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ヒトは海辺で進化したのか

2002年10月1日

人間は、海中生活を送ることで、直立二足歩行や無毛性といった人間特有の性質を獲得したとエレイン・モーガンは言う。このアクア説は、学界ではほとんど支持されていないが、はたして正しいのだろうか。彼女の説を詳しく検討しよう。

Image by tsauquet from Pixabay
水辺のボノボ。コンゴで撮影[1]。チンパンジーとは異なり、ボノボは水を恐れない。

1. ヒトはいかにして類人猿から分かれたのか

1.1. イースト・サイド・ストーリーの破綻

ヒトはいかにして類人猿から分かれて人間となったのか。この進化論上の問いに対して答えを与える従来の学界の定説は、次のようなイースト・サイド・ストーリー(東側物語)と呼ばれるシナリオだった。

800万年前、アフリカ大陸を南北に縦貫する大地溝帯(二つの隆起帯に挟まれた溝状の地形)が形成され、地溝帯の西側では、大西洋から湿気を含んだ偏西風が吹くために、熱帯雨林が維持されたが、東側では、偏西風が隆起帯に阻まれて、雨が降らなくなり、サバンナとなった。その結果、西側では、ゴリラ、チンパンジー、ボノボなど、熱帯雨林に適応した類人猿が残存したが、東側にいた類人猿は、森を失い、草原で二足歩行の生活を余儀なくされた。この人類の祖先は、二足歩行によって自由になった二本の手で道具を使い、それによってサバンナの厳しい自然を生き延びた。また、直立二足歩行により、喉頭が下降して、それが人類に言語を話すことを可能にした。ヒトは、こうした道具の製作と言語の使用により脳を発達させ、高度に知的な動物となったというのである。

フランスの人類学者、イブ・コパンが、このイースト・サイド・ストーリーを提唱したのは、1982年であるが、その後明らかになった新しい知見により、この定説に多くの疑問が投げかけられるようになった。

まず、800万年前の地溝帯の隆起は小さく、大きく隆起したのは400万年前と考えられるようになった。これはヒトが二足歩行した600万年前よりも後のことであり、地溝帯形成をヒトが類人猿から分岐する原因と考えることには無理がある。またアフリカ東部の乾燥化は300万年前ごろから始まったが、完全にサバンナになったわけでなく、森林がかなり残存していたことも炭素同位体の分析からわかった。

他方、相次ぐ発掘成果により、二足歩行するヒトの最古の化石は、その記録を更新し続けている。コパンは、320万年前のアファール猿人(アウストラルピテクス・アファレンシス)の発見者で、この化石がヒッパリオンなど草原の動物化石と一緒に発見されたことから、ヒトは草原で進化したと考えるようになった。ところが、ケニアで発見されたミレニアム・アンセスター(オロリン・ツゲネンシス)やエチオピアで発見されたラミダス猿人の亜種(アルディピテクス・ラミダス・カダバ)など、500-600万年前の、すでに直立二足歩行していたヒトの化石は、当時森林に住んでいた動物と一緒に発見されたため、草原進化説は疑わしくなった。

そして、2002年に、イースト・サイド・ストーリーに深刻な打撃を与える発見があった。「ウェスト・サイド」である中央アフリカのチャドで、600-700万年前と推定される猿人の化石が発見されたのである。この猿人は、トゥーマイ(サヘラントロプス・チャデンシス)と名付けられた。頭骨から背骨につながる孔の位置から直立二足歩行をしていたことが分かり、また、顔の特徴から、絶滅した傍系ではなく、ヒト属の直系の祖先である可能性が高いとのことである。今でこそチャドにはサハラ砂漠が広がっているが、トゥーマイが発見された場所は、当時、現在の約80倍も大きかったチャド湖の湖岸で、魚やワニの化石が一緒に発掘されたことから、かなり湿潤な地域だったと考えられる。

トゥーマイの発見は古生物学の常識を覆すものだったために、いまだにそれが古人類であることを認めようとしない人もいて、論争が続いている。

現地で使われているゴラン語で「トゥーマイ」(生命の希望)というアダ名がつけられたこの化石は2002年に中仏のポワチエ大学のミシェル・ブリュネ氏らのチームが発見を公表していた。しかし人類発祥の地とされてきた「大地溝帯」のエチオピア、ケニア両国は「まさか」と驚きを表明した。発見現場は大地溝帯から2500キロも離れている。陰険な競争が展開されている古生物学界でも強い反論が出ている。批判派は、頭骨が押しつぶされたような形をしており、脳の容積が小さいなどと主張し、「ただのサル」だと断定していた。

スイス人の人類学者クリストフ・ツォリコファー氏らトゥーマイ支持派はネイチャーの論文で、3次元コンピューターによってトゥーマイの頭部を復元したことを明らかにするとともに、復元頭骨の角度と脳の容積から見て明らかにヒトであり、類人猿ではないと主張した。頭骨の構造は、トゥーマイが直立2足歩行が可能だったという。

ブリュネ氏もネイチャーの別の論文で、トゥーマイの新たな歯の化石とアゴ骨の一部を発見したと報告し、サルとは重要な違いがあるとして自説の正しさを強調した。[2]

ただ、提唱者のイブ・コパン自身は、2003年2月に、「イースト・サイド・ストーリー」を自ら撤回した[3]。イースト・サイド・ストーリーは、人類の起源を説明する定説としては、破綻したと考えてよい。

1.2. アクア説の台頭

今では、多くの古人類学者は、ヒトは、森林から追放されて二足歩行をしたのではなく、森林の中に住んでいる時に、おそらく枝にぶら下がって背筋を伸ばすなどの方法で直立の訓練をし、やがて食べ物を運ぶために二足歩行をするようになったのではないかと考えている。サバンナの熱い大地から脳を遠ざけるために、ヒトは直立二足歩行をし、体毛を失ったとする学説もある。しかし、もしそのような効用があるのならば、乾燥地域に進出したサバンナモンキーやパタスモンキーはなぜ直立二足歩行をしたり、体毛を失ったりしなかったのか。

サバンナ説に代って、近年注目を浴びている仮説に、ヒトは、かつて半水中生活を送っていたために、チンパンジーとは別の進化の道をたどることになったと主張するアクア説がある。アクア説は、1924年にドイツの生物学者マックス・ヴェステンホファーによって、さらに1968年にイギリスの動物学者アリスター・ハーディによって提唱され、その後、エレイン・モーガンの著作活動により、世間に広く知られるようになった。

モーガンは、オックスフォード大学で英文学を専攻したシナリオ・ライターで、そのためなのか、権威ある肩書きを持つ専門家は、彼女が考えた「シナリオ」を受け入れようとはしない。しかし、第三者的な視点で見ると、伝統的な草原進化説に部分的な修正を加えるだけでなんとか乗り切ろうとする学界主流派の陸上進化説よりも、彼女の大胆な水中進化説の方が魅力がある。

ただし、彼女の議論には、部分的に間違いもあるので、次に、アクア説の根拠を一つずつ検討しながら、本当にアクア説が正しいかどうかを考えてみよう。

2. アクア説の根拠の検討

2.1. 二足歩行

二足歩行する動物は人間だけではない。恐竜とその子孫である鳥類、および哺乳類ではカンガルーなどが二足歩行をする。

しかし彼らは、背骨を地面に垂直にして前進するわけではない。彼らの全体重は、着地点である足の周囲にまんべんなくかかる。そのせいで彼らは、ちょうどサーカスの綱渡り芸人が長い棒を持ってバランスをよくするような方法で、人間よりも大きな安定性を手に入れる。[4]

二足歩行は人間を十分に特徴づけない。しっぽのない二足歩行こそが人間の特徴なのである。人間以外の二足歩行の動物は、ペンギンのようなわずかな例外を除いて、しっぽを使うことで、背骨と脚を“T”の字の関係にすることができる。だから“Π”字型で四足歩行をする動物の場合と同様に、背骨は地面に対して水平となる。人間の場合、背骨が地面に対して垂直であり、そのため、椎間板への負担が大きく、腰痛やヘルニアなどの原因となる。

エネルギー効率に関しても、四足獣の四足歩行は、人間の二足歩行よりも良い。ロッドマンらによると、人間の二足歩行は、体の大きさを考慮に入れるならば、チンパンジーのナックルウォーキングよりもエネルギー消費量がおおよそ三分の一ほど少ない[5]とのことだが、樹上で生活するチンパンジーと平地で生活する人間とを比べるのはフェアではない。チンパンジーのナックルウォーキングは、おそらく、チンパンジーの直立二足歩行よりもエネルギー効率がよいだろう。人類の祖先も、初めから直立二足歩行を、現在のようにうまくできたわけではない。

ゴリラやチンパンジーは、椎間板への負担が大きい直立二足歩行をあえて日常的に行うことはしない。木にぶら下がっていると、直立にはなるが、椎間板への負担逆に小さくなるので、直立ぶら下がりと直立二足歩行では雲泥の差がある。では、なぜ人間は、椎間板への負担という犠牲を払ってまでも、しっぽのない二足歩行を行ったのか。それは、人間が、浮力の働く水中で生活を始めたからであるとモーガンは考える。

首まで水につかっている状態では、直立姿勢をとっても背骨にはほとんど負担がかからない。浮力があるので腰椎に余分な体重がかかることはなく、椎間板が垂直方向に圧迫されることもないのである。[6]

類人猿は、他の霊長類と異なって、しっぽがない。他の霊長類は、木の上でバランスを取るためにしっぽを必要としたが、我々の祖先は、木にぶら下がっていたために、バランスをとるためのしっぽが不要だった。また木にぶら下がっていたことで、直立歩行に向けての前適応がなされた。しっぽのない二足歩行という人間の特徴は、木にぶら下がる生活から、水中生活へと移行する中で獲得された形質と考えることができる。逆に言うと、樹上での前適応を経なかった四足動物は、水中生活を始めても、直立二足歩行をすることはなかったということである。

陸上進化説による直立二足歩行の説明としては、オーウェン・ラヴジョイの説が有名である。人間の乳児は無力で、繁殖に時間がかかる。だから、オスがメスのために食事を運ばなければならない。そして、オスは、手で食べ物を運ぶために二足歩行を始めたというのである[7]。しかし、当時のヒトの乳児はチンパンジーと同じぐらい早く親離れしていたから、繁殖にそれほど時間はかからなかった。500万年前から人間の女は専業主婦をやっていたというラヴジョイの想像は、時代錯誤である。

そもそも、チンパンジーが物を運ぶ時は、四肢すべてを使って食料をナックル歩行で運ぶのが普通である。手を二本使って食べ物を持ち上げることもしないことはないが、そうした不自然な格好は、食べ物を仲間に奪われないようにするための示威行為と考えられる。なお、類人猿やサルは、浅瀬を渡る時、四足歩行では鼻に水が入るので、二足歩行することが確かめられている。特にボノボは、チンパンジーとは異なって、水中に入ることを好むので、陸上でも二足歩行が得意である。この事実は、人間の直立二足歩行の起源を考える上で参考になる。

2.2. 非常に短い体毛

人間の体毛は、頭の上など一部の部分の毛を除いて、ないに等しいぐらい短い。哺乳類で、人間のような裸の動物はそれほど多くはない。

現存するほぼすべての裸の哺乳類は、程度の差はあっても、水生である。例外は、地表に決して現れることのないハダカデバネズミと厚皮動物とかつて呼ばれた動物たちと人間である。[8]

モーガンは、こう言った上で、ゾウやサイといった大型の厚皮動物の無毛性まで、水中生活で説明しようとするが、これは間違いで、熱帯地方に住む1トン以上の動物は、放熱のために無毛とならなければならない。人間が裸になったのは、体が比較的大きくて、かつ、水辺での生活に適応したからである。

毛がないほうが寄生虫に集られないので、性選択で好まれると説明する人もいるが、それならば、なぜヒトは頭部には、しらみがわきやすいように毛を残したのかが説明できない。

水辺を離れた後は、汗をかくことで、無毛ゆえの皮膚の乾燥と高温化という問題を解決した。私たちが広い意味で汗と呼んでいるものには、アポクリン腺から出てくる汗と、エクリン腺から出てくる汗の二種類があるが、冷却用に使われるのは、アポクリン腺から出てくる汗の方である。エクリン腺は、高等動物にしかなく、ヒトやパタスモンキー以外の動物では足の裏にしかない。霊長類は、この汗を滑り止めに使っている。私たちが緊張すると汗をかくのはそのときの名残である。

発汗冷却を効果的にするために、人間は裸になったと主張する人もいるが、これは正しくない。むしろ毛皮があった方が、発汗冷却の効果は大きい。

もしも毛皮が汗の蒸発を妨げないならば、蒸気は、滑らかな肌からよりも、毛皮からの方が二倍も速く蒸発するということがわかった。[9]

パタスモンキーも、暑い環境で生きるために、エクリン腺から汗を流して体温を下げるが、人間のように裸ではない。馬もまた、走って体温が上昇すると、アポクリン腺から大量の汗を出して、体温を下げるが、体毛を失っていない。しかし、だからといって、裸になったから発汗冷却を始めたという逆の命題までが偽になるわけではない。人は、馬とは違って、運動していない時でも、太陽光線を浴びると、皮膚の温度上昇と乾燥化を防ぐために、汗をかかなければならない。

つまり、汗をかくことと裸であることの因果関係は、巷の通年とは逆であるということである。人間は汗をかくために裸になる必要はなかった。人間は、暑い太陽のもとで裸だからだからこそ、パタスモンキーよりもさらにいっそう大量に汗をかかなければならなかったのだ。[10]

2.3. 毛流

ヒトは他の類人猿とは異なって、体毛が生えている方向が重力方向、つまり、雨にぬれた時、水が滴り落ちる方向と一致しない。背中の毛流は、胴体と並行ではない。また胸の毛流は、胸から放射状に流れている。黙流せず、泳いだ時に体の周りにできる水流の方向に一致している。この二つの特徴は、アリスター・ハーディが既に注目していた事実である。

頭を水面の上に突き出し、平泳ぎのような形で泳いでいるホミニドでは、体の周りの水流が、ホモサピエンスに見出されるこれら二つの変則的な毛流によって示される流れとぴったり一致するというハーディの考察は、的を得ているように思える。[11]

頭だけ出していたからこそ、人の頭には、太陽光線を遮断するために毛がたくさん残ったと考えることができる。

2.4. 皮下脂肪

ヒトは他の類人猿とは異なって、皮下脂肪が発達している。皮下脂肪が発達しているのは、冬眠する動物か水生動物かのどちらかであるが、人間の場合前者は考えられない。皮下脂肪は、水生動物においては、退化した体毛に代わって断熱材の働きをし、また浮力を増す。

皮下脂肪の割合は、生後数年で下がるが、思春期になると増え始め、成人ではさらに増える。女性よりも男性のほうが皮下脂肪多いので、この格差は、性選択の結果だと言って、アクア説を批判する人もいる。

これらの人間の脂肪の特徴を水生適応のためとするには、私たちは、赤ん坊の時には水生で、子供の時には水生ではなくなり、思春期には再び水生となり、年をとるとさらにいっそう水生ということになる。そして、思春期以降に限ってであるが、女性は男性よりもさらにいっそう水生であるということになるだろう。このようなことは水中適応としては不可解であり、性選択の結果発達した特徴と考えるなら、完全に納得がいく。[12]

もしも皮下脂肪が性選択の結果ならば、どうして生殖機能のない赤ん坊が太るのかが説明できない。アクア説で、皮下脂肪の違いを説明しよう。赤ん坊は、子供と違って、陸上で二足歩行ができないので、水中で浮いている必要がある。女は、思春期以降、水中で漁をしたり、水中出産をしたり、水中で赤ん坊を育てたりするので、特に皮下脂肪が発達する。

こう言うと、読者の中には、網や釣り針のない時代にどうやって、人間は漁ができたのかと首をかしげる人もいるだろう。しかし、現代でも、素手で魚を取る人々がいる。例えば、フィジーの女は、次のような追い込み漁をしている。

FIJIANの女性は体格もよく働き者。島での彼女らの漁は追い込み漁である。水面を棒でたたき浅瀬に魚を追い込んで素手で捕まえ頭を噛んで気絶させる。[13]

これに対して、男は、女よりも脂肪が少なく、毛深いことから考えても、陸上で食料を採取することが多かったのではないだろうか。

どうやら、特に水の中にいたのは、思春期以降の女性と赤ん坊のようだ。これは、出産と子育てが、水の中で行われていたためであろう。ヒトの出産メカニズムは、水中で行うようにできている。水中出産なら、女性は、他人の手を借りずに、一人で子供を産むことができる。ヒトの赤ん坊は皮下脂肪が極めて多く、産まれてすぐ水中に入れられても浮くので、溺れることはない。それどころか、誰からも教わることなく水泳や息継ぎをする。水中は、人手のかからない保育園だったわけである。

2.5. 月経の周期

ヒトが水中出産を行ったと考えるもう一つの根拠は、月経周期が、月の満ち欠けの周期(朔望周期)と同じで、29.5日であるということである。水生動物は、陸生動物とは異なって、生理が朔望周期とシンクロナイズしていて、満月や新月の日、つまり月と太陽の引力の相乗効果で大潮になる時に産卵することが多い。人間も、陸上で出産する現在でもなお、満月/新月の日により多く出産することが統計的に確かめられている。これは、かつて、満潮の時に出産していた習慣の名残ではないだろうか。

2.6. 正常位の交尾

人間は、対面位のセックスを正常位と呼ぶが、自然界では、正常な体位は、対面位ではなくて、後背位である。

陸生哺乳類には極めて珍しい対面セックスも、水生の哺乳類ではごく一般的に見られることだ(ただし陸に上がって繁殖する仲間は、この限りではない)。クジラやイルカ、ジュゴンやマナティー、それにビーバーやラッコも、腹と腹を向き合わせて対面セックスを行う。[14]

ラッコが「腹と腹を向き合わせて対面セックスを行う」というのは、間違いで、水の中でも、後背位で交尾を行う。オスのラッコはメスのラッコの鼻を噛んで、メスを仰向けにさせて交尾する。これはメスのホルモンの分泌を促すためと言われているが、メスが溺れないようにするための工夫かもしれない。

水生動物でなくても、オランウータンのように、樹上で空中交尾を行う霊長類は、水中で交尾する時と同じような環境となるので、対面位で交尾する。アカクモザルやテナガザルなどが対面位で交尾するのも、おそらく同じ理由によるものと思われる。このように、例外はあるものの、人間が対面位でセックスすることは、水中への適応の名残と考えることができる。

2.7. 流線型の体

哺乳類は、水中に適応すると、体が流線型になる。

多くの水生哺乳類では、おそらく体を流線型にするために、外部器官を体の内に引っ込め、覆ってしまう傾向がある。[15]

モーガンによれば、女性が性器を奥に引っ込め、処女膜で覆っているのは、体を流線型にするためである。しかし、処女膜は、キツネザル、ハイエナ、馬、モグラ、クジラなど、様々な動物にあり、水中適応とは関係がない。

人間の耳たぶは突出しているが、これは、人間が顔を水中に沈めることはあまりなかったである。完全に水中に適応した哺乳類は、脚を失う傾向にあるが、人間は、水の中を泳ぐよりも、歩くことの方が多かっただろうから、フラミンゴのように長い脚は必要だったし、ひれは不要だった。

2.8. 言語能力

ヒトは他の類人猿とは異なって、複雑な言語を話す。そのためには、喉頭の下降と吸気の抑制が必要である。喉頭が下降すると、飲食物が気管に混入する恐れがあるので、通常の哺乳動物の喉頭は高い位置にある。ところが、ヒトは、水泳の息継ぎの際、鼻と口の両方から瞬間的に大量の吸気ができるように、喉頭の位置を下降させた。そして、喉頭が下降したヒトは口でも呼気できるので、口と鼻でさまざまな音を出すことができる。また音を出している間、吸気できないので、複雑な言語を話すには、吸気時期を自分の意思で延長する能力が必要だが、ヒトはこの能力を、水中に潜ることで獲得した。モーガンは、そう主張する。

随意の呼吸制御(話すための必要条件)と後退した咽喉(それによって発声可能な音の範囲と種類が増える)の両方が、類人猿と分岐した最初期の段階で現れ、かつ、それらが水と関係があるという仮説には、無理がないように思われる。[16]

しかし、この仮説は正しくない。喉頭の位置が下がったのは、ホモ・エレクトゥスの時代になってから、つまり、人類が陸上で生活を始めてからのことである。また呼吸を自分の意識でコントロールすることは、他の霊長類や犬にもできることであり、これも水中生活への適応とは関係がない。

モーガンは、咽頭の後退と乳幼児突然死症候群を結び付けようとする。

生後三ヶ月から四ヶ月頃になると、喉頭は口蓋から離れ、後退を始める。[…]この月例はちょうど乳幼児突然死症候群(SIDS)の発生がいちばん多い時期でもある。[17]

個体発生が系統発生を繰り返す。胎児は、羊水の中でではなくて、羊水の中から出て、咽頭を後退させる。水辺から出たホモ族は、咽頭を後退させ、言語を発達させ、世界中に進出して行った。またこの頃、咽頭を後退させることのなかったアウストラロピテクス族が絶滅した。咽頭を後退させ、新しい呼吸方法を確立する時期に、それができない乳幼児が突然死する時期と重なっている。

human-aquatic-adaptations
アクア説の根拠をまとめたパネル[18]。リンクをクリックすることで詳細を見ることができます。

3. 海中進化説から淡水進化説へ

3.1. 人類揺籃の地はアファールか

モーガンのアクア説で、賛成できない点が一つある。それは、彼女が、ヒトが海辺で進化したと考えている点である。モーガンは、内陸の湖では、霊長類の一群が取り残されるような急激な増水は起こらないとして、人類発祥の地は、アファール三角地帯と呼ばれる、エチオピアの紅海沿岸にあるハダール付近ではないかと推測している。

ルーシーの発見以来、ハダールは人類揺籃の地である可能性が強まってきた。[19]

その根拠は、この本が書かれた当時、最古の猿人の化石がこの地域付近で発見されたことと、中新世に干上がっていた紅海に、中新世の終わりの500万年前頃、海水が流れ込み、アファール三角地帯が孤島になったことである。

しかし、人類の起源を考えようとするならば、アファール三角地帯にこだわるべきではない。2001年3月に、ケニアントロプス・プラティオプスの化石がトゥルカナ湖で発見されたが、この化石は、アウストラロピテクス・アファレンシスとほぼ同時代の化石とされるが、それよりも現生人類に近い特徴を持っていた。だから、今日、アウストラロピテクス・アファレンシスは、人類の直系祖先とは考えられていない。

3.2. 海辺では水分の補給は困難である

ケニアやチャドでより古い猿人の化石が見つかったことで、モーガンがアファール三角地帯の仮説を放棄したのかどうか知らないが、化石に関する実証的問題とは別に、海辺進化説には、理論的な問題があると私は思う。海辺では水分の補給が困難だという問題である。喉が渇いているからといって、海水を飲むと、海水の塩分濃度は人間の体液より高いので、浸透圧によりかえって水分が失われてしまう。

モーガン自身が指摘しているように、ヒトほど水を浪費する、つまり常時大量に水を吸収し、排出している陸生哺乳動物はいないので、水が手に入りにくい環境で進化したとは考えにくい。これは、たんに草原進化説に対する批判として使えるだけでなく、モーガン自身の海中進化説にも使える。そこでモーガンは、ヒトが大量に流す涙と汗には、海水を飲むことによって増大する塩分を排出する機能があったと主張した。しかし、海水を飲むことによって増大する塩分を、涙を流すことによって排出しているのは、鳥類や爬虫類であり、水生哺乳類である「厚皮動物」にはそのような機能がない。また、サバンナに住むパタスモンキーも、水生動物ではないのにもかかわらず、ヒトほど大量ではないにしても、かなりの量の塩と水の汗をエクリン腺から流している。このため、モーガンは、汗と涙に関する自分の仮説が間違いであることを表明した[20]

このことは、アクア説の破綻を意味しない。破綻しているのは、海辺進化説の方である。類人猿から分岐したばかりのヒトは、淡水の湖沼や川の浅瀬に住んでいたと考えれば、何も問題はない。現時点で最古のヒトの化石であるトゥーマイは、淡水湖であるチャド湖の湖畔で発見された。もちろん、塩湖や海の近くで発見された猿人の化石もある。しかし、その場合でも、ヒトが住んでいたのは、塩水ではなく、塩湖や海に注ぎ込む川に住んでいたと考えることができる。

初期人類がアフリカ地溝帯沿いの淡水湖で、淡水魚を食べていたと推測できる根拠が一つある。人間の脳の成長には、オメガ3脂肪酸の摂取が必要なのだが、これらの湖のアルカリ淡水にすむ魚のドコサヘキサエン酸(DHA)とアラキドン酸の比率は、他のどんな食物のそれよりも、人間の脳のリン脂質の比率に近い。現在、EPAとDHAが、健康食品の分野でブームになっているが、両者とも人間の体内で合成できない必須脂肪酸で、主として魚の脂肪から摂取されている。この事実もまた、私たちの祖先が、食糧を魚に依存していたことを示している。

3.3. なぜ人類はアフリカに留まり続けたのか

海辺進化説には、もうひとつ難点がある。なぜヒトは、せっかく水中生活に適応したにもかかわらず、敢えて水辺を捨てて、乾燥した陸地に住むようになったのかが説明できないという点である。モーガンは、ヒトが住んでいた海は、乾燥化によってすべてアフリカの内陸湖となり、しかもその塩湖は、干上がって塩辛くなりすぎたので、ヒトは陸上生活を余儀なくされたと説明する。海は、濃縮しなくてもヒトにとって十分塩辛すぎるという点は措くとして、海辺に住むことができるようになったヒトが、なぜ長年アフリカ内陸の海にしかいなかったのかは、きわめて疑問である。ヒトが淡水に生息していたとするのなら、なぜ初期人類がアフリカから脱出するのに長い年月を要したのかを説明できる。

もしヒトが内陸湖や川のほとりに住んでいたとするならば、300万年前から始まった乾燥化で水が干上がってしまい、陸上生活を強いられるというシナリオを想定することができる。完全に干上がらなくても、面積が狭くなると競争が激しくなるので、水辺を放棄せざるを得ない個体が出てくる。だが、モーガンが人類発祥の地と想定するアファール三角地帯は、インド洋に接しているので、乾燥化に伴って海岸線が後退しても、生息可能な海辺は依然豊富に存在するわけだから、海辺での生活を放棄しなければならない必然性は何もない。

3.4. 淡水への進出は類人猿の適応放散である

もっとも、逆に、淡水進化説では、なぜヒトが水中で生活し始めたかを説明できないのではないかとモーガンなら反論するかもしれない。500(700?)万年前、ヒトはチンパンジーとの共通の祖先から分岐したとされるが、チンパンジーは水を恐れて、水には入らないということになっている。だが、最近 Discovery Channel の番組の映像で確認したことなのだが、実際には、野生のチンパンジーの中にも水中に実験的に入ってみるものもいる。水辺が、魚や水草など食料が豊富で、それでいて未だ他の霊長類が進出していないニッチであることに気がついた類人猿の一種が、水辺へと適応放散していったことは想像に難くない。

4. 追記(2005年5月14日)

アメリカの大学院で心理学を学んでいる綺麗山さんによる「人類水生進化説(アクア説) | しんりの手 :psych NOTe (米国心理学部院から)」に対するコメント。

人類は水生生物と似た性質を持っていて、サルは持っていない、はざっとこんな点だ。
①体毛の喪失。②皮下に脂肪がある。③処女膜を保有。④脂肪分泌の多さ。⑤鼻毛の損失。⑥意識的に呼吸を制御できる。⑦汗による体温の制御。⑧(水中での息継ぎを意識的に制御するための)喉頭の下降。[21]

このうち「処女膜を保有」「意識的に呼吸を制御できる」「喉頭の下降」は、たぶん水中生活とは関係がないと私は思います。また「汗による体温の制御」は、体毛を失った結果で、水中生活に適応するためではありません。モーガンは「鼻毛の損失」について語っていたでしょうか。そもそも人は、鼻毛を失っていないと思うのですけれども。

局所での変化。変化というのは局所的なものの方がより簡単に起こる。例えば国全体を変えるのは難しいけど、村一つならより簡単に変えられる。進化(種の変化)でも世界中に散らばったその種を変化させるにはより多くの世代の交配を必要とするけれど、一地域の変化ならより少ない世代の交配で変化が完了する。アクア説の提唱者のモーガンはこのヒトへの変化がアフリカのある隔離された地域で短期に起こったと考えている。[22]

私たちの祖先の一部がヒトとなり、他はチンパンジーになったのだから、進化が種全体で起きたのではないのは、当然ではないでしょうか。モーガンの主張のポイントは、ヒトは自発的に水の中に入っていったのではなくて、アファール三角地帯での洪水により、やむをえず水の中で生活をしなければならなくなったというところにあるのだと思います。

なお、アクア説を批判するサイトとして、Jim Moore さんによる“Aquatic Ape Theory (AAT): Sink or Swim?”というサイトがあります。私は、これを読んでかなり刺激を受け、“The Aquatic Ape Hypothesis”と“The Scars of Evolution ”を読み直しました。その結果、モーガンが言っていることには、かなり間違いがあることに気づきましたが、それでも水中進化説は正しいと今でも思っています。なお、これを機会に、「ヒトは海辺で進化したのか」を書き直しました。

5. 読書案内

モーガンが『女の由来』(1972年)『人は海辺で進化した』(1982年)『進化の傷あと』(1990年)『子宮の中のエイリアン』(1994年)『人類の起源論争』(1997年)という一連の著作で主張してきたアクア説は、大きな反響と論争を呼び起こしました。私は、全部読みましたが、彼女の主張を知るには、『進化の傷あと』と『人類の起源論争』だけで十分だと思いました。前者は最も詳細なアクア説の説明で、後者はモーガンの最新理論です。

英語ができる人は、原書で読みましょう。

6. 参照情報

  1. tsauquet. “LOLA YA BONOBO.” Created on Aug. 8, 2016. Uploaded on March 16, 2017. Licensed under CC-0.
  2. goo ニュース. “チャドで発見の化石は最古の人類か=しかし根強い「ただのサル」説 (時事通信)” 2005/04/07.
  3. Yves Coppens. «L’East Side Story n’existe plus» in La Recherche février 2003.
  4. “But they do not proceed with their spines perpendicular; their total body weight is equally and fairly widely distributed around the point where their feet touch the ground. This gives them much greater stability, rather as a tight-rope walker improves his equilibrium by equipping himself with a long balancing pole.” Elaine Morgan. The Scars of Evolution. p.26.
  5. Rodman, Peter S., and Henry M. McHenry. “Bioenergetics and the origin of hominid bipedalism." American Journal of Physical Anthropology 52, no. 1 (1980): 103-106.
  6. “Erect posture imposes no strain on the spine under conditions of head-out immersion in water. There is no added weight on the lumbar vertebrae. The discs are not vertically compressed.” Elaine Morgan. The Scars of Evolution. p.47.
  7. Lovejoy, C. Owen. “The origin of man." Science 211, no. 4480 (1981): 341-350.
  8. “Nearly all extant naked mammals are in some degree aquatic. The exception are the naked Somalian mole rat which never comes to surface; the group of animals which used to be called as pachyderms; and humans” Elaine Morgan. The Aquatic Ape Hypothesis. p.79.
  9. “It has been found that moisture evaporates twice as fast from fur as from smooth surface, providing that fur does not prevent the evaporation of sweet.” Vladimir Evgen’Evich. Sokolov. Mammal Skin. Univ of California Pr (1983/7/1). p.578.
  10. “It means that the causal connection between the sweating and the nakedness was the reverse of the one which has been commonly canvassed. They did not have to become naked because they were sweating. They had to sweat profusely – even more profusely than the patas – because they were naked under a hot sun.” Elaine Morgan. The Aquatic Ape Hypothesis. p.122.
  11. “It seems a legitimate speculation by Hardy that in a swimming hominid holding its head above water and performing some approximation to a breaststroke, the water following around the body would follow precisely the course indicated by these two anomalous hair tracts found in Homo sapiens.” Elaine Morgan. The Aquatic Ape Hypothesis. p.157.
  12. “For these human fat characteristics to be due to an aquatic adaptation, we would have to be aquatic as babies, non-aquatic as children, aquatic again in puberty, and even more aquatic in our old age. And females would have to be far more aquatic than males, but only from puberty on. It just doesn’t make sense as an aquatic adaptation, but it makes perfect sense as a feature developed as a result of sexual selection.” Jim Moore. “Aquatic Ape Theory, Sink or Swim?, Fat” .
  13. 廿日市市国際交流協会会報.「Blossom はつかいち」2004年6月号.
  14. “Ventro-ventral copulation, very rare in land mammals, is the commonest mode in aquatic mammals except for those which go ashore to breed. Whales and dolphins, dugons and manatees, beavers, and sea otters are among the numerous aquatic species which mate face to face.” Elaine Morgan. The Scars of Evolution. p.151.
  15. “In many aquatic mammals there is a tendency for external organs to be retracted within the body wall and covered up, possibly for purposes of streamlining.” Elaine Morgan. The Aquatic Ape Hypothesis. p.152.
  16. “It seems a tenable hypothesis that voluntary breath control (the prerequisite of speech) and the descended larynx (which increased the range and variety of sounds it was possible to make) both emerged in the earliest stages of separate hominid evolution and had something to do with water.” Elaine Morgan. The Aquatic Ape Hypothesis. p.147.
  17. “Some time between the third and sixth months after birth, the larynx loses contact with the palate and begins to descend. […] This period coincides with the peak incidence of Sudden Infant Death Syndrome (SIDS).” Elaine Morgan. The Scars of Evolution. p.130.
  18. Possible aquatic adaptations in human – Arguments for the aquatic ape hypothesis and related water-based models" by Chakazul. Licensed under CC-BY-SA.
  19. “[…] ever since the discovery of Lucy, Hadar has had a strong claim to be regarded as the possible cradle of mankind.” Elaine Morgan. The Aquatic Ape Hypothesis. p.174.
  20. Elaine Morgan. The Aquatic Ape Hypothesis. 10. Sweat and Tears. p.102ff.
  21. 人類水生進化説(アクア説) | しんりの手 :psych NOTe (米国心理学部院から).
  22. 人類水生進化説(アクア説) | しんりの手 :psych NOTe (米国心理学部院から).