科学者はオカルト現象とどう向き合えばよいのか

2018年2月1日

古来より磁力や静電気力はオカルト的な遠隔作用として認識されており、魔術を禁止するキリスト教の力が強かった時代に磁力や静電気力の研究は廃れた。しかし、ルネサンス期以降、敢えて魔術に取り組む研究者が現れ、彼らが近代的な電磁気学や力学の基礎を築いた。ニュートンやクーロンは、万有引力や電磁気力を遠隔作用と認識していたが、今日それらは近接作用で説明されるようになった。この電磁気学の歴史から私たちが学ばなければならない教訓は、オカルト的であることを理由にオカルト現象の研究を拒否することはするべきではないが、遠隔作用を遠隔作用のまま肯定することはオカルティズムであって科学ではなく、遠隔作用は近接作用によって説明されなければならないということである。

1 : 古代では電磁気はどのように考えられていたのか

磁石が鉄を引き寄せるとか、摩擦した琥珀が軽い物体を引き寄せるとかいった遠隔力の事実は古くから知られており、ギリシャ哲学は、その黎明期から磁力や静電気力に注目していた。ディオゲネス・ラエルティオス[1]アリストテレスやヒッピアスの述べているところによると、タレスは磁石や琥珀を証拠にして無生物にさえも霊魂を付与した[2]と伝えており、タレス[3]は、磁石や琥珀に霊魂が肉体を動かすような力があると考えていたようである。このように、遠隔力としての磁力や静電気力は、ギリシャにおける物活論[注]の根拠となっていた。

[注]物活論(hylozoism)とは、物質を意味するギリシャ語のヒュレー(ὕλη)と生命を意味するギリシャ語のゾーエー(ζωή)から作られた造語で、狭義には、万物に霊魂を認めるギリシャ哲学の立場を示す。似た用語にアニミズム、生気論、唯心論があるが、意味は少し違う。アニミズムは、英国の人類学者タイラーの用語で、未開社会に見られる非生物の擬人化傾向を指す。生気論(vitalism)はラテン語で生気を意味するウィタ(vita)に由来し、生命の持つエネルギーを強調する近代哲学の傾向を指す。唯心論(spiritualism)は、呼吸、精霊、精神を意味するラテン語のスピリトゥス(spiritus)に由来する言葉で、唯物論とは逆に、すべてのものを精神的なものに還元する哲学的存在論を意味する。本稿では、物活論という言葉を、生気論を含める広い意味で使うことにする。

磁石が鉄を引き寄せたり、摩擦した琥珀が軽い物体を引き寄せたりするさまを見て、愛する人を抱きしめる人間の習性を連想することは自然なことである。漢の時代以前の中国では、「磁石」は「慈石」と書かれ、磁力が鉄を引き寄せることは母の慈愛が子を引き寄せることに喩えられた[4]。磁石を意味するサンスクリット語の“अयस्कान्त (ayaskAnta)”は「鉄によって愛されたもの」という意味である。磁石を意味するラテン語の“adamas”、スペイン語の“imán”、ポルトガル語の“ímã”はいずれも「愛する」という動詞に由来する。枕の下に磁石を潜ませておくと、貞節で夫を愛している妻は夫にしがみつき、姦通している妻なら床から転げ落ちる[5] というヨーロッパで長らく信じられていた迷信も、磁石の引斥力と愛憎との連想に基づいている。

磁力を霊魂による遠隔作用として認めず、もっと機械的な近接作用から説明しようとする哲学者も古代ギリシャにはいた。アフロディシアスのアレクサンドロス[6]が伝えるところによると、エンペデクレス[7]は、磁石からの流出物が磁石と鉄の穴を通って動くことで、鉄を動かす[8] という説明を行っていた。たしかに磁石の周辺に鉄粉を撒くと、以下の写真に見られるように、一方の極から他方の極に向かって何か物質が流れたかのような模様ができるので、目に見えない小さな粒子が磁石と鉄を貫く目に見えない小さな穴を通って移動したと考えたくなる。また、正体不明の遠隔作用を想定しなくても、微粒子と物質の近接作用だけで磁力の現象が説明できるのもこの説の魅力だ。

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Fig.01. 鉄粉を撒いた紙の下に棒磁石を置くとこのように鉄粉の模様は磁力線方向を示す。[9]

電磁気学の歴史において、タレスのように磁力や静電気力を遠隔作用として認めるか、それともエンペドクレスのように近接作用から説明するかは大きな争点となっている。近接作用説が機械論的で合理主義的であるのに対して、遠隔作用説は物活論的でオカルト肯定的といった対比がしばしばなされるが、近接作用論者のエンペドクレスは、愛(φιλία)と闘争(νεῖκος)という擬人的な表現で森羅万象の変化を説明したし、ニュートン以降の遠隔作用説には物活論的、オカルト的[10]性格がないから、そうした対応には必然性はないが、ニュートン以前にはそうした傾向があったことは事実である。

エンペドクレスの近接作用説は、デモクリトス、エピクロス、ルクレティウス、アポロニアのディオゲネス、後期プラトン、プルタルコスによって継承され、タレスの遠隔作用説は、初期プラトン、アリストテレス、ガレノス、アフロディシアスのアレクサンドロスによって継承された[11] が、この論争に決着が付けられることはなかった。ローマ帝国の時代から中世の時代になると、磁力の科学的解明自体が行われなくなったので、論争の再開は、ルネサンスの時代を待たなければならない。

2 : 中世以降魔術はどのように扱われたのか

西欧が無知蒙昧という意味での暗黒時代を脱するようになったのは、12世紀ルネサンス以降である。私たちは、ともすれば、近代科学は魔術との決別により生まれたと考えがちであるが、中世的な無知蒙昧を象徴すると思われている占星術や錬金術といった魔術は、暗黒時代の中世よりもルネサンス期において盛んに研究されており、かつこれらの魔術の研究は近代科学の成立に大きく貢献している。だから、近代科学が成立するまでのプロセスは単純ではないのだが、とりあえず以下の表のようにまとめることができる。

中世から近代にかけての魔術史
時期 知の担い手 魔術に対する態度 代表的な研究者
「暗黒時代」の中世(5-11世紀) 教会の聖職者 魔術の禁止 マルボドゥス
12世紀ルネサンス以降の中世(12-13世紀) 大学のスコラ学者 文献に基づく魔術の解釈 トマス・アクィナス
ルネサンス(14-16世紀) 技術者、在野の学者 実験による魔術の実践 パラケルスス、ポルタ、ギルバート
初期近代(17-18世紀) 民間アカデミーの会員 実証科学による魔術の合理化 ニュートン、クーロン
近代(19-20世紀) 大学の研究者 実証科学による脱魔術化 ファラデー、アインシュタイン

遠隔力の研究史をこの表に沿って概観しよう。まず、12世紀ルネサンス以前の中世においては、カトリック教会の支配力が強く、知の拠点は写本の図書館があった修道院に、知識人は修道僧にほぼ限られていた。カトリック教会は異教的な魔術を禁止しており、魔術を連想させる磁力を彼らが公式に研究することはなかった。但し、この時代には後の魔女狩りのような積極的な弾圧はなかったので、磁石に関する迷信の類は、民間で口頭伝承されていたし、レンヌの司教、マルボドゥス[12]のように、実用的医学的観点から磁石の効用を書き記したものもいた。

12世紀ルネサンス以降、イスラム社会で保存・研究されていた古代ギリシャの文献が伝えられるようになった。教会から独立した大学が作られ、イスラムから伝わった文献の翻訳と研究が行われた。この時代の代表的な学者は、異教的なアリストテレス哲学を聖書と整合的なスコラ学へと改造したトマス・アクィナス[13]である。トマスは、磁力に関しても、磁石は磁石に向かって動くという形相を鉄に与えることで鉄を引き付ける[14] というアリストテレス的で物活論的な解釈を与えている。

トマスが確立したスコラ学は、トマスの死後、大学教育において教条主義的な理論となった。ヨーロッパの大学は、12世紀の大翻訳運動によってもたらされた知識の吸収のための教師と学生の組合として始まり、創立当初は開放的で動的で前進的な組織であったが、既に15世紀には閉鎖的で貴族的で守旧的な組織に変質していた[15]。代わって、ルネサンス期において新しい知の担い手となったのは、教会にも大学にも属さない民間の学者や技術者たちであった。彼らは、書物の解釈ではなくて、実験的手法により魔術的と言われてきた現象を研究した。

最初の例は、フランスの技師、ペトロス・ペレグリヌス[16]が1269年に書いた『磁気書簡』で、これは、磁石は分割しても両極性を帯びるなど、磁石の性質を実験によって確かめた最初の西欧の文献である。後期ルネサンス期の主流派は、『ヘルメス文書』の影響を受けた神秘主義者たちだった。『ヘルメス文書』とは、紀元六世紀頃にまでにエジプトで書かれた、占星術、錬金術、妖術、自然哲学に関するネオプラトニズム的な文書群で、フィチーノ[17]によってラテン語に翻訳された『ヘルメス文書』は、1471年に出版され、16世紀にはヘルメス主義がブームになった。そして実験的方法による魔術の研究が、民間の学者によって行われるようになった。

磁力と静電気力に関しては、パラケルスス[18]、ジャンバッティスタ・デッラ・ポルタ[19]、ウィリアム・ギルバート[20]などが代表的である。パラケルススは、医師にして、錬金術師であり、磁力遠隔作用説に基づき、刀傷を治すために、傷の原因となった刀に軟膏を塗る磁気療法なるものを提唱した。ポルタは、『自然魔術』という通俗的な本を書き、磁力のみならず、磁化能力もが遠隔作用であり、その力が距離とともに減少することを指摘した。ギルバートはそれまで混同されていた磁力と静電気力を初めて区別し、地球が一つの磁石であることを発見し、地球の回転運動を地球の磁力で説明しようとしたが、地球を霊魂の有る生命体とみなすなど、依然として物活論的な伝統の延長上にあった。

この時代、太陽崇拝のネオプラトニズムの影響を受けて、コペルニクスやケプラーが太陽中心の地動説を提唱した。とりわけケプラーは、ギルバートの磁気論を継承し、重力を磁力と考えることで太陽系の運行を説明しようとした。しかし、ルネサンス期に現れた近代科学の先駆者がすべてヘルメス文書に感化された遠隔作用論者ということはなかった。ガリレオやデカルトは、アリストテレス的な目的論や物活論を否定し、不活性な物質間の近接作用のみを認め、遠隔作用を認めない機械論的な世界観を提示した。例えば、ケプラーが潮汐の原因を月と太陽の重力に求めたのに対して、ガリレオ・ガリレイは、重力という遠隔力を否定し、潮の干満を地球の自転と公転がもたらす近接作用から説明しようとした。デカルトは、以下の図に見られるように、地球や磁石を貫く微細な通孔を一方向にしか進むことができないネジ状の微細粒子の渦動運動で磁力を説明しようとした。

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Fig.02. 中央の円は地球で、周辺にある円は磁石を表す。ネジ状の微細粒子 (particulae striatae) がそれらを貫いて、渦動運動をしている様子が描かれている。[21]

ガリレオやデカルトの機械論的世界観の方が近代的に見えるのだが、彼らの近接作用に固執した学説は間違っていた。潮の干満を自転と公転の向きが同じか逆かで説明するガリレオの説は、潮汐が半日周期であるという事実に反しているし、微小物質の移動で磁力を説明するデカルトの(というよりもエンペデクレス以来の)近接作用説は、磁力が真空内でも弱まることがないというロバート・ボイルの一連の実験の結果[22] により否定された。

古代から近代に至る電磁気学の歴史をまとめた『磁力と重力の発見』の著者、山本義隆は、デカルトを以下のように厳しく批判している。

彼の自然学、とりわけその宇宙論は、数学的推論によって導かれる結果を精密な測定によって検証するという近代物理学や近代天文学の基本的要件をまったく欠落させている。惑星運動についてのケプラーの精密な数学的法則にいたっては一顧だにされていない。磁力についても、磁力を定量的に測定するという発想はデカルトには皆無で、磁石の定性的なふるまいを再現するモデルを仮想の物質で捏造することでその磁力論は尽きている。その意味では、デカルト機械論は、自然学としては、魔術思想に対置された未成熟でそれゆえきわめて不完全なアンチテーゼであったと言わざるをえない。[23]

皮肉なことに、磁力とは異なる重力を発見し、近代力学の礎を築いたのは、いかにも近代的に見える機械論者のデカルトではなくて、一見すると前近代的な神秘主義者で、オカルト愛好家で、錬金術師のアイザック・ニュートンだった。自然魔術と占星術に対する信念が17世紀の終わりまで続いたことは驚くべき奇妙なことである[24]と言う研究者もいるが、自然魔術や占星術に対する拒否感がなかったからこそ、ヘルメス主義の科学者たちはオカルト的な遠隔力を遠隔力として研究することができたのだし、ニュートンは『プリンキピア』を書くことができたと考えることができる。ニュートンの業績をどう評価するかについては、節を改めて、論じることにしよう。

3 : ニュートンの成功の本質と原因は何か

1687年にニュートンが『プリンキピア』を公刊した時、機械論が主流だったヨーロッパ大陸では、ニュートンの万有引力は受けいられれなかった。デカルトの渦動説を支持していたライプニッツは、それをわけのわからないオカルト的な性質[25]と評した。太陽や月が地球に引力という力を及ぼしているといった考えは占星術的だし、その本質や原因もわからないまま遠隔作用を認めることは、魔術の容認に等しいといった類の批判である。しかし、機械論による力学があまりにも不毛であったために、ニュートン力学は、大陸でも受け入れられるようになった。

最終的にニュートン派がデカルト派に勝利する決め手となったのが、地球の形状である。デカルトの渦動説が正しいなら、赤道付近は極付近よりもより大きく渦動物質の圧力を受けるので、地球は縦長になるはずであり、ニュートンの万有引力説が正しいなら、遠心力が働くので、横長になるはずである。この問題を解決するために、ルイ15世は、1736年にモーペルテュイをはじめとする測量隊を北極圏のラップランドと赤道下のペルーに派遣し、緯度一度当たりの子午線の長さをそれぞれ測量させた。モーペルテュイは、1738年に前者の方が長いという結論を下し[26]、ニュートンの予測が正しかったことが実証された。

ニュートンの成功に触発されて、1725年にはピーテル・ファン・ミュッセンブルーク[27]が磁力を磁気発散気による近接作用とみなす説を否定する実験結果を公刊し、1760年には、トビアス・マイヤー[28]が『Theoria Magnetis (磁気の理論)』で、デカルトの渦動仮説を反証し、磁力にも逆二乗法則が成り立つことを示唆し、その後、逆二乗法則は、1785年のシャルル-オーギュスタン・ド・クーロン[29]の論文によって確定された。クーロンは、また、電荷間の引力/斥力にも同じような逆二乗法則が成り立つことを見つけ、今日それはクーロンの法則と呼ばれている。山本は、近接作用説と遠隔作用説の論争史を以下のように総括している。

一八世紀にニュートンの力学が大陸に浸透してゆく過程で、重力についてはその「法則」の確定こそが大切であるということが次第に認められてゆき、「重力の本質」や「重力の原因」を問うといったそれまでの哲学での問いは、物理学では主要な問題ではなくなっていった。ミュッセンブルークからマイヤーとクーロンにまでいたる研究はこの過程を電磁力にまで押し広げるものであった。こうして磁気と電気の力もまた、数学的関数で表される遠隔力として合理化されたことで数理物理学にとって不可欠な概念の地位を獲得し、近代物理学に組み込まれていったのである。物理学としての電磁気学はここから始まる。

かくして物質的世界は合理化され、遠隔作用として古代以来「隠れた力」の典型と見なされてきた磁力からはその魔術的性格が脱色されていった。もはやニュートンが重力にたいして考えていたような神学的根拠すら語られていない。物理学は事物の本質についての形而上学的な認識を求めることを放棄し、さしあたって現象の法則についての数学的な確実性を求めることに自足したのである。そしてここに数理物理学がはじまる。[30]

これは、ニュートンあるいは近代科学一般に対してよくなされる評価である。ニュートンに先立って、ガリレオも書簡の中で私たちは、考察の際に、自然的実体の真の内的本質に迫ろうとするか、それとも自然的実体のいくつかの諸性質の知識に甘んじるかのどちらかであるが、前者の試みは、きわめて身近な要素的実体に関するものであれ、きわめて遠方の天界の実体にかんするものであれ、不可能な企てと認識している[31]と語っている。彼に言わせれば、私たち人間にできることは、事物の諸性質の洞察にすぎない。

ニュートンは、『プリンキピア』において「私は仮説を立てない」と言っているが、これはガリレオと同じことを言っているように見える[注]

[注]同じことを言っているように見えるが、実際はそうではない。ニュートンは、たんに論争に巻き込まれることを恐れて、自信のない仮説を公表しなかっただけである。ニュートンは遠隔作用説を不条理なものと考えており、1679 年のボイル宛の手紙の中で[32] 重力はエーテルを媒体として作用するという近接作用説的な仮説を立てていた。本当に遠隔作用説を信じていたのは、ダニエル・ベルヌイなど、ニュートン以上のニュートン主義者だけであった。

私は現象から重力の性質に対する理由をこれまで見つけられていない。そして、私は仮説を立てない。なぜなら、現象から引き出されないものは、形而上的なものであれ、形而下的なものであれ、オカルト的なものであれ、力学的なものであれ、仮説と呼ばれなければならず、実験哲学に居場所を見出すことができないからだ。この哲学では、命題は現象から引き出され、後に帰納によって一般化される。[33]

私たちの経験が有限である以上、どのような一般的な命題でも帰納による完全な実証は不可能である。だから現象から引き出されたと称するどのような一般的な命題にも仮説としての性質は残る。光学に関しても仮説を立てない[34] と宣言するニュートンも光の粒子説のようなどう見ても仮説としか評しようのない説を提唱している。ニュートンが『プリンキピア』で、実証もせずに前提としている絶対空間や絶対時間も、今日では否定されている仮説である。しかし仮説的な性質があるからといって一般的な命題を立ててはいけないということにはならない。一般的な命題は、その間違いが判明した段階で放棄するなり修正を加えるなりすればよい。仮説を立てはいけないなどと言っていては、科学はいつまでたっても進歩しない。

だから「私は仮説を立てない」というニュートンのテーゼが近代科学の方法論を確立したという見方は正しくない。また、重力や電磁力といった遠隔力の本質や原因を問うことを「形而上学的な認識」として拒否し、その現象の記述に甘んじることが科学者の態度として正しいということもない。現象の本質や原因を問うことは実証科学にとっても必要な作業であり、ニュートンの成功の本質と原因を、本質と原因を求めなかったところに求めることは的外れである。引用した山本による科学革命の総括を読むと、ニュートンやクーロンの遠隔作用説が最終的に勝利し、デカルトの近接作用説は反革命的な保守反動にすぎなかったかのような印象を受けるかもしれないが、その後、科学者たちは遠隔力の本質と原因を探し、現在では近接作用説が主流となっているのだから、山本がアジるほどデカルトが反動的だったとは言えないだろう。たしかに、デカルトの説が定量的分析を欠き、その後の電磁気学の発展に貢献しなかったのは事実であるが、同じことはパラケルススなどの遠隔作用説の先駆者についても言える。

ニュートンとクーロンが遠隔作用説を確立した後、最初に近接作用説を復活させようとしたのは、マイケル・ファラデー[35]であった。ファラデーは、真空中の電荷にもクーロン力が働くのは、真空中にも目には見えない何らかの媒体があるからだと考えた。これは、微細な物質[36]からなるエーテルが空間を埋めていて、光を伝えると考えていたデカルトの説に近い。電磁波の媒体物質としてのエーテルの存在は、1887年のマイケルソン・モーリーの実験によって否定された。しかし、1888年のヘルツ[37]の実験により、電磁波の存在が実証され、近接作用説は依然として正しいということになり、その結果、科学者たちは、空間を満たしている物質ではなくて、空間そのものが電気や磁気を伝えている媒体であると考えるようになった。今日の量子場理論(quantum field theory 場の量子論)はこの考えを引き継いでいる。量子論によれば、真空は「真に空」ではなく、仮想粒子の対が生まれては消える揺らぎの場であり、電磁波を伝えることができる媒体である。

重力は量子場理論の対象外であるが、アインシュタインの一般相対性理論によれば、時空の歪みが重力場を形成する。つまり、電磁場の変化によって電磁波が生じ、それが光速で伝わって電磁力が作用するように、重力場の変化によって重力波が生じ、それが光速で伝わって重力が作用するというわけだ。重力波は、2013年現在まだ直接には検出されていないが、世界の重力波望遠鏡連星パルサーの公転周期の変化からその存在が1974年に間接的に確認されている。このように、かつてはオカルト的と考えられていた遠隔作用が、現代では電磁場、重力場を媒体とした近接作用の結果として説明されるようになった。力の本質も超弦理論によって統一的に解明されようとしている。遠隔作用によるものと思われた力の本質と原因を求める努力は無駄ではなかったのである。

4 : 科学者はオカルト現象とどう向き合えばよいのか

ニュートンやクーロンが活躍した17-18世紀の時代では、第一線の科学者は必ずしも大学教授ではなかった。ニュートンは、若い頃ケンブリッジ大学のルーカス教授職に就いていたが、クーロンは軍隊に所属するエンジニアで、教職に就くことは一生を通じてなかった。大学はたんなる教育機関にすぎず、大学に所属しない研究者が、今日の学会に相当するアカデミーで指導的な地位を得ることは珍しいことではなかった。大学が研究機関としても機能するようになったのは19世紀のドイツの大学においてであり、その傾向は、20世紀になると、世界に広がった。政府が税金を財源とする資金を潤沢に提供したことで、科学者たちは大学で高額な実験を行うことができるようになり、その結果、主要な科学者のほとんどが大学でポストを得るようになった。

今日の大学の研究者は、ルネサンス期あるいは近代初期の在野の研究者がやったようなオカルト研究はしない。税金を原資とする研究助成金をもらっているのだから、オカルト研究のような趣味的な研究はするべきではないという考えはもっともに思えるが、税金を原資としているからこそ、納税者の素朴な疑問に答えるべきだという考えもある。オカルティズムは過去のものではなく、占い、魔術、超能力、心霊現象などの超常現象を信じているかあるいは完全に拒否していない人は少なくない。その証拠に、オカルト現象を扱う商業メディアには相応の需要がある。

電磁気学の過去の歴史を振り返る時、一方で商業メディアがオカルティズムを興味本位で取り上げ、他方で大学の研究者たちがそれらを軽蔑して、完全に無視するという現状のままでよいのかという疑問を抱く。かつてキリスト教は魔術思想を弾圧した。例えば、ヘルメス主義者のジョルダーノ・ブルーノ[38]は、その思想の異端性ゆえに処刑された。こうした魔術思想の否定は、合理的な根拠を持っていたわけではなく、たんに偏見に基づくものであった。そして遠隔作用は魔術でいかがわしいものだという偏見から離れて遠隔力を研究することにより、ルネサンス期の研究者たちは近代的な力学と電磁気学の礎を作り出すことができた。

現代でも、オカルト的と思われている現象を研究することで、新しい学問を作り出すことができるかもしれない。商業メディアが騒ぎ立てるオカルト現象の大半は、誤認と捏造によるものだとしても、中には、それでは説明のつかないものがある。そして、事実と認定されるならば、それがいかに摩訶不思議なものであったとしても、科学者はその事実に対して何らかの説明を行わなければならない。なぜなら科学者の仕事は与えられた事実を合理的に説明することであって、事実を否定する権利は科学者にはないからだ。

ウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズ[39]は、1878年に
景気循環と太陽黒点周期の相関性を指摘する論文[40] を公表したが、その仮説は、太陽の黒点の増減が景気循環に影響を及ぼすという占星術的でオカルト的な内容のゆえに、オーソドックスな経済学者からは相手にされていない。たしかに金融占星術がそうであるように、正体不明の遠隔作用をそのまま認めることはオカルト的で、科学的ではないが、天体が地球に与える影響の本質と原因を近接作用の連鎖を通じて解明しようとするならば、天文経済学は科学的な理論となりうるのだから、最初から「トンデモ説」「疑似科学」のレッテルを貼って相手にしないというのは科学的な態度とは言えない。これよりももっと怪しげな現象に関しても同じことが言える。神秘的なものを神秘的なものとして信じ込む神秘主義者と神秘的なものを神秘的であるがゆえに軽蔑して相手にしようとしない科学者の態度は、正反対のように見えて、実は神秘的なものを神秘的と受け取っている点で同じである。神秘的なものを神秘的ではないように合理的に説明しようとすることこそ科学者の取るべき態度なのである。

5 : 参照情報

  1. Diogenes Laertius (Greek) Διογένης Λαέρτιος (Latin) Diogenēs Laertios; fl. c. 3rd century AD
  2. “Ἀριστοτέλης δὲ καὶ Ἱππίας φασὶν αὐτὸν καὶ τοῖς ἀψύχοις μεταδιδόναι ψυχάς, τεκμαιρόμενον ἐκ τῆς λίθου τῆς μαγνήτιδος καὶ τοῦ ἠλέκτρου.” Βίοι καὶ γνῶμαι τῶν ἐν φιλοσοφίᾳ εὐδοκιμησάντων, Θαλής, 23 (author) Διογένης Λαέρτιος
  3. Thales of Miletus (Greek) Θαλῆς (Latin) Thalēs; c. 624 BC – c. 546 BC
  4. 太平御覽, 藥部五, 石藥下 (media) Chinese Text Project
  5. De Materia Medica, Vol.5, §.148 (author) Pedanius Dioscorides
  6. Alexander of Aphrodisias (Greek) Ἀλέξανδρος ὁ Ἀφροδισιεύς; fl. 200 AD
  7. Empedocles (Greek) Ἐμπεδοκλῆς (Latin) Empedoklēs; c. 490–430 BC)
  8. Quaestiones, Alexandri Aphrodisiensis praeter commentaria scripta minora (page) 72 (editor) Ivo Brun
  9. Practical physics for secondary schools: fundamental principles and applications to daily life (author) Newton Henry Black, Harvey N. Davis.
  10. オカルト(occult)という言葉は、ラテン語で「隠された」を意味する “occultus” に由来し、反義語は、「明白な」を意味する “manifestus” であった。だからオカルト的であることは必ずしも神秘的であることを意味しなかったのであるが、ここではこの言葉を今日的な意味で使うことにする。すなわち、オカルト・フォースとは、たんに光学的に見えない力というだけでなく、そのメカニズムがわからないという意味での隠れた力ということである。
  11. 磁力と重力の発見〈1〉古代・中世 (page) 91 (author) 山本義隆
  12. Marbodius of Rennes; ca. 1035 – 1123
  13. Thomas Aquinas; 1225 – 7 March 1274
  14. Commentaria in octo libros Physicorum, Lib. 7, Lec. 3 (section) 903 (author) Thomas Aquinas
  15. 磁力と重力の発見〈2〉ルネサンス (page) 439 (author) 山本義隆
  16. Pierre Pelerin de Maricourt (Latin) Petrus Peregrinus de Maricourt; fl. 1269
  17. Marsilio Ficino (Latin) Marsilius Ficinus; 19 October 1433 – 1 October 1499
  18. Paracelsus, Theophrastus von Hohenheim, Phillipus Areolus, Bombastus; 1493 – 1541
  19. Giambattista della Porta; 1538 – 1615
  20. William Gilbert; 1544 – 1603
  21. Principia Philosophiae (author) René Descartes.
  22. New experiments, physico-mechanical, touching the spring and weight of the air, and their effects (author) Robert Boyle
  23. 磁力と重力の発見〈3〉近代の始まり (page) 765 (author) 山本義隆
  24. “It is a surprising and curious fact that the belief in the ideas of natural magic and astrology persisted almost up to the end of the seventeenth century. ” Magnetism During the 17th Century (author) H.H. Ricker III
  25. “une qualité occulte déraisonnable” Die philosophischen Schriften: Band III (page) 519 (author) Gottfried Wilhelm von Leibniz
  26. La Figure de La Terre (author) Pierre Louis Moreau de Maupertuis
  27. Pieter van Musschenbroek; 1692 – 1761
  28. Johann Tobias Mayer; 1723 – 1762
  29. Charles-Augustin de Coulomb; 1736 – 1806
  30. 磁力と重力の発見〈3〉近代の始まり (page) 935 (author) 山本義隆
  31. “we either seek to penetrate the true and internal essences of natural substances, or content ourselves with knowledge of some of their properties. The former I hold to be as impossible an undertaking with regard to the closest elemental substances as with more remote celestial things.” Discoveries and Opinions of Galileo (page) 123 (author) Galileo Galilei (translator) Stillman Drake
  32. Newton’s 1679 Letter to Boyle, on the Cosmic Ether of Space (media) Letter to Henry Lord Brougham
  33. “Rationem vero harum gravitatis proprietatum ex phænomenis nondum potui deducere, et hypotheses non fingo. Quicquid enim ex phænomenis non deducitur, hypothesis vocanda est; et hypotheses seu metaphysicae, seu physicae, seu qualitatum occultarum, seu mechanicae, in philosophia experimentali locum non habent. In hac philosophia Propositiones deducuntur ex phaenomenis, et redduntur generales per inductionem.” Philosophiae Naturalis Principia Mathematica, Liber Tertius, Scholium Generale (author) Isaac Newton
  34. A Letter of Mr. Isaac Newton, Professor of the Mathematicks in the University of Cambridge; containing his New Theory about Light and Colors (author) Isaac Newton
  35. Michael Faraday; 1791 – 1867
  36. “matière subtile” La dioptrique (page) 9 (author) René Descartes
  37. Heinrich Rudolf Hertz; 1857 – 1894
  38. Giordano Bruno; 1548 – 1600
  39. William Stanley Jevons; 1835 – 1882
  40. Commercial Crises and Sun-Spots (author) William Stanley Jevons