オキュパイ・ウォールストリート
2011年9月17日に、世界の金融の中心で、米国の富の象徴であるニューヨークのウォール街で、「オキュパイ・ウォールストリート(ウォール街を占拠せよ)」を合言葉とする運動が起きた。日本では、この運動を貧富の格差に反対し、富の再配分を求める左翼運動と認識している人が多いが、デモ参加者の大多数の主張は、それとはやや異なり、思想的には右寄りとされるティー・パーティー運動の主張と共通点を持っている。[1]

1. 問題提起
2011年9月17日にニューヨークのウォール街から始まった「ウォール街を占拠せよ(Occupy Wall Street)」を合言葉とする反格差運動は、その後全米さらには世界各国へと広まった。日本では、この運動を次のように認識している人が多い。
反格差デモ 富と権力の再配分を急ぎたい (date) 2011年10月19日 (media) 愛媛新聞社 さんが書きました:
「われわれは99%だ」。市民がプラカードを掲げ、富を独占する1%の富裕層や大企業を批判する。単純で明快な主張が多数の若者を動員し、大きなうねりとなって富の象徴である各都市を埋めた。
格差是正を求める運動は、何も今回が初めてではない。これまでも金融、雇用危機などの節目ごとに、不満はデモとなって表出してきた。
背景には、大量消費システムの隅に置き去りにされる社会的弱者の存在がある。国際社会はあらためて、格差是正に向けた取り組みの重要性を再認識すべきであろう。
こうした認識は、しかしながら、デモ参加者の主流派の見解とやや異なっている。デモ参加者を対象にした調査によると、「米国政治の何に不満があるのか」という問いに対する最も多かった回答は、「企業、富裕層、利益団体と政治との癒着」で、30%を占め、「所得の不平等」と答えたものは3%しかいなかった。またこの運動が何を達成するべきかという問いに対する最も多かった回答は「ティー・パーティーが共和党に影響を与えたように、民主党に影響を与えること」で、35%を占め、「富のラディカルな再配分」と答えたものは4%しかいなかった[2]。

デモ参加者の大部分は、公的資金で金融機関が救済されたにもかかわらず、そのCEOが法外な報酬を受け取っているといった不公平に憤っているのであって、経済格差が存在すること自体を否定しているのではない。格差には《市場原理を肯定することで生まれる格差》と《市場原理を否定することで生まれる格差》があるが、彼らが問題視している格差は、前者ではなくて、後者の方だ。
だから、オキュパイ・ウォールストリート運動の原点は、ティー・パーティー運動の原点と同じである。ティー・パーティーという言葉は、1773年のボストン茶会事件(Boston Tea Party)に由来する。この事件は、英国政府と東インド会社の癒着に対する植民地人の憤りに端を発しており、政府が税金を使って特定企業だけを救済することに対する抗議という点で共通点がある。
オキュパイ・ウォールストリート運動はリベラルの運動で、ティー・パーティー運動は保守の運動だから、政治的主張が異なると思っている人も多いが、リベラルか保守かを問わず、米国人の大部分は、多くの企業が政府から保護されることなく倒産していった一方で、保険会社のAIG、自動車のGM、銀行のシティバンクなど、特定の企業は公的資金で救済されたことに不満を抱いている。リベラルは、当初オバマ大統領に期待をかけていたから、保守よりも行動を起こすのが遅かったというだけのことである。
実際、オバマ大統領は、ナイトライン(ABCニュースの番組)でのインタビューで次のように述べている。
いくつかの点では、オキュパイ・ウォールストリートは、ティー・パーティー運動から上がった抗議と大差ないと思います。 左派も右派も、人々は政府から疎外されていると感じていると思います。制度が自分たちのことを見てくれていないと感じているのです。[4]
ティー・パーティー運動の思想は、政治思想的にはリバタリアニズムに近い。リバタリアンのゲーリー・アール・ジョンソンは、運動が扇動によるものという指摘を否定し、次のように述べて、共感を示している。
この国は平等ではありません。誰もが平等に扱われていない。根本的な原因に焦点を当てて欲しい。私の推測では、それは政治家が金を得ていることだ。それはコーポラティズムであり、暴挙です。[5]

もとより、デモは、マスコミに注目され、規模が大きくなるにしたがって、不純分子が混ざるものだ。ちょうどティー・パーティー運動が広がるにつ入れて、黒人であることを理由にオバマ大統領を中傷誹謗するレイシストが加わって、評価を落としたように、オキュパイ・ウォールストリート運動も共産主義的な不純分子が増えるにつれて、平均的なアメリカ人の支持を失うだろう。
このことは、逆にデモ潰しの技術として応用することもできる。例えば、フジテレビの韓流偏重に対する抗議デモを潰す一つの方法は、右翼団体にデモの応援をさせることである。この動画では、フジテレビ抗議デモに韓国人の右翼(日本皇民党)が乱入している。フジテレビの依頼でやっているのかどうかはわからないが、これはイメージダウンに効果がありそうだ。捏造報道に対する抗議なら、国民の支持を得ることができるだろうが、右翼的な異文化排除の運動だと思われれば、国民の支持を失い、デモは廃れていくだろう。
オキュパイ・ウォールストリート運動は、日本では、冒頭に引用した愛媛新聞社の社説が示すように、《市場原理を否定することで生まれる格差》ではなくて、《市場原理を肯定することで生まれる格差》への抗議運動と誤解されている。2011年11月15日に東京で開催された反格差社会デモでは、反貧困に加えて、原発反対を主張する参加者まで現れ、さながら、左翼便乗何でもデモの様相を呈していた。こんな焦点の定まらないデモなら、賛同者が増えずに尻窄まりになるのも仕方がない。
永井俊哉 さんが書きました:
こうした認識は、しかしながら、デモ参加者の主流派の見解とやや異なっている。デモ参加者を対象にした調査によると、「米国政治の何に不満があるのか」という問いに対する最も多かった回答は、「企業、富裕層、利益団体と政治との癒着」で、30%を占め、「所得の不平等」と答えたものは3%しかいなかった。またこの運動が何を達成するべきかという問いに対する最も多かった回答は「ティー・パーティーが共和党に影響を与えたように、民主党に影響を与えること」で、35%を占め、「富のラディカルな再配分」と答えたものは4%しかいなかった[6]。
なるほど、Ron Paulが言っているcorporatism(企業と政府が癒着して、間違ったやり方で企業に金を垂れ流す大きな政府になっている)にUSAの市民は怒っている訳だ。
“公正さ"がないと。
これは日本の反韓流のdemonstrationと同じではないですか。
自国に対する外からの文化流入を一種の侵略と見なし、特に日本文化に対して強烈な統制遮断政策を取っている韓国が、外には国家ぐるみで韓流の浸透を押し進めている、それはこれまで日本人が自然と受け入れてきた優れた外国文化の自然な浸透-特定の国を背景としたものだからではなく、"優れた作品"であるから紹介されそれを日本人が選ぶことで受容してきた-とはまったく異なるもので、明らかにそこに公正さがないからこそ韓流デモは多くの人間が参加した訳です。
また韓流には韓国特有の根拠なき自己正当化が多分に含まれるので、国粋主義的な反発がそれを受けた側に生まれるのは自然かつ必要なことですが、戦後それを禁忌とされ、右翼がヤクザと同化して市民と乖離した日本では逆に運動の破壊に使われるのは悲しいことだ。
話はズレますが、USAの事象を紹介する時は無理にカタカナ英語化するのではなく、Occupy Wall Streetとそのまま書くのがよいのでは。
オキュパイ・ウォールストリートだとmass media報道の結果日本人がかなり妄想含みで誤った理解をしている事象という受け取り方をしてしまいます。
これはUSAの事なので原語をそのまま表記するか、Occupy Wall Street(ウォール街占拠運動)の方がちゃんと外国でその社会の事象・文脈を背景にして起こっていることだと実感できていい。
また"リベラル”はRon Paulらの真性自由主義(libertanianism)と区別するために社会主義的自由主義(social liberalism)と表現した方がいいと思います。
政府の干渉を徹底的に廃して、各個人の自己責任、各地域の自己責任でやっていくという自由主義と、誰もが自由に振る舞える基盤を保障する為に際限なく大きな政府を目指す社会主義に近い前者の自由主義ではまったく方向性が異なるので。
永井さんにお聞きしたいのですが、globarismの進展と金融資本主義の肥大化でnationを超えた、corporatismをもたらすようなあまりにも大きなplayerが誕生していることをどう考えますか?
企業に有利なだけの素朴な自由市場主義を押し進めた時、Karl Marxの預言の様な資本主義の自滅と社会主義・共産主義的なやり方にでも頼るしか救いがない状態になっていかないか。
GDPの増大は最早その国の豊かさの指標ではなく、単に国際化企業の業績の指標ではないのか。
そこにおける格差は資本主義における健全な格差とは到底言えないのではないか?そしてこれがOccupy Wall Streetの本質ではないかということです。
井上朋樹 さんが書きました:
自国に対する外からの文化流入を一種の侵略と見なし、特に日本文化に対して強烈な統制遮断政策を取っている韓国が、外には国家ぐるみで韓流の浸透を押し進めている、それはこれまで日本人が自然と受け入れてきた優れた外国文化の自然な浸透-特定の国を背景としたものだからではなく、"優れた作品"であるから紹介されそれを日本人が選ぶことで受容してきた-とはまったく異なるもので、明らかにそこに公正さがないからこそ韓流デモは多くの人間が参加した訳です。また韓流には韓国特有の根拠なき自己正当化が多分に含まれるので、国粋主義的な反発がそれを受けた側に生まれるのは自然かつ必要なことですが、戦後それを禁忌とされ、右翼がヤクザと同化して市民と乖離した日本では逆に運動の破壊に使われるのは悲しいことだ。
フジテレビ抗議デモの問題の根幹は、地上波テレビ業界が、政府が認めない限り新規参入ができない特権的な業界であるというところにあります。地上波テレビ局は、国家権力と癒着した特権と引き換えに、政治的公平が義務付けられている(放送法第四条)のですが、フジテレビはその義務に反しているというのが、本来のデモの趣旨で、異文化排除は一部の不純分子の主張であると私は認識しています。もとより、マスメディアが政治的に完全に公平であることは不可能だし、その必要もなく、むしろ必要なことは、その義務の前提となっている特権を廃止することであり、放送業界に市場原理を導入することでしょう。
井上朋樹 さんが書きました:
これはUSAの事なので原語をそのまま表記するか、Occupy Wall Street(ウォール街占拠運動)の方がちゃんと外国でその社会の事象・文脈を背景にして起こっていることだと実感できていい。
“Occupy Wall Street”は命令文だから、「ウォール街を占拠せよ」という訳の方がよいと思います。英語で書くのも結構ですが、“globarism”とか、“libertanianism”とか、間違った綴りで書くぐらいなら、日本語訳で書くかカタカナ音写するかした方がよいでしょう。
井上朋樹 さんが書きました:
“リベラル”はRon Paulらの真性自由主義(libertanianism)と区別するために社会主義的自由主義(social liberalism)と表現した方がいいと思います。
“classical liberalism”であれ、“social liberalism”であれ、ラテン語の“līber”に由来する“liberalism”は、「自由主義」あるいは「解放主義」を意味しますが、前者が絶対主義王政から市民を解放し、自由にするという19世紀以前の政治的課題を背景としているのに対して、後者は資本主義から労働者を解放し、自由にするという20世紀の政治的課題を背景としています。“libertarianism = neo-classical liberalism”は、大きくなりすぎた福祉国家から市場経済を解放し、自由にするという1970年代以降の政治的課題を背景としています。“libertarianism = neo-classical liberalism”と“classical liberalism”は、自由な市場経済を目指しているという点で思想的には同じとみなしてよいでしょう。
日本語訳に関してですが、米国では“(social) liberalism”が“conservatism”との対比で使われ、後者の定訳が「保守主義」であることを勘案するなら、「革新主義」と訳すのがよいのではないかと思います。米国における、共和党と民主党との対決は、日本では保守と革新との対決に相当するので、日本人の感覚に合います。また、このように訳すことで、“libertarianism = neo-classical liberalism”を「自由主義」と訳すことができます。
井上朋樹 さんが書きました:
永井さんにお聞きしたいのですが、globarismの進展と金融資本主義の肥大化でnationを超えた、corporatismをもたらすようなあまりにも大きなplayerが誕生していることをどう考えますか?
閉鎖的な一国経済では、政府は市場経済に対して独占的な権力を持つので、腐敗が起きやすくなります。グローバル経済では、市場経済に対する政府の権力は相対的に低くなり、政府による市場経済のコントロールがそれだけ難しくなります。グローバリゼーションが進むと、政府それ自体が、市場原理による選別の対象になります。腐敗した権力がグローバルな市場原理により淘汰されるようになることが、権力の腐敗を防ぐ最も効果的な方法です。だから、私は、グローバリゼーションに賛成です。
2. 参照情報
- ライターズフォーザー99%『ウォール街を占拠せよ―はじまりの物語』大月書店 (2012/10/1).
- オキュパイ!ガゼット編集部, 湯浅 誠『私たちは“99%”だ――ドキュメント ウォール街を占拠せよ』岩波書店 (2012/4/4).
- サラ・ヴァン・ゲルダー『99%の反乱-ウォール街占拠運動のとらえ方-』バジリコ (2012/1/27).
- ↑ここでの議論は、システム論フォーラムの「オキュパイ・ウォールストリート」からの転載です。最初の投稿は、2011年11月06日ですが、後から加筆も行っています。原文はリンク先をご覧ください。
- ↑Judd Legum. “Doug Schoen Grossly Misrepresents His Own Poll Results To Smear Occupy Wall Street." ThinkProgress. Oct 18, 2011.
- ↑David Shankbone. “Day 60 Occupy Wall Street November 15 2011“. Licensed under CC-BY-SA
- ↑“In some ways, they’re not that different from some of the protests that we saw coming from the Tea Party. Both on the left and the right, I think people feel separated from their government. They feel that their institutions aren’t looking out for them” ― Devin Dwyer. “Obama: Occupy Wall Street ‘Not That Different’ From Tea Party Protests.” ABC News. October 18, 2011.
- ↑“This country is not equal. We don’t treat everyone equally. I would like to see us focus on the root cause, which is in my estimation politicians that are getting paid off. That’s the corporatism and the outrage." ― Ray Downs. “'Forgotten’ GOP Candidate Gary Johnson Expresses Support for 'Occupy Wall Street’.” The Christian Post. OCTOBER 19, 2011.
- ↑Doug Schoen Grossly Misrepresents His Own Poll Results To Smear Occupy Wall Street (date) Oct 18, 2011 (media) ThinkProgress
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません