ヒトは海辺で進化したのか
人間は、海中生活を送ることで、直立二足歩行や無毛性といった人間特有の性質を獲得したとエレイン・モーガンは言う。このアクア説は、学界ではほとんど支持されていないが、はたして正しいのだろうか。彼女の説を詳しく検討しよう。
目次
1. ヒトはいかにして類人猿から分かれたのか
1.1. イースト・サイド・ストーリーの破綻
ヒトはいかにして類人猿から分かれて人間となったのか。この進化論上の問いに対して答えを与える従来の学界の定説は、次のようなイースト・サイド・ストーリー(東側物語)と呼ばれるシナリオだった。
800万年前、アフリカ大陸を南北に縦貫する大地溝帯(二つの隆起帯に挟まれた溝状の地形)が形成され、地溝帯の西側では、大西洋から湿気を含んだ偏西風が吹くために、熱帯雨林が維持されたが、東側では、偏西風が隆起帯に阻まれて、雨が降らなくなり、サバンナとなった。その結果、西側では、ゴリラ、チンパンジー、ボノボなど、熱帯雨林に適応した類人猿が残存したが、東側にいた類人猿は、森を失い、草原で二足歩行の生活を余儀なくされた。この人類の祖先は、二足歩行によって自由になった二本の手で道具を使い、それによってサバンナの厳しい自然を生き延びた。また、直立二足歩行により、喉頭が下降して、それが人類に言語を話すことを可能にした。ヒトは、こうした道具の製作と言語の使用により脳を発達させ、高度に知的な動物となったというのである。
フランスの人類学者、イブ・コパンが、このイースト・サイド・ストーリーを提唱したのは、1982年であるが、その後明らかになった新しい知見により、この定説に多くの疑問が投げかけられるようになった。
まず、800万年前の地溝帯の隆起は小さく、大きく隆起したのは400万年前と考えられるようになった。これはヒトが二足歩行した600万年前よりも後のことであり、地溝帯形成をヒトが類人猿から分岐する原因と考えることには無理がある。またアフリカ東部の乾燥化は300万年前ごろから始まったが、完全にサバンナになったわけでなく、森林がかなり残存していたことも炭素同位体の分析からわかった。
他方、相次ぐ発掘成果により、二足歩行するヒトの最古の化石は、その記録を更新し続けている。コパンは、320万年前のアファール猿人(アウストラルピテクス・アファレンシス)の発見者で、この化石がヒッパリオンなど草原の動物化石と一緒に発見されたことから、ヒトは草原で進化したと考えるようになった。ところが、ケニアで発見されたミレニアム・アンセスター(オロリン・ツゲネンシス)やエチオピアで発見されたラミダス猿人の亜種(アルディピテクス・ラミダス・カダバ)など、500-600万年前の、すでに直立二足歩行していたヒトの化石は、当時森林に住んでいた動物と一緒に発見されたため、草原進化説は疑わしくなった。
そして、2002年に、イースト・サイド・ストーリーに深刻な打撃を与える発見があった。「ウェスト・サイド」である中央アフリカのチャドで、600-700万年前と推定される猿人の化石が発見されたのである。この猿人は、トゥーマイ(サヘラントロプス・チャデンシス)と名付けられた。頭骨から背骨につながる孔の位置から直立二足歩行をしていたことが分かり、また、顔の特徴から、絶滅した傍系ではなく、ヒト属の直系の祖先である可能性が高いとのことである。今でこそチャドにはサハラ砂漠が広がっているが、トゥーマイが発見された場所は、当時、現在の約80倍も大きかったチャド湖の湖岸で、魚やワニの化石が一緒に発掘されたことから、かなり湿潤な地域だったと考えられる。
トゥーマイの発見は古生物学の常識を覆すものだったために、いまだにそれが古人類であることを認めようとしない人もいて、論争が続いている。
現地で使われているゴラン語で「トゥーマイ」(生命の希望)というアダ名がつけられたこの化石は2002年に中仏のポワチエ大学のミシェル・ブリュネ氏らのチームが発見を公表していた。しかし人類発祥の地とされてきた「大地溝帯」のエチオピア、ケニア両国は「まさか」と驚きを表明した。発見現場は大地溝帯から2500キロも離れている。陰険な競争が展開されている古生物学界でも強い反論が出ている。批判派は、頭骨が押しつぶされたような形をしており、脳の容積が小さいなどと主張し、「ただのサル」だと断定していた。
スイス人の人類学者クリストフ・ツォリコファー氏らトゥーマイ支持派はネイチャーの論文で、3次元コンピューターによってトゥーマイの頭部を復元したことを明らかにするとともに、復元頭骨の角度と脳の容積から見て明らかにヒトであり、類人猿ではないと主張した。頭骨の構造は、トゥーマイが直立2足歩行が可能だったという。
ブリュネ氏もネイチャーの別の論文で、トゥーマイの新たな歯の化石とアゴ骨の一部を発見したと報告し、サルとは重要な違いがあるとして自説の正しさを強調した。[2]
ただ、提唱者のイブ・コパン自身は、2003年2月に、「イースト・サイド・ストーリー」を自ら撤回した[3]。イースト・サイド・ストーリーは、人類の起源を説明する定説としては、破綻したと考えてよい。
1.2. アクア説の台頭
今では、多くの古人類学者は、ヒトは、森林から追放されて二足歩行をしたのではなく、森林の中に住んでいる時に、おそらく枝にぶら下がって背筋を伸ばすなどの方法で直立の訓練をし、やがて食べ物を運ぶために二足歩行をするようになったのではないかと考えている。サバンナの熱い大地から脳を遠ざけるために、ヒトは直立二足歩行をし、体毛を失ったとする学説もある。しかし、もしそのような効用があるのならば、乾燥地域に進出したサバンナモンキーやパタスモンキーはなぜ直立二足歩行をしたり、体毛を失ったりしなかったのか。
サバンナ説に代って、近年注目を浴びている仮説に、ヒトは、かつて半水中生活を送っていたために、チンパンジーとは別の進化の道をたどることになったと主張するアクア説がある。アクア説は、1924年にドイツの生物学者マックス・ヴェステンホファーによって、さらに1968年にイギリスの動物学者アリスター・ハーディによって提唱され、その後、エレイン・モーガンの著作活動により、世間に広く知られるようになった。
モーガンは、オックスフォード大学で英文学を専攻したシナリオ・ライターで、そのためなのか、権威ある肩書きを持つ専門家は、彼女が考えた「シナリオ」を受け入れようとはしない。しかし、第三者的な視点で見ると、伝統的な草原進化説に部分的な修正を加えるだけでなんとか乗り切ろうとする学界主流派の陸上進化説よりも、彼女の大胆な水中進化説の方が魅力がある。
ただし、彼女の議論には、部分的に間違いもあるので、次に、アクア説の根拠を一つずつ検討しながら、本当にアクア説が正しいかどうかを考えてみよう。
2. アクア説の根拠の検討
2.1. 二足歩行
二足歩行する動物は人間だけではない。恐竜とその子孫である鳥類、および哺乳類ではカンガルーなどが二足歩行をする。
しかし彼らは、背骨を地面に垂直にして前進するわけではない。彼らの全体重は、着地点である足の周囲にまんべんなくかかる。そのせいで彼らは、ちょうどサーカスの綱渡り芸人が長い棒を持ってバランスをよくするような方法で、人間よりも大きな安定性を手に入れる。[4]
二足歩行は人間を十分に特徴づけない。しっぽのない二足歩行こそが人間の特徴なのである。人間以外の二足歩行の動物は、ペンギンのようなわずかな例外を除いて、しっぽを使うことで、背骨と脚を“T”の字の関係にすることができる。だから“Π”字型で四足歩行をする動物の場合と同様に、背骨は地面に対して水平となる。人間の場合、背骨が地面に対して垂直であり、そのため、椎間板への負担が大きく、腰痛やヘルニアなどの原因となる。
エネルギー効率に関しても、四足獣の四足歩行は、人間の二足歩行よりも良い。ロッドマンらによると、人間の二足歩行は、体の大きさを考慮に入れるならば、チンパンジーのナックルウォーキングよりもエネルギー消費量がおおよそ三分の一ほど少ない[5]とのことだが、樹上で生活するチンパンジーと平地で生活する人間とを比べるのはフェアではない。チンパンジーのナックルウォーキングは、おそらく、チンパンジーの直立二足歩行よりもエネルギー効率がよいだろう。人類の祖先も、初めから直立二足歩行を、現在のようにうまくできたわけではない。
ゴリラやチンパンジーは、椎間板への負担が大きい直立二足歩行をあえて日常的に行うことはしない。木にぶら下がっていると、直立にはなるが、椎間板への負担逆に小さくなるので、直立ぶら下がりと直立二足歩行では雲泥の差がある。では、なぜ人間は、椎間板への負担という犠牲を払ってまでも、しっぽのない二足歩行を行ったのか。それは、人間が、浮力の働く水中で生活を始めたからであるとモーガンは考える。
首まで水につかっている状態では、直立姿勢をとっても背骨にはほとんど負担がかからない。浮力があるので腰椎に余分な体重がかかることはなく、椎間板が垂直方向に圧迫されることもないのである。[6]
類人猿は、他の霊長類と異なって、しっぽがない。他の霊長類は、木の上でバランスを取るためにしっぽを必要としたが、我々の祖先は、木にぶら下がっていたために、バランスをとるためのしっぽが不要だった。また木にぶら下がっていたことで、直立歩行に向けての前適応がなされた。しっぽのない二足歩行という人間の特徴は、木にぶら下がる生活から、水中生活へと移行する中で獲得された形質と考えることができる。逆に言うと、樹上での前適応を経なかった四足動物は、水中生活を始めても、直立二足歩行をすることはなかったということである。
陸上進化説による直立二足歩行の説明としては、オーウェン・ラヴジョイの説が有名である。人間の乳児は無力で、繁殖に時間がかかる。だから、オスがメスのために食事を運ばなければならない。そして、オスは、手で食べ物を運ぶために二足歩行を始めたというのである[7]。しかし、当時のヒトの乳児はチンパンジーと同じぐらい早く親離れしていたから、繁殖にそれほど時間はかからなかった。500万年前から人間の女は専業主婦をやっていたというラヴジョイの想像は、時代錯誤である。
そもそも、チンパンジーが物を運ぶ時は、四肢すべてを使って食料をナックル歩行で運ぶのが普通である。手を二本使って食べ物を持ち上げることもしないことはないが、そうした不自然な格好は、食べ物を仲間に奪われないようにするための示威行為と考えられる。なお、類人猿やサルは、浅瀬を渡る時、四足歩行では鼻に水が入るので、二足歩行することが確かめられている。特にボノボは、チンパンジーとは異なって、水中に入ることを好むので、陸上でも二足歩行が得意である。この事実は、人間の直立二足歩行の起源を考える上で参考になる。
2.2. 非常に短い体毛
人間の体毛は、頭の上など一部の部分の毛を除いて、ないに等しいぐらい短い。哺乳類で、人間のような裸の動物はそれほど多くはない。
現存するほぼすべての裸の哺乳類は、程度の差はあっても、水生である。例外は、地表に決して現れることのないハダカデバネズミと厚皮動物とかつて呼ばれた動物たちと人間である。[8]
モーガンは、こう言った上で、ゾウやサイといった大型の厚皮動物の無毛性まで、水中生活で説明しようとするが、これは間違いで、熱帯地方に住む1トン以上の動物は、放熱のために無毛とならなければならない。人間が裸になったのは、体が比較的大きくて、かつ、水辺での生活に適応したからである。
毛がないほうが寄生虫に集られないので、性選択で好まれると説明する人もいるが、それならば、なぜヒトは頭部には、しらみがわきやすいように毛を残したのかが説明できない。
水辺を離れた後は、汗をかくことで、無毛ゆえの皮膚の乾燥と高温化という問題を解決した。私たちが広い意味で汗と呼んでいるものには、アポクリン腺から出てくる汗と、エクリン腺から出てくる汗の二種類があるが、冷却用に使われるのは、アポクリン腺から出てくる汗の方である。エクリン腺は、高等動物にしかなく、ヒトやパタスモンキー以外の動物では足の裏にしかない。霊長類は、この汗を滑り止めに使っている。私たちが緊張すると汗をかくのはそのときの名残である。
発汗冷却を効果的にするために、人間は裸になったと主張する人もいるが、これは正しくない。むしろ毛皮があった方が、発汗冷却の効果は大きい。
もしも毛皮が汗の蒸発を妨げないならば、蒸気は、滑らかな肌からよりも、毛皮からの方が二倍も速く蒸発するということがわかった。[9]
パタスモンキーも、暑い環境で生きるために、エクリン腺から汗を流して体温を下げるが、人間のように裸ではない。馬もまた、走って体温が上昇すると、アポクリン腺から大量の汗を出して、体温を下げるが、体毛を失っていない。しかし、だからといって、裸になったから発汗冷却を始めたという逆の命題までが偽になるわけではない。人は、馬とは違って、運動していない時でも、太陽光線を浴びると、皮膚の温度上昇と乾燥化を防ぐために、汗をかかなければならない。
つまり、汗をかくことと裸であることの因果関係は、巷の通年とは逆であるということである。人間は汗をかくために裸になる必要はなかった。人間は、暑い太陽のもとで裸だからだからこそ、パタスモンキーよりもさらにいっそう大量に汗をかかなければならなかったのだ。[10]
2.3. 毛流
ヒトは他の類人猿とは異なって、体毛が生えている方向が重力方向、つまり、雨にぬれた時、水が滴り落ちる方向と一致しない。背中の毛流は、胴体と並行ではない。また胸の毛流は、胸から放射状に流れている。黙流せず、泳いだ時に体の周りにできる水流の方向に一致している。この二つの特徴は、アリスター・ハーディが既に注目していた事実である。
頭を水面の上に突き出し、平泳ぎのような形で泳いでいるホミニドでは、体の周りの水流が、ホモサピエンスに見出されるこれら二つの変則的な毛流によって示される流れとぴったり一致するというハーディの考察は、的を得ているように思える。[11]
頭だけ出していたからこそ、人の頭には、太陽光線を遮断するために毛がたくさん残ったと考えることができる。
2.4. 皮下脂肪
ヒトは他の類人猿とは異なって、皮下脂肪が発達している。皮下脂肪が発達しているのは、冬眠する動物か水生動物かのどちらかであるが、人間の場合前者は考えられない。皮下脂肪は、水生動物においては、退化した体毛に代わって断熱材の働きをし、また浮力を増す。
皮下脂肪の割合は、生後数年で下がるが、思春期になると増え始め、成人ではさらに増える。女性よりも男性のほうが皮下脂肪多いので、この格差は、性選択の結果だと言って、アクア説を批判する人もいる。
これらの人間の脂肪の特徴を水生適応のためとするには、私たちは、赤ん坊の時には水生で、子供の時には水生ではなくなり、思春期には再び水生となり、年をとるとさらにいっそう水生ということになる。そして、思春期以降に限ってであるが、女性は男性よりもさらにいっそう水生であるということになるだろう。このようなことは水中適応としては不可解であり、性選択の結果発達した特徴と考えるなら、完全に納得がいく。[12]
もしも皮下脂肪が性選択の結果ならば、どうして生殖機能のない赤ん坊が太るのかが説明できない。アクア説で、皮下脂肪の違いを説明しよう。赤ん坊は、子供と違って、陸上で二足歩行ができないので、水中で浮いている必要がある。女は、思春期以降、水中で漁をしたり、水中出産をしたり、水中で赤ん坊を育てたりするので、特に皮下脂肪が発達する。
こう言うと、読者の中には、網や釣り針のない時代にどうやって、人間は漁ができたのかと首をかしげる人もいるだろう。しかし、現代でも、素手で魚を取る人々がいる。例えば、フィジーの女は、次のような追い込み漁をしている。
FIJIANの女性は体格もよく働き者。島での彼女らの漁は追い込み漁である。水面を棒でたたき浅瀬に魚を追い込んで素手で捕まえ頭を噛んで気絶させる。[13]
これに対して、男は、女よりも脂肪が少なく、毛深いことから考えても、陸上で食料を採取することが多かったのではないだろうか。
どうやら、特に水の中にいたのは、思春期以降の女性と赤ん坊のようだ。これは、出産と子育てが、水の中で行われていたためであろう。ヒトの出産メカニズムは、水中で行うようにできている。水中出産なら、女性は、他人の手を借りずに、一人で子供を産むことができる。ヒトの赤ん坊は皮下脂肪が極めて多く、産まれてすぐ水中に入れられても浮くので、溺れることはない。それどころか、誰からも教わることなく水泳や息継ぎをする。水中は、人手のかからない保育園だったわけである。
2.5. 月経の周期
ヒトが水中出産を行ったと考えるもう一つの根拠は、月経周期が、月の満ち欠けの周期(朔望周期)と同じで、29.5日であるということである。水生動物は、陸生動物とは異なって、生理が朔望周期とシンクロナイズしていて、満月や新月の日、つまり月と太陽の引力の相乗効果で大潮になる時に産卵することが多い。人間も、陸上で出産する現在でもなお、満月/新月の日により多く出産することが統計的に確かめられている。これは、かつて、満潮の時に出産していた習慣の名残ではないだろうか。
2.6. 正常位の交尾
人間は、対面位のセックスを正常位と呼ぶが、自然界では、正常な体位は、対面位ではなくて、後背位である。
陸生哺乳類には極めて珍しい対面セックスも、水生の哺乳類ではごく一般的に見られることだ(ただし陸に上がって繁殖する仲間は、この限りではない)。クジラやイルカ、ジュゴンやマナティー、それにビーバーやラッコも、腹と腹を向き合わせて対面セックスを行う。[14]
ラッコが「腹と腹を向き合わせて対面セックスを行う」というのは、間違いで、水の中でも、後背位で交尾を行う。オスのラッコはメスのラッコの鼻を噛んで、メスを仰向けにさせて交尾する。これはメスのホルモンの分泌を促すためと言われているが、メスが溺れないようにするための工夫かもしれない。
水生動物でなくても、オランウータンのように、樹上で空中交尾を行う霊長類は、水中で交尾する時と同じような環境となるので、対面位で交尾する。アカクモザルやテナガザルなどが対面位で交尾するのも、おそらく同じ理由によるものと思われる。このように、例外はあるものの、人間が対面位でセックスすることは、水中への適応の名残と考えることができる。
2.7. 流線型の体
哺乳類は、水中に適応すると、体が流線型になる。
多くの水生哺乳類では、おそらく体を流線型にするために、外部器官を体の内に引っ込め、覆ってしまう傾向がある。[15]
モーガンによれば、女性が性器を奥に引っ込め、処女膜で覆っているのは、体を流線型にするためである。しかし、処女膜は、キツネザル、ハイエナ、馬、モグラ、クジラなど、様々な動物にあり、水中適応とは関係がない。
人間の耳たぶは突出しているが、これは、人間が顔を水中に沈めることはあまりなかったである。完全に水中に適応した哺乳類は、脚を失う傾向にあるが、人間は、水の中を泳ぐよりも、歩くことの方が多かっただろうから、フラミンゴのように長い脚は必要だったし、ひれは不要だった。
2.8. 言語能力
ヒトは他の類人猿とは異なって、複雑な言語を話す。そのためには、喉頭の下降と吸気の抑制が必要である。喉頭が下降すると、飲食物が気管に混入する恐れがあるので、通常の哺乳動物の喉頭は高い位置にある。ところが、ヒトは、水泳の息継ぎの際、鼻と口の両方から瞬間的に大量の吸気ができるように、喉頭の位置を下降させた。そして、喉頭が下降したヒトは口でも呼気できるので、口と鼻でさまざまな音を出すことができる。また音を出している間、吸気できないので、複雑な言語を話すには、吸気時期を自分の意思で延長する能力が必要だが、ヒトはこの能力を、水中に潜ることで獲得した。モーガンは、そう主張する。
随意の呼吸制御(話すための必要条件)と後退した咽喉(それによって発声可能な音の範囲と種類が増える)の両方が、類人猿と分岐した最初期の段階で現れ、かつ、それらが水と関係があるという仮説には、無理がないように思われる。[16]
しかし、この仮説は正しくない。喉頭の位置が下がったのは、ホモ・エレクトゥスの時代になってから、つまり、人類が陸上で生活を始めてからのことである。また呼吸を自分の意識でコントロールすることは、他の霊長類や犬にもできることであり、これも水中生活への適応とは関係がない。
モーガンは、咽頭の後退と乳幼児突然死症候群を結び付けようとする。
生後三ヶ月から四ヶ月頃になると、喉頭は口蓋から離れ、後退を始める。[…]この月例はちょうど乳幼児突然死症候群(SIDS)の発生がいちばん多い時期でもある。[17]
個体発生が系統発生を繰り返す。胎児は、羊水の中でではなくて、羊水の中から出て、咽頭を後退させる。水辺から出たホモ族は、咽頭を後退させ、言語を発達させ、世界中に進出して行った。またこの頃、咽頭を後退させることのなかったアウストラロピテクス族が絶滅した。咽頭を後退させ、新しい呼吸方法を確立する時期に、それができない乳幼児が突然死する時期と重なっている。
3. 海中進化説から淡水進化説へ
3.1. 人類揺籃の地はアファールか
モーガンのアクア説で、賛成できない点が一つある。それは、彼女が、ヒトが海辺で進化したと考えている点である。モーガンは、内陸の湖では、霊長類の一群が取り残されるような急激な増水は起こらないとして、人類発祥の地は、アファール三角地帯と呼ばれる、エチオピアの紅海沿岸にあるハダール付近ではないかと推測している。
ルーシーの発見以来、ハダールは人類揺籃の地である可能性が強まってきた。[19]
その根拠は、この本が書かれた当時、最古の猿人の化石がこの地域付近で発見されたことと、中新世に干上がっていた紅海に、中新世の終わりの500万年前頃、海水が流れ込み、アファール三角地帯が孤島になったことである。
しかし、人類の起源を考えようとするならば、アファール三角地帯にこだわるべきではない。2001年3月に、ケニアントロプス・プラティオプスの化石がトゥルカナ湖で発見されたが、この化石は、アウストラロピテクス・アファレンシスとほぼ同時代の化石とされるが、それよりも現生人類に近い特徴を持っていた。だから、今日、アウストラロピテクス・アファレンシスは、人類の直系祖先とは考えられていない。
3.2. 海辺では水分の補給は困難である
ケニアやチャドでより古い猿人の化石が見つかったことで、モーガンがアファール三角地帯の仮説を放棄したのかどうか知らないが、化石に関する実証的問題とは別に、海辺進化説には、理論的な問題があると私は思う。海辺では水分の補給が困難だという問題である。喉が渇いているからといって、海水を飲むと、海水の塩分濃度は人間の体液より高いので、浸透圧によりかえって水分が失われてしまう。
モーガン自身が指摘しているように、ヒトほど水を浪費する、つまり常時大量に水を吸収し、排出している陸生哺乳動物はいないので、水が手に入りにくい環境で進化したとは考えにくい。これは、たんに草原進化説に対する批判として使えるだけでなく、モーガン自身の海中進化説にも使える。そこでモーガンは、ヒトが大量に流す涙と汗には、海水を飲むことによって増大する塩分を排出する機能があったと主張した。しかし、海水を飲むことによって増大する塩分を、涙を流すことによって排出しているのは、鳥類や爬虫類であり、水生哺乳類である「厚皮動物」にはそのような機能がない。また、サバンナに住むパタスモンキーも、水生動物ではないのにもかかわらず、ヒトほど大量ではないにしても、かなりの量の塩と水の汗をエクリン腺から流している。このため、モーガンは、汗と涙に関する自分の仮説が間違いであることを表明した[20]。
このことは、アクア説の破綻を意味しない。破綻しているのは、海辺進化説の方である。類人猿から分岐したばかりのヒトは、淡水の湖沼や川の浅瀬に住んでいたと考えれば、何も問題はない。現時点で最古のヒトの化石であるトゥーマイは、淡水湖であるチャド湖の湖畔で発見された。もちろん、塩湖や海の近くで発見された猿人の化石もある。しかし、その場合でも、ヒトが住んでいたのは、塩水ではなく、塩湖や海に注ぎ込む川に住んでいたと考えることができる。
初期人類がアフリカ地溝帯沿いの淡水湖で、淡水魚を食べていたと推測できる根拠が一つある。人間の脳の成長には、オメガ3脂肪酸の摂取が必要なのだが、これらの湖のアルカリ淡水にすむ魚のドコサヘキサエン酸(DHA)とアラキドン酸の比率は、他のどんな食物のそれよりも、人間の脳のリン脂質の比率に近い。現在、EPAとDHAが、健康食品の分野でブームになっているが、両者とも人間の体内で合成できない必須脂肪酸で、主として魚の脂肪から摂取されている。この事実もまた、私たちの祖先が、食糧を魚に依存していたことを示している。
3.3. なぜ人類はアフリカに留まり続けたのか
海辺進化説には、もうひとつ難点がある。なぜヒトは、せっかく水中生活に適応したにもかかわらず、敢えて水辺を捨てて、乾燥した陸地に住むようになったのかが説明できないという点である。モーガンは、ヒトが住んでいた海は、乾燥化によってすべてアフリカの内陸湖となり、しかもその塩湖は、干上がって塩辛くなりすぎたので、ヒトは陸上生活を余儀なくされたと説明する。海は、濃縮しなくてもヒトにとって十分塩辛すぎるという点は措くとして、海辺に住むことができるようになったヒトが、なぜ長年アフリカ内陸の海にしかいなかったのかは、きわめて疑問である。ヒトが淡水に生息していたとするのなら、なぜ初期人類がアフリカから脱出するのに長い年月を要したのかを説明できる。
もしヒトが内陸湖や川のほとりに住んでいたとするならば、300万年前から始まった乾燥化で水が干上がってしまい、陸上生活を強いられるというシナリオを想定することができる。完全に干上がらなくても、面積が狭くなると競争が激しくなるので、水辺を放棄せざるを得ない個体が出てくる。だが、モーガンが人類発祥の地と想定するアファール三角地帯は、インド洋に接しているので、乾燥化に伴って海岸線が後退しても、生息可能な海辺は依然豊富に存在するわけだから、海辺での生活を放棄しなければならない必然性は何もない。
3.4. 淡水への進出は類人猿の適応放散である
もっとも、逆に、淡水進化説では、なぜヒトが水中で生活し始めたかを説明できないのではないかとモーガンなら反論するかもしれない。500(700?)万年前、ヒトはチンパンジーとの共通の祖先から分岐したとされるが、チンパンジーは水を恐れて、水には入らないということになっている。だが、最近 Discovery Channel の番組の映像で確認したことなのだが、実際には、野生のチンパンジーの中にも水中に実験的に入ってみるものもいる。水辺が、魚や水草など食料が豊富で、それでいて未だ他の霊長類が進出していないニッチであることに気がついた類人猿の一種が、水辺へと適応放散していったことは想像に難くない。
4. 追記(2005年5月14日)
アメリカの大学院で心理学を学んでいる綺麗山さんによる「人類水生進化説(アクア説) | しんりの手 :psych NOTe (米国心理学部院から)」に対するコメント。
人類は水生生物と似た性質を持っていて、サルは持っていない、はざっとこんな点だ。
①体毛の喪失。②皮下に脂肪がある。③処女膜を保有。④脂肪分泌の多さ。⑤鼻毛の損失。⑥意識的に呼吸を制御できる。⑦汗による体温の制御。⑧(水中での息継ぎを意識的に制御するための)喉頭の下降。[21]
このうち「処女膜を保有」「意識的に呼吸を制御できる」「喉頭の下降」は、たぶん水中生活とは関係がないと私は思います。また「汗による体温の制御」は、体毛を失った結果で、水中生活に適応するためではありません。モーガンは「鼻毛の損失」について語っていたでしょうか。そもそも人は、鼻毛を失っていないと思うのですけれども。
局所での変化。変化というのは局所的なものの方がより簡単に起こる。例えば国全体を変えるのは難しいけど、村一つならより簡単に変えられる。進化(種の変化)でも世界中に散らばったその種を変化させるにはより多くの世代の交配を必要とするけれど、一地域の変化ならより少ない世代の交配で変化が完了する。アクア説の提唱者のモーガンはこのヒトへの変化がアフリカのある隔離された地域で短期に起こったと考えている。[22]
私たちの祖先の一部がヒトとなり、他はチンパンジーになったのだから、進化が種全体で起きたのではないのは、当然ではないでしょうか。モーガンの主張のポイントは、ヒトは自発的に水の中に入っていったのではなくて、アファール三角地帯での洪水により、やむをえず水の中で生活をしなければならなくなったというところにあるのだと思います。
なお、アクア説を批判するサイトとして、Jim Moore さんによる“Aquatic Ape Theory (AAT): Sink or Swim?”というサイトがあります。私は、これを読んでかなり刺激を受け、“The Aquatic Ape Hypothesis”と“The Scars of Evolution ”を読み直しました。その結果、モーガンが言っていることには、かなり間違いがあることに気づきましたが、それでも水中進化説は正しいと今でも思っています。なお、これを機会に、「ヒトは海辺で進化したのか」を書き直しました。
5. 読書案内
モーガンが『女の由来』(1972年)『人は海辺で進化した』(1982年)『進化の傷あと』(1990年)『子宮の中のエイリアン』(1994年)『人類の起源論争』(1997年)という一連の著作で主張してきたアクア説は、大きな反響と論争を呼び起こしました。私は、全部読みましたが、彼女の主張を知るには、『進化の傷あと』と『人類の起源論争』だけで十分だと思いました。前者は最も詳細なアクア説の説明で、後者はモーガンの最新理論です。
英語ができる人は、原書で読みましょう。
- The Scars of Evolution: What Our Bodies Tell Us About Human Origins
- The Aquatic Ape Hypothesis (Independent Voices)
6. 参照情報
- ↑tsauquet. “LOLA YA BONOBO.” Created on Aug. 8, 2016. Uploaded on March 16, 2017. Licensed under CC-0.
- ↑goo ニュース. “チャドで発見の化石は最古の人類か=しかし根強い「ただのサル」説 (時事通信)” 2005/04/07.
- ↑Yves Coppens. «L’East Side Story n’existe plus» in La Recherche février 2003.
- ↑“But they do not proceed with their spines perpendicular; their total body weight is equally and fairly widely distributed around the point where their feet touch the ground. This gives them much greater stability, rather as a tight-rope walker improves his equilibrium by equipping himself with a long balancing pole.” Elaine Morgan. The Scars of Evolution. p.26.
- ↑Rodman, Peter S., and Henry M. McHenry. “Bioenergetics and the origin of hominid bipedalism." American Journal of Physical Anthropology 52, no. 1 (1980): 103-106.
- ↑“Erect posture imposes no strain on the spine under conditions of head-out immersion in water. There is no added weight on the lumbar vertebrae. The discs are not vertically compressed.” Elaine Morgan. The Scars of Evolution. p.47.
- ↑Lovejoy, C. Owen. “The origin of man." Science 211, no. 4480 (1981): 341-350.
- ↑“Nearly all extant naked mammals are in some degree aquatic. The exception are the naked Somalian mole rat which never comes to surface; the group of animals which used to be called as pachyderms; and humans” Elaine Morgan. The Aquatic Ape Hypothesis. p.79.
- ↑“It has been found that moisture evaporates twice as fast from fur as from smooth surface, providing that fur does not prevent the evaporation of sweet.” Vladimir Evgen’Evich. Sokolov. Mammal Skin. Univ of California Pr (1983/7/1). p.578.
- ↑“It means that the causal connection between the sweating and the nakedness was the reverse of the one which has been commonly canvassed. They did not have to become naked because they were sweating. They had to sweat profusely – even more profusely than the patas – because they were naked under a hot sun.” Elaine Morgan. The Aquatic Ape Hypothesis. p.122.
- ↑“It seems a legitimate speculation by Hardy that in a swimming hominid holding its head above water and performing some approximation to a breaststroke, the water following around the body would follow precisely the course indicated by these two anomalous hair tracts found in Homo sapiens.” Elaine Morgan. The Aquatic Ape Hypothesis. p.157.
- ↑“For these human fat characteristics to be due to an aquatic adaptation, we would have to be aquatic as babies, non-aquatic as children, aquatic again in puberty, and even more aquatic in our old age. And females would have to be far more aquatic than males, but only from puberty on. It just doesn’t make sense as an aquatic adaptation, but it makes perfect sense as a feature developed as a result of sexual selection.” Jim Moore. “Aquatic Ape Theory, Sink or Swim?, Fat” .
- ↑廿日市市国際交流協会会報.「Blossom はつかいち」2004年6月号.
- ↑“Ventro-ventral copulation, very rare in land mammals, is the commonest mode in aquatic mammals except for those which go ashore to breed. Whales and dolphins, dugons and manatees, beavers, and sea otters are among the numerous aquatic species which mate face to face.” Elaine Morgan. The Scars of Evolution. p.151.
- ↑“In many aquatic mammals there is a tendency for external organs to be retracted within the body wall and covered up, possibly for purposes of streamlining.” Elaine Morgan. The Aquatic Ape Hypothesis. p.152.
- ↑“It seems a tenable hypothesis that voluntary breath control (the prerequisite of speech) and the descended larynx (which increased the range and variety of sounds it was possible to make) both emerged in the earliest stages of separate hominid evolution and had something to do with water.” Elaine Morgan. The Aquatic Ape Hypothesis. p.147.
- ↑“Some time between the third and sixth months after birth, the larynx loses contact with the palate and begins to descend. […] This period coincides with the peak incidence of Sudden Infant Death Syndrome (SIDS).” Elaine Morgan. The Scars of Evolution. p.130.
- ↑“Possible aquatic adaptations in human – Arguments for the aquatic ape hypothesis and related water-based models" by Chakazul. Licensed under CC-BY-SA.
- ↑“[…] ever since the discovery of Lucy, Hadar has had a strong claim to be regarded as the possible cradle of mankind.” Elaine Morgan. The Aquatic Ape Hypothesis. p.174.
- ↑Elaine Morgan. The Aquatic Ape Hypothesis. 10. Sweat and Tears. p.102ff.
- ↑人類水生進化説(アクア説) | しんりの手 :psych NOTe (米国心理学部院から).
- ↑人類水生進化説(アクア説) | しんりの手 :psych NOTe (米国心理学部院から).
ディスカッション
コメント一覧
初めまして。人類進化アクア説で検索してここにたどり着きました。自分はアクア説をより発展させた(?)人類進化温泉説というのを考えてみました。2chでは反響がなかったのでここにも書いときます。
この説の肝は、人類の祖先は温泉に入ったり、飲泉したりして氷河期を乗り切ったというものです。そして温泉で進化した人類は、より最近の氷河期においては温泉に頼らず、服と火の発明で乗り切ったと思われます。基本的に温泉は、海中説や水辺説と違い、脅威となる捕食生物のいない環境なので、アクア説の弱点をクリアしています。また入泉や飲泉によって得られる、怪我や病気への治療効果も先祖グループの生存率を高めたはずです。ラドン温泉などに含まれる微量の放射能も同様に寿命を延ばすのに若干貢献したと思われます。
温泉の豊富な湯気のある環境下ではレトロウィルスが不活性化したと思われます。先祖の温泉生活とヒトのヒヒ抗体の欠如は関係があるかもしれません。人類の高度な体温調節機能は、先祖が寒冷な外気と熱い温泉との寒暖の差に適応した結果かもしれません。人類の肌が弱酸性化したのは、弱アルカリ性の温泉から肌を守るためかもしれません。また温泉進化の過程で人類は弱酸性の温泉に入ると肌を弱アルカリ化する能力を獲得している可能性もあります。これは実験してみる価値はありそうです。
人類はアフリカで進化したと言われますが、アフリカは温泉の宝庫でもあります(エチオピア高地など)。アフリカの温泉地帯周辺を調査すれば人類の祖先の化石&居住跡が発見されるかもしれません。出産の時に赤ん坊を産湯に付ける習慣も、かつての温泉出産の名残かもしれません。子育てを考えると海水の浮力の高さは魅力的ですが、温泉水も比重が重く浮力は高いです。
人類の短毛化ですが、温泉中のある種の成分は体毛を溶かしたり肌をつるつるにしたと思われます。そして弱者である女性子供は狩猟をする男性より温泉に入る時間は長かったと思われます。その結果、より温泉に適応した短毛化した肉体を持つ女性が好まれる性選択が働いたかもしれません。成人男性が湯上りの女性に性的魅力を感じたり、風呂場で性交したがるのもその名残かもしれません(まゆつばですが)。
人類が皮下脂肪を際限なく溜め込むようになったのは温泉入浴時におけるカロリー消費の高さと関係があるかもしれません。つまり温泉に入る時間の長い者ほど、カロリー消費を補うため皮下脂肪も増えるという仮説です。高齢化による新陳代謝の低下は病気や怪我の回復を遅らせますが、先祖が温泉に入ることでこれをカバーしたと仮定すれば、何故ヒトは年を取ると皮下脂肪を増やすのか説明できるかもしれません。
温泉進化説は人類の祖先が温泉卵のような原始的な調理を行っていた可能性を示唆します。人類は採取した卵のような腐りやすい食材の保存性を高めたり、食材のアク抜きや硬い食材を柔らかくするのに熱い温泉水に浸したかもしれません。
人類の先祖は氷河期が去るまでは基本的にアフリカの温泉地帯に留まったと思われますが、その後は集団の増加により、新たな温泉を求めてヨーロッパなど世界各地へ進出した可能性もあります。世界の温泉地帯を調べれば、人類の拡散ルートを探る手掛かりが掴めるかもしれません。
氷河時代のアフリカの気温は快適であり、温泉に入る必要はありませんでした。また人類が生まれたとされる700-500万年前は、現在よりも気温が高く、氷河時代のイメージで考えるのは正しくありません。
こんにちは、いくつか興味深く読ませていただきました。
ところで「人は海辺で進化したのか」の<3.6正常位の交尾>の記述は少し違和感を感じます。正常位はただ単に文化的な強者であるヨーロッパの影響によって日本でもそう呼ばれるようになっただけなのではないでしょうか。イザナギとイザナミの性交は鸚鵡を真似たため後背位であったといいますし、未開人のなかには、布教にやってきた宣教師が対面位以外の性交を認めないことを揶揄して対面位を「宣教師スタイル」と呼んだというような話もあるそうです。そんな訳で私は文化的産物でしかないと思います。そもそも性交については、人類は他の生物と較べるとかなり異常であり、その性交の仕方の比較などによって論拠とすることは無理に思えます。
あと「ファルスとしての貨幣」<1、女性性器としての貨幣>の17行目に「交叉従兄弟婚などの形態」とわざわざ明記する必要はないと思います。レヴィ・ストロースの女性貨幣説を参考にしているのだと思いますが、それには、交叉だろうが平行だろうが従兄弟だろうが他人だろうが全く関係がなかったように理解しています。
モーガンが注目しているのは、もはや水中で生活することがなくなった今の人類が、実際に正常位で性交しているかどうかではなくて、人類の女性の膣が、正常位で性交できる構造になっているということです。他の類人猿の膣がまっすぐ伸びているのに対して、人類の女性の膣は、大きく前方に曲がっていて、正常位で性交しやすいように変形されているのです。この変形がなぜ起きたのかが問題なのです。なお、「ファルスとしての貨幣」に関しては、該当ページにて質問してください。
回答ありがとうございます。しかしながら膣の構造の変形については、対面位を行う種も人類のように変化していないことから、性交の仕方によって変化していったというより、別の原因(例えば、直立歩行などによって構造が変化した副産物として変化した、など)であると考えたほうが自然に思えます。
他にも性淘汰による変化なども考えられますが、性交のしやすさというものが、果たして性淘汰につながるかといえば、なんともいえませが、やはり可能性は低いのではないでしょうか。
直立歩行と膣の変形は関係がないでしょう。人が直立で性交することはまれであり、仮に直立状態で性交するにしても、従来どおりまっすぐなほうが、後ろから挿入するのに都合がよいからです。ところで、オオタさんは、対面位を行う種の膣の構造をどこで調べたのですか。
調べたのではなく、上の文章の「オランウータンのように・・・」と「他の類人猿の膣がまっすぐ伸びている」の二つの文章から推測しただけです。なのでオランウータンだけに限定して書くべきでしたし、おそらくオランウータンは対面位しかしないわけではなく樹木の形によってはするという程度なんですよね?軽率でした。
個体発生は系統発生を模倣する、というのは間違いだと思いますが。
それについては、「個体発生は系統発生を繰り返すのか」をご覧ください。
「月経周期が、月の満ち欠けの周期(朔望周期)と同じ」という指摘と、「淡水進化説」が結びつかないように思うのですが、いかがでしょうか。
淡水湖にも満潮と干潮はあります。
こんにちは。たいへん興味深く拝読させていただきました。Natureのnews
(Vol.446,pp.841)に、チンパンジーが一時期、ヒトの祖先よりも多くのpopulationを占めていたのでは、という説が掲載されていました。ヒトの祖先は、生存環境の圧迫から逃れるために、水辺のニッチへと生活の場を移したのでしょうか。ご意見をお聞かせいただけましたら幸いです。よろしくお願い致します。
そのニュースを見ていないので、何とも言えませんが、分岐したばかりだから少なかったという可能性もあれば、ヒトのニッチが、チンパンジーのテリトリよりも小さくて、ポピュレーションが小さかったという可能性もあると思います。
人間の雄、という生き物はどこでも序列を作ってそれを守りたがるものですね。序列のトップの言う事には服従というより言われるまま・・。医学界での「白い巨塔」そのものです。文化人類学でも同じのようですね。無理があり、破たんしていてもトップが個執している限り、抜け出せない・・。サバンナ説にはどう見ても無理があります。現実にはあり得ない空絵事が虚しく並べられているようです。現に毛皮、毛の生え方一つにしても説明がなされていない。そしてアクア説の批判ばかり・・。アクア説を否定するなら代わりの代案を出さなければならないのに・・。モーガンがその道の素人だからなのでしょう。土足で自分たちの庭にはいりこまれたのが面白くないのでしょう。現在の文化人類学の学者達は頭の固い、プライドだけで生きている連中のようですね。私はアクア説に軍配を上げます。いずれ化石が発見されますが、それでもアクア説を認めない、認めようとしない学者がいる事を予言致します。
思い込みというのは、いつの時代も変わりませんね。
ヒトの進化を扱うのは、文化人類学ではなくて、自然(形質)人類学です。
日本では、日の目を見ず、東大と京大でしかなされていない分野です。
自然人類学では、サバンナ説はもはや過去の遺物です。でも、アクア説も
認められていません。森林で進化したということは、ある程度認められて
いますが。アクア説の最大の難点は、やはり化石の証拠がないことでしょうね。
出てきた化石のひとつでも、水棲動物と一緒に見つかってればいいのですが。
アクア的環境にあったと推定される時期の古人類の人骨の多くは、当時水辺ないし水中であったところから発掘されています。これが証拠といえば証拠なのですが、死後水に流されて、水辺にまで来たのかも知れないという反論があります。
モーガンのアクワ説に少し興味を持ちました。現人類はアフリカで進化し、地球上に拡散、殖民したと言われております。アフリカで何回もの氷河期、を迎へ食料がなくなり、多くの人類の系統の種類は絶滅した可能性があります。現人類ホモサピエンスはその緊急事態を回避する方法として、海岸採取を食料源に求めたとある本で読んだことがあります。その時代は今から13万年ー15万年前の間に確保したように書かれてもいました。それから考えるとアクワ説は可能です。食料確保は生物の生きる為の第一の条件です。又、塩の摂取と言う面からも合理的です。特に塩は牛科の草食動物には生きるためには絶対必要なものです。アフリカの象や水牛が険しい山をあがって行き塩の土をなめている姿がテレビで放映されてもいました。現人類もこのように内陸にいたときは牛たちと同じように土を舐めていたと思われます。それが海岸で貝や海草を採取することによって解決され、食料も同時に解決したと考えます。ちなみに肉食獣はその草食獣を捕食することによって塩を補充しています。海岸採取民となった現生人類は海に入り高たんぱくの貝や海老、魚を捕らへ命を永らえたと思います。温度も海水温は内陸とは違い急激な温度差ありません。そして現生人類は海に入り漁をしてる間に体毛が不要になり、なくなったのではないでしょうか。それから、10万年前、アフリカを海岸沿いに出て全世界に拡散していったのではないでしょうか、ちなみに一部の猿を除いて猿と類人猿は川や海の物は食べないと聞いております。
私の故郷は埼玉の田舎ですが、親戚のじいさんは、かつて、川に潜って素手で魚をたくさん捕まえていました。彼は、一度の潜水で、両手の指の又と、口にはさんで、10匹近い魚(恐らくはヤマメだったかと)を捕らえて陸に上がってきました。
これだけの量のたんぱく質と脂肪を、素手で、短時間に、ローリスクに確保する方法は他にはなかなか見当たらない気がします。そんなわけで、この能力が食糧確保のメインの手段として使われていた時代があるということに、妙に説得力を感じるのです。
「人類進化温泉説」私も全く同じことを考えていました。単なる淡水ではなく温泉を中心とした生活と考えればアクア説のデメリットを埋められます。陸イグアナと海イグアナの関係のようにこのサイトのどこかに書かれていたあわせ技一本のような獲得方法ということも考えられます。人も海と陸それぞれ独立した環境適正をもち、それらの生活環境が重なる地域でハイブリッド種が生まれ結果的にその優位性を保った種が生き残ったのが人間の祖先、そうなると今の形をうらづける物証は痕跡をのこさないという可能性があるのではないか?と考えています陸イグアナはサボテンの花が落ちてくるのをじっとまっています。一方海イグアナは海の中で捕食するために発達した爪を持っています、エルニーニョ現象の影響により海に食べ物がなくなると陸に進出し陸イグアナの縄張りでサボテンによじのぼり自力でたべにいきます。そうなると陸イグアナの餌はなくなり絶滅してしまいます、そのあと分析を始めると、生き残った海イグアナとハイブリッドイグアナの形態はサボテンに登るために特化された爪という解釈に、又、陸イグアナが進化したのがハイブリッドイグアナという風に、この場合環境適応という進化ではない、そういった誤解などがあるのではないしょうか。このような誤解が初期の人間形成にも関わっていていくつかの矛盾が生まれているだけなのではないだろうか?と考えています。基本はこのアクア説で間違っていないだろうと思っています。
「単なる淡水ではなく温泉を中心とした生活と考え」ることによって解消される「アクア説のデメリット」とは、具体的に何のことを言っているのですか。
対象となるデメリット「体毛が一部を残して消えた理由」。まず通りすがりさんの意見の、温泉の中では「脅威となる捕食生物のいない環境」というところです。こちらが捕食するために淡水にはいる程度の時間で体毛が消えたとは思えないからです。藻くらいはとってたかもしれないです。
当時寒いからあったまるために入ったというわけではなく、サバンナ状態になった例の溝で肉食獣からの危険から回避するために温泉に逃れ居住スペースとしたと考えます。そうなると入浴時間が長くなりこのサイトでも紹介されている「何故人間は裸になったのか」で示されている、河川湖沼への適応放散及び完全に水中で生活していた場合の適合が使えるからです。ワキ毛と陰毛がよくわかんないです。たまにいる毛深い人とそうではない人 男性だけにヒゲが生えやすいハゲやすい、男女で比較的男性が毛深い、5α還元酵素が毛根でon状態だとジヒドロステロンになりハゲます、これはテストステロンつまり男性ホルモンに反応する、成長しきってしばらくしてから変化しだすという要素があります。となると男性だけ成長したあと毛がない状態に変化しやすい→肉体的に老化して水の外にいく必要がなくなる=毛がいらない状況になる。水にぷかーっと浮かんで足と顔だけだして空を見上げながら愚痴ってたりが想像できる。子育てやエサ探しと関係がありそうだとすると水に長くいるほうが水に適合しやすい=女性のほうが毛深くなくなる可能性が高い。となると主食は水の外にあると考えたほうが無理がないと考えられるからです。
また当時リングオブファイヤーに属する例の溝ができたとき地殻変動がおこり温泉が出たことは知られています。硫化水素やメタン流出があったかどうかや温泉の温度については調べてません。そこから水辺の暮らしで得た環境をもって別の場所に移動したまたま優勢遺伝だった。通りすがりさんの意見を全部肯定ではない立場ですけどいくつか他にも見るべきメリットがありますね、どのみち確定は無理ですけどアクアよりはましかと思ったわけです。
>>水辺から出たホモ族は、咽頭を後退させ、言語を発達させ、世界中に進出して行った
水辺から出たホモ族が咽頭を後退させた理由を考えてみました。音楽の時間では歌う時は”額から声を出す様に”と教わったのですが、この時、実際に額から声が出ているのではないでしょうか。ホモ族も水中活動時に反響定位を行っていたと考えれば自然に感じます。水辺から出た(もしくは出る必要に迫られた)際に、大声を出す必要に迫られたのではないでしょうか。
・・・・・・その大声を出す必要に迫られた理由がさっぱりですが・・・・・・。
畑仕事したことが有りますか、猿の様に腕が長ければ屈まなくとも雑草を取り去ることができます。草原で立って生きて往くのは腕が長い方が有利です。立ちながら果実等を収穫できる。一般に草食動物は首が長い、馬、牛その他象は腕の代わり鼻が長くなっている。猿は元々腕は長いのですから短い方に進歩するのは不自然ではないでしょうか。水棲動物では腕は短い方が都合がよい、長いと水の抵抗が大きく動く為には障害になります。アシカやその他腕のあるものは短い。足が胴体から真下に生えているのは陸上の生物よりも水棲動物の特徴ではないでしょうか。
テナガザルなどの前腕が長いのは、枝渡り(ブラキエーション)のためでしょう。地上に降りた時も、上体を起こしたままナックル・ウォーキングするためには、前腕が長い方がよい。だから、ヒトの前腕が短くなったのは、二足歩行と関係がありそうです。なお、足が胴体から真下に生えているのは、恐竜(鳥類)と哺乳類の特徴で、陸上を速く走る上で、有利です。横に生えていると、ワニのように、体をくねらせて歩かなければいけません。
>胴体から真下に生えているのは、恐竜(鳥類)と哺乳類の特徴で、陸上を速く走る上、有利です。
犬や猫など四つ足の動物は胴体から真下ではなく胴体に対し直角に曲がって生えています。人間は胴体に対し直線になっています。水の抵抗を受けにくいスタイルになっています。人間は訓練をしなければ泳げませんが、水の中の動物例えばアシカでも親が一生懸命子供に泳ぎを教えています。最初から泳げる訳ではないようです。
>ヒトの前腕が短くなったのは、二足歩行と関係がありそうです
二足走行をしても前腕が短くなる合理的な理由は有りません。他の動物に餌を取られる前に早く取ろうと思えば長い方が有利です。其れに屈んでいることは大変危険な事です。屈んだ状態から走り出すことは大変不利です。一度ご自分で経験すれば分かります。ヒヒなんかは草原で生活していますが前腕は長いのですが。
衣服の始まりは陸上で裸でいては寒いので海藻類を体に蒔き付けたのではないでしょうか。性器を見せるのが恥ずかしいのは水の中や海草で隠れていたので恥ずかしくなったのでは。このようなものは常日頃見せていたならば恥ずかしくもなんともないことです。
私が言おうとしたことは、恐竜(鳥類)と哺乳類は、脊髄が重力方向と同じであれ、垂直であれ、脚が、横にはみ出さず、重力方向に骨盤から生えているということです。人間のように頭と脚が脊髄と一直線である動物は、水底を二足歩行する時は、呼吸は楽だけれども、水の抵抗は大きくなり、泳いでいる時には、水の抵抗が小さくなるものの、息継ぎは困難になるというジレンマを抱えています。
人は道具を使うから、腕を長くするメリットはありません。屈むことが危険なのは、人間が二足歩行するからであって、四足歩行する動物ではそうではありません。
>人は道具を使うから、腕を長くするメリットはありません。
今でも地面になっている果実を摘むのは手です。畑で生えている雑草を摘むのも手です。
人類はろくに石器も無い時代からすでに腕は短くなっています。
腕の短い生物は水棲の生物の特徴で草原の動物は小さい動物を除きどこか例えば首や鼻などが伸びています。
小さい生物にとって草原は森と同じですから長くなる必要は有りません。
でも、それならば、水中でも腕が長い方が、海草や貝や魚を取ったりするのに便利ということになりませんでしょうか。水中生活に適応した動物では、腕が短くなって鰭になるという傾向はありますが、ヒトは、他の水棲動物とは異なり、手足が鰭になり、泳いで口で魚を捕まえるというところまで進化しませんでした。多分、ヒトは、水辺で海草や貝や魚を取って食べるという程度の適応に留まったのでしょう。
腕が長いと水中で動くときに邪魔になります。テコの原理で長いと力が働きにくくなります。それに引力が働きませんから逆さにもなれます。水中では長さは必要性が有りません。手長エビなど海底で棲む生物では腕の長い種類も有りますが、しかし其れは陸上の草原と変わらない過ごし方です。
頭の毛が長いのは全ての哺乳類ではありませんが一般に住む環境が良くなれば毛が長くなる傾向があります。例えば馬でも飼馬のタテガミは長いのですがシマウマは短い。室内犬も長くなる傾向があります。ライオンのオスはメスが狩りをして寝て暮らしているからタテガミが長くなっているのでしょう。もちろん性的な意味もあるのでしょが。
人類の毛も海辺で頭を上げて暮らしていたとするならば、海で有るならば草原の様に頭に当たるものが有りませんし、太陽の日射を防ぐ意味でも長くなる可能性があるのではないでしょうか。
男性よりも女性の方が海辺で過ごす事が多いのでは現代でも海女は多くは女性です。そして女性の方が毛髪の伸びる速度は早いようです。
水中で植物や貝を採取したり、魚を囲い込み漁で捕獲したりする時には、水中を高速で移動するわけではないので、水の抵抗による減速は、重要な問題ではありません。テコの原理で長いと力が働きにくくなるというのは、水中だけではなくて、陸上でもあてはまることです。
>テコの原理で長いと力が働きにくくなるというのは、水中だけではなくて、陸上でもあてはまることです。
陸上では主として後ろ足が地面を蹴るのに使われています。胴や腕にに比べて足が異常に長いのは人間だけです。
水辺では移動するのに手で水をかくのは大変都合の良いことです。
プールで立って移動すればすぐ分かることですよ。
人魚伝説で足に魚の形の身ぐるみをかぶせば伝説の人魚に扮することができます。
猿ではこうは行きません足が曲がっていますから魚の様にはなりません。
言えることは立った形で草原で生きていくのに腕が短くなる合理的な理由はありません。生きていくのに大変不利です。
走るのに手も使えますしね。現にヒヒも走るとき手も使います。
手も使うことにより、人間よりずっと早く走れます。
それは、人が哺乳類の中では例外的に二足歩行するからでしょう。哺乳類は原則的に四足歩行ですが、鳥類は、原則的に二足歩行です。鳥類には、ダチョウやフラミンゴやツルなど、「胴や腕にに比べて足が異常に長い」種がたくさんあります。
>鳥類は、原則的に二足歩行です。鳥類には、ダチョウやフラミンゴやツルなど、「胴や腕にに比べて足が異常に長い」種がたくさんあります。
失礼ですが貴殿は科学的に思考した上で書き込まれているのでしょうか??
鳥は腕が翼になってるから当然でしょう。
進化にはその環境に応じて適した形にになるものです。
沼地で生きている鳥達そのような形になります。沼地ですから足は長く、屈むのは大変ですからくちばしや首は長くなっています。
さて翻って人類ではどうでしょう。草原で生きている猿ヒヒと比べてどちらが草原に向いている進化をしているでしょう。
人類が草原で生きていくに適していない所を上げますと。
・腕が短い、4足走行ができない従って走行が遅い。
・腕が短いと地面になっている食物を取るのは重労働になる。
・屈んでいるとあたりが見えない、敵に襲われやすくなる。
・毛がないから草原を移動すると体に傷がつく、ばい菌が入って死に至る。
しかし水辺で生きていくに適した所は。
・毛がないから水流の抵抗が少ない、水棲の生物には毛が生えた生物はいない。人類は何時の時点から毛が無くなったかは分かりませんが一旦無くなった体毛は復活することはありません。其れは進化の法則であるようです。
・水の中で体毛は保温の役割ができない、其れより皮下脂肪の方が重要です。
・腕が短い、当然泳ぎやすい、海底の食料を取るには腕が長い必要はありません。
どう考えても人類は草原より海辺に適した身体的特徴を備えている。
人類が素っ裸で何も持たずヒヒと生存競争をすると滅ぼされる事は間違い有りません。
進化とはよりその環境に適した形になるのは当然の事であり、大抵はその目的があります。
ほとんどの鳥類では、翼が脚よりも長いのだから、当然ではありません。また、ダチョウは、沼地ではなくて、サバンナや砂漠などに生息しているから、その説明は当てはまりません。
あなたは「胴や腕にに比べて足が異常に長いのは人間だけです」と主張し、今回、腕には羽となっている前肢は含まれないという例外を設定しました。それならば、カンガルーはどうですか。カンガルーは哺乳類で、前肢は羽ではなく、人間以上に「胴や腕にに比べて足が異常に長い」のですが、これも、水中生活に適応するためなのでしょうか。
もう絶滅してしまいましたが、恐竜でも、陸上で二足歩行している種では、後肢が前肢よりも長くなる傾向があります。やはり、私は、二足歩行が重要な要因だと思います。もちろん、鳥類のように、陸上で二足歩行する種であっても、空中を飛行する方が重要な場合には、翼となっている前肢が長くなる傾向があります。
カンガルーもダチョウも、前肢が短く、二足歩行する動物ですが、走ると時速60キロメートルを超えます。これは、他の四足歩行の動物と比べても遜色のない速度です。両者とも、捕食には不自由していませんし、天敵に襲われやすくて、絶滅に瀕しているということはありません。カンガルーなど、オーストラリア政府が駆除しなければいけないぐらい、草原で繁殖しています。
また、逆に、カバやワニは主として水中で生活していますが、前肢が後肢よりも短くなるという現象はおきていません。だから、あなたの仮説には賛同しかねます。私の仮説をまとめると、以下のようになります。
1.サル科の動物の前肢は、後肢と比べて長いことが多いが、これは、樹上生活、とりわけブラキエーションへの適応結果である。
2.ヒトが二足歩行するようになったのは、樹上生活時代に獲得した前適応と、水中で働く浮力のおかげである。
3.ヒトは、前肢が短くなったというよりも、後肢が長くなり、その結果、相対的に前肢が後肢よりも短くなったと言うべきである。後肢が長くなった理由は、二足歩行により後肢の役割が重要になったからである。
ダチョウやカンガルーと人類を並べているが意味が分からん。
あなたは、「貴殿は科学的に思考した上で書き込まれているのでしょうか」と私に言いましたね。今度は、私が同じことをあなたに言わなければならなくなりました。科学では、仮説を立てた後、その仮説の正しさを、個別事例に即して検証しなければなりません。
「前肢に比べて後肢が長い」→「水中生活に適合的である」
という仮説が正しいのなら、その対偶である
「水中生活に適合的でない」→「前肢に比べて後肢が長くない」
も正しいはずだが、この場合、ダチョウやカンガルーが反証例になります(条件法の命題は、前件が真で後件が偽ならば偽となります)。もしもあなたの主張が、
「水中生活に適合的である」→「前肢に比べて後肢が長い」
と言うことであるならば、その対偶は、
「前肢に比べて後肢が長くない」→「水中生活に適合的でない」
ということになりますが、この場合、カバやワニが反証例になります。これらの反証例をどのように説明しますか。
人類は水棲適しているのは勿論だが草原に棲むことは適していない。
犬や猫、カンガルーは足や頭骨が「伏せ」の恰好に適した形になっている。
人類がこのスタイルを取れは見えるのは地面のだし、前を見ようと思えば首を上げなければならない。
そして背骨も曲げなければならない、其れはいかに重労働であるか貴殿もやってみたら如何でしょうか。
二足走行の動物より四足動物の方が原理的に早い事は明らかです。
ピューマは100Kmぐらいの速度で走ることが可能です。
海辺方がずっと人類の生態に向いています。
衣類を着たから体毛が退化したとの説に対しては何故服が被っていない顔や手、足にも毛がないかの変ではないか。
海辺では飲め水がないとの言い分が有る様ですが河口で棲めば幾らでも真水は飲むことができます。
ペキン原人は足が短いがそれでも腕と胴との長さの比率は現代人とかわらいないです。
>ということになりますが、この場合、カバやワニが反証例になります。これらの反証例をどのように説明しますか。
ワニは足よりしたが長いから問題はないが、魚でもマンボウの様に短いのもいます。
私が問題にしているのはそんな事ではなく、草原では人類のスタイルは致命的であると申しています。
貴殿も裸になってヒヒと草原で生存競争をしてみたら如何。
ヒトには、陸上生活よりも水中生活に適合的なところがあるということは、私が本文で述べていることであって、それは対立点ではないから、取り上げていません。問題は、ヒトの前肢が後肢よりも短いという事実が、そうした性質の一つなのかどうかというところにあります。2010年7月18日での最初の投稿で、あなたが問題提起したのは、まさにこの論点でしょう。もう一度読み返してみてください。
どんな動物でも、普段とは異なる姿勢で仕事をすれば、重労働になります。陸上に棲む四足動物でも、低木の葉を食べたり、遠くを見渡す時に、二足で立ち上がる種がありますが、それは彼らにとって、重労働です。
環境適応という点で問題となるのは、そうした不自然な姿勢をとる時間が長いか短いかというところにあるのですが、初期の人類は、採取経済を営んでいましたから、直立二足歩行で食料を探す時間の方が、屈んで食料を採取する時間よりもずっと長かったから、適応上問題なしと考えるべきです。人類が農業を始めたのは、ごく最近のことであり、その頃には、人類は、道具を十分に使っていました。
あなたがすでに自分自身で指摘したように、力のモーメントが一定であるので、腕が長いほど、腕先に力が入らなくなります。陸上生活においても、腕が長いことには、メリット以外にデメリットもあります。
腕が短いのは水棲動物の必須条件と云ってる訳ではない。
水の中で獲物を取るのは草原で地表にある獲物取るのは腕の長さは特に必要でありません。
体格の大きな草食動物は大概首とか鼻が長いダチョウも例外ではない。
猿も直立してはいないがやや斜めに起き上がっています。この様なスタイルだとやはり何処かが長い方が有利です。
これは一般的にそうだと云ってるのであり例外を持ち出しどうだというのは如何なものか。
以上
あなたは、人間の腕が短いと言うけれども、人間の前肢は、他の二足歩行の動物の前肢と比べると、むしろ長い方だと言えるのではないでしょうか。カンガルーにしても、ダチョウにしても、ティラノサウルスをはじめとする二足歩行型恐竜にしても、前肢はほとんど使われないために、退化しています。これに対して、人間の前肢は、よく用いられ、退化していません。これは、サル科の動物の祖先が、樹上生活に適応した結果、親指が他の指とは逆方向に動くようになり、その結果、人間の前肢が物をつかむ能力を獲得したためと考えることができます。他の動物では、すべての指が同じ方向にしか動かないのが普通であり、そのため、物をつかむ時には、逆方向に動くことができる顎を使います。カンガルーの前肢は、ボクシングの時ぐらいしか使うケースがないので、後肢と比べて短小となっています。ダチョウ、その他、飛べない鳥の羽は退化しているのが普通ですが、いくつか例外があって、ペンギンの羽は、水中を飛ぶように泳ぐ時に使われるので、あまり退化していません。孔雀の羽は、性的選択により豪華となっています。
>人間の前肢は、他の二足歩行の動物の前肢と比べると、むしろ長い方だと言えるのではないでしょうか。カンガルーにしても、
久しぶりに覗いてみたのですが、重箱の中をツツク様な文言だと思いませんか?
此れでは誰しも投稿する気は起きないでしょうね。
ですから全開『以上」と書いたのですが。
腕が短いと書いたのは猿に比べてですがね。
当然でしょう。
この位私が書かなくても分かるような話だと思いませんか?
私は、重箱の隅をつつくような特殊な議論をしているのではなくて、逆にあなたよりももっと普遍的な議論をしています。水中生活に適応すると前肢が短くなり、陸上生活に適応すると前肢が長くなるという傾向があるかどうかを検証するためには、霊長類だけを見ていては不十分であり、生物一般の事例に即して検証しなければなりません。一つの事例には当てはまるけれども、他の事例には当てはまらないということでは、法則は普遍的妥当性を持ちえません。もしも霊長類にしか当てはまらないというのであれば、なぜ霊長類にしか当てはまらないのかに関しての説明が必要です。
おやおや
変化の途中で陸上生活に変わったのでしょう。
普遍性は結構ですが例えば海で暮らしている鯨もラッコも同じ格好をしなければならないと云うことですか。
生物には多様性と云うことがあります。
此れを無視しろって云うことですか。
あなたは一般性(generality)と普遍性(universality)を混同しています。特殊性と対立するのは一般性であって、普遍性ではありません。個体の特殊性が、普遍的な法則によって説明されると、特殊性は普遍性へと止揚されます。普遍性は、多様性を孕んだ一般性であると言ってよいでしょう。だからこそ、私は、「もしも霊長類にしか当てはまらないというのであれば、なぜ霊長類にしか当てはまらないのかに関しての説明が必要です」と言ったのです。例えば、ラッコは、鯨とは異なり、陸上に上がって四足歩行することがあり、また、貝殻を胸に乗せ、それを石で打ちつけ、割って食べるという食習慣を有するがゆえに、四肢が後退しないというように、科学は、条件法導入による矛盾の回避により、普遍妥当性のある理論を構築するのです。
同じ草食動物でも鼻の長いのがいれば首の長いのもいる
これが多様性。
これ以上云うことないよ。
個別的な事実を記述するだけでは科学ではありません。科学が目指しているのは、雑多な多様性ではなくて、普遍性によって媒介された多様性です。
>雑多な多様性ではなくて、普遍性によって媒介された多様性です。
自分で何を云ってるか分かってる?
象の鼻が長いのは地上の植物を食べるためだし馬の首が長いのは同じく地上の草を食べるため。
目的は同じでも長くなる場所が違う、其れが生物の多様性です。
目的が同じでも形態は違うと云うことです。
哲学的な命題で理解が難しいかもしれませんが、「普遍とは何か」は哲学的および科学論的に重要なテーマです。
「生物には様々な形態がある」と言うだけでは科学ではありません。どのような法則に基づいて、個別的な形態の差異が生まれたかを説明しなければ、科学ではないということです。
ダチョウやゾウは、長い首や鼻といった、姿勢を大きく変えずに地面の上のものを食べるのに適した器官を持っています。
カンガルーの首の長さはさほど長くは感じませんが、手を突いた四つんばいの姿勢から直立に戻るまでのタイムラグはヒトよりずっと短い・・・ですよね?(詳しくないのですが)
カンガルーは、地面の何かを口で拾う姿勢で外敵に襲われた際に逃走姿勢に移りやすい構造を持っているのではないでしょうか。
つまり、草原に適応した(おそらく最高次の捕食者を除く)動物は、
・姿勢を変えずに地表面まで届く首や鼻などを持っているので、摂食行動時と移動時の姿勢に差異があまりない
・摂食行動時の姿勢から素早く移動姿勢に変更する仕組みを持っている
のどちらかのボディプランを持っていることが多いのではないかと考えます。
草原で暮らす霊長類は前足が長く、姿勢をあまり変えずに逃走に移れますので、前者でしょうか?
このように摂食行動の姿勢から考えると、ヒトにはそのような器官や構造がないため、草原への適応で相対的に後ろ足が長くなったと考えるのには違和感を覚えます。
ティラノサウルスは、かなり高次の捕食者だったろうと思って(思い込んで)居ますので、外敵を警戒する意味の重要性の低さから、除外して良いのではないでしょうか?
という風に通りすがりに補足してみましたが、どうでしょう?
ここから、水中であればどうか、につなげて考えてみては。
ツルやサギの類は、水中生活というよりは浅瀬に立って長い首で泥や水の中のものを食べているので、基本的には草原と同じように考えて良いように思いますが・・・よく考えれば、逃走手段が足ではなく翼なので、同じ土俵で扱うのは無理がありそうです。
ヒトの水中進化説は、肩まで浸かるような深さの水を想定していますよね?
正直、水棲草原棲を問わず、ヒトが捕食者から逃げるのに適した身体構造を持っているとは考えにくいように思っていますが。
水陸両用であることで、どちらかに逃げ込める戦略だと考えれば筋が通りますかね?(苦しい)
そういえば、オーストラリアは肉食動物が西洋人の入植以前はあまりいなかったという話を聞いたことがある気がしますが、本当でしょうか?
でしたらカンガルーも捕食者回避の必要があまりない動物なのかもしれませんね。
人間の後肢が長くなったのは、草原に適応するためというよりも、二足歩行に適応するためだというのが私の考えであり、そして、二足歩行は、顔を水面上に出しながら水中を移動するため発達したと考えるのが、アクア説の立場です。
但し、水中を移動する時は、後肢にあまり体重がかからないので、現生人類ほど発達した後肢を持つ必要はありません。また水の抵抗が大きいので、早く走ることは無理です。だから、水中生活時代の人類の後肢はあまり発達していなかったのだろうと推測されます。
アクア説が、水中生活時代と想定している320万年前に生きていた、ハダールのアウストラロピテクス・アファレンシス、通称ルーシーの全身骨格のアロメトリー(対比成長測定)分析より、前肢の体長との比率は現生人類と同じだが、後肢の比率は現生人類と類人猿の中間程度で、二足歩行をしていたものの現生人類ほど速足では移動できなかったであろうということがわかっています。
詳しくは、以下の『ネイチャー』へのレターを参照してください。
ここから、草原生活に適応するために、前肢が短くなったというよりも後肢が長くなったということがわかります。後肢は、浮力の働かない陸上で全体重を支え、速く移動するために発達したと考えることができます。
なるほど。
とすると、後肢だけ何割か短くなったヒトが前肢を地面に伸ばすとどうなるのかを考えないとミッドさんの推測は検討できないわけですね。
ちょっと私には考える取っ掛かりがなさそうです。
本文で私が気になった別の点があります。
それは、ヒトが水中で性交をしていたかどうかです。
ヒトの射精は摩擦刺激で起こりますが、この摩擦から生殖器を保護する潤滑剤が水溶性であるため、水中では拡散してしまって用を成さないと思うのです。
ヒトが水中で性交をしていたと考えて、アクア説の傍証とするのは無理があるのではないでしょうか?
本文に「人間が対面位でセックスすることは、水中への適応の名残と考えることができる」と書きましたが、現在、私はこの仮説を放棄しています。同じモーガンの文章に対する私の現在の見解を、以下、拙著『ファリック・マザー幻想』(p.25-27)から、引用します。
非常に示唆に富む議論でした。私は企業人であり学者はありませんが、自分なりに知的刺激を頂いており、感謝しています。
>特殊性と対立するのは一般性であって、普遍性ではありません。個体の特殊性が、普遍的な法則によって説明されると、特殊性は普遍性へと止揚されます。普遍性は、多様性を孕んだ一般性であると言ってよいでしょう。
私には哲学の素養がなく、この箇所の理解が非常に困難です。しかし一歩でも理解に近づきたいと願っています。永井先生または他の方による、入門的な参考文献があれば教えていただけますでしょうか。
素人の感想ですが、狭義の哲学に強固に支えられた、広義の哲学の冒険が永井先生の真骨頂だと思いつつ拝読させていただいています。後者をより理解するために、前者を知りたいのですが、なかなか良い入門書を探すことすらできずにいます。
お忙しいところたいへん恐縮ですが、御教授いただければ幸いです。
それはヘーゲルの具体的普遍に関する議論なのですが、以下のページでも、英米の哲学という全然違う領域でありながら、同じテーマを扱っています。
>後肢は、浮力の働かない陸上で全体重を支え、速く移動するために発達したと考えることができます。
にたいして「北東からとおりすがる」さんは
>ちょっと私には考える取っ掛かりがなさそうです。
とあります。貴方の意見は無理があります。
二足歩行の動物でもかなり足の速い動物もありますが、やはり陸上を移動するのは四足の動物には敵いません。
チータとダチョウを比べれば分かること、最速同士を比べなければ話にならない。
移動の速度よりも大事なのは餌を取ること野性の生物にとってこれほど大事な事はありません。
人間の下に直線に伸びた足は泳ぐことに適したスタイルです。
大抵の泳ぐ動物は下肢部が直線に伸びています。
海辺には鰐などの危険な動物が居るので其処で人類が住み進化することはできないと云う説がありますが。
しかしアシカやイルカその他の水棲動物は最初から深い海辺で住んでいたわけでは有りません。
元々陸上に住んで居たのですから、其処から深い海に進出したことは疑いようがありません。
ですから人類が同じように途中まで其処で進化して行った事は推測できます。
胴体から下に伸びた足が陸上に戻っても元の猿類の様な足が足が戻ることはありません。其れが進化の法則です。
陸上で暮らすには不自由な体型ですが、そのままの体型で過ごす事になったのでしょうね。
草原で住んでいるヒヒは足が他の猿と同じように胴体から約直角に下に向かっています。此れは他の猿類と変わりの無い足の形状です。
明らかに人類とは違う形態です。
此処が人類と類人猿との骨格の最大の違いです。
類人猿は、腕が長くて二足歩行に移行する。人類は、脚が長くなって二足歩行に移行した。と言う認識は、一致しているようです。類人猿が手長サル系統で手が長くなったのは解りますが、人類は何故脚が長くなったのか。それは、海水中でのブラッドシフト(血液移動)のためです。
宇宙に言った飛行士がまず掛かるのがフルーイッドシフト(組織液移動)で宇宙酔いに掛かります。無重力状態が引き起こす物です。水中で起きるブラッドシフトは、空気中の27倍強ある水の熱伝導率の高さで起きます。寒冷による脳死を防ぐため、脳には筋肉がありませんので血液送って脳を暖めるのです。その血液は、下半身から持ってきます。下半身は、血流制限下で、筋肉を動かし熱を発生させなければ細胞死を来します。昨今流行りの「加圧トレーニング」とか、加圧パンツというのがありますが、下肢を縛り上げて血流を制限してトレーニングします。すると、夜、睡眠間、脳は、高い負荷の運動と誤認して、成長ホルモンを分泌します。そこに必要なのは、昼は海水中で遊泳し、夜は陸上で足を暖かくして寝るという「水陸往復行動」が必要です。宇宙との間を往復するスペースシャトル号をもじって、「シーシャトル行動」としています。
ブラッドシフトによって、脳に送り込まれた血液は、頭脳発達をもたらします。ブラッドシフトに伴う頭脳発達の特徴は血液を送り込みますので、細胞分裂を来たし、脳容量の増大を伴う頭脳発達をします。イルカ型頭脳発達とシーシャトル理論では捉えています。もう一つは、ぶら下がり行動とか二足歩行行動で身体を立てた行動でチンパンジーなどでは母親の胎内で胎児が逆立ち状態になります。その時、フルーイッドシフトが起きて頭に栄養が行きます。胎児の血液型と母親の血液型は別であることからも解るとおり、血液が送り込まれるわけではありませんので組織液で栄養が行くのです。チンパンジー型の頭脳発達で、脳容量の増大を伴いません。人類は、チンパンジー型の頭脳発達とイルカ型の頭脳発達の二元進化をしています。
人類の尻尾の件ですが、尻尾は退化したのでなく、内尻尾化し進化しています。無重力空間では、刺激を与えないと骨粗鬆症になります。ナトリウムが排出されるのです。人類は、尻尾を尾骨だけにして、体内に取り込み、直腸温度が下がらないようにしたのです。人類は、チンパンジーよりも、0.9℃体温が下がっていますが、体温が1℃下がると酵素分解能力が半減すると言われます。理論上は町の長さが二倍にならなければ生きていけない計算になりますが人類は肉食摂取を積極的にし、火を通すことで低体温化を防止します。
アクア説は、着想は良いのですが、文系理論の域から脱出できず、また、進化理論と歴史学説を一緒にして論じようとしていますので、科学性が乏しくなってきます。
チンパンジーは、「木登り系サル」、人類は、「泳ぎ系サル」と規定しますが水中は、淡水でなく、海水です。水難救助の時、淡水でおぼれたのであれば、人工呼吸を優先し水をはかせる必要はありません。海水でおぼれたのであれば先に水をはかせなければなりません。杯に海水が入っていて肺水腫で死亡するからです。これは、水難救助の基本です。塩分というのは、身体に入るとき杯に入ると死ぬような負荷を与え、排出するときは汗としてあるいは腎臓で、身体に負荷を与えます。ネコ科動物は、肺水腫予防対処も無く、腎臓も弱いため塩分に満ちた海には寄り付きません。ライオンでもそうですが、淡水の水辺は待ち構えていますが、波の音さえ怖がって、寄り付きません。ワニもいません。初期の人類は、天敵のネコ科動物が寄り付かない海辺というサンクチュアリーにいたニッチ動物です。
塩分は、塩分の有害性は身体に入るとき杯に入って起きる肺水腫と、出るときの腎臓に対する負荷ですが、それを、人類は克服し、塩分の有益性を最大限活用しています。筋肉を動かし熱を発生させ、血流を促し、体温を維持しています。チンパンジーはカリウムイオンをメインミネラルにしていますが、人類はナトリウムイオンをメインミネラルにして、ナトリウムポンプを活用して、血流を機動的に運用しています。全身を毛で覆うのは固定的な保温方策ですが、人類は、血流を機動的に運用して体温を保つために裸のサルになったのです。そのためには、水流によるリンパ系の発達があります。
海辺に真水がないということはありません。浜辺であれば湧水はいくらでもあります。また、海水だけ飲んでいても、魚を食べれば水入りません。イルカ・アザラシ・アシカなど陸上に上がって水を飲みに来ることはありません。人間でも、海で遭難した人は、船に飛び込んできたトビウオを食べて海水を飲んで9か月間漂流しています。魚を食べなかった人は、死亡しています。人類は、毎日、塩味ベースの食事をしていますが、肺水腫対策ができているから可能なのです。人間が飼っている猫は、肺水腫対策が喉にできていないから、人間がやる塩分を含んだエサで肺水腫で死亡するのです。現代人はいとも簡単にみそ汁を飲んでいますが、それは、塩分の有害性とのすさまじい戦いのたまものです。人類が言葉をしゃべられるのは、塩分の有害性との戦いの結果、咽喉を下げていったのです。
シーシャトル理論を構築するために、約10年間にわたり、疑問点があれば、プールに行って、検証してみました。いろいろな進化のプロセスを検証したのです。数百万年の話を、検証することは不可能ですが、これなら、いけるという確証が必要です。サバンナにおける陸上進化説は二足歩行移行のプロセスさえ提示できない歴史学説で、アクア説は、進化理論の傾向を帯びていますがまだ文系学説の域を出ていません。
生物学的に進化のメカニズムを解明しようとするのがシーシャトル理論で、「いつだったのか」とか「どこだったのか」という歴史は、発掘成果を踏まえて人類史とすればいいのです。シーシャトル理論をシーシャトル説とは言いません。理系の理論ですから、間違っているか、間違っていないかはっきりしているのです。
ブラッドシフトとは、深海に潜った時に見られる、末端の血液が胸部に集まる現象ですが、浅瀬に居る時には起きません。また、ブラッドシフトが原因で人の後肢が伸びたとは言えません。水陸往復行動をしているカバやラッコが、他の哺乳動物と比べて、四肢が短く、また頭脳が発達しているわけでもないことをどう説明するのですか。
たしかに、魚を食べることで水分を補給することができますが、人間には、他の海棲動物のように、海水を飲んで塩分を排出する、濃縮効率のよい腎臓を持っていませんから、この点からも、海中進化説は否定されます。また、人類が海中に適応できたとするならば、なぜ長い間アフリカ大陸から離れることがなかったのかが説明されなければなりません。
ナトリウム-カリウムポンプは、海中に棲んでいるか否かとは関係なく、どの生物の細胞にも見られます。ナトリウム-カリウムポンプの機能は膜電位を作ることであって、体温維持が目的ではありません。
大変有り難うございます。
ご指摘の件につきましては、大変、ありがたいものです。シーシャトル理論は、ご批判を受けながらもんでいかなければならないと考えております。
ブラッドシフトについては、臓器保護の機能で、深海で水圧で心臓が危険になれば、血流を胸部周辺に向けるでしょう。頭部に寒冷による細胞死の危険が生じたときは、浅海でも起きるのです。深海というのは、どのぐらいの深さか解りませんが、もし、鼻クリップをつけて潜る深海100メートルを指しているのであれば、人類は潜れなかった深さです。深海の深さが解りません。私は、深海ブラッドシフトと浅海ブラッドシフトとしています。臓器の危機で心臓か脳かという選択が起きてきます。
カバやラッコの脚が伸びていないということですが、足に成長ホルモンが分泌されるのはシーシャトル行動で、昼は海水中で遊泳して足を動かし、夜、陸上で足を温めて寝るという一点の行動が必要なのです。カバやラッコに限らず、イルカもアザラシもアシカも、人類のようなシーシャトル行動はしません。人間は、夜、足が冷えると寝られない動物になったのです。脚が長くなる進化のメカニズムが提唱できれば教えて頂きたいと思います。
海中進化説という話がありましたが、人類は、海中で進化したのではありません。海水中で泳いで、陸に上がって、夜寝るというシーシャトル行動が進化を生み出しています。腎臓の機能についてはおっしゃるとおりだとおもいます。しかし、海岸に水がないので海ではないというのは、誤りです。海辺には大きな河川から、小さなわき水まで、大地から幾らでも真水が注いでいます。小さい頃朝から晩まで海で泳いでいましたが、砂を掘ると水は、幾らでも得られました。
ナトリウムポンプの件については、ご指摘の通りだと思います。もう少し、整理し泣けrばならないと考えています。ただ、局部には囚われませんが、人類というのは、ビッグモンスターで個人研究では及びもつかないところがあります。指摘は有り難いのです。
なお、アフリカを何故早くでなかったのかという質問ですが、歴史学説ではありませんので言及できません。海を伝って世界に拡散すればいいじゃないかというご指摘だと思いますが、人類は外洋を泳ぎ回るほどの遊泳力はありません。人類は特異な泳ぎ方をします。水流を頭部から顎に掛けて受けるのです。他の動物は顎から額に受けます。これは、人類の基本浮体姿勢が仰向けだという特異性にあります。従って外洋での遊泳力がありません。答えているかどうか解りませんがご指摘有り難うございました。
このグラフをご覧ください。人類が水辺で暮らしたと想定される500-300万年前は、寒冷化しつつあったとはいえ、現在よりも気温が高く、今ですら十分に高温であるアフリカ中央部で、「寒冷による細胞死の危険」が進化の原因であったとは考えられません。
それならば、私の淡水進化説とあまり変わらないですね。海辺近くの淡水河川沿岸に住んでいた可能性は理論的にはありますが、実証されておらず、水辺で生活していたと思われる時期の人類の祖先の骨は、内陸の湖沼から見つかっています。例えば、400万年前のアウストラロピテクス・アナメンシス(Australopithecus anamensis)や、340万年前のケニアントロプス・プラティオプス(Kenyanthropus platyops)は、ケニア北部のトゥルカナ湖の近辺で発見されています。
有り難うぞざいました。人類史には、論争がないので、今の時代になっても、人類が二足歩行移行に移行したメカニズムさえ解っていないのです。そういった意味で、御解答頂き感謝しています。
海辺には水がない心配していましたが、内陸の淡水周辺では塩の取得はどうしたのでしょうか。人間は、毎日、塩味ベースの副食を食べています。当たり前のことのようですが、塩が手に入らなければどうなるでしょうか。キチガイになります。不足してくると、母親から乳も出ません。当時の人類が、塩の精製法を知っていたわけではありません。
岩塩も何処にでもある物ではありません。水の摂取と合わせて、「人類は毎日海水を飲んでいるサル」と捉えることができるのです。人類は、動物肉から得られる塩分だけでは賄いきれないのです。それでも、淡水進化でしょうか。
アフリカの気温が高かったということや、人骨が沼から見つかっているということですが、コメントできません。文系の歴史学説と、理系の進化理論はまず、区分して捉えなければならないというのが、シーシャトル理論です。淡水付近で見つかった化石が、滅んでしまった人類の一部の化石である可能性もあるのです。理系の進化理論があって、発掘化石に適用する物です。進化理論と歴史学説が境界もなく扱われるから、人類史は今の時代まで、二足歩行移行のメカニズムさえ明らかにしていません。
サバンナ説のアフリカ起源説は、支持していますが、理系の進化理論では、あるりかであろうか、フローレンス島であろうが、進化の形態は同じで、普遍的な物です。従って、アフリカの天候の話をされても、困るのですが、基本的に、気温と海水温は別のものです。
シーシャトル理論の基礎は、現代人の観察にあります。現代人は生きている化石なのです。進化の歴史は、現代人の成長過程に反映されています。現代人の成長というのは、胎内の頃から、成人になるまで、進化の歴史を足早で駆け抜けているのです。この成長プログラムを解析し、観察して、進化理論を組み立てた物です。従って、離乳食で塩分を徐々に加えていくプロセスがありますが、進化理論構築上、塩分は無視できない存在です。
人間に限らず、すべての動物は塩分を必要としているので、もしも内陸の淡水周辺では塩分が摂取できないというのなら、そこにはいかなる動物も生息していないということになるはずです。実際にはそうでないのは、草食動物は岩塩の塩を舐めることで、肉食動物は草食動物の肉を食べることで、塩分を十分に摂取することができるからです。
松雲さんは高校生ですか。文系と理系という区別は、高校のカリキュラム編成や大学受験の際に使われる教育制度上の区別であって、学問上の区別ではありません。自然科学と精神科学という区別なら、かつてドイツにおける科学方法論争で成されたことがありましたが、物理学までが歴史学化している今日、そうした区別は時代錯誤的になりつつあります。
もちろん、アウストラロピテクス・アナメンシスもケニアントロプス・プラティオプスも現存しませんが、どちらも二足歩行していたと考えられています。二足歩行をしていた古人類の骨が、淡水の近くで見つかるなら、淡水進化説の有力な証拠になります。
水温は気温ほど変化が激しくはないものの、気温の影響を受けます。人は、水辺で暮らしていた時でも、頭部は水上に出ていることが多かったので、いずれにせよ、「頭部に寒冷による細胞死の危険が生じた」というのはおかしいでしょう。今日のアフリカのサバンナでは、気温が夜になると摂氏10度を下回ることもあるようですが、凍死するほどの温度ではありません。
高校生呼ばわりは、若く、見て頂いて有り難うございます。初めてですよ。議論をしながら、若造呼ばわりされたのは。
水辺説を唱えるには、水を知らないようで、泳いだことがあるでしょうか。体温が36.5度ですが、人間は体温が33度になったら死亡します。水の熱伝導率は空気中の27倍強です。プールの水は、28度~30度に設定されています。体温が、プールの水温と同じになったら死亡羽するのです。ブラッドシフトを人間が入れないような水温を頭に描いているようですが、そうではありません。水辺説の提唱者としては、急激に体温を奪う水の熱伝導率を体験してください。
30度と言ったら暖かい水温です。しかし、足が冷えてくると痙攣が起きます。熱を発生させるための身体反応です。脚は動かせます。頭部はどうするでしょうか。足から血流を持ってきて頭部につぎ込むブラッドシフトです。
今流行りの加圧トレーニングをご存じでしょうか。加圧パンツをご存じでしょうか。日本人のスポーツ生理学の博士が、発見したトレーニング法です。足に血流制限を加えて運動すると軽い負荷でも、夜寝ているときに、脳は負荷の高い運動と誤認して成長ホルモンを送り込んで、筋力が強化されるという理論です。
次に、頭を出して泳いでいたと言うことですが足の使い方は、足の裏で蹴る犬掻き泳法でしょうか、足の甲で蹴るビート泳法でしょうか。人間の成長で、生まれたときは、腕に対する脚の長さの比(上下肢比)が1ですが、成長に伴って、1.7前後まで増大します。人間は相似的に成長していきません。脳にしても神経系は生まれて1年間で急激に膨らみます。現代人は、進化の反映の賜です。進化を間ゲル時、現代人の観察が大事なのです。
アウストラロピテクスなどが、水辺で発見されたから、水辺説の有力証拠だと言うことですが私は、そんなことにコメントする立場にはありません。二足歩行していたと思われるだとか二足歩行していたら全て人類かというとそうではないというのを、ネアンでルター人が示しています。
現代人の観察を基礎においていますので、人間は何故毎日塩分を多量に摂取するのかという疑問に答えられなければ、学説に賛同しかねるのです。
それなら、何歳ぐらいの方ですか。バックグラウンドとかも教えてもらえれば、参考にします。
それはモーガンのような水中進化説に対する批判としては適切ですが、私の水辺進化説に対する批判にはなりません。一日中水に浸かっていたと主張しているのではないのですから。
もちろん、短時間でも水が体温を奪うことは事実ですが、それに対する適応がヒトにはあります。それは、他の類人猿には見られないほど発達した皮下脂肪です。これは本文(3.4. 皮下脂肪)で既に述べたことなのでそれを参照してください。
もしも短時間でも水中にいれば死亡すると考えているのであれば、それは正しくありません。大正の頃までは、日本の海女は、ほぼ全裸の状態で、何時間も海に潜っていました。日本の海の水温は、サバンナの水の温度よりも低いにもかかわらず、彼女たちはそれで命を落とすことはありませんでした。
その他、ウェットスーツを着用することなく、10時間以上かけてドーバー海峡を横断泳する人がいます。かつての人類が、日常的に10時間以上も水の中にいたとは思いませんが、現代人ですら極限的にその程度の能力があるなら、体温の問題は、水辺進化説の障害にはならないでしょう。
「頭を出して泳いでいた」とは限りませんし、そうは書きませんでした。実際、水底を歩くことも多かったと思います。なお、ヒトに近いボノボも、水底を歩くときは、二足歩行することが観察されています。
古人類の二足歩行のきっかけが、水辺での生活であるという仮説を実証しようとするならば、それが現生人類の直接の祖先かどうかとは無関係に考察されなければなりません。
現代の日本人の平均的な塩分摂取量は、1日11~12gグラム程度ですが、石器時代の人間の平均的な塩分摂取量は1日1.5グラム以下なのだそうです。今でも、アフリカの原住民は、動物の血からしか塩分を取っていないようだけれども、健康には問題はないようです。現代の日本人は塩分を取りすぎており、それは生活習慣病の原因の一つになっています。
例え、オープンブログだとはいえ、他人のサイドにおじゃまして、度の過ぎた批判をも仕上げ失礼しました
元、公務員です。公務員を辞めて、10年ぐらい企業経営をしました。経営を立て直したところで、65才で、退きました。進化理論の研究に没頭するためです。かっては、県体レベルの競泳選手で、水難救助員をしたり、水泳指導をしたり、アクアトレーニングを教えたりしました。66才でも、水に飛び込んだら、2000メートルぐらいはノンストップで泳ぎます。
論争につきましては、人類史の分野としては非常に良かったのではないかと思います。
サバンナにおける陸上進化説など、論議も受け付けない状態です。
「チンパンジーは脳容量が400cc前後なのに、人間は何故1350CCにふえたのですか」という質問をしたら、「助手が後で答えますから」と言われて答えてもらえませんでした。色々な論争は、活発にすべきだと思います。
自己のサイトで正面から答えて頂き、立派だと思います。
私が主張するシーシャトル理論について、どういう誤解を受けるかも、ひしひしと感じました。批判のご指摘は、大変ありがたいものです。今後の理論構築の糧にさせて頂きたいと思います。
論争の効果なのか、最近急に「松雲のブログ」のアクセス人数が増えてきて、皆さんの関心を呼び起こしたのではないかと思います。
水辺説のご主旨は理解できました。どうしても、主張は違うところがありますが、良い勉強になりました。企業などの会議での意見対立などに、慣れていないようで、水掛け論が中傷合戦になりかねませんので、この辺で、お仕舞いにさせていただきます。最後まで、主張するファイトを高く買います。大変有り難うございました。
淡水進化説が正しいと思う。ただし、淡水魚は悪い寄生虫をもっているから、火を通さないと食えない。類人猿から分岐したばかりのヒトが、火を使うことができたのだろうか。
ヒトとチンパンジーとは、遺伝子レベルでは99パーセント共通ときいたことがある。ということは、前者も後者も、知能はほぼ同じだと思う。ヒトの場合、出生後、家庭や学校で言語を使って教育していくから、チンパンジーと差がついていくだけじゃないかしら。淡水魚を摂取したことによって、知能が上がったわけではあるまい。
野生動物はみんな寄生虫がいる肉を加熱せずに平気で食べています。「類人猿から分岐したばかりのヒト」も野生動物ですから、同じことです。今の人類の常識を当てはめてはいけません。
ヒトの遺伝子数は、2万2287個で[Finishing the euchromatic sequence of the human genome]、1%でも200個程度だから少ないとは言えません。また遺伝子が同じでも、エピジェネティックな発現が異なることもあるので、後天的な要素も重要です。また、教育を受けなければ知的能力が向上しないという事実は、教育を受ける前のポテンシャルの違いを否定することにはなりません。
面白い説ですね!色々と考えさえられ、
今まで不思議に思っていた生物学の疑問の答えの参考になりそうです。
この記事に感謝します。
①なぜ女性の声は高くて、男性の声は低いのか?
水中では高い声のほうが振動しやすいから?
②なぜ人間は夜行性じゃないのか?
魚の多くが夜行性だとしたら、日中のほうが魚を捕まえやすいから?
③なぜぽっちゃり系の女性はモてるのか?
脂質が多いと水の中でも体温調整うまそうで、健康そうだから。
海女はなぜ女なのか、なぜなら脂質が多いから。
海での狩は女性のほうが得意だったのかもしれません。
④ビタミンCは水産物から取れないなら、フルーツを食べる必要がある。
⑤なぜ水の音は癒しの効果があるのか?
学者じゃありませんが、
この説はあってると思います。
生まれたての人間の子供は体脂肪率が高い
他の霊長類の赤ん坊はそこまで体脂肪率は高くないと感じています。
体脂肪率が高いと水に浮くことができます。
なので合ってると思います。
アクア説支持者です。
文明が海辺かつ大河があるところで起きたことを考えると、河川のある海辺で進化したと考えているものです。
今回の投稿は、淡水海水論をするためでは無く、関連情報を書き込みたかったからです。
「イルカの目を持つ人間の子どもたち。日々の大半を水中で暮らす海の遊牧民、モーケン族(タイ)」という話です。
以下、引用です。
目からアクア説の根拠を導き出すというのは面白いと思います。
霊長類における目の外部形態の適応的意味に関する研究
↑この研究ではヒトがとりわけ白目が白くて露出していることを言っていますが、白目の獲得についてはサバンナ生活によるという前提に立っているようです。
サバンナで目線がバレると不利になるので白目を着色するのとは逆の適応をしたヒトの祖先は、ある期間サバンナにいなかったと考えるべきなのではないかと思います。
アイコンタクトは、サル類では威嚇として働くけれども、大型霊長類では友好的なコミュニケーションとなる(JC Gómez. “Ostensive behavior in great apes: The role of eye contact” in Reaching into Thought: The Minds of the Great Apes 1996)ので、大型霊長類では視線を隠すために白目を回避する必要性はありません。また集団生活をする大型霊長類もヒトに限らないので、小林さんのこの説明は説得力に欠けます。
アクア説なら、「視線コミュニケーション能力にも大きなギャップが存在すること」がうまく説明できます。水陸両棲であっても、水に濡れるなら、嗅いやフェロモンによるコミュニケーションがうまくできなくなります。そこで嗅覚器や鋤鼻器を用いたコミュニケーション機能の衰えを補うように、視覚器や聴覚器を用いたコミュニケーション機能が発達したと考えるのです。