9月 092000
 

もしも、言語が世界を忠実に写し取り、それを他者に伝達するための手段だとするならば、そこには二つの不完全性がある。しかし、その不完全性は、私たちにとって必要な不完全性である。

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地図は現実の完全なコピーではないがゆえに地図として機能する。言語についていも同じことがいえる。

1. 言語は世界を取捨選択する

みなさんは、感動的な体験をしたにもかかわらず、それを的確に表現する言葉が見つからずに、もどかしい思いをしたことはないだろうか。現実が個別的であるのに対して、言語は普遍的である。風光明媚な景色を「絶妙の美しさ」という手垢にまみれた言葉で形容しても、言いたい事を表現した気にはならない。だから人はしばしばこの言語の不完全性を嘆き、「もっと言葉が表現力豊かで、完全だったら良いのに」と願う。

しかしもし言語が現実の忠実な模写ならば、言語と現実は一体となり、言語は不要ということになる。言語は現実を抽象(abstract 捨象)するがゆえに言語なのである。かつて、ベーコンやライプニッツは、表音文字よりも象形文字の方が、対象に近いので、不変的/普遍的で、優れていると考えたが、普遍言語(universal language)を作ろうとする彼らの試みは、徒労に終わった。言語は、それが表現する現実と同じであってはいけないのである。

2. 取捨選択の仕方は個人によって異なる

脳の処理能力が限られている以上、言語は、現実の多様性の圧倒的多数を捨て、生存に必要な最小限の情報だけを拾わざるをえない。しかし何を捨てるかは、主観的で、各個人によって異なる。このことは、言葉の意味は、使っている人によって微妙に異なっているということを帰結する。

これは言語の第二の不完全さである。コミュニケーションにおいて、言葉の意味の違いが、誤解を生み、しばしば喧嘩や戦争のきっかけにすらなる。だから人はしばしばこの言語の不完全性を嘆き、「もし言葉の意味が万人共通であれば、誤解に基づく無用な混乱は起きなくてすむのに」と願う。

しかし、「生存に必要な最小限の情報」が何であるのか不確定である以上、個人ごとにさまざまな抽象=捨象のパターンを作って、自然淘汰によって選別するということが、種全体の存続にとっては必要である。言葉をどう定義するかは、その人の思想や価値観とは切り離せない関係にある。だから言葉の意味を画一的に固定することは、知の発展にとって望ましくないのである。

このように言語には二つの不完全さがあるが、その不完全さは、是正されるべき欠陥などではない。むしろそれは、人類という種の維持/発展に貢献しているのである。

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  6 コメント

  1. 私は現在学士の卒業論文を書いており、アメリカの黒人文学を扱っています。黒人文学の性質上、「人種主義」と「言語」の二点の問題が浮上しますが、それを考える際に永井さんの論は大変参考になりました。ありがとうございます。今回伺いたいのは、人間の言語は真に不完全であるのかということです。
    人種主義が横行する場においては、言語もその影響を受けます。例えば、私が扱っている作品の舞台である1940年代のアメリカでは、「美しい」という一般的な言語は専ら白人的な美を表し、そういった排他的な意味を持った言語が映画や広告などあらゆるメディアを通して流布されていました(それが黒人による白人価値の内在化につながることへの警鐘が作品内に見られます。)このことなどは永井さんの仰る「自然淘汰による選別」の結果というよりも、支配階級によるイデオロギーの画一化と説明した方がしっくりくると思われます。
    すなわち、西欧からの移民が原住民を駆逐し、経済を牛耳り、自らの正当性のためにメディア(経済)を通してイデオロギーを流布したという過程が人間における「自然淘汰」なのだとしたら、その「自然淘汰」の結果として「知の発展にとって望ましくない」言葉の画一化が発生し、人間による「淘汰」の第一義であるはずの人間の知の発展が阻害されるのではないでしょうか。
    人種主義は極端な例ですが、それでも上のことが象徴するように、我々の言葉(あるいは自然淘汰のやり方)は経済によってあらかじめある程度画一化されているということが言えると思います。幼児は企業がスポンサーになっているテレビのついた部屋で育てられながら言葉を覚え、学校に入ると経済活動の一部である教科書という「商品」によりその言葉の扱いを徐々に身につけていきます。その過程で経済であるがゆえの偏りが発生し(例えば教科書で植物には「花」と「雑草」があるということを学ぶが、その背景には「花」は商品になるがゆえに好ましいが「雑草」は商品にならないがゆえに「雑」なものであるという名前の付け方が見受けられるように、)現実を抽象するやり方がある程度画一化されてしまって、知の発展に寄与するという意味においての「言葉の不完全さ」が阻害されているように感じられるのですが、いかがお考えでしょうか。
    ちなみに、永井さんの仰る「言葉の意味は、使っている人によって微妙に異なっている」というのは人間一人一人が言葉から想起する視覚的イメージの相違に過ぎないと考え、私が言っている画一化の対象とは「言葉の意味」を構成する上で最も重要な要素であると私が考える「価値判断」についてです。

  2. 1960 年代後半に米国で“Black is beautiful”という運動が起きました。「美しい」という形容詞は、決して白人に対してのみ適用可能な言葉ではありません。黒人を「心の温かい太陽の人」、白人を「心の冷たい氷の人」と表現することもできます。
    「花」と「雑草」について言うならば、たしかに“純血/雑種”という対比でならば、前者の方が価値が高いように見えますが、“画一/多様”という対比でならば、まさにザッパさんがそう考えているように、後者の方が価値が高いように見えます。
    言語は代表象する対象と比べて不完全だと言えば、言語は何か劣ったもののように聞こえるが、言語は対象から独立していると言えば、立派なように聞こえます。
    このように、言語表現の価値的意味はどうにでもなるものなのです。では、価値は客観的ではありえないのかといえば、そうではなく、どの価値的表現が支配的になるかは、その表現の選択者にどれだけの資本(広い意味での資本)があるかによって、客観的に決定されます。そして、資本の偏在は、自然淘汰によって選択されます。
    資本の偏在によって、社会システムには中心(秩序)と周縁(反秩序)が形成されます。生命システムが、秩序と無秩序の中間に位置する存在である以上、両者はともに必要だと思います。

  3. “Black is beautiful”に関しては私も知っています。これはそれまでの(私が前回の質問で言っている)”White is beautiful”に対してのカウンターであると位置づけられると思うのですが、その支配的な価値的意味を否定して対抗するオルタナティブな価値を集団として提示するためには、必然的にその支配的な価値的意味の「重要性」を前提として認めなければいけないという点において、非常に示唆的であると私は考えています。
    おそらくこれは、永井さんの仰る「価値の客観性」が資本主義経済によって規定されていることと関連があり、概して資本を白人に比べて保持できていない黒人は白人が作り上げてきた「価値の客観性」に支配され、対抗するオルタナティブを立てづらくなってしまうということが言えると思います。
    それでは、社会システムにおいて「周縁(反秩序)」が「中心(秩序)」に取って代わることを望む場合、何か有効な手段はあるとお考えでしょうか(両者がともに必要であるということは前提として。)

  4. 一般的に言うならば、中心的な選択が、システム全体を維持発展させていく上で、有用でなくなる時、周縁における他の候補が新しい中心となります。皮膚の色の違いによる所得の恒常的に非対称な再配分も、産業の知識集約化に伴って、それがもたらす安定性というメリットよりもイノベーションを阻害するデメリットの方が大きくなれば、放棄されると考えることができます。

  5. よくわかりますが、その「中心的な選択が現在有用であるか否か」は客観的でありうるのでしょうか。その判断すらも現状の中心的な選択(支配的な価値判断)に規定されはしないのでしょうか。私が前回のメールで「価値の客観性に支配される」と書いたのはそのような疑問があったためであり、現状が客観の操作の結果である以上、現状に対するオルタナティブは立てづらいようにどうしても感じてしまいます。(一回目の永井さんの回答はそれを裏付けているように捉えられませんか。)もし「中心的な選択が放棄される」何らかの顕著な要因があればお教え下さい。私が思いつくところでは、資本の配置を劇的に変えてしまうような外的な要因があるのではないか、ということくらいです。

  6. 中心的な選択が、システムの維持発展に貢献しないのなら、その選択がシステムもろとも消滅するか、選択が変わってシステムが存続するかのどちらかしか道はありません。どちらにしても古い選択は残りません。私が「自然淘汰」という言葉を用いたのは、選択変更の圧力が暴力的であることを示そうとしたためでした。
    かつて1980年代、欧米先進諸国の指導者たちは、このままでは日本に追い抜かれるという強い危機感を持っていました。彼らは、日本経済の強さを研究し、国民の幅広い階層が教育への投資に力を入れていることが強さの秘密だという結論を得ました。「ゆとりの教育」により、社会階級の二極化を推し進める現在の日本政府とは対照的に、欧米先進諸国は、教育に力を入れることで、固定的な階級社会を是正しようとしています。

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