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幸福とは何か

2000年9月16日

たんに幸福と感じていれば、それが幸福なのか。それとも、本当の幸福には、それ以上の条件があるのか。SF的な思考実験を通して考えてみよう。

Image by Claudio Scott + S. Hermann & F. Richter from Pixabay modified by me.
夢の中の幸せは、夢と気が付かなければ、本当の幸せと言えるか。

1. 感覚は騙される

幻肢と呼ばれる現象がある。手足を失ったにもかかわらず、なくなったはずの手もしくは足が未だ存在するかのように感じる幻覚のことである。実際には切断面に生じた刺激であるのに、「親指にかゆみを感じる」とか「小指に圧迫感がある」というように、神経のかつての末端に生じた刺激であるかのように感覚してしまう。これは手足にかぎった現象ではない、人間の五感を司る神経はすべて同様にだますことができるのである。

この現象に注目したあるベンチャー企業家が、脳管理会社を作ったとしよう。人体から、脳を取り出して電線につなぎ、その脳に快楽刺激を送りつづければ、その人は一生幸福な人生を送ることができる。脳は、実際には身体を失ったのにもかかわらず、いまだに身体を持っているかのように錯覚する。あなたは、脳管理会社があらかじめ用意したプログラムにしたがって、すばらしい恋人ととろけるような恋愛をしてめでたく結婚し、順風満帆に出世して名声と巨万の富をものにし、かつ自分の子孫が同様の幸福な人生を送っていることを見届けつつ、円満な人生を終えることができる。

やじ馬根性でこの会社を見学しに行くことにしよう。その会社では、たくさんの電線でつながれた脳が各々水槽の中に保存されている。その異様な光景をながめていると、経営者が近づいてきて、あなたに、全財産を提供してこうした脳管理サービスの契約をするように強く勧める。さあ、あなたならどうする?

戸惑う顧客に対して、経営者は、「もし不安を感じているのでしたら、一度、契約した人たちの声をお聞きください」と言って、音声入力装置に向かって、「みなさーん、最高ですかー?」と問う。するとノーミソたちは、音声出力装置を通して、一様に「最高でーす」と答える。

そう、この話は、全財産をなげうってカルト教団に出家するかどうかという話とよく似ている。あなたは、洗脳された信者が、どんなに熱心に教団のすばらしさを語っても、たぶんその話を信用しないであろう。同様にあなたは、契約を結んだ幸福そうなノーミソたちに対しても、軽蔑的な視線を投げかけつつ、「そんなのは本当の幸福ではない」とつぶやきながら、脳管理会社を後にすることであろう。

2. 本当の幸福とは何か

しかし私たちが「ホントーの幸福」と呼んでいるものは、電線につながれたノーミソたちの「最高でーす」とどう違うのか。私たちは、周囲の評判が良いと幸福を感じるが、その評判は社交的なお世辞かもしれない。私たちは、苦労の末に何かに成功すると、幸福を感じるが、その成功は、自分の努力や才能のおかげではなくて、たまたま偶然が重なってもたらされたものかもしれない。こうして疑っていくときりがない。菊地寛の忠直卿行状記に登場する殿様のように、懐疑地獄に陥っていくことになる。

結論として言えば、真の幸福と電線につながれたノーミソの幸福との間に本質的な違いはない。このことを確認するために、電線につながれたノーミソが、「ホントーに幸福」と感じるための条件を探っていこう。

まず、自分が体験していることが、幻想ではなくて、現実だと思っていなければならない。もし幻想だということがわかっているならば、ハッピーエンドのドラマを見ているようなもので、少しも楽しくない。だから契約者の脳を初期化して、脳管理の契約を忘れさせ、人生を誕生から再スタートさせなければいけない。

さらに産まれたときから楽しいことばかりだと、ちょうど甘いものばかり食べていると味覚が麻痺してきて、むしろ気持ち悪くなってくるように、幸福を感じなくなるので、適当につらいことや悲しいことを体験させなければいけない。法の華三法行でも、信者は「足裏診断」とやらを受けて、「あなたは3ヶ月以内に癌で死亡する」と宣告され、いったん地獄に落とされてから「救済」されて初めて「最高でーす」の境地に至ることができる。最高の幸福を体験するためには、最低の不幸を体験しなければならない。良い意味でも悪い意味でも、電線につながれたノーミソは、今の私たちと同じ種類の人生を送らなければならないのである。

真の幸福も偽の幸福も、幸福を感じる感覚のレベルでは違いがない。しかし幸福の根拠となる認識が、真理に近いか遠いかという違いはある。アンケートを行うと、先進国よりも発展途上国のほうが、「自分が幸福だ」と感じている人の割合が多い。しかし私たちの多くは、「地上の楽園」に住むと信じている北朝鮮の人々が、自分たちよりも幸福だとは考えていない。

「真理とは何か」で述べたように、真理は、それに基づいて行為することが、長期的な生存に貢献する可能性があるかどうかを判定基準とする。

3. 幸福はシステムを維持するための感情である

北朝鮮の独裁体制は、長期的な維持が難しい。法の華三法行の寿命も短かった。脳管理会社が倒産した時、契約者のノーミソはどうなるのだろうか。その運命は、教団の解散で路頭に迷う出家信者の運命と同じである。本当の幸福と偽りの幸福の違いは、持続可能か否かというところにあるのだ。

ところで、もしみなさんがある朝目を覚ますと、見たこともない水槽の中にいて、見たこともない人から、「あなたが生まれてから今にいたるまで送ってきた人生は、実は脳管理会社が提供してきた幻想でした。しかし残念ながら、その会社は本日倒産したので、これ以上サービスを続けることはできません」と言われ、ふと鏡を見ると、自分が身体を持たない電線につながれたノーミソであることに気が付いた時 … さあどうする?

4. 追記:マトリックスについて

読者から、『マトリックス』のパクリだと指摘された時、マトリックスが誰かわからなかった。その後、映画のタイトルだと知り、遅まきながら、2003年6月6日、日本テレビで放送された映画を見た。なるほど、みんな似たようなことを考えるものである。これまで現実だと思っていた世界が実はバーチャルな世界だったと気付くストーリーが、これまた映画というバーチャルな世界の出来事だったという二重の否定で、現実が肯定されている。マトリックスの製作者が何からヒントを得たのかわからないが、「これまで現実だと思っていた世界が実はバーチャルな世界だったと気付くストーリー」の一番古い例は、プラトンの洞窟の比喩と荘子が見た蝶の夢(蝶が見た荘子の夢?)だ。重要なことは、何が本当の世界なのかという問いに答えることではなくて、なぜ私たちは、何が本当の世界なのかを問わなければならないかという問いに答えることだ。ヘーゲルが洞察したように、絶対に覚めない夢は、夢ではなくて現実なのだ。夢から覚めるか、あるいは少なくとも覚める可能性が現れ、夢に安住していると、夢の中での自分の存在が危うくなる可能性が生じて初めて、夢に現実としての価値がなくなる。逆の場合は、マトリックスに登場する裏切り者のように、夢から覚めないほうが良かったと思うことになる。