地方創生はどうあるべきか
日本の地方が過疎化しているのは、たんに新興国とのグローバルな企業誘致競争に敗れた結果であって、時代の必然ではない。私は、日本の地方が新興国型の経済成長を遂げることができるように、三つの政策を提案したい。一つは最低賃金法の廃止、もう一つは生活保護のバウチャーによる現物支給、三つ目は農協からの特権の剥奪である。[1]
安倍晋三首相は、2014年9月3日に内閣改造を実施し、官邸で行われた記者会見で「元気で豊かな地方の創生」を第2次安倍改造内閣の最大課題の一つとして掲げた。もっとも、地方創生のために何をするのかはまだはっきりしていない。改造前に取りまとめられた平成15年度予算の概算要求では「地方創生枠」に一兆円が割り当てられており、これに対して、国土交通省が新幹線や地方の高速道路の整備を求めるなど、各省庁はさまざまな「地方創生事業」に対して予算を要求している。
9月7日に放送された NHK の「日曜討論」で、石破地方創生担当大臣は「補助金や公共事業も必要だが、それをやってきて地方がこうなっている。地方の潜在力をどう引き出すかが大事だ」と述べ、従来型の地域振興策に疑問を呈している。たしかに、田中角栄の時代以来、自民党がそうした類の地域振興策を長年にわたって続けたにもかかわらず、地方の過疎化が起きたのだから、過去の失敗をよく反省しなければならない。
都市部、とりわけ東京への一極集中が進むことが時代の不可逆的な流れかと言えば、決してそうではない。日本国内における都市と農村の間にある格差の問題は、地球規模では先進国と発展途上国の間にある格差の問題と同じであるが、後者の地域間格差は、現在縮小に向かっている。従来、先進国は、OECD(経済協力開発機構)などを通じて発展途上国を支援してきたが、政府が政府を支援するという方法で南北問題が解決することはなかった。ところがボーダレスなグローバル経済が世界に広がるにつれ、新興国が著しい経済成長を遂げ、その結果、先進国と途上国との格差が縮小することになった。
新興国に投資をするグローバル企業は、OECD のように、貧しい国を豊かにしようとする動機を持っていない。たんにコストを削減し、安い商品を作るために進出しているのである。このため左翼は、グローバル企業が後進国の低賃金労働者を搾取していると言って非難するのだが、皮肉なことに、左翼が問題視していた南北問題を解決する上で効果があったのは、政府による利他的な援助ではなくて、彼らがそう呼んで非難するところの民間の営利企業による利己的な「搾取」の方だった。
グローバリゼーションが南北問題を解消しつつあるとはいっても、北朝鮮のようにグローバル経済を拒絶している閉鎖国家は相変わらず貧しいままだ。市場原理が機能しない独裁国家に政府間援助を行っても、たんに独裁体制を温存させるだけで、その国の人々を豊かにすることはない。日本国内の地域間格差を縮小させるうえでも、これはヒントとなる。地域経済を独占的・排他的に牛耳っている農協は、いわば小さな北朝鮮であり、この準社会主義的組織がグローバル経済を拒絶し続けるなら、いくら中央政府が地方政府に地方交付税交付金をばらまいたとしても、現にそうなっているように、日本の農村は衰退を続けることになる。
だから、日本の地方の過疎化は時代の流れによるものではない。これまでの人類の歴史を振り返ってみよう。前近代社会においては、都市と農村、先進国と後進国との間にそれほど大きな格差がなかったが、産業革命(工業革命)以降、都市と農村、先進国と後進国の格差が広がった。ところが、情報革命が起きるとこうした地域間格差は再び縮小する。今日の私たちは、インターネットに接続している限り、地球上のどこにいても最新の情報を手に入れ、そして情報を発信することができる。その結果、都市と先進国が持っていた情報センターとしての特権は失われつつある。サプライ・チェーンがグローバル化し、企業は国境を越えて、世界の最適地に投資をするようになった。日本の地方が過疎化しているのは、たんに新興国とのグローバルな企業誘致競争に敗れた結果であって、時代の必然ではないのだ。
私は、日本の地方が新興国型の経済成長を遂げることができるように、三つの政策を提案したい。一つは最低賃金法の廃止であり、もう一つは生活保護のバウチャーによる現物支給であり、三つ目は農協からの特権の剥奪 である。いずれも私がこれまで主張してきた政策であるが、地方創生を実現するポリシーミックスにするために、少しアレンジしよう。
現行の生活保護では、1級地-1 から 3級地-2 にいたるまで、地域を物価水準で分類し、高い級地ほど生活扶助基準額を高く設定している。これを、低級地ほど生活保護の受給が容易なるようにし、高級地での受給には制限を加えるように制度を変更する。すなわち、高級地では、入院していて移動できないとか、都市で仕事を既に持っているとかといった理由がある場合を除いて、原則受給を禁止する。他方で、低級地では、扶養照会を免除し、たんなる失業者にも給付するというように、受給要件を緩和する。もしもこのように級地が低いほど受給が容易になれば、失業者たちは都市から農村へと移住するようになるだろう。離島のように、物価水準の高い過疎地もあるが、一般的に言って、都市部ほど物価水準は高く、農村ほど物価水準は低いという傾向があるので、両者を都市部と農村部と同一視して大過ない。
受給要件を緩和すると、受給者が増えて、財政負担が膨らむことを心配する人がいるかもしれない。しかし、失業者たちが都市から農村へと移動すれば、一人あたりの負担は減る。地方には空室や廃屋がたくさんあるし、農村では規格外で破棄される食材もたくさんある。こうした未利用資源を現物支給することで、生活保護の財政負担を減らすことができる。現物支給は、不正受給を防ぐ上で効果があるだけでなく、受給者の勤労意欲を高める。すなわち、受給者は、自由に使える金を手に入れるため、たとえ低賃金であっても働こうとするようになる。
最低賃金法を廃止すれば、企業は地方で低賃金労働者を利用することができるようになるので、産業の空洞化を阻止することができる。海外移転した日本企業の中には生産拠点を国内に回帰させるところも出てくるだろう。地方は地価が低いし、それでいて多くの途上国とは異なり、電気や道路といったインフラは整備されている。言葉の壁もない。中国で起きた反日暴動やタイで起きた政変のような政治リスクも小さい。日本の人的資源は平均的に質が高い(OECD が調査した大人の学力試験では世界一である)ので、底辺労働者だからといって質が低すぎるということはない。
地方へ供給されるもう一つの労働力として期待されているのが、定年退職者である。1947年から1951年にかけて生まれた団塊の世代が、2014年現在、64-67 歳を迎え、現役を退いている。団塊の世代には、退職後、これまで培ってきた専門的知識を生かして、田舎で働きたいと考えている人が少なくないので、私が提案している政策の実行は、団塊の世代の田舎回帰の流れを加速することになるだろう。定年退職者の場合、資産保有者が多いので、雇われる側だけでなく雇う側としての役割も期待される。新しく事業を始めるにしても、物価と労働力が安い地方の方が有利である。
いずれにせよ、地方に人が集まれば、その人たちをターゲットにした副次的なビジネスも生まれる。初めは低賃金で働いていた未熟練労働者も、技術を習得するにつれて、より高い賃金を得るようになり、生活保護を必要としなくなる。地域経済の成長により、自治体の財政は好転し、さらなる成長のためのインフラ投資もできるようになる。こうした好循環は新興国で実際に起きていることであり、日本の地方がやろうとしてでできないことはない。
グローバルな市場経済を肯定し、民間主体で地域経済を成長させる上で障害になるのが、農村において大きな力を持つ農協である。農協の中には地域経済のために尽くしているところもあると擁護する人もいるが、そういう農協が地方に個別に存在するなら、なおさら JA 全中を頂点とする中央集権的な現行の組織は解体した方がよい。JA 全農には、協同組合という理由で、独占禁止法が適用されず、法人税の低減、固定資産税の免除など、様々な優遇措置が認められてきたが、市場経済志向の地方再生を行うのであれば、農協を株式会社化し、他の営利企業とイコール・フッティングの競争をさせるべきである。
以上が、私が提案するところの地方創生法である。この政策は、企業にとっても、失業者にとっても、政府にとっても、自治体にとっても、したがって最終的には国民にとってもメリットのある政策である。企業は、わざわざ海外に進出するリスクを冒さなくても、国内で好条件の投資先を見つけることができる。失業者や定年退職者には雇用の機会が与えられ、それによって政府は社会保障の負担を減らすことができる。自治体は人口減や歳入の減少による破綻を免れることができる。それでいて、従来の地域振興策のように巨額の予算が必要ということはない。
佐伯市議会議員の Hiroshi Kuwahara さんからのコメント。
大分県市議会議長会 (author) Hiroshi Kuwahara さんが書きました:
大分県市議会議長会 議員研修会に参加しています。『なぜ「ふるさとの人口と活力」が減っているのか?』という問題提起に対し、地方の「インフラ・ストック」の圧倒的不足が原因であり、「ふるさとの人口と活力」を取り戻すためには、地方の高速道路・新幹線等の計画的整備が不可欠として、平成8年から比べて半分近くも減らされた公共事業投資を取り戻す必要があるという論調の公演。(講師:京都大学 教授 藤井聡氏) デフレの原因はバブル崩壊ではなく、この公共事業の削減と規制緩和が招いたとも・・・ あまり批判的な意見は書きたくありませんが、かなり御用学者チックな論調です。
インフラの整備は地方にとって確かに必須な事ですが、それだけを原因として理論展開するのはあまりにも皮相です。
地方が活性化するためには、地方が新興国とのグローバルな企業誘致競争ができるように、様々な足枷となっている規制を緩和し、新規参入を阻む既得権を打破して行くことが絶対に必要です。 それが伴わないインフラへの巨大投資はグローバル化した現在に於いては日本経済への貢献は期待できない単なるバラマキであり、大きな負担を次世代に残すだけになってしまいます。
いつまでもこんな学者はいるんだなぁ・・・(´・_・`)
私がいつも勉強させて頂いているシステム論学者 永井 俊哉さんの『日本の地方が過疎化しているのはたんに新興国とのグローバルな企業誘致競争 に敗れた結果であって、時代の必然ではない』をご覧下さい。
これに対する Akihiro Kodama さんのコメント。
Akihiro Kodama さんが書きました:
公共事業を生業としている者から言わせてもらえば、じゃあ具体的にどうやって佐伯に企業誘致すれば良いと思いますか?企業誘致(ビジネス)の基本である物と人が行き交える社会資本を作るのが公共事業と思います。
さらに、藤井先生が唱える地方ニューディール政策は、内需拡大と地方インフラ整備による企業誘致の基礎を構築するものです。限られた公共事業費の中で、インフラストックの維持管理費が増大しているため、PPP事業を除いて、昔のようなバラマキはありえないと思います。
公共事業における既得権とは何ですか?天下り問題でしょうか?
あと、桑原先生がお考えになる地域活性化のため既得権打破策と規制緩和策を具体的に示していただけませんか?
小生は未だに公共事業悪玉論が蔓延っている現状こそが地方の危機だと思います。
写真に撮られている「先進各国の公的固定資産形成の経年推移」は、平成八年(1996年)を基準としていますが、1996年における日本政府の公共投資予算(公的固定資産形成)の GDP に占める割合は 6.3% で、英米独仏といった先進各国の倍ありました。それがようやく他の国並みの 3% 程度にまで下がったというだけで、低すぎる水準にあるとは言えません(ドイツは 2% 未満であり、今でも日本の比率は、比較的高めの水準にあります)。
日本で行われる公共事業の本当の問題は、しかしながら、その規模よりも内容の方にあるかと思います。無謬性に固執する中央のエリート官僚たちが、高度成長期に立案したプロジェクトを時代の変化と地域のニーズを無視して強行した結果、全国各地に無意味なインフラがたくさんできてしまいました。それで、現在、地方のことは地方自治体に任せるべきだという主張が主流になっているのですが、かつてのふるさと創生事業の惨憺たる結果を見ればわかる通り、地方自治体が自分たちで使い方を決めればよいというものでもありません。
結局のところ、投資は、投資する側がリターンを貪欲に求める動機を持たないなら、概してうまくいかないものなのです。公共財は、公共事業を通じてしか形成されない以上、公共事業が今後とも必要であることは言うまでもありませんが、PFI(Private Finance Initiative 民間資金活用事業)を採用するなど、民間投資を最大限活用することが望まれます。従来の公共事業では、「小さく産んで大きく育てる」、すなわち立案時点では予算を低く見積もり、引き返せなくなった時点で費用をどんどん嵩上げするといったことが行われ、税金の無駄使いを助長してきました。PFI 方式では、政府は契約した使用料金を支払うだけで、想定外の費用が生じても、そのリスクは、民間の事業者や出資者が負うので、政府に想定外の負担が生じるということはありません。
公債による資金調達コストよりも民間での資金調達コストの方が高いので、その分だけ税金の無駄遣いであるという批判もあります。しかし、民間での資金調達の方が利回りが高いということは、投資する側からすれば、民間企業の方がコスト・パーフォーマンスがよく、高いリターンが期待できるということでもあります。安倍内閣は、新興国へのインフラ輸出を成長戦略の重要な柱と位置付けていますが、厳しい国際競争を勝ち抜くためにも、営利ビジネスとしてのインフラ産業を日本の民間で育てなくてはいけません。政府が採算を度外視して公共事業を行うと、国内のインフラ産業を甘やかすことになります。海外は、日本以上に価格にシビアなので、日本のインフラ産業のコスト・パーフォーマンスを高める政策が必要です。また、低利回りの国債に甘んじている日本の富裕層が、もっと積極的な投資に乗り出せるような政策も必要です。
永井氏の政策は、妥当なものに思える。
逆に言えば、この政策に対して「抵抗」する「勢力」は誰なのかということが問題だ。
さらに、彼等がこの「抵抗」を正当化する「手口」も重要だ。
この政策によって、恩恵を受けるであろう人たちが、この政策を「拒否」するように「脅す」ことが基本的な手口になる。
もっとも恩恵を受けるのは、納税者だと思うが、生活保護の見直し、最低賃金の廃止、農協の解体が実行されたら、地方はますます疲弊し機能不全に陥り、うまく行っても「農奴制」の復活じゃないかという脅しである。現状維持が困難な状況なので、ますます現状維持に固執する感じだが、それが政策的には「補助金」やら「助成金」のばらまきへと結実する。もちろん、逆効果だ。
思いつきだが、議論しても、おそらく「消耗」なので、妥協し、役人は「特区」がお好きみたいだから、やばそうな「限界集落」を「適当に」特区に指定し、空き家をリフォームし、成功した団塊世代を誘導して「どぶろく」でも作らせ、「全共闘世代のユートピア」でも建設して欲しい気がしないでもない。
これは強制移住ではありません。そもそも生活保護は強制ではありません。実際、生活保護を受ける資格がありながら、受給しようとしない人はたくさんいます。これまでと同様に、「拒否」したいなら、自由に「拒否」したらよいのです。また、受給することを選んだとしても、低賃金で働かなければならないということはありません。最低限、生命を維持するだけなら、働く必要はないのです。だから、「農奴制」の復活というのは正しくありません。
強制移住とか農奴制とかとは、もちろん間違いです。
現物支給がある以上、生活は最低補償はされるわけだから、不当な低賃金に対して「抵抗」できる。
「気持ち」だけの報酬でも、仕事があれば何でもいいという人は、大勢いそうだから、経営的にも十分採算はとれそうだ。
医療や教育もそれなりに整備されていれば、「物々交換」が主力の田舎暮らしは愉しいものになるだろうと思う。
ところで、思いつきで「どぶろく特区」の話題を出したが、少し調べたら悲惨な状況になっている。
つまり、先行して「どぶろく特区」に認定されたところが、すでに「既得権益化」し、どぶろく特区の全国展開に対して抵抗しているようだ。
役人達も、事務が大変とかいって抵抗している。
わが国の「自由主義」が、その自由の恩恵を受けた人々によって自滅していく構図になっているという意味で、「どぶろく特区」は社会病理として興味深い。
談合やら根回しで、「競争」を回避しようとする。
ちょっと、うまく行くと満足して現状維持を決め込み、その上にあぐらをかこうとする。
どぶろく特区は、廃止され全国展開するべきだし、くだらない規制は全廃すべきだろう。
規制しようとするから、行政コストがかかるのだ。
消費税を徴収しているのだから、酒税など廃止すればいい!
どぶろく(濁酒)特区を知らない人のために、朝日新聞掲載「キーワード」の解説を引用しておきましょう。
どぶろく特区とは – コトバンク さんが書きました:
小泉政権時代に地域経済活性化を目的に導入された構造改革特区の一つ。酒税法では、決められた年間最低製造量の生産能力がなければ製造免許が受けられないが、原則として農家などが特区内の醸造所で自家産米で仕込んだどぶろくを製造、販売できる。福島県では2005年3月に飯舘村が最初に特区認定を受け、その後5市町が受けた。全国では計約120件のどぶろく特区がある。
そもそも、特区制度というのは、いきなり全国で規制緩和すると、失敗した時のリスクあるいは撤回による混乱が大きいので、地域を限定して行う実験のはずで、成功しているのであれば、全国に広げるのは当然のことでしょう。
Wiki で「どぶろく」を検索した。それによると、どぶろくのような自家醸造についての各国の対応が分かる。
「フランスやドイツ、イタリアなどでは自家醸造を禁止したことはなく、かつて自家醸造を禁止していたイギリスは1963年に、同じく禁止していたアメリカ合衆国も1979年に解禁した[5]。なお、アメリカではワインの自家醸造は1933年に解禁されている[5]。韓国では1909年に日本によって自家醸造が禁止され、また戦後、日本から独立した後にも1965年に自家醸造が禁止されたが、アメリカからの要請で小麦粉からの醸造が解禁された後、1992年にはコメによる醸造も解禁され、日本のどぶろくに相当するマッコリは韓国の輸出品として日本でも一般的に飲まれるようになっている[6]。また韓国ではマッコリの自家醸造キットなども販売されている。中国では、販売しなければ自家醸造は自由である[5]。日本ではどぶろく作りを解禁しようという動きもあるものの、解禁には至っていない。」wik「どぶろく」より一部引用。
実に、カナシクなるような日本の実情である。
なんいう覇気のなさ、事なかれ主義、ここまで行けば、不作為犯だ。
ついでに規制緩和で思い出したが、最近アメリカのワシントン州とコロラド州で、嗜好品としてのマリファナが解禁された。危険ドラッグの規制一辺倒で、いたちごっこしている日本とは段違いだ。
ヘロイン等の麻薬への入り口になるとかいったことが規制するための「脅し文句」や「口実」である。
韓国にマッコリで儲けさせ、危険ドラッグで中国に儲けさせるつもりのようだ。
なんか昔のポルノのヘア解禁のときの「アホ」みたいな議論と全く同じお話ではないか。
わが国の「公序良俗」とか何とか言っていたっけ!
どう考えても、規制したり秩序を維持したりする方が「公序良俗」に反すると思うね。
国税庁のホームページより引用しました。
「国税庁では、清酒製造業の健全な発達に資するために清酒の製造状況等の調査を行っています。調査の結果は国税庁の酒税行政を実施する上での基礎情報としているほか、清酒製造業者にも清酒の製造管理上の指標として活用されています。平成23酒造年度(平成23年7月1日~平成24年6月30日)における清酒の製造状況等については、別表「平成23酒造年度清酒製造状況等」のとおりです。
1 清酒の製造場数
平成23酒造年度において清酒を製造した場数は1,260場で、前年度から12場減少しています。」
要するに、市場が多様性を失い、縮小しているようだ。景気回復で、生産量は下げ止まりの傾向もあるようだが「ジリ貧」だろう。
この状況を変えるためにどぶろく特区が実施されたわけだろう。そしてそれは、ちょっとばかりうまく行った。120あまりが免許を受けている。
ところが、「どぶろく特区」の全国展開に対して、そうでなくても小さなパイをさらに新規参入に奪われてしまうと「妄想」し、役人とグルになって「自由化」に抵抗するのだ。
何故清酒が見放されるのか?一つの理由は、それが「身近」でないということにあるのではないか?
例えば、親父とかおじいちゃんとかが「趣味」でどぶろくを作れば、まるで話が違ってくる。ちょっ、自分でも作ってみようと思うだろうし、他のお酒と飲み比べてみようと思うだろう。自然なことだ。これが、結局お酒の消費市場というパイを安定させ、大きくさせることに繋がる。
自由化により、先行して小さな成功と生活の安定を得た人たちが、生活が一番とかいって、今度は保身的になりそこに役人やら政治家は群がれば、立派な既得権益層の成立となる。
結局長期でみれば、ジリ貧になり自滅する。
自業自得というべきだろう。
競争に負けるという負の側面が巨大に見えてしまい、被害妄想になっている。
負けたら、また挑戦すればよいだけのことだと思うのだが。
どぶろく特区の全国展開により、日本酒の市場はさらに安定し、大きくなると思う。
もちろん、駄目な酒蔵はつぶれ続けるだろうし、駄目などぶろくも売れなくなるだろう。
しかし、それを上回るチャンスが生まれるのも間違いないことに思える。
酒に限った話ではないけれども、ポスト工業社会の現在では多品種少量生産が消費者から求められるのだから、官僚たちも大企業に画一的な商品を量産させて、生産効率を上げるという古い発想にいつまでも捉われるべきではないですね。
濁酒を家庭でつくろうとしても、アルコール醗酵させるべきところを 腐敗させるだけに終わる場合が多いそうなので、注意しましょう。
ところで、どぶろく特区だけでなく、マリファナ特区や安楽死特区、売春特区(飾り窓。俺は虚弱体質で、性病に感染しやすいから行かないけどね)をつくってほしいなあ。
大麻には、勤労意欲を減退させる作用があるそうな。案外 それが、当局が大麻を規制する本当の理由なのかもしれない。
売春特区については、六代目三遊亭圓生がいうように「女郎屋の隣に男郎屋をつくればいい」んだが、無理だろうねえ。
そういえば、1994年(平成6年)4月の酒税法改正により、ビールの最低製造数量基準が2000klから60klに緩和され、小規模醸造のビール会社による地ビールが、当初は物珍しさも手伝って、ブームとなったことがありました。
しかし、地ビールには、現時点で15%の税金率の優遇措置があるものの、それよりもさらに税金が安い発泡酒との競争に敗れ、ブームはすっかり下火になっています。但し、欧米では、地方ブランドの「クラフト・ビール」が人気となっていることを考えると、地ビールそのものに人気がないということでもなさそうです。
現在、政府はビール類の税率一本化を検討しているところで、もともと高いビールの税率を下げる一方で、発泡酒や第三のビールの方は増税する予定なのだそうです。それなら地ビールにも復活のチャンスがあるかもしれません。
- 木下斉『地方創生大全』東洋経済新報社 (2016/10/7).
- 山下祐介, 金井利之『地方創生の正体――なぜ地域政策は失敗するのか (ちくま新書)』筑摩書房 (2015/10/10).
- 蒲田正樹『驚きの地方創生「限界集落が超☆元気になった理由」』扶桑社 (2018/6/29).
- ↑ここでの議論は、システム論フォーラムの「地方創生はどうあるべきか」からの転載です。
- ↑総務省.「都道府県別総合指数」平成19年全国物価統計調査報告.
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ローカルな話題で恐縮です。愛知県の岡崎市と豊田市に跨る地域に、トヨタ自動車がテストコースを建設しました。ただし、その用地取得を行ったのが愛知県企業庁というところなのです。工業団地を造成するときの手法ですが、単一の企業に対して、市町村レベルならともかく、都道府県レベルでこんなことをしてよいのでしょうか。また、副知事ポストにはトヨタ出身者を1名置いています。これって癒着ですよね。総務省自治行政局に問い合わせましたが、木で鼻を括ったような回答しか得られませんでした。
岡崎市と豊田市に跨る地域だと、どちらか一方の市の判断ではできないから、県が乗り出したのでしょう。
某愛知県知事は、自分の個人的趣味に基づいて、宮崎アニメのテーマパークを建設しました。すべて随意契約です。都道府県知事は官選にすべきです。