学者が継承したのは、エンペドクレスの後継者であるレウキッポスとレウキッポスの弟子であるデモクリトスが提唱した、より抽象度の高い原子論だった。今日、私たちは、原子を、その原義どおり、分割できないもの(ἄτομος)とは考えずに、より小さな素粒子から構成されている分割可能なものと見なしているが、では、素粒子が究極のアルケーなのかといえば、そうではない。素朴な唯物論者以外は、だれも、この世界が物質だけから成り立っているとは考えない。

古代ギリシャで考案された四元素のうち、火だけは物質でない。ハイゼンベルクは、ヘラクレイトスが謂う所のアルケーとしての火をエネルギーと解釈し、ヘラクレイトスの生成の哲学と現代物理学との一致点を、次のように指摘する。

物質とエネルギーは、相対性理論によると、本質的に同じ概念であるのだから、私たちは、すべての要素的粒子はエネルギーから構成されているということができるかもしれない。つまり、エネルギーを世界の原初的な実体として定義するように解釈できるということだ。エネルギーは、実に、保存されるという「実体」という語に属する最も本質的な属性を持っている。それゆえ、この観点からすれば、現代物理学の見解は、もしも、ヘラクレイトスの元素である火をエネルギーを意味するものと解釈するならば、ヘラクレイトスの見解に非常に近いということが以前から指摘されていた。エネルギーは、実際、動くものだ。エネルギーはすべての変化の原初的原因であると言い得る。そして、エネルギーは物質や熱や光に変換可能である。エネルギーの二つの異なった形態の衝突に、ヘラクレイトスの哲学における対立した者の闘争を見出すことができる。[2]

たしかに、エネルギー保存則ゆえに、エネルギーには実体的同一性があると言えるが、物質とエネルギーは、依然として、世界のすべてではない。世界は情報に満ちているが、情報は、物質やエネルギーとは異なる。物理学的には、情報とはエントロピーの低さであるが、エントロピーは、物質とは異なり、エネルギーに還元することはできないというのが今日の物理学の見解である。だから、エネルギーはアルケーではない。

もとより、こうした議論は、今の物理学の知見に基づいたもので、経験科学である物理学の見解は、今後も時代と共に変化するだろう。経験科学の結論がどう変わろうとも、変わることのない哲学的アルケーというものはないのだろうか。そこからすべての真理が導かれる哲学原理はないだろうか。そう考えて、究極のアルケーを求めた哲学者が、近代の黎明期に現われた。デカルトである。

2 : 哲学は驚きと懐疑から始まる

デカルトは、これまでの学問が不確かな原理の上に築かれていると考え、すべての知識の基礎となりうる、絶対に真である第一哲学(prima philosophia)ないし哲学原理(principia philosophiae)を探求した。原理(principle)という言葉は、「第一の(prim-)」と「取る(capere)」から作られた語であり、デカルトにとって、第一哲学も哲学原理も、哲学的なアルケーを意味していた。古代哲学のみならず、近代哲学も、アルケーの探求から始まったのだ。

デカルトは、哲学的アルケーを見出すために、方法論的懐疑を用いた。このアプローチを用いた哲学者は、デカルトが最初ではない。パルメニデスは、方法論的懐疑により、何かが存在するということは疑うことができない真実だという結論に達したため、古代のデカルト[3]と呼ばれることもある。デカルトが、古代の哲学者と異なるのは、アルケーを認識対象ではなくて、認識主体に求めたことだ。彼は、感覚に基づく知識はもとより、彼が最も確実と感じていた数学的真理すら疑った。そうした徹底的な懐疑の末に、デカルトは、そのように疑っている自分自身の存在は、疑えば疑うほど、むしろますます確実になってくることに気付き、考える自我を哲学の原理とした。

デカルト以降の近代哲学は、カントからヘーゲルを経てフッサールに至るまで、考える自我、すなわち意識主体を、すべての真理を可能にしている実体と見なしているのだから、近代哲学におけるアルケーとは、意識主体であったと言いたくなる。だが、ここで、もう一度デカルトの思索のプロセスを振り返ってみよう。デカルトの思索は、懐疑から始まっている。もしも、デカルトが、懐疑を抜きにして、哲学の原理は自我であると結論だけを主張したとしても、彼の主張は、理解されることはなかっただろう。

懐疑とは、自分が信じていたのとは他の可能性を信じようとすることであり、不確定性の意識である。それならば、デカルト哲学のアルケーとは、不確定性であると言うことはできないだろうか。もしも、世界が、常に自我の予想通り動くならば、自我と世界は一体であるが、実際には、自我の予想とは異なる動きをする場合がある。その時、自我が認識していた世界と実際の世界の差異が意識され、認識対象と区別された認識主体が意識される。だから、徹底的な懐疑にもかかわらず、自我の存在は疑うことはできなかったというよりも、徹底的な懐疑ゆえに、自我の存在が、疑う余地のないものとして意識されるようになったと言った方が正確なのである。このように、近代の意識哲学は、不確定性の意識に基づいている。

アルケーとは、もともと古代ギリシャにおいては物質的な基体を意味したのだから、アルケーが意識主体だとか不確定性だとかと言うのはおかしいと思うかもしれない。しかし、当時、ピタゴラス学派は、数がアルケーだと考えていたのだから、物質的でないからアルケーではないということは、ソクラテス以前の哲学者に関しても当てはまらない。実際、アリストテレスは、ピタゴラス学派に関して、次のように述べている。

明らかに彼らもまた、数をアルケーと考え、諸存在の質量としてのアルケーであると考えているとともに、またその諸属性や状態を形成するアルケーでもあると思っている。[4]

ピタゴラス学派の時代においては、質料と形相といったアリストテレス的区別自体がなかったのだから、アルケーが物質的な起源だけを意味していたという解釈は正しくない。

アルケーが不確定性であったという解釈は、古代ギリシャ哲学に関しても成り立つ。アリストテレスが四元素説を継承したことはすでに述べたとおりであるが、他方で、アリストテレスは、哲学は驚きから始まるという見解も示している。

たしかに、驚くことによつて人間は、知恵を愛求(哲学)し始めた。初めには、ごく身近の不思義な事柄に驚き、少しずつ進んで遙かに大きな事象についても疑いをいだくようになった。月のさまざまな姿や太陽や星の状態について、全宇宙の生成についても疑いをいだくようになった。[5]

この箇所からもわかるように、アリストテレスは、「宇宙の起源」が水か、空気か、土か、火かといった哲学的議論は、驚きを出発点としていると認識している。アリストテレスは、元素(στοιχεῖον)をアルケーと考えていたが、もしも哲学が驚きから始まるのなら、要素よりももっと根源的なアルケーがあることになるのだから、両者は区別するべきだ。

アリストテレスの師であるプラトンも、ソクラテスの口を借りて、哲学のアルケーは驚きであると言い、神々の伝令を務めるイーリスが、ギリシャ語で「驚き」という意味を持つ神、タウマスの娘であることに独自の解釈を加えている。

実にその驚きのパトス(こころ)こそ知恵を愛し求める者のパトスなのだからね。つまり、求知[哲学]の始まり[アルケー]はこれよりほかにないのだ。イーリスがタウマスの娘だと言った者は、うまい神統を作ったものだ。[6]

では、なぜ哲学は、驚きから始まるのか。驚きとは、世界が、自分の予想とは大きく異なっていることに気付いたときに生じる感情である。だから、哲学が驚きから始まるという命題も、不確定性の意識から哲学が始まるという命題と同一と解釈することができる。

アリストテレスは、哲学はいかなる実用的な有益性をももたらさないので、もっぱら知のための知を求める有閑人によって哲学は始められたと言う[7]。たしかに、タレス、アナクシマンドロス、アナクシメネスといった最初期の哲学者たちを輩出した頃のミレトスは豊かだった。ミレトスを支配したリディア王国のクロイソスは、「クロイソスのように豊か(as rich as Croesus)」という言い回しを後世に残すほど豊かだったが、豊かさだけが哲学の条件というのなら、なぜ、タレス以前の豊かな人々は、哲学を始めなかったのだろうか。豊かだから哲学することができたという能力的な条件のみならず、なぜ哲学をしなければならなかったのかという必要性の観点からも、哲学発祥の原因を探らなければならない。

ミレトスは、海外に植民地を持つ海洋交易都市国家で、北は黒海から南はエジプトにいたる広大な範囲で交易を行っていた。様々な場所で様々な民族と交易をすることを通じて、ミレトスの人々は、自分たちが当然と考えていることが、他の民族ではそうではないことを痛感したことであろう。最初の哲学者とされるタレスも、たんに貴族の出身であっただけでなく、異国の地であるエジプトで学んだことが、哲学を始めるきっかけとなったと推測される。このように、文化的な不確定性を強く意識すればするほど、文化の差異を超えて確定的なもの、すなわち哲学的アルケーを求めようという意識を持つようになるものである。

デカルトも、『方法序説』の中で、あらゆるものを疑い、哲学の原理を求めるようになった動機として、次のように述べている。

それゆえ、ここから私が引き出した最大の利益は、私たちには極めて異様で滑稽なものに見えるけれども、他の偉大な民族によって広く受け入れられ、是認されている多くの事柄を見て、私は、従来もっぱら例証や習慣によって説得させられてきた事柄を、あまり固く信じてはいけないということを学び、我々の自然の光を遮り、我々に理性に耳を傾けないようにさせかねないたくさんの誤謬からだんだんと解放されたということであった。[8]

もしもデカルトが、生まれ故郷や、自分が所属した学校から離れることなく、象牙の塔に篭っていたならば、あれほど徹底的な懐疑を試みることはなかっただろう。デカルトは、書斎の書物を読むことを止めて、世間という大きな書物[9]を読むべく、諸国を遍歴し、様々な文化を経験して、習慣が他の様でありうることを痛感した。このように、不確定性に晒されたことが、デカルトのアルケーを求めようとする根本的な動機になっていた。

3 : アペイロンとしてのアルケー

最初に「アルケー」という言葉を哲学的概念として用いたのは、タレスではなくて、タレスの弟子に当たるアナクシマンドロスだった。彼は、水、空気、土、火といった経験的対象ではなくて、アペイロン(ἄπειρον)、つまり境界のない無限定なものがアルケーだと主張した。アナクシマンドロスの著作は失われ、そのアルケー論に関しては、いくつかの断片が残るのみであるが、以下の断片は、シンプリキオスが伝える、アナクシマンドロスの学説である。

アナクシマンドロスは、プラクシアデスを父とするミレトスの人で、タレスの弟子にして後継者であった。彼は、アルケーすなわち要素(ストイケイオン)は、アペイロンであると語ったが、アルケーという名称を用いたのは、彼が最初であった。アルケーは、水でもなく、その他の世に謂う所の要素のうちのいずれでもなく、何かそれとは異なるアペイロンな本性のものであって、これからすべての諸天空およびその内部の諸世界が生じると彼は言う。存在する諸事物がそこから生成するところの源は、消滅もまた必然に従ってなされるところである。なぜなら、それらの諸事物は、時の定めに従って、不正に対する罰を受け、償いをするからである。このように、やや詩的な言葉遣いによって、彼はそのことを語っている。明らかに、彼は、四つの要素が相互に転化しあうのを見て、それらのうちのいずれか一つを基体とすることは考えず、それら以外の何か他のものをそれとしたのである。また彼は、生成を、要素の変化によるものとはせず、対立相反しあうものが永遠の運動を続けながら分離することによるとしている。[10]

では、アペイロンは、なぜアルケーなのか。アリストテレスは、次のように論証してみせる。

すべてのものは、アルケーであるか、アルケーから生じたものであるかどちらかであるが、無限なるもの[アペイロン]のアルケーはありえない。それに限りがあることになるからだ。[11]

制限があるなら、無限は無限ではないというアリストテレスのこの論証は成り立たない。例えば、0と1の間には、0<x<1という「制限」があるにもかかわらず、無限の数の実数が存在する。アリストテレスの論証が成り立つようにするには、アルケーを無限よりも全体にした方が確実である。その場合、論証は、以下のようになる。

アルケーは全体である。なぜならば、もしも全体を生み出す原因が、全体の外部にあるならば、全体は全体ではなくなるから、全体を生み出す原因は全体の内部になければならない。よって、全体は、自己原因的に存在しているから、アルケーである。

この命題は、「全体は全体である」というトートロジーでしかなく、全体が何であるかにまで踏み込まなければ、空虚である。さらに、アルケーを無限な全体とみなすアリストテレスの解釈には、思想史的な疑問もある。

いかなる思想も、伝統的思想と無関係ではない。アルケーを水に求めたタレスや、アペイロンに求めたアナクシマンドロスは、カオスに宇宙の起源を求めたヘシオドスの神話的なコスモゴニー、さらに遡れば、真水の神、アプスー、塩水の神、ティアマトから世界の創生を説明する、世界最古の神話、『エヌマ・エリシュ(Enûma Eliš)』の影響を受けたと考えることができる。だから、アペイロンも、全体としての無限ではなくて、水のような境界を持たない混沌として理解するべきである。だから、アルケーを不確定性と見なすことには、思想史的な根拠もあるということになる。

デカルトに代表される後世の哲学者たちは、不確定性を否定する原理をアルケーと考えたのだから、アルケーを不確定性とすることに、多くの人は抵抗を感じるだろう。しかし、アルケー概念のアルケーは、不確定性であり、不確定性を否定する原理をアルケーと見なすことは、本来のアルケーの忘却から生じる。

このことは、哲学に関してのみならず、宗教についても当てはまる。『エヌマ・エリシュ』では、世界の創生は、次のように書かれている。

上にある天は名づけられておらず、下にある地にもまた名がなかった時のこと。はじめにアプスーがあり、すべてが生まれ出た。混沌を表すティアマトもまた、すべてを生み出す母であった。水はたがいに混ざり合っており、野は形がなく、湿った場所も見られなかった。神々の中で、生まれているものは誰もいなかった。[12]

これが書かれた当時のメソポタミアでは、母権宗教が支配的だった。母権宗教では、羊水の中で育つ胎児をモデルに、万物創生のストーリーを作るのが一般的であり、混沌とした海水であるティアマトがすべてを生み出す母であったとするメソポタミアにおける創世神話も、そうした宗教的コスゴモニーの一つである。ユダヤ教は父権宗教であるが、『旧約聖書』の「創世記」には、バビロニア神話の痕跡が残っている。

はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。神は「光あれ」と言われた。すると光があった。[13]

『新約聖書』の「ヨハネによる福音書」の冒頭では、母権宗教的な残滓は一掃され、アルケーがロゴスであることを明言している。

初め[アルケー]にロゴスがあった。ロゴスは神と共にあった。ロゴスは神であった。このロゴスは初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。[14]

三つのコスゴモニーを比較すると明らかなように、闇(混沌)と光(秩序)の関係が、時代と共に逆転していく。タレスとアナクシマンドロスは、アルケーを水やアペイロンといった不定形の女性原理に求めたが、ヘラクレイトスは“火=ロゴス”という男性原理にアルケーを求め、プラトンのイデア論で、女性原理と男性原理の主従関係が完全に逆転する。デカルトの思索の端緒となった懐疑は、コギトの発見によって忘れられ、以後、近代哲学においては、不確定性は主観が与えるロゴスによって否定された。こうした逆転にもかかわらず、また、こうした逆転ゆえに、アルケーは不確定性なのである。

もしもアナクシマンドロスがアルケーとみなすアペイロンを不確定性と見なすならば、システム学は、アナクシマンドロスの哲学との間に接点を見出すことができる。不確定性とは、「熱い」または「冷たい」、「乾いている」または「湿っている」といった対立した選択肢が、選ばれずに混在している状態であり、一方が選ばれ、他方が排除されることで、無限定であった不確定性が限定され、様々な構造が生じる。選択をする主体がシステムであり、システムによって、環境と差異化された構造が可能になるというのがシステム学の基本的な考えである。

すでに引用したとおり、アナクシマンドロスは、「生成を、要素の変化によるものとはせず、対立相反しあうものが永遠の運動を続けながら分離することによる」と考えていたが、シンプリキオスが注釈するように、対立相反的なものとは、熱いものと冷たいもの、乾いたものと湿ったものなどのことである[15]。この二組の選択肢から、「熱い」かつ「乾いている」、「熱い」かつ「湿っている」、「冷たい」かつ「乾いている」、「冷たい」かつ「湿っている」という四つの組み合わせが作られ、それぞれを、火、空気、土、水の四大元素に当てはめることができるが、生成とは、ある要素が他の要素になることではなくて、対立相反しあうものの一方が残り、他方が分離することで可能となる。

アナクシマンドロスによれば、アペイロンから生まれた諸事物は、消滅後またアペイロンに戻る。「それらの諸事物は、時の定めに従って、不正に対する罰を受け、償いをする」という説明は、自然科学者にとっては受け入れがたいだろうが、それでも合理的に解釈する余地がないわけでもない。システムは選択を通じて自らを維持するが、選択の仕方を間違えると、システムは環境との差異を失い、不確定性のアルケーへと戻ってしまう。これを擬人的に表現すると、アナクシマンドロスの命題になる。

4 : 不確定性としてのアルケー

哲学が驚きと共に始まるというプラトンやアリストテレスの認識は正しい。アルケーとしての不確定性は、確率等によって概念的に把握された、地平内在的な、したがって驚きをもたらさない不確定性ではない。概念的に把握され、意識の地平に現われたとたん、不確定性は大幅に縮減される。アルケーとしての不確定性は、驚きをもって受け止められる地平超越的な不確定性である。意識システムの機能は、不確定性の否定であるから、不確定性を媒介にして初めて、私たちの意識に世界が開ける。そういう意味で世界のアルケーである不確定性は、意識の地平に内在化される以前の地平超越的な不確定性でなければいけない。

古代ギリシャの当時から、アルケーは要素(ストイケイオン στοιχεῖον)や基体(ヒュポケイメノン ὑποκείμενον)と混同されていた。しかし、要素は、アルケーを媒介にして作られるものであり、基体は、アルケーを媒介にして要素を作る主体である。不確定性を縮減する主体である基体も、不確定性の縮減によって作り出される要素も、不確定性というカオス的な大海から生まれ、それによって脅かされつつ存続し、やがて自己を維持することができなくなって消滅し、再び、不確定性の大海へと回帰する。システムの歴史は、これの繰り返しである。

不確定性が驚きをもたらすとするならば、驚く前には確定性が先行していたはずであり、したがって、確定性がアルケーではないのかと反論する人もいるだろう。しかし、アルケーとしての不確定性に先行する確定性は、意識の地平に現われないのだから、存在しないも同然である。確定性は、不確定性との対比で初めて理解されるのであり、確定性かそれとも不確定性かというメタレベルでの不確定性において与えられる選択肢に過ぎない。意識に先行する確定性という概念が、意識が成立してから生じることからもわかるように、それはアルケーとしての不確定性から派生する概念であって、それよりも根源的な概念ではない。

従来のシステム理論は、要素をアルケーとみなし、要素の組み合わせで複雑性を作り出し、そしてその複雑性でシステムを説明してきた。その結果、システム理論の研究者たちは、究極の要素は何かといった不毛な論争に拘泥することになった。彼らの議論は転倒しているのであり、要素は、不確定性を縮減するための手段であるから、どのような不確定性を縮減するかによって、その都度新たに作られるものなのだから、究極の要素は何かといった問いは不毛なのである。私たちのシステム学は、従来のシステム理論とは、出発点からして、根本的に異なるのである。

5 : 参照情報

  1. An Intermediate Greek-English Lexicon, ἀρχή (author) Henry George Liddell, Robert Scott
  2. “Since mass and energy are, according to the theory of relativity, essentially the same concepts, we may say that all elementary particles consist of energy. This could be interpreted as defining energy as the primary substance of the world. It has indeed the essential property belonging to the term ‘substance’, that it is conserved. Therefore, it has been mentioned before that the views of modern physics are in this respect very close to those of Heraclitus if one interprets his element fire as meaning energy. Energy is in fact that which moves; it may be called the primary cause of all change, and energy can be transformed into matter or heat or light. The strife between opposites in the philosophy of Heraclitus can be found in the strife between two different forms of energy.” Physics and Philosophy: The Revolution in Modern Science (page) 71 (author) Werner Heisenberg
  3. “an ancient Descartes” A History of Greek Philosophy: Volume 2, The Presocratic Tradition from Parmenides to Democritus (page) 20 (author) W. K. C. Guthrie
  4. “φαίνονται δὴ καὶ οὗτοι τὸν ἀριθμὸν νομίζοντες ἀρχὴν εἶναι καὶ ὡς ὕλην τοῖς οὖσι καὶ ὡς πάθη τε καὶ” Metaphysics, Book 1, section 986a (author) Aristotle
  5. “διὰ γὰρ τὸ θαυμάζειν οἱ ἄνθρωποι καὶ νῦν καὶ τὸ πρῶτον ἤρξαντο φιλοσοφεῖν, ἐξ ἀρχῆς μὲν τὰ πρόχειρα τῶν ἀτόπων θαυμάσαντες, εἶτα κατὰ μικρὸν οὕτω προϊόντες καὶ περὶ τῶν μειζόνων διαπορήσαντες, οἷον περί τε τῶν τῆς σελήνης παθημάτων καὶ τῶν περὶ τὸν ἥλιον καὶ ἄστρα καὶ περὶ τῆς τοῦ παντὸς γενέσεως.” Metaphysics, Book 1, section 982b (author) Aristotle
  6. “μάλα γὰρ φιλοσόφου τοῦτο τὸ πάθος, τὸ θαυμάζειν: οὐ γὰρ ἄλλη ἀρχὴ φιλοσοφίας ἢ αὕτη, καὶ ἔοικεν ὁ τὴν Ἶριν Θαύμαντος ἔκγονον φήσας οὐ κακῶς γενεαλογεῖν.” Theaetetus, section 155d (author) Plato
  7. Metaphysics, Book 1, section 982b (author) Aristotle
  8. “En sorte que le plus grand profit que j’en retirais était que, voyant plusieurs choses qui, bien qu’elles nous semblent fort extravagantes et ridicules, ne laissent pas d’être communément reçues et approuvées par d’autres grands peuples, j’apprenois à ne rien croire trop fermement de ce qui ne m’avoit été persuadé que par l’exemple et par la coutume : et ainsi je me délivrois peu à peu de beaucoup d’erreurs qui peuvent offusquer notre lumière naturelle, et nous rendre moins capables d’entendre raison. ” Discours de la méthode (section) Première partie (author) René Descartes
  9. “le grand livre du monde” Discours de la méthode (section) Première partie (author) René Descartes
  10. “Ἀναξίμανδρος μἐν Πραξιάδου Μιλήσιος Θαλοῦ γενόμενος διάδοχος καὶ μαθητὴς ἀρχήν τε καὶ στοιχεῖον εἴρηκε τῶν ὄντων τὸ ἄπειρον, πρῶτος τοῦτο τοὔνομα κομίσας τῆς ἀρχῆς. λέγει δ’ αὐτὴν μήτε ὕδωρ μήτε ἄλλο τι τῶν καλουμένων εἶναι στοιχείων, ἀλλ’ ἑτέραν τινὰ φύσιν ἄπειρον, ἐξ ἧς ἅπαντας γίνεσθαι τοὺς οὐρανοὺς καὶ τοὺς ἐν αὐτοῖς κόσμους• ἐξ ὧν δὲ ἡ γένεσίς ἐστι τοῖς οὖσι, καὶ τὴν φθορὰν εἰς ταῦτα γίνεσθαι κατὰ τὸ χρεών• διδόναι γὰρ αὐτὰ δίκην καὶ τίσιν ἀλλήλοις τῆς ἀδικίας κατὰ τὴν τοῦ χρόνου τάξιν, ποιητικωτέροις οὕτως ὀνόμασιν αὐτὰ λέγων. δῆλον δὲ ὅτι τὴν εἰς ἄλληλα μεταβολὴν τῶν τεττάρων στοιχείων οὗτος θεασάμενος οὐκ ἠξίωσεν ἕν τι τούτων ὑποκείμενον ποιῆσαι, ἀλλά τι ἄλλο παρὰ ταῦτα• οὗτος δὲ οὐκ ἀλλοιουμένου τοῦ στοιχείου τὴν γένεσιν ποιεῖ, ἀλλ’ ἀποκρινομένων τῶν ἐναντίων διὰ τῆς αἰδίου κινήσεως.” Commentary on Aristotle’s Physics, p.24, 13-25 sq (author) Simplicius
  11. “ἅπαντα γὰρ ἢ ἀρχὴ ἢ ἐξ ἀρχῆς, τοῦ δὲ ἀπείρου οὐκ ἔστιν ἀρχή• εἴη γὰρ ἂν αὐτοῦ πέρας.” Φυσικά (author) Αριστοτέλης
  12. “e-nu-ma e-liš la na-bu-ú šâ-ma-mu šap-liš am-ma-tum šu-ma la zak-rat ZUAB ma reš-tu-ú za-ru-šu-un mu-um-mu ti-amat mu-al-li-da-at gim-ri-šú-un A-MEŠ-šú-nu iš-te-niš i-ḫi-qu-ú-šú-un gi-pa-ra la ki-is-su-ru su-sa-a la še-‘u-ú e-nu-ma DINGIR-DINGIR la šu-pu-u ma-na-ma” Enûma Eliš, Tablet 1
  13. “בראשית ברא אלהים את השמים ואת הארץ והארץ היתה תהו ובהו וחשך על פני תהום ורוח אלהים מרחפת על פני המים ויאמר אלהים יהי אור ויהי אור ” בראשית א כתיב
  14. “Ἐν ἀρχῇ ἦν ὁ Λόγος, καὶ ὁ Λόγος ἦν πρὸς τὸν Θεόν, καὶ Θεὸς ἦν ὁ Λόγος. Οὗτος ἦν ἐν ἀρχῇ πρὸς τὸν Θεόν. πάντα δι’ αὐτοῦ ἐγένετο, καὶ χωρὶς αὐτοῦ ἐγένετο οὐδὲ ἕν ὃ γέγονεν.” Κατά Ιωάννην
  15. “ἐναντιότητες δέ εἰσι θερμόν, ψυχρόν, ξηρόν, ὑγρὸν καὶ τὰ ἄλλα” Commentary on Aristotle’s Physics, p. 150, 24 sq (author) Simplicius
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