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日本版ロースクール構想はどこが問題だったのか

2013年12月28日

1998年に打ち出された日本版ロースクール構想は、2004年に法科大学院の発足という形で結実した。しかし、この構想が打ち出されたのは、法曹改革のためではなくて、公教育利権の温存のためであった。このページは、2001年時点で私が行ったロースクール構想批判を再掲するとともに、2013年時点でのレビューを追記する。[1]

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1. ロースクール構想の問題点

近年、官僚の中には、天下り先として、大学を選ぶ人が増えているそうだ。高額な退職金稼ぎに対する批判や構造改革を求める世論の高まりの中で、特殊法人等の理事を敬遠し、収入は少ないものの、地位と名誉のある大学教授を選ぶことは、妥当な選択肢と言える。

しかし、その大学も、少子化の流れの中で、経営が苦しくなっている。学生数を増やすには、海外から留学生を呼び込むか、社会人の再入学を増やすしかないのだが、日本の大学には国際競争力がないので、留学生(特に私費留学生)の大幅な増加は、期待できない。

そこで、2002年度以降の予算編成の大枠を定める「骨太の方針」は、社会人キャリアアップ100万人計画を推進するなど、国内での需要の掘り起こしに力を入れている。「骨太の方針」の起草委員は、竹中平蔵経済財政担当相(慶大教授)、本間正明阪大教授、吉川洋東大教授、岩田一政内閣府政策統括官(東大教授)と全員が大学教授だから、大学の機能を重視するのは当然かもしれないが、「骨太の方針」が、全体として財政再建を目指して既得権益に切り込もうとしている中、大学は、雇用拡大の公共事業の目玉として扱われており、大学が新たなゼネコンとなる可能性もある。

それでも、大学の淘汰は避けられそうもないので、文部科学省は、国公私立のトップ30の大学を選抜し、重点的な資金配分を行い、「世界最高水準に育成」するとのことである。どのような大学が選ばれるのかは、まだわからないが、官僚たちにとっての本命である旧帝国大学が中心となることは間違いない。

本命大学の需要増大策として、有力視されているもう一つの政策が、内閣の司法制度改革審議会で検討されている日本版ロースクール(法科大学院)構想である。司法制度改革という大義名分を掲げているが、この提案を最初に出したのが、法曹の現場ではなくて、1998年10月の「21世紀の大学像と今後の改革方策について」という文部省の大学審議会の答申であったことが、この構想の性格を雄弁に物語っている。

ロースクールのお手本はアメリカである。アメリカの大学には法学部がなく、法曹(弁護士・裁判官・検察官など)を目指す人は、通常大学卒業後にロースクールで3年間の教育を受け、修士レベルの学位を得た後、司法試験をパスして法曹資格を取得する。

これに対して、日本では、司法試験への受験資格はなく、試験に合格して司法研修を修了すれば、大学を出ていなくても、法曹資格が与えられる。司法試験は、出願者約3万人に対して合格者1000人の難関で、大学法学部での授業を履修しているだけではまず合格しないため、受験生の多くは司法試験予備校に通っている。

この現状を変えるため、政府の司法制度改革審議会は、6月12日に最終意見書を首相に提出して、法科大学院を設置し、卒業者の7~8割が司法試験に合格するシステムを作ることを提案している。一部の有力大学法学部の大学院での学位を司法試験合格に有利な条件とすることにより、司法試験予備校や司法研修所から需要を奪おうというのが、日本版ロースクールのねらいのようである。

もちろん、本音と建前は別である。日本版ロースクール推進者によれば、

  1. 従来の司法試験は一発勝負の性格が強く、受験生は、受験技術の詰め込みに走る傾向があった。しかし、法曹には、専門的な法律知識の他、高い倫理や教養も求められる。真に優秀な法曹を育てるには、全人的な接触のなかで、対話重視・プロセス重視の教育を行う必要がある。
  2. 日本の法曹人口の全人口に対する比率は、諸外国と比較して低く、産業界を中心に法曹人口の増大を求める声が大きい。しかし、現在の司法研修所は、建物の物理的制約等から、これ以上の法曹人口の増加に対応できない。したがって、司法研修所を廃止して、ロースクールがその機能を担うべきだ。

この二つが、日本版ロースクールの大義名分である。

1. は、高校受験での内申書重視や大学受験での推薦入試導入の際になされた議論とそっくりである。1993年に脱偏差値を標榜する文部省が業者テストの排除を行って以来、内申評価が客観的評価から主観的評価に変質し、今日の学力崩壊の一つの原因になっている。プロセス重視の名のもとに、法曹の選抜が、ロースクールの教授の主観的評価によって行われるならば、同様な知識軽視が進むであろう。

法曹の学力崩壊よりもっと深刻な問題がある。司法の現場で、今一番問題視されているのは、官僚司法の問題であり、それは「プロセス重視」の司法研修の産物なのである。司法試験合格後、合格者は、1年半司法研修所で研修を受けるが、そのプロセスにおいて、任官志望者の選別が行われる。近年の長引く不況と合格者増の影響で、任官志望者数は増える傾向にある。ところが、選別の基準は不明瞭で、国家権力に従順な人物が選ばれ、人権擁護活動などに取り組む人が排除されていると言われている。最高裁の管理下にある司法研修所が官僚司法の出発点とされる所以である。

これに対して、弁護士には反骨精神のある反権力主義者が少なくないのは、現在の司法試験がプロセス不問であるからだ。3年間の法科大学院の課程で弁護士が選抜されるようになれば、教授に媚を売る茶坊主型の弁護士が増えることだろう。

ロースクール推進者は、法学部を医学部並みの特権学部にすることを望んでいる。医学部を修了していなければ、国家試験を受けることができない。しかしこうした医師の資格システムは、模範とすべき理想であろうか。病院が大学ごとに系列化し、医局が若い勤務医の人事を支配するように、法律事務所がロースクールごとに系列化し、ボス教授が弁護士の人事を支配するようになることは避けるべきだ。

2. ロースクールを作らなければ、法曹人口を増やすことはできないとはいえない。司法試験合格後の実務教育ならば、法律事務所や裁判所や検察庁に委託して、OJTで行えばよい。司法研修所など不要である。

ロースクール推進者は、「従来、理論教育と実務教育と学術的研究が司法試験予備校と司法研修所と大学でばらばらに行われていたが、日本版ロースクールの設立で、三者が有機的に統合される」と玉虫色の理念を掲げているが、日本の大学院の現状を考えると、理論教育としても実務教育としても不十分な中途半端な教育しかできない可能性のほうが高い。

日本のロースクール推進者は、アメリカのロースクールを模範にしているのだが、アメリカの大学では、学生が教授を評価し、評価の低い教授は減給、場合によっては解雇されるなど、競争原理が徹底している。その意味では、アメリカのロースクールは、日本の法学部大学院よりも予備校に性格が近い。日本の大学法学部が、現在の殿様商売を維持したまま、医学部なみの特権を手にすることは、弊害が多い。資格試験が持つ評価機能と学校が持つ教育機能を分離し、どの学校が優れているかを官僚ではなくて、消費者が市場原理を通して決めることが一番望ましい。

2. 2013年12月28日でのコメント

この記事は、日本版ロースクール、すなわち法科大学院が、2004年4月に創設される二年半前ほどに書いたものだ。12年以上前に書いたこの文を読み直してみると、ここでの私の批判には、当たっている部分と外れている部分があることに気付く。外れたと思えるのは、本文中にある「どのような大学が選ばれるのかは、まだわからないが、官僚たちにとっての本命である旧帝国大学が中心となることは間違いない」の箇所である。当初、ロースクールの設置をトップクラスの大学に限定し、合格率を修了者の7~8割にする予定だった。私のこの記事もその方針を前提に書いている。ところが、実際には、ロースクール利権にありつこうとする大学が相次いで申請をした結果、法科大学院は74校も設立され、定員も約5800名に膨れ上がり、単年度合格率は5割程度に落ち込んだ。

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チェコのロースクールで模擬法廷を使って行われている実践的な教育。"Willem C. Vis pre-moot at Palacký University of Olomouc Faculty of Law" by Cimmerian praetor. Licensed under CC-BY-SA

私は、定員が絞られることで、日本版ロースクールが医学部のようになることを懸念したが、法科大学院が粗製濫造された結果、法曹養成が医師養成とは異なる問題を孕むことになった。医師の場合、日本医師会という強力な政治力を持つ圧力団体があって、彼らは、医師の値崩れを防ぐために、その政治力を行使することで医師の数の急増を阻止し続けた。その結果、医師不足、病院勤務医師の長時間過重労働、医学部の権威主義的体質、高コストな医師育成費、適性のない医師の残存といった問題が生じている。ところが法曹界には医療界におけるような政治力を持った団体がないので、各大学の利権確保の方が優先され、法科大学院の乱立、定員の大幅増加が帰結し、弁護士の就職難、ワーキングプア化という別の問題が生じた。

このように法曹界と医療界が人材育成に関して抱えている問題は対照的であるように見えるが、公教育がボトルネックとなって人材市場を歪めることで発生しているという点で共通点を持っている。公教育の課程を修了しなければ資格が取れないという制度を改めない限り、医学部の定員を大幅に増やして、医師国家試験の合格者を増やしても、現在の法曹界と同じ問題が発生するだろうし、逆に法科大学院の数を絞って、合格者数を旧司法試験並みに減らしたとしても、現在の医療界と同じ問題が発生するだけだろう。2001年7月のこの記事は、日本版ロースクール構想が、謳われているような司法改革ではなくて、少子化で経営が苦しくなっている大学の救済を目的としていることを指摘し、公教育の課程の修了を国家資格の要件にすることの弊害に警鐘を鳴らしたものであり、この点での批判は今でも間違っていないと思う。

実は、2001年7月の時点では、こうした観点から日本版ロースクール構想を批判する人は管見の限りではおらず(マスコミは概して好意的であった)、だからこそメルマガにわざわざ書いたのだが、現在ではこの観点から法科大学院の失敗を認識している人は多くなった。例えば『東洋経済』記者の風間直樹による「弁護士失墜の大元凶、ロースクール解体勧告」はこうした観点からのレポートである。ここでは、これを引用することで、現在の弁護士業界の内情を紹介したい。

風間は、学費を払うために巨額の債務を負って弁護士になったものの、仕事がなくて、生活苦に喘いでいる新人弁護士の現状を取り上げた上で、その大元凶は、ロースクール(現在の正式名称は法科大学院)にあると主張する。ロースクールの問題はいろいろあるが、風間は、まず、法学未修者を歓迎しているにもかかわらず、その受け入れ態勢ができていないことを指摘する。

ロースクールは法学部以外の学生や社会人など法学未修者を積極的に受け入れ、知識ゼロから3年間の学習で7~8割を司法試験に合格させるとして、全国で74校が立ち上げられた。司法研修所で行われてきた実務教育の一部まで担うとされた。

その想定は大きく覆されている。昨年の司法試験合格率は25%まで落ち込んだ。先の検討会議は司法試験の成績不振校などへの公的支援削減を主張し、統廃合を促す。

だがこれでは何ら本質的な解決には至らない。真の問題は、ロースクールでの教育内容が徹頭徹尾、法曹志望者のニーズとは懸け離れていることにある。

「ロースクールでは法律を基礎から教えてくれるものだと思っていたが、違っていた」。都内の中堅ロースクールを修了した女性(26)は振り返る。法学未修者に基本科目を教える研究者の教授からは、予習で教科書に当たる基本書を読んでくるよう言われるが、法律知識がゼロなので理解は進まない。結局、予備校の入門講座で補った。

「基本書は初学者が読んでもまったくわからないものが多い。法学未修者を積極的に受け入れる建前なのに、一般的にロースクールには十分な初学者教育を行う力はない」。青山学院大学など複数のロースクールで教えた、和田吉弘弁護士は語る。

というのも、実は制度上、ロースクールの教員のうち弁護士など法曹実務家の比率は2割で足りる。残り8割は、司法試験に合格しておらず、司法修習の経験もない研究者が占めることができるためだ。特定分野の専門研究と、実務家の養成教育とでは、求められるものの差は大きい。[2]

法学未修者を育成するシステムができていないのにもかかわらず、なぜ日本のロースクールは法学未修者を歓迎したのか。表向きの理由は、法曹に多様な人材を送り込むという司法改革の理念であるが、本当の狙いは、できるだけ幅広い層から、できるだけ多くのカモを集めようというところにあったのであろう。実際、ロースクールが始まった頃、知識ゼロでも三年間授業を受けるだけで高収入の弁護士になることができると思い込んだ門外漢たちがロースクールに殺到し、問題を深刻化させることになった。

では、ロースクールの授業内容は法学既修者にとっては満足できるものだったかと言えば、そうではない。大学の法学部がすることはなく、従来司法試験予備校が行っていたような試験対策の指導をロースクールがやってくれないからだ。

初学者教育の欠如に加え、ロースクールでは肝心の司法試験への対応も表向きいっさい行われない。

それは、試験の得点だけによる選抜を否定し、ロースクールを中核とする法曹養成を不可欠とした、「司法制度改革の理念」を追求すべく作られているからだ。

この理念の裏には旧司法試験対策で中核となっていた受験予備校への、研究者教員の敵愾心、嫉妬心がある。法学部の講義から受験生を奪った「主犯」であるためだ。

司法試験の要は今も昔も論文試験だが、受験生は類似問題を解いて時間内に論文にまとめる答案練習を繰り返す。これは「起案教育」として司法研修所でも行われてきた、法曹養成に欠かせない手法である。それがロースクールの授業では御法度とされてきた。理由はただ一つ。「予備校的だから」である。

「歯を食いしばって、とにかく司法試験のことはいっさい忘れて教育するように」。教育が適切に行われているかの認証を行う評価委員からこう告げられたとき、愛知大学法科大学院の森山文昭教授は耳を疑った。

同ロースクールは開設当初から起案教育を重視しており、司法試験の合格率でも上位に位置している。「起案教育は短期間で法的思考力を高め事案分析力を身に付けられる、合理的かつ効果的な方法だ。予備校で行われていたからという理由で排斥するのはおかしい」と批判する。

司法試験の累積合格率が17%と低迷する、山陰法科大学院の朝田良作研究科長は、「司法制度改革の理念に忠実でありたいと、起案教育は従来まったく行ってこなかった。それでは合格できなかった」と悔やむ。

文部科学省は司法試験の問題を教材として用いることは認めつつも、「答案をこう書けば合格しやすいといった指導は問題。受験指導中心になったら、ロースクールを作った意味がない」(幹部)というスタンスだ。そのため「授業で起案はしても具体的な添削はしてくれない。試験対策はもっぱら予備校や課外の自主ゼミ頼み」(都内の大手ロースクール生)なのが一般的だ。

教員にとって「事例問題を作成し、答案を読み、添削する起案教育は、時間と手間のかかる仕事」(森山教授)だ。大変だからやりたくない、とは言えないが、予備校的で文科省も禁じていると言えば通りがよい。「ロースクールの教授といえども、研究だけしていればいいんだ。学生が司法試験に合格するかどうかは、本人の資質と努力によるものなんだ」。和田弁護士が聞いた、あるロースクール研究科長の本音である。[3]

一般的に言って、日本の大学教授は教育に熱意を示さないものであり、ロースクールの教授も例外ではなかったということである。目的意識もなく入学する普通の大学生が相手なら、それでも不満の対象になることはないのだが、ロースクールは専門職大学院であり、学生は司法試験合格という明確な目的を持って入学する。授業が合格に役立たないなら、何のためのロースクールなのかとその存在意義を疑問視されても当然である。もとより日本版ロースクールは、プロセス重視の教育で高い倫理と教養を兼ね備えた真に優秀な法曹を育てることを目的としていたのだから、受験指導をしなくても存在意義はあるとロースクールの教授たちは言うであろう。しかし、法曹の現場でロースクールの修了生が旧司法試験合格者よりも高く評価されているという話はほとんど聞かない。

日本版ロースクールの弊害が明らかになるにつれて、旧司法試験の制度が再評価されるようになった。2011年より実施されるようになった司法試験予備試験は、旧司法試験の制度の部分的復活とみることもできる。この予備試験に合格すると、ロースクールに行かなくても、ロースクール修了生と同じ司法試験の受験資格を得ることができる。予備試験に合格した者の司法試験の合格率は、どのロースクールの修了生よりも高く、かつ合格後の就職も良いことから、ロースクールの存在意義はますます疑問視されている。

現場のロースクール教育への評価は低い。新人採用時に重視するのは、学部時代の大学名と司法試験の順位だと複数の弁護士は語る。就職市場で高評価なのが予備試験合格者だ。人気の高いビジネス法務の大手事務所からも引っ張りだこだ。

予備試験の合格者数は昨年で219人、合格率3%程度と旧試験並みの難関だ。ただ政府の閣議決定を踏まえれば、予備試験合格者の司法試験合格率(現68%)とロースクール修了生の合格率(現25%)が同水準になるまで、合格者数は増加していくことになる。この閣議決定の順守は、総務省の「法科大学院の評価に関する研究会報告書」、ならびに自民党の司法制度調査会の提言でも重ねて強調されている。生まれるのはロースクールと予備試験との、対等な立場での健全な競争である。

ロースクール制度、そして司法制度改革の理念を守るため、次世代の芽を摘み、若手を疲弊させ、弁護士の価値を貶めることになっては、本末転倒だ。それはひいては国民の利益を大きく損なうことにつながる。

司法制度改革の旗を振ったある大学教授は、大増員に反対する弁護士を批判しこう主張した。「食べていけるかどうかを法律家が考えるというのが間違っている。(無償の人権・社会活動という理念で)人々から感謝されることがあるのであれば、人間、喜んで成仏できる」。[4]

最後の「司法制度改革の旗を振った大学教授」の発言はひどい。この人は「食べていけるかどうかを大学教授が考えるというのが間違っている」とまで言うことができるだろうか。一般的に言って、他者に利他主義を要求する人には仮面を被った利己主義者が多い。大学教授や大学に理事または教授として天下る官僚たちは、自分たちがどうすれば食べていけるかだけを考えてロースクールを作り、食べていけなくなったロースクールの修了生たちには「成仏」しろと言うのか。結局のところ、ロースクールは、教える側の就職のために作られたのであって、教わる側の就職に関しては何も考えずに作られたということに学生たちは気付いた方がよい。

もっとも中には、司法制度改革は官僚の権益を増やすよりも減らすという理由でロースクールを擁護している人もいる。熊本学園大学招聘教授の磯山友幸は、安倍政権が進める「合格者抑制策でロースクールは崩壊寸前」だと言って批判する。

では、安倍内閣が司法制度改革の見直しを決めたのは、弁護士界の要望に従ったまでの事なのだろうか。

実は7月16日に改革を撤回するわずか1週間前の7月10日、霞が関から1つの組織が消えた。国家公務員制度改革推進本部。08年に公務員制度改革の工程表を決めた国家公務員制度改革基本法が制定された際に設置されたものだが、その法定期限の5年が満了して解散したのだ。もちろん公務員制度改革が終わったわけではなく、時間切れとなったのだ。

司法制度改革と公務員制度改革が、時を同じくして頓挫したのは、決して偶然ではないように見える。弁護士を増やせば、法曹一元が実現し、司法官僚の権限が奪われるだけではない。霞が関の事前規制による利害調整も不要になり、官僚たちは大きく権力を削がれることになる。意識してか無意識か。そんな力が働いているように見える。[5]

官僚が事前規制を止めれば、民間でのトラブルが増えて、弁護士の仕事が増えるということはあるかもしれないが、その逆は成立しない。すなわち、弁護士の数が増えたからといって、官僚が権力を失うということはない。官僚が自ら仕事を手放さない限り、たんに仕事のない弁護士が増えるだけである(現状がまさにそうだ)。より多くの弁護士が国会議員となって、官僚の仕事を弁護士にさせるような法律を作るなら話は別だが、選挙には金がかかるから、ワーキングプアの弁護士が政治家になることは難しい。

磯山の議論の混乱は、司法試験合格者を増やすという政策とロースクール修了を司法試験受験の資格にする政策という別の政策をひとまとめにして論じているところに起因している。私は前者には賛成だが、後者には反対である。両者が無関係であることを示すために、もしもロースクールを公教育が提供することなく、旧司法試験の制度(つまり学歴とは無関係に受験できるという制度)のまま、定員だけを増やしていたなら、どうなっていたかを考えてみよう。同じ定員の増加であっても、ロースクール修了の要件化の場合よりも、それどころか定員も制度も何も変えない場合よりも、望ましい結果になっていた頃だろう。

定員の数が少なく固定されていた旧司法試験では、合格者と不合格者との間には天国と地獄ほどの差があり、その中間はなかった。少数の合格者は皆高い収入を得ることができたが、これは消費者からすれば、低コストで弁護士を雇うことができないことを意味した。合格者を増やせば、トップクラスの弁護士は依然として高収入を得ることができるものの、報酬の水準を切り下げないと仕事にありつけない弁護士も出てくる。それでも試験に不合格で全く仕事がないよりかはましである。そしてクライアントは、低コストで弁護士を依頼することができるので、選択の幅が広がり、弁護士の有効需要も、全体として大きくなる。旧司法試験では、受験者に必要な金はせいぜい司法試験予備校の授業料ぐらいなもので、合格後の司法修習は給費制(月20万円ほどの給料+夏冬の賞与)だから、今みたいに多額の借金を負って仕事を始めるということはあまりなかった。その場合、収入が低くても、なんとかやっていける。

ところが、新しく発足したロースクールのシステムでは、法曹になるのにやたらと時間と金がかかる。ロースクールの授業料自体が高いし、2-3年間の生活費に加え、司法試験予備校の授業料まで場合によっては必要となる。国は、ロースクールへの財政支援と引き換えに司法研修所での給費制を廃止し、貸与制にした。つまり、司法修習生は、修習中も借金をしなければならないということである。このため、弁護士資格を取った頃には、借金の額は数百万円から一千万円ぐらいにまで膨れ上がっている。新人弁護士の年間所得(中央値)は2010年現在で480万円で、さらに下落傾向にあるというのだから、借金の返済は容易ではない。

以上の考察からわかるように、弁護士が割に合わない職業になったのは、世間でそう誤解されているように、たんに定員を増やしたからではない。必要もない教育に時間と金を使わなければならなくなったからである。ロースクールの修了を司法試験の受験要件から外せば、受験生は必要最小限の教育しか受けなくて済むし、国もロースクールに投じていた税金を再び司法修習に使うことができる。関所としての特権を失ったロースクールは、司法試験予備校とイコール・フッティングの競争を余儀なくされ、教授たちは、合格のための指導を行わざるを得なくなる。もしそれができないなら、廃校にすればよい。法曹の育成にも市場原理を導入するのが最も賢明なやり方である。

3. 参照情報

関連著作
注釈一覧
  1. 2001年7月28日発行のメルマガ記事「ロースクール構想の問題点」は、後に大幅に加筆されて、「末は博士かホームレスか」となりました。以下読んでいただければわかる通り、元々は大学院重点化一般の問題を指摘して書いたのではなくて、当時「日本版ロースクール」と呼ばれていたもの、現在の法科大学院に話題を絞って書いたものです。
  2. 風間直樹「弁護士失墜の大元凶、ロースクール解体勧告」『東洋経済オンライン』2013年09月10日. p. 3-4.
  3. 風間直樹「弁護士失墜の大元凶、ロースクール解体勧告」『東洋経済オンライン』2013年09月10日. p. 4.
  4. 風間直樹「弁護士失墜の大元凶、ロースクール解体勧告」『東洋経済オンライン』2013年09月10日. p. 6.
  5. 磯山友幸「司法制度改革は本当に不要なのか?」『日経ビジネス』2013年11月29日. p. 4.