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ウォーラーステインの世界システム論

1997年9月4日

ウォーラーステインによると、これまで世界の歴史には、互酬的なミニシステム、再分配的な世界帝国、資本主義的な世界経済という三つの異なった種類の社会システムがあったが、現時点における唯一の現存するシステムである資本主義的な世界経済は危機に直面している。彼のこの認識は正しいのだろうか。このページでは、第一節としてミニシステムと世界帝国という前近代システムを、第二節として近代における世界経済を、第三節ではウォーラーステインが謂う所の近代世界システムの克服を取り上げたい。[1]

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17世紀のオランダ。ウォーラーステインによれば、最初に世界システムを築いたのは、オランダであった。[2]

1. ミニシステムと世界帝国

「互酬的なミニシステムとは、十九世紀の人が“未開社会”と呼び習わしていたものに対するやや婉曲な名称である[3]」。現代の未開社会と旧石器時代の原始社会は同じでない。未開社会は、文明社会に征服されなくても、周辺で文明社会と接するとその内部性質を変えてしまう。しかし現在残存している未開社会の観察から原始社会の様子はある程度想像できる。

このシステムの組織は親族的(もっともたいがいのトーテムは仮想的な血縁関係なのだが)で、伝来の慣習に縛られ、したがって年長者の発言権が強い。しかし互酬性の原理に基づいているので、経済的には比較的平等である。未開社会に王がいる時もあるが、宗教的なスケープ・ゴートの性格が強く、世俗的権力を持った支配者ではない。

氷河時代が終わって、人類の生活が採取から生産へ、放浪から定住へ移行するにつれて、富の過剰が蓄積され、システム内部およびシステム間に貧富の格差が現れる。富める階級は一方で貧しい階級を支配しつつ、他方では征服戦争によって他の弱小ミニシステムを服従させ、帝国を築いていった。その中には、世界帝国と呼べるようなものも現れた。

もっともミニシステムではないが、世界帝国というほどのことはない中小規模の国家は歴史上多数存在する(明治以前の日本の国家がそうである)。それゆえ中小国家と、複数の民族と広大な領地とを強力な軍隊で征服/支配する世界帝国(ローマ帝国・イスラム帝国・オスマン帝国・ムガール帝国・モンゴル帝国など)とは区別すべきであるという意味でウォーラーステインの分類は完全ではない。もちろん中小国家と世界帝国との間には、規模は別にしても、その搾取-再分配の構造に関しては本質的な相違はない。またウォーラーステインも指摘するように、当時の「技術水準から言って、これらの“世界”帝国は事実上決して世界の全地表面を被うほどには拡張され得なかった[4]」のだから、いっそう“世界”の2文字は削除したほうが、分類が網羅的になるのではないかと思う。

しかし実を言えば、「帝国」でもまだまだ表現がオーバーなのである。ウォーラーステインは、世界システムとしての世界帝国が「紀元前約1万年前から紀元後1500年ごろまで[5]」存在したと述べている。世界最初の国家(それも小さな都市国家)の成立はせいぜい紀元前3500年頃であり、BC1万年前と言えば新石器時代が始まったころである。結局のところ、彼は「世界帝国」を「前資本主義的階級社会」という広い意味合いで用いているのである。

以下、そういう意味で「世界帝国」や「帝国」という言葉を使うことにする。帝国においては、政治的支配者は、直接の生産者から剰余生産物を税金(たいがいは現物)という形で搾取し、国家秩序・支配体制の維持のために、つまりシステムの階層にしたがって不平等に再分配される。それゆえこのシステムは、「再分配的な世界帝国」と呼ばれる。

ちなみに「互酬 reciprocity」も「再分配 redistribution」 も、カール・ポランニーの用語である。彼は近代資本主義システムの統合形態を「交換 exchange」に求めて、次のように定義する。

互酬とは、対象的な配置の[二つの]対応点間での財とサーヴィス(あるいはそれらの処分権)の運動のことである。再分配とは、対象が物理的に動かされるにせよ、それらの所有権だけが移動するにせよ、中心(center)に向けてのそして再び中心からの運動のことである。交換も[再分配と]似たような運動であるが、今度はシステムにおけるすべての分散した任意の二つの点の間の運動である。[6]

唯物史観の公式によれば、人類社会は、原始共産社会→古代奴隷社会→中世封建社会→近代資本主義という“発展段階”をたどってきた。中間の二つの区別は、西洋史を記述する上で重要ではあっても、人類史全体の場合ではそうでもないので、ウォーラーステインは両者を一括して世界帝国と名付けたわけである。

再分配的経済を持った世界帝国と資本主義的市場経済を持った世界経済という二種類の世界システムは、どちらも報酬の著しく不平等な分配を含んでいる。[7]

富の不平等が権力の不平等(階級支配)を生み、それが再分配においてさらに富の不平等をもたらす。この不平等の再生産の中で、被支配階級は支配者から剰余価値を一方的恒常的に搾取される。

労働によって生産された余剰の富(低エントロピー資源)は、不平等再分配・不平等交換において一方から他方へと搾取される。ウォーラーステインは、彼特有の術語として、搾取するほうを中核(core)、搾取されるほうを周縁(periphery)と名付ける[8]。中核は通常周縁と比べて圧倒的に少数である。「数は力なり」であるから、たとえ中核が軍事力を掌握し、現体制のイデオロギー的正当化を試みたとしても、それだけでは不十分であり、支配は安定しない。そこで中核は、「分割して統治せよ」という支配の黄金律にしたがって、周縁を少数の中間支配者層と多数の被支配者層に分け、周縁の一致団結を防ごうとする[9]

かくして中核と周縁の間に半周縁(semiperiphery)という第三の層ができる。半周縁は中核に搾取される存在ではあるが、周縁を搾取するという点で体制の受益者であり、自らの既得権益を守るべく支配体制の維持に加担するようになる。「だからこの半周縁は、いわば特殊な経済的役割を担わされているのであるが、その[存在]理由は経済的というよりも政治的である。[10]

半周縁が周縁を支配するときも同様の分割を行う。分割を続けた結果、上は皇帝から下は不可触賤民に至るまで細かく格付けされたヒエラルヒーができあがる。支配者は被支配者に向かって「上を見ずに下を見よ。諸君は恵まれているほうだ」とそれなりの特権に注意を向けさせ、現体制に満足させようとする。世界帝国では封建的身分制度という形を取る中核/周縁構造は、資本主義的な世界経済システムでは脱政治化されて、経済的階級支配/南北分業という形で一層グローバルに再現される。

2. 近代における世界経済

改めて近代に特有な資本主義とは何かについて問うてみよう。将来に備えて富(資本)を貯蔵するとか、貨幣を媒介にして市場で商品を購入するとかいったことは、前資本主義社会でも見られたことであるから、特徴付けとしては不十分である。近代資本主義社会において初めて現れた現象は、資本のさらなる増大のために資本を投資することであり、貨幣が市場において W-G-W ではなく、G-W-G+ΔG として機能することである。そして資本主義的市場社会では、使用価値とは区別された(市場)価値が全ての物を規定するようになる。

さらに多くの資本を蓄積しようとして、資本家は、経済生活のすべての領域で[生産・交換・分配・投資の]社会的プロセスをますます商品化しようとした。資本主義は利己的なプロセスであるから、いかなる社会的業務も[商品化に]巻き込まれる可能性は本質的に否定できない。それゆえ、資本主義の歴史的発展が全ての物の商品化への移行をもたらしたと言うことができる。[11]

謂う所の「全ての物」には労働も含まれる。世界帝国では労働の生産物から税金という形で可視的に搾取が行われていたが、資本主義社会では市場における労働と賃金の不平等交換において不可視的に搾取が行われる。

不平等交換は古代においても行われていた。歴史的システムとしての資本主義の目立った特徴は、この不平等交換が隠蔽されうるそのあり方である。実際、隠蔽はあまりに見事だったので、自他ともに認める資本主義システムの反対論者ですら、その隠蔽のヴェールを体系的に剥がし始めたのは、このメカニズムが作動し始めてから500年もたってからのことだったのである。[12]

最初に「隠蔽のヴェールを体系的に剥がし始めた」のがマルクスであるとするならば、資本主義のメカニズムが作動し始めた500年前とは十 字軍遠征が終わって、イタリアの都市国家を中心にヨーロッパに商品経済が発達し始めた頃である。ウォーラーステインは、ウェーバーのようにイタリア・ポルトガル・スペインといった地中海諸国のラテン系初期資本主義と16世紀以降のオランダ・イギリス・ドイツといったプロテスタンティズムの倫理に基づくゲルマン系資本主義との間に決定的な相違を見いだして、近代資本主義の源泉を後者に求めるということはしないようである。

いつから“本当の”資本主義が始まったのかという問題はさて置き、少なくとも確実に言えることは、ポルトガルやスペインが世界の五つの大陸を一つのシステムに結び付けるような経済圏をあらかじめ開拓していなかったなら、プロテスタンティズムの倫理はヨーロッパのごく一部の地域にしか影響力を持たない(持ったかどうかもあやしい)倹約倫理、田舎の宗教改革に終わったに違いないということである。そこで、なぜ中世の停滞期において世界の周縁地帯であったヨーロッパが、とりわけ先にも後にも世界史の表舞台に登場しないポルトガルのようなマイナーな国が、世界経済システムの樹立という人類史上輝かしい役割を果たしたのかということが問われる。

ちなみに14/15世紀の地中海経済圏は、当時のイスラム経済圏や東アジア経済圏と比べて特に進歩的であったわけではなかったし、ポルトガルやスペインの大航海も、同時代の鄭和の南海遠征(1405-1433年)と比べて規模が大きかったわけでもないのである。ところが明朝中国はヨーロッパとは対照的に、植民地活動を通して世界経済システムを築くことなく、むしろ逆に後退し、清の時代には(1757年)中国は鎖国状態となった。

なぜヨーロッパであって中国ではなかったのかの問いに対するウォーラーステインの答えはこうである。

中国人は、彼等の傲慢さ[中華思想]から、まさに自分たちだけで既に世界の全体であったがゆえに、植民地活動のために船団を派遣するようなことはしなかったのである。[13]

中国はポルトガルに比べて、領土が広大かつ豊かであったから、経済的利潤を求めて外部へと拡張する必要はなかった。鄭和の南海遠征の第一の目的は、貿易による経済的利益の獲得ではなく、服属した諸国の王侯に珍品や贅沢品を朝貢させ、その代償として明朝の“天子”からは賜品を授けることによって、永楽帝の威光を発揚させることであった。これに対してポルトガルがインド航路を開拓した目的は香料や絹織物といった当時のヨーロッパ人の生活必需品の獲得(および貿易による利潤の獲得)だったので、同じ大航海でも動機と性格が異なっていたのである。

ポルトガルは国土が狭く、土地の遺産相続ができない次男以下が、リスボンに半プロレタリアートとして流出し、海外に活動の場を求めていた。ポルトガルが一番手となった理由としては、それが地理的にケープタウン経由のインドに最も近く、ヨーロッパ中央の政争に巻き込まれず、内政が安定していたということ、早くからイスラムの貨幣経済と交流を持っていたことなどが挙げられるが、自経済に自己完結的安定性がなく、絶えざる膨張を求める不安定性を、つまり不確定性に基づく進歩の可能性を持っていたことは、二番手以降のヨーロッパ諸国にも当てはまることである。豊かすぎるなら世界経済システムを作る必要はない。貧しすぎるなら作ることはできない。必要かつ可能な中間的存在者が、蓄積を求めて交易のネットワークを拡張するのである。

超越論的哲学が資本主義の上昇期に現れたのは偶然ではない。ポテンツを高めながら絶えず超越へと努力することが中産市民の原理である。資本主義システムは、いわば常に走り続けていなければ立っていられない自転車のように、剰余価値の搾取による蓄積をさらなる剰余価値の生産のためにつぎこむことによって自らをオートポイエーシス的に拡大再生産していく過程のうちに成り立っている。資本主義的な近代世界経済システムは、市場原理に基づいているために、世界帝国における上からの統制による確定性を欠いているが、その不確定性というゆらぎを通して自己組織化するのである。なお世界経済システムは、その中核国を変えながら今日にまで存続している。ウォーラーステインは特に強力な中核をヘゲモニーと呼んでいる。ポルトガル以後のヘゲモニーあるいは準ヘゲモニーの変遷史は表3にまとめた通りである。

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世界システムにおけるヘゲモニーの変遷史

ヘゲモニーとは、単独で世界の経済と政治を支配する中核のことで、ウォーラーステインは、ポルトガルやスペインは、当時イタリアの都市国家やアジア/アラブの世界帝国に対して圧倒的な力をもっていたわけではないので、中核ではあってもヘゲモニーではないと考えていた。

ウォーラーステインによれば、資本主義の世界経済システムは二つの二分法から構成されている。

一つはブルジョワ/プロレタリアートという階級の二分法であり、そこでは支配階級のコントロールが、基本的には(ミニシステムにおけるように)世襲権利や(世界帝国におけるように)軍事力によってではなく、(所有権・蓄積された資本・テクノロジーの制御等を利用して)商品生産の量と質を決定できることによって作動した。もう一つの基本的な二分法は、中核/周縁という経済的分業 の空間的階層であった。そこでは、低賃金(もっとも監視は厳しいのだが)、低利益、低資本商品の生産者から、高賃金(但し監視は甘い)、高利益、高資本商品の生産者が剰余価値をわがものとしたのであって、これは所謂“不平等交換”である[14]

彼は「この搾取の二つのチャンネルは重なり合うが同じではない[15]」と述べているが、両者の間には本質的な違いはないのではないか。一国内の階級間の垂直的な上下関係と、先進国/途上国間の「空間的」 つまり水平的な中心/周縁関係という区別は直観的に分かり易いかもし れないが、厳密なものではない。ブルジョワとプロレタリアートが居住区を「空間的」に異にすることがある。世界帝国における被支配者階級である奴隷は、通常征服戦争の捕虜であるから、階級関係は強国/弱小 国という中心/周縁関係に起源を有する。これとアナロガスに、世界経済システムでも、トルコ人がドイツで、イラン人が日本で非熟練労働者として働くというように、中心/周縁関係が階級関係に投射されることもある。また反対に先進国の多国籍企業の役員が途上国にある支社に取締役として赴任することもある。中心/周縁関係を搾取する/される関係で定義した以上、階級関係は中心/周縁関係であり、逆に南北問題は階級問題であると言って構わないのである。

マルクスは、主として一国(例えばイギリス)内部での階級関係を分析しており、世界システムにおける搾取関係についてはほとんど論じていない(マルクスの『資本論』第1巻第25章の「近代植民地論」は、純粋な処女地への投資を論じたものに過ぎない)が、これは当時まだ世界の分業体制が本格化していなかったことによる時代的制約である。資本主義が発展するにつれて、自由競争という本来の理念とは逆に、市場の独占化・寡占化が進み、少数の巨大資本家およびその利益の代弁機構としての国家(帝国)による世界分割・ヘゲモニー争奪戦がグローバルに繰り広げられることが指摘されるのは、レーニンの頃になってからである。「この時代[資本主義の帝国主義的段階]に典型的なことは、植民地を領有する国と植民地との二つの基本的なグループの存在ということだけではなく、政治的には形式的な独立国でありながら、実際には金融上および外交上の従属の網で取り囲まれている従属国の種々の形態が存在することである[16]」。

政治的には独立させておきながら、経済的には植民地として搾取・支配すること、これが資本主義の帝国主義的段階に特徴的な世界制覇のあり方である。レーニンは、今述べたような半植民地を、完全な植民地への過渡的段階と見ているが、政治的に支配する領土を拡張していく世界制覇のあり方は、旧来の世界帝国型支配の残滓である。ミニシステムが《一つの経済、一つの政治、一つの文化》で、世界帝国が《一つの経済、一つの政治、複数の文化》であったのに対して、資本主義的な世界経済は《一つの経済、複数の政治、複数の文化》である。資本主義的な世界経済では「政治的な中核が欠如しているということが、再分配的システムとの主要な相違である[17]」。

純粋な資本主義的世界経済へ移行するにつれて、具体的には第二次世界大戦以後、植民地は政治的には独立する。独立運動が盛んになるにつれて、植民地の政治的・軍事的維持は膨大なコストを要するようになり、経済的搾取という点から言えば余計な重荷となった。逆に言えば、独立を承認したのは、より効率良く経済的搾取をするためであったのである。ちょうど南アフリカ共和国が、黒人たちにホームランド(バントゥースタン)と呼ばれる独立国を作らせたのは、人種差別を撤廃するためではなくて、むしろその反対を正当化するためであったのと同様に、第三世界の諸民族に独立国を作らせたのは、先進国との間に経済的に平等な関係を作るためではなく、むしろその反対を正当化するためであった。

3. 近代世界システムの克服

近代世界システムは、ウォーラーステインの予想に反して、社会主義システムに移行しなかった。逆に、社会主義は崩壊した。中核と周縁へと差異化された近代世界システムは、今後も続くのだろうか。南北問題は、どのようにすれば解決することができるのだろうか。

ウォーラーステインは、近代資本主義のみならず、近代科学も危機に瀕していると考えている[18]。ニュートン力学に象徴される近代科学決定論的で、「決定論は線形性、平衡、可逆性と結合することで、理論的な説明を“科学的”と言うための最低限の基準を形成した[19]」。要するに、近代科学は、A. 線形性と B. 平衡性に基づく、C. 超時間的、超歴史的な、D. 必然性、確定性を前提し、かつ追求したということである。このパラダイムは、以下のように現代科学においては揺らぎつつある。

  1. 近代科学は、世界を脱魔術化してこれを均質で線形関数によって計算可能な時空体にし、原子的単位から全ての出来事を機械論的に説明しようとした。線形関数では、全体は部分の単純な和であるが、自然界に実在するシステムでは、全体は部分の和以上である。このため、近代的な要素還元主義は限界に達し、代わって非線形の科学が求められるようになった。
  2. 近代科学では秩序とは平衡状態のことであり、ゆらぎはたんに秩序形成を妨害する攪乱要因としてしか見なされていなかったが、プリゴジンは、ゆらぎを通しての秩序形成、つまり非平衡状態における散逸構造の形成過程を明らかにした。生命や社会構造も「平衡状態から遠くはなれて維持される開放系システムにおいて自己組織化する[20]」。これは我々が第一節で確認した複雑性の増大による複雑性の縮減に他ならない。
  3. 近代科学では、力学的運動の方程式は時間の関数ではなく、したがって時間変数の正負は関係がないので、変化は可逆的であったが、熱力学の第二法則は時間を不可逆的過程にし、物理学を宇宙の歴史学にしてしまった。ここに“個性記述的”歴史学と“法則定立的”科学との対立は消え、プリゴジンは自然科学と人文/社会科学との「新たな同盟」を呼びかけた。
  4. 近代科学が理想としていた決定論は、二十世紀に量子力学によって否定された。ハイゼンベルクの不確定性原理はミクロな対象にしか適用されないが、マクロな対象に関しても、カオス理論が謂う所の初期値鋭敏性により、ミクロな不確定性がマクロな不確定性を帰結するバタフライ効果が認められる。このため、現在の科学は、決定論的な未来予測を避け、統計学的な確率論的アプローチを採っている。

ウォーラーステインは、以上のパラダイム転換に範を仰ぎつつ、A. 世界システム論というホーリスティックな分析枠組で、B. 米国の覇権の衰退という無秩序から自己組織化するポスト資本主義システムを C. 歴史の不可逆性において D. 予言ではなくて、予測する。

従来のマルクス主義は、階級闘争を国の内部で考え、「経済的社会形成が進歩してゆく段階として、アジア的、古代的、封建的、および近代ブルジョア的生産様式を挙げる[21]」唯物史観の公式を国ごとに個別に適用し、かつその進歩を歴史の必然とみなしていた。ところが、それだと、なぜ最も近代ブルジョア的生産様式が発達した英国が次の発展段階である社会主義的生産様式に移行しないのかとか、なぜアジア的生産様式のままだった中国が途中の発展段階をスキップして、社会主義的生産様式に移行できたのかといった疑問が生じることになる。そして、マルクス主義者たちの予言が外れることから、歴史はそもそも必然ではないのではないかという疑問も生じてくる。そこで、ウォーラーステインは、発展段階論をシステムとしての世界全体に適用し、歴史の進歩を必然とみなす決定論をも破棄した。ウォーラーステインが、決定論的な印象を与える「世界システム理論」という名称を使わずに、「世界システム分析」という言葉を使うのはそのためである。

ウォーラーステインによる個別的発展理論の否定をもう少し詳しく紹介しよう。1917年の革命でソビエト連邦が誕生し、革命がもっと先進的な資本主義国にまで広がらなかった時、なぜ社会主義革命は資本主義が高度に発達した先進国で起きないのかということが、当時からマルクス主義者たちの間で問題になった。

周知のように、マルクスもレーニンもそして他の誰も、“社会主義革命”が他のどこよりも早くロシアで起こるとは思ってもみなかった。マルクスはイギリスを有望な候補として多少とも予言していたし、マルクスの死後、[第二]インターナショナルの社会主義運動では、ドイツで起きるであろうという点で予測が一致していた。[22]

このような予測は、社会主義あるいは共産主義を資本主義の後に続く一国内の発展段階と考えるところから来るのであって、地球的規模の階級関係を考えれば、十九世紀のイギリスや二十世紀のドイツなどの先進国で最初に社会主義革命が起きることは、一国内でプロレタリアートに先んじてブルジョワたちが社会主義革命に立ち上がるのと同じぐらいありそうにないということはすぐわかるだろう。反対に当時先進国の植民地となっていた後進国では、グローバルな社会主義革命を起こすだけの力はなかった。革命を起こす必要のない先進国と、革命を起こすことのできない後進国との中間に位置する国が、最初に立ち上がったという地平的中間性の公式がここでも成り立つ。

ウォーラーステインは、自分の世界システム論を国別発展段階説に対置する。「ヘーゲル的な用語で表現すれば、発展段階主義者のパースペクティブは機械論的であり、これに対して世界システムのパースペクティブは弁証法的である[23]」。ウォーラーステインが自分の理論を「弁証法的」と形容するのは、彼が、フォン・ベルタランフィのように、部分に還元できない創発的特性を全体に認めることによる。

二十世紀のある時点で、ある国は資本主義社会の段階にまで到達していて、他のある国はまだ封建社会の段階に留まっているというのではなく、一方で豊かな「資本主義」社会が、他方では貧しい「封建主義」社会が立ち現れる両者の関係が、世界システムにおける資本主義社会なのである。それは、一国内で、資本家にまで発展した個人と労働者として発展途上にある個人が無関係に混在しているのではなくて、資本家と労働者という役割分担が生じる関係性が資本主義社会であるのと同じことである。

歴史の発展段階は、世界システム全体について語りうることであって、各民族国家がそれぞれ辿る段階ではない以上、中国のような封建社会は資本主義社会の段階を飛ばして社会主義に移行できるのかというスキップの問題も生じない。「もしも自然史という意味での“民族国家別発展”がないとするならば、そしてもし正当な比較の対象が世界システムであるなら、段階のスキップを問題にすることはナンセンスである[24]」。

「世界システムのパースペクティブ」からロシア革命の意義を考えてみよう。ウォーラーステインによれば、1914年におけるロシアは、工業国としては欧米列強の中では最弱であり、農業国としては非西洋の世界では最強であった。なるほど1890年代から、シベリア鉄道建設に伴ってロシアの資本主義は飛躍的な発展を遂げる。しかし当時石炭、石油、製鉄などの重工業部門や銀行はほとんどフランス、ベルギー、イギリスなどの外国資本の手によって握られていた。そしてロシア政府自体がフランスなどに巨額の負債を抱えていたことも考慮しなければならない。

それゆえ現在の我々の言葉で表現すれば、ロシアは中核における最弱であるか周縁における最強かのどちらかであった。もちろん両方であって、事実上、今日我々が半周縁国と呼んでいるものの実例であった。[25]

一般的に言って「上位にいる者[中核]は、自分たちの特権をより良く保持するために、常に三層[中核/半周縁/周縁構造]を存続させようとし、これに対して下位にいるもの[周縁]は、この同じ特権をより良く破壊するために、三層を逆に二層[少数の支配者対多数の被抑圧者]にしようとする[26]」。半周縁は中核の周縁であると同時に周縁の中核でもあり、立場が両義的であるから、中核の忠実な番犬として周縁の反乱の鎮圧に血道を上げるか、それとも周縁たちの先頭に立って中核への反乱のリーダーとなるかという二つの戦略が選択肢として与えられる。

もしもロシアが将来の中核候補として上昇期にあったとするならば、前者の選択肢を選んだに違いない。だが日露戦争の敗北でロシアの列強としての地位は最低のランクにまで落ち、第一次世界大戦ではタンネンベルクの戦いでドイツ軍に大敗した。ロシア人民が後者の選択肢を選び、帝国主義システムそのものの解体を通じて活路を見いだそうとしたことは十分理解できる。もっともロシア革命が成功したのは歴史の必然ではなかった。半周縁が、中核側につくか、半周縁側につくかは偶然的な事柄である。

ロシア革命は成功した。しかしドイツでの社会主義革命は失敗する。1924年のレーニンの死後、永久革命論に立つトロツキーが追放され、一国社会主義を説くスターリンが実権を握るに至って、世界革命は挫折する。第二次世界大戦以後、ロシアよりさらに後進的な周縁諸国で社会主義政権が誕生した。しかし肝心の先進資本主義諸国がそのまま存続したがゆえに、二十世紀の社会主義革命は、本来の世界革命の自慰的代物に終わった(するべきところでやったのではなく、することができるところでしかやらなかったという意味で自慰的ということである)。

もちろんソ連を中心とする東側の陣営は、一時期米国を中心とする西側の陣営と拮抗するところまで力を付けた。だが当時世界システムが二つの異なる自存的な経済体制に分断されていたと考えるのは間違っている。資本主義陣営と社会主義陣営が世界の覇権をめぐって競争するという関係自体が資本主義的なのである。資本主義的対外関係は、本来共産主義的であるべきはずのソ連の内部構造へも反照されるというのが弁証法の論理であって、ソ連は1921年にネップを採択して資本主義に近い体制へ移行し、やがて計画経済のもとではあるが、農業国から工業国へ脱皮し、第二次世界大戦以後、他の社会主義諸国に対して帝国主義的な中心/周縁関係を作ってしまった。こうしたソ連の“発展”は、資本主義諸国の帝国主義的発展と大きくは変わらない。社会主義にも資本主義にも徹しなかったソ連は、その中途半端さが災いして結局崩壊する。顧みれば、二十世紀には資本主義的世界経済という単一のシステムしかなかったのである。

ウォーラーステインによると、現代資本主義世界システムのゆらぎは、1968年から始まった。ベトナム戦争での敗北によるパクス・アメリカーナの終わりの始まりは、中ソの対立によ る米ソ間の接近や欧州、日本の再台頭と相まって、世界の多極化(エントロピーの増大)をもたらした。68年のフランスの五月革命をきっかけに起こった世界的な学生運動は、同じ68年のチェコ動乱へのソ連の軍事介入に対しても批判的であり、資本主義だけでなく社会主義をも含めた既製の管理社会に対する反乱となって現れた。米国では黒人の差別撤廃運動やフェミニストのウーマンリヴ運動が巻き起こる。第三世界の下からの反乱、特に OPEC が惹き起こした石油危機は、世界経済をコンドラチェフの長期波動の第4後退期に向かわせ、先進国の間で不況と失業とGNPの伸び悩みが慢性化する今、資本主義的世界システムは末期状態を呈しているというのだ。

では、資本主義的世界システムが崩壊した後、世界はどうなるのか。1975年に書かれた論文の中で、ウォーラーステインは、「それゆえ今日我々は皆、停滞する世界資本主義のシステムからその後継者、すなわち世界社会主義への移行を早める手段を再考することを求められている[27]」と提言する。さらに彼は、20年後(1995年)の「地政学的提携」として次のような組み合わせを考える。まずコメコン(ソ連を中心とした共産主義諸国の経済協力機構)と EC(現在のEUの前身)が合体してハートランドを形成し、このヘゲモニーに対して二つの抵抗の極ができる。

一つは中国で、これは多分日本と政治的に手を結ぶであろう。もう一つは合衆国で、この国は傷付いてはいるものの死に絶えることはあるまい。言うまでもなく、二つの反対の極は、ある種の戦略的同盟の方向に動くかもしれないのである。[28]

だが、ウォーラーステインによると、合衆国と中国では階級闘争が激しくなり、米国の多国籍企業や大銀行は、経済力の強い(ソ連を含む)ヨーロッパに本拠を移転するだろうとのことである。1995年で20年経ったが、ウォーラーステインの予測は明らかに外れている。

ウォーラーステインは、冷戦崩壊後、世界をどう予測するのか。思えば冷戦時代は秩序ある時代であった。《冷たさ》は熱力学的に低エントロピーを意味しているというのは偶然であろうか。《雪解け》が始まるにしたがって、個々の水分子の運動は活発になり、秩序は乱れてくるが、このエントロピーの増大が、新たな秩序形成のエネルギーとなるのである。ソ連がヘゲモニー候補から明らかに脱落した年(1991年)に出版された論文集の中で、ウォーラーステインは、今度は「世界で最も成功した社会主義国」としばしば揶揄されていた日本をヘゲモニーの候補とする予測を立てている。

この競争[米国と日本と欧州との間のヘゲモニー争奪戦]において、日本が徐々に勝ち抜くのではないのかというのが私の印象である。その主な理由は、日本は合衆国よりも(そして合衆国ほどではないが西ヨーロッパよりも)中間層へ(政府の社会福祉政策や民間企業の膨れ上がった中間管理職や第三セクターでの法外の消費量により)膨大な資本を浪費する負担から免れているし、またもちろん、既得利益[例えば植民地]を守るために引き起こされる、政治的軍事的支出からも免れているというところにある。[29]

オランダのヘゲモニーが終わると、イギリスがオランダと同盟してフランスを破り(英仏間の第二次百年戦争)、イギリスのヘゲモニーが終わると、米国がイギリスと同盟してドイツを破った(両世界大戦)ように、今度は日本が米国と同盟してEUを破るであろうというわけである。「日本は、十九世紀後半に合衆国がイギリスに対して演じていた役割と同じ役割を今日合衆国に対して演じているように見える[30]」。実際、世界経済システムの時代においては、ハプスブルク、フランス(ナポレオン帝国)、ドイツ(ヒトラーの第三帝国)、EUのような世界帝国型の陸の統一よりも、オランダ、イギリス、米国、日本のような海/空の統一のほうに優位がある。

そしてこのシナリオから行けば、確かに、2050年頃には世界戦争が起きるかもしれない。それは基本的には米ソ間のではなくて、日本と西ヨーロッパ間の世界戦争であり、これまでのアナロジーからすれば、当然日本が勝つはずだ。[31]

2050年はまだ先だが、ウォーラーステインの予測が当たっていると思う人はほとんどいないだろう。ウォーラーステインがこの文章を出版した 1991年はソ連が崩壊した年で、米国が日本を新たなライバルとみなしていた時期である。当時、日本が世界制覇を企んでいるとか、米国を乗っ取ろうとしているとかいった陰謀論が出回っていたが、日本経済がバブル崩壊以降急速に衰退したため、日本脅威論も1990年代の半ばには消滅した。

2015年以降、かつての日本脅威論に代わって米国で顕著になってきたのは中国脅威論である。中国が一帯一路構想をもとに提唱したアジアインフラ投資銀行に、ヨーロッパ主要国を含む57か国が創設メンバーとなった。米国はこれを、米国を中心とする国際金融秩序への挑戦とみなして、警戒した。オバマ政権は、当初中国に対して融和的だったが、2015年10月に、中国が主権を主張する南シナ海において「航行の自由作戦」を開始するなど、中国を牽制する動きに出た。2017年1月にトランプが大統領に就任して以降、米中の対立はさらに激しくなり、覇権争いの様相を濃くしている。

2013年に中国の国家主席となった習近平は、2015年4月に、反帝国主義、反植民主義を掲げたアジア・アフリカ会議の六十周年を記念する会議に出席し、結束強化を誓う宣言に調印した。中国は、途上国の中では最大の大国であり、ウォーラーステインの用語では、半周縁国である。中国は、いまや途上国のリーダーとして、中核国の米国の覇権に挑戦しているようにみなされている。

もっとも、この場合、中国はかつてのソ連と同じジレンマに陥る。ソ連が反帝国主義という社会主義の理想を掲げながら、衛星国家に対して帝国主義的な従属関係を強いたように、中国もまた援助する途上国に対して「新植民地主義」と揶揄される従属関係を強いるのではないのか、援助とは名ばかりで、たんに富を搾取するだけではないのかという懸念が途上国の間に生じている。実際、一帯一路構想に基づいて中国が行う「支援」の実態は、途上国を債務の罠にはめ、天然資源や軍事拠点を確保するとことにある。

将来中国が米国に変わって覇権国になると予測する人もいるが、ウォーラーステインは、米国の衰退と中国の台頭を認めつつも、中国の将来に対して明言を避けている[32]。いずれにしても、どの国が将来ヘゲモニーになるかといったことは、学問的にはどうでもよい問題である。「大多数の[ヘゲモニー候補ではない]国にとって、重要な問題は、現在の世界においてどの国がヘゲモニーであるかではなくて、はたして、そしてどのように世界システムは変えられていくのかということである[33]」。

ところが、ウォーラーステインは、あまりにもこれまでの予測が外れ続けたからなのか、最近では、ヘゲモニーの予測だけでなく、あらゆる種類の未来予測を控えるようになった。もちろん、それは必ずしも自信を喪失したからだけではなくて、第一節で述べたウォーラーステイン自身の学問論に基づくと言えなくもない。実際、ウォーラーステインは、プリゴジンの『確実性の終焉[34]』を引き合いに出している[35]。とはいえ、近代に誕生した国家が今後も存在するかどうかといったことに対してすら「私はわからない、あなたはわからない、私たちはわからない、それがポイントだ[36]」という聴き手をディサポイントさせるような結論しか出せないのなら、謂う所の「確実性の終焉」は「学問の終焉」をもたらすことになるだろう。未来を正確に予測することは原理的に不可能だが、どうなる確率が高いかを述べることはできるはずだ。

ウォーラーステインは、階級的な格差を解消するには、国家を廃止し、社会主義的な世界政府を作らなければならないと考えていた。世界革命を起こすはずだったソ連が崩壊した後、皮肉な現象が起きた。すなわち、冷戦が終結し、市場経済がボーダレスにグローバル展開した結果、地域間格差が縮小していったのである。それまで西側先進国は、南北問題を解決しようという善意で、OECD 等を通じて、途上国に援助をしたが、ほとんど効果がなかった。これに対してグローバル企業は、そうした善意は全く持たず、たんに安い人件費を求めて途上国に投資を行った。そして、南北問題を解決に導いたのは、そうした民間企業の営利目的の投資だった。

ウォーラーステインは、当初《南》における新興国の工業化は南北問題を解消しないと考えていた。なぜなら、途上国の工業化によって「起きたことのすべては、その通常の[雁行形態の]繰り返しにおいて、かつて高利潤・高賃金・高技術であった生産活動、例えば繊維業、後には鉄鋼業、後には電気工業、これらは、その性質を失うにつれて、世界経済の周縁地帯へ押しつけられ、他方今日の中核地帯は次の時代の先端産業、例えばバイオテクノロジーとかマイクロプロセッサーとか先進的形態のエネルギー生産などを開発しようとしているということである。この“新たな国際的分業”は、不平等交換を減らすどころか増やすであろう[37]」。

しかし、市場経済がボーダレスにグローバル化して以来、途上国における一人当りの国民所得の増加率の方が先進国のそれよりも高くなった。つまり、南北間の格差は縮小しつつある現在、ウォーラーステインの、遡ってはフランクやアミンなどの「従属理論の失敗は決定的なものとなった[38]」と言える。ウォーラーステインも、中流階級と呼べる比較的所得の高い個人が世界システムに占める割合が、5-10%(ないしそれ以下)から 20-30%(ないしはそれ以上)に増えた事実を認めている[39]

グローバルな市場経済が格差を縮小させているというと、多くの日本人は違和感を持つに違いない。冷戦時代、日本は「一億総中流」と言われるほど均質性が高く、むしろ、冷戦終結後のグローバル市場経済の時代になって経済格差が拡大したからだ。実際、八十年代以降、日本ではジニ係数や相対的貧困率は上昇している。しかし、だからと言って、「一億総中流」と言われた時代を格差無き時代と美化することは偽善的である。南北格差という国際的な格差があったからだ。経済がボーダレス化するにつれて、先進国に貧困層が現れる一方、途上国に富裕層が現れるようになった。国内格差が増大したことで国際的な格差は縮小したのだ。

国内が平等であるがゆえに世界が不平等であったインターナショナルな社会と国内が不平等になるがゆえに世界が平等になるグローバル社会とどちらが望ましいだろうか。私は、豊かになれるか否かが、どこで産まれるかといった先天的要素で決まる社会よりも、産まれた後の努力といった後天的な要素で決まる社会のほうが望ましいと思う。グローバリゼーションは、機会の均等という点では望ましいことである。

インターナショナルな社会では、国家が競争の主体であったのに対して、グローバルな社会では、個人が競争の主体となる。先進国の国民だから、あるいは大企業の社員だから豊かになれるという保証はどこにもない。個人は、自分にどれだけの市場価値があるのか、グローバルな視点で評価しなければならなくなっている。もちろん、中核/周縁という地域的格差は依然として残るが、グローバルな個人主義の時代では、それは以前ほど重要な意味を持たなくなっている。

富の格差をそのままにするべきかそれとも是正するべきかという問題は、政治における最も重要な論争点の一つである。前者を主張する立場は保守と呼ばれ、後者を主張する立場はリベラル(革新)と呼ばれる。米国における共和党と民主党、英国における保守党と労働党など、所謂二大政党は、この政治理念の違いを軸としている。もちろん、保守やリベラルと言っても、その内実は多様だが、純粋かつ極端な意見としては、保守が格差の固定を望むのに対して、リベラルは、格差を完全になくすことを要求する。

もちろん、多くの人はこの両極端の中間の立場だ。保守主義ともリベラリズムとも異なるリバタリアニズムは、政府は結果の平等まで保証する必要はないが、機会の平等(機会均等)は最大化するべきだと主張する。格差の固定でも格差の否定でもなく、格差の流動化が必要というわけだ。すなわち、勝者と敗者は入れ替わって変動する(あるいは少なくとも変動しうる)ものの、勝者と敗者が存在する非平衡システムの構造自体は是正しないという立場である。勝者は、いったん勝つと、自分の既得権益を守るために競争を制限しようとするものだが、これは普遍化不可能な利己心に基づいているために、表立って格差の固定化を主張することはない。但し、安全や文化的価値といった口実で自由化を阻止しようとする保守主義者はよくいる。しかし、格差を固定すると、その固定を暴力で取り除こうとする過激派(革命願望のある左翼や戦争願望のある右翼)が台頭することになる。

機会均等の自由競争が必要である理由を、複雑性の増大による複雑性の縮減が進化をもたらすという第一節の法則で説明しよう。システム論的に表現するなら、機会を平等にすれば、より多くの人が競争に参加するので、誰が勝者になるのか不確定になる。その意味でそれは複雑性の増大である。他方で、競争の結果勝者が決まれば、不確定性がなくなるのだから、それは複雑性の縮減である。複雑性を増大させればさせるほど、それを縮減する価値は大きくなる。平たく言えば、より多くの人が競争に参加すればするほど、より優秀な勝者が選ばれやすくなる。だから、機会均等の自由競争は、社会システムに進化をもたらすのだ。

リベラルは、自由競争は弱者切り捨てにつながると言って、これに反対することが多い。それならば、謂う所の「弱者」が餓死しないように配分するべき富を作るのは誰なのか。強者とは、弱者が生きることができるほどの富を作ることができるという意味で強い者なのだから、強者を作ることは、弱者を切り捨てるのとは逆の結果をもたらす。ところが自由競争を否定するリベラルは、そうは考えない。そういう人たちは、富の総量は一定であることを前提し、強者が多くの富を奪えば、弱者に配分する富は減るので、弱者の貧困を帰結すると考えている。しかし、富の総量が一定であるという前提が間違っているのであり、自由競争を否定すれば、富の総量が減るので、平等な貧困というもっと好ましくない結果が生じる。それはたんに強者に努力しようとするモティベーションがなくなるからではない。自由競争を否定する管理社会でも、信賞必罰によるモティベーションの向上は可能である。自由競争の否定がもたらす最大の弊害は、自由な発想に基づく実験が行いにくくなることによるイノベーションとリスク分散の欠如である。

イノベーションやリスク分散がなくても、現状を維持することで富を短期的に創り続けることは可能である。しかし変化適応力がないので、長期的に富を作り続けることができない。そのことは、共産主義国家が持続可能な豊かな社会を作らなかったという過去の歴史がよく示している。共産主義国家はたんに経済的に貧しいだけではない。共産主義経済という不自然な状態を作り、これを維持しようとすると、スターリンや毛沢東など強力な権力を持った独裁者が恐怖政治を行わなければならない。そこには、格差のない社会を作ろうとするなら、独裁という究極の格差社会を作らなければならないというパラドックスがある。

リベラルの中には、機会の平等が保証されるなら、結果の平等が保証されていなくても、自由競争を認めるという立場もある。但しその場合でも、機会の平等の保証として、相続税率を100%にするとか、子供が受けることができる教育を完全に同じにするとかいった極端な格差是正策が主張されることがある。たしかに、スタートラインをそろえないとフェアな競走ができないという主張には一理ある。しかし、競争者を均質化しすぎることは、結果の平等を人為的に作り上げることと同じ弊害がある。すなわち、均質化するということは、他のようである不確定性が減るということであるから、複雑性が増大しないし、その結果複雑性の縮減が有効にはならなくなってしまう。

リベラルが「強者」と「弱者」を語る時、強者と弱者が初めから決まっているように考えている。しかし、私たちは有限な認識能力しかないので、誰が強者で誰が弱者なのか、誰が競争に勝つのか負けるのか、確定的に予測することはできない。だからこそ、競争には多様な参加者が必要なのである。もし初めから誰が強者で誰が弱者なのかがわかっているのなら、競争などせずに、直接強者に多くの資源あるいは権力を割り当てればよい。実際、共産主義の国では、独裁者に権力が集中し、エリート官僚たちが計画経済の管理を行っている。だがこうした中央集権型の社会システムでは、イノベーションやリスク分散が不十分なので、長期にわたる繁栄は困難である。無知の知があるのなら、機会均等と称して多様性を減らすことがあってはならない。

自由競争に基づく市場経済や選挙に基づく民主主義政治は、人間の認識能力が有限で、すべてが不確定であることを前提にした上で、その弊害が持つリスクを最小限にしようとするシステムである。ウォーラーステインは、現代が「確実性の終焉」の時代であることを理由に、近代資本主義の存続も確実ではなくなったと考えているのだが、現代が「確実性の終焉」の時代であるからこそ、社会主義的な世界政府によって格差をなくすという全体主義ではなくて、《不確実性=複雑性》を増大することで、複雑性を縮減する市場経済と民主主義政治が必要になっているとみるべきである。

4. 参照情報

関連著作
注釈一覧
  1. 本稿は、『システム論序説』のウォーラーステインに関する部分を集めて、ブログ用の記事にしたものである。
  2. Abraham Storck. “A river landscape with fishermen in rowing boats.” 1679.
  3. Wallerstein, Immanuel Maurice. The Politics of the World-Economy. 1984. Cambridge University Press. p.148.
  4. Wallerstein, Immanuel Maurice. The Politics of the World-Economy. 1984. Cambridge University Press. p.152.
  5. Wallerstein, Immanuel Maurice. Unthinking Social Science. 1991. Polity Press. p.231.
  6. Polanyi, Karl. The Livelihood of Man. 1977. Academic Press. ed. H.W.Pearson. p.36.
  7. Wallerstein, Immanuel Maurice. The Capitalist World-Economy. 1979. Cambridge University Press. p.22.
  8. Wallerstein, Immanuel Maurice. Historical Capitalism. 1983. Verso. p.32.
  9. Wallerstein, Immanuel Maurice. The Capitalist World-Economy. 1979. Cambridge University Press. p.22.
  10. Wallerstein, Immanuel Maurice. The Capitalist World-Economy. 1979. Cambridge University Press. p.23.
  11. Wallerstein, Immanuel Maurice. Historical Capitalism. 1983. Verso. p.16.
  12. Wallerstein, Immanuel Maurice. Historical Capitalism. 1983. Verso. p.31.
  13. Wallerstein, Immanuel Maurice. The Modern World-System 1. 1974. Academic Press. p.55.
  14. Wallerstein, Immanuel Maurice. The Capitalist World-Economy. 1979. Cambridge University Press. p.162.
  15. Wallerstein, Immanuel Maurice. The Capitalist World-Economy. 1979. Cambridge University Press. p.162.
  16. レーニン, ウラジーミル『資本主義の最高段階としての帝国主義』. 1916. 河出書房新社. 堀江邑一訳. p. 451.
  17. Wallerstein, Immanuel Maurice. The Politics of the World-Economy. 1984. Cambridge University Press. p.153.
  18. Wallerstein, Immanuel Maurice. Unthinking Social Science. 1991. Polity Press. pp. 31-34.
  19. Wallerstein, Immanuel Maurice. The Uncertainties of Knowledge. Philadelphia: Temple Univ Pr, 2004. p. 83.
  20. Prigogine, I., P.M. Allen, R. Herman. “Long-term trends and the evolution of complexity”. 1977. in Studies in the Conceptual Foundations. Pergamon., ed. E. Laszlo, J. Bierman. p. 19.
  21. Marx, Karl and Friedrich Engels. “Zur Kritik der politischen Ökonomie." Vorwort. Marx-Engels-Werke, Band 13. Dietz Verlag, Berlin. 7. Auflage 1971, unveränderter Nachdruck der 1. Auflage 1961, Berlin/DDR. p. 9.
  22. Wallerstein, Immanuel Maurice. The Capitalist World-Economy. 1979. Cambridge University Press. p.55.
  23. Wallerstein, Immanuel Maurice. The Capitalist World-Economy. 1979. Cambridge University Press. p.54.
  24. Wallerstein, Immanuel Maurice. The Capitalist World-Economy. 1979. Cambridge University Press. p.4.
  25. Wallerstein, Immanuel Maurice. Geopolitics and Geoculture. 1991. Cambridge University Press. p.88.
  26. Wallerstein, Immanuel Maurice. The Capitalist World-Economy. 1979. Cambridge University Press. p.223.
  27. Wallerstein, Immanuel Maurice. The Capitalist World-Economy. 1979. Cambridge University Press. p.223.
  28. Wallerstein, Immanuel Maurice. The Capitalist World-Economy. 1979. Cambridge University Press. p.243.
  29. Wallerstein, Immanuel Maurice. Geopolitics and Geoculture. 1991. Cambridge University Press. p.43.
  30. Wallerstein, Immanuel Maurice. Geopolitics and Geoculture. 1991. Cambridge University Press. p.20.
  31. Wallerstein, Immanuel Maurice. Geopolitics and Geoculture. 1991. Cambridge University Press. p.45.
  32. Wallerstein, Immanuel Maurice. “The Rise of Asia in the World-Economy”. 01/09/2012. Le Réseau Asie-Pacifique.
  33. Wallerstein, Immanuel Maurice. The Politics of the World-Economy. 1984. Cambridge University Press. p.68.
  34. Prigogine, Ilya. The End of Certainty. 1 edition. New York: Free Press, 1997.
  35. Wallerstein, Immanuel Maurice. The Uncertainties of Knowledge. Philadelphia: Temple Univ Pr, 2004. pp. 34-58.
  36. Wallerstein, Immanuel Maurice. “China and the World System since 1945”. Held on November 18, 2013 at the Henry Luce Hall auditorium at Yale University. 1:03.
  37. Wallerstein, Immanuel Maurice. Geopolitics and Geoculture. 1991. Cambridge University Press. p.101-102.
  38. 大西広『「第三世界」論の現在』 1994『唯物論』 第68号. 東京唯物論研究会,p. 19.
  39. Wallerstein, Immanuel Maurice. “The Rise of Asia in the World-Economy.” 01/09/2012. Le Réseau Asie-Pacifique.