11月 242005
 

大学教員の日常・非日常:余ったポスドクで大本営発表」に対するコメント。問題提起を受けて、科学ジャーナリストを大学院で育成することの是非について論じます。

image
2010年3月まで科学技術振興調整費で運営されてきた北海道大学の科学技術コミュニケーター養成ユニットは、その後、高等教育推進機構、高等教育研究部に設置されている科学技術コミュニケーション教育研究部門となった。”北海道大学俯瞰図” by 欅 is licensed under CC-BY-SA

金を出すスポンサーが政府であれ民間企業であれ何であれ、書き手は、仕事を失いたくないのなら、スポンサーに配慮せざるをえません。当然のことながら、その言説にはバイアスがかかります。

もっとも、たとえスポンサーから支援を受けていない場合でも、人間にはそれぞれ利害がありますから、本人が意識しているかどうかは別として、いかなる作家の言説もポジショントークであることを免れることはできません。

ただ、様々なバイアスのかかった言説が流布すると、情報の消費者は、どれが正しいかを自分の頭で考えるようになるので、特定イデオロギーで大衆全体を洗脳することが難しくなります。これが自由主義社会が取っている方法です。

いかなる権力からも自由な、客観的で公平無私な言説などというものは、存在しません。ですから、言説にバイアスがかかっていること自体が問題なのではなくて、特定のバイアスがかかった言説ばかりが増えることが問題なのです。

それゆえ、政府から金をもらっている科学ジャーナリストばかりが増えるという事態は、好ましくないと私は考えます。政府から独立した、多様な考えを持ったジャーナリストが在野に多数存在する方が望ましいでしょう。さもないと、科学技術の国家プロジェクトを批判する科学ジャーナリストがいなくなってしまいます。

大本営発表というからには報道の統制を考えているのだろうが洗脳した記者を各新聞社の科学部に配置してとかそんな馬鹿げたことはありえない。独裁国家並の言論統制社会ならば、かつてのソ連のルイセンコ事件のように不可能でもなかろうが今の日本ではあまりに非現実的な考え方ではないだろうか。CoSTEPの教員や生徒、各マスコミを非常に馬鹿にした論理だと思う。

多分、この人は、国家と大学あるいは、国家と個人という関係だけで権力関係を考えているのでしょうが、私は、日本の場合、むしろ大学内部の権力関係に大きな問題があると思っています。日本の大学で、若手が教授を公然と批判する自由がどの程度あるでしょうか。多くの若手は、保身のために、自分の教授を批判しません。これも立派な言論統制です。日本のアカデミズムでは、師弟関係を媒介とした間接支配が行われているのです。

納税者が、自分たちの税金を使って行われた科学研究の成果を知りたいと思うことは当然であり、その媒介役としてサイエンスライターが必要だと政府が判断は間違っていないと思います。ただ、特定のサイエンスライターに税金を使うというやり方は不公平です。同じ税金を使うにしても、学会論文をネットで無料で閲覧できるようにして、すべてのサイエンスライターの経費を引き下げるなど、公平な支援策を打ち出すべきです。

追記(1)科学ジャーナリスト養成大学院の是非

幻影随想: 永井氏から返事が来たのだが」に対するコメント。「政府は科学ジャーナリストに金を出すべきか」に対する黒影さんの反論に答えます。

黒影さんは、私が「余剰博士の就職について」で、現時点での CoSTEP の批判をしていると勘違いしているようですが、そこで私が批判しているのは、あくまでも、科学ジャーナリストを育てる大学院を作ることです。CoSTEP の話を持ち出してきたのは、「大学教員の日常・非日常:余ったポスドクで大本営発表」であって、私ではありません。

ただし、私は公教育不要論の立場をとっているので、CoSTEP のような研修プログラムは、反対です。しかし、これはまた別の議論になります。私の公教育不要論に関しては「公教育は本当に必要なのか」をご覧ください。

将来的にどうなるかは知らないが、現在のところCoSTEPは無料の公開講座である。基本的に希望者は誰でも参加することが出来る。参加者はそこで科学技術コミュニケーターの何たるかを学ぶことが出来るが、参加したからといって国から仕事を紹介して貰えるわけでもなければ金を貰えるわけでもない。講義の費用が国持ちだという点では広義のスポンサーと言えない事もないかもしれないが、別に受講する側はそれで国に対して何か義務を負うわけでもない。

文部科学省のウェブサイトに掲載されている“平成17年度文部科学省「科学技術振興調整費」における科学技術理解増進関係の採択課題等”では、北海道大学の「科学技術コミュニケーター養成ユニット」の構想として、次のように書かれています。

(1) 人材養成開始3年後の目標

コミュニケーター・コースでは,15単位相当(半年~1年程度)のコースに,研究機関や民間企業,自治体,NPO等から人材を受け入れ(15~20名),修了後は,それぞれのフィールドでのコミュニケーション活動において主導的な役割をはたせる人材に育てる。

研究者コースでは,修士約5名,博士約1名を輩出する。また,ポスドク等を研究院として3~5名採用し,世界水準の研究・教育者に養成する。いずれも,研究・教育機関や科学館等に供給する。

(2) 人材養成開始5年後の目標

コミュニケーター・コースでは,50名以上の人材を輩出する。

研究者コースでは,修士約10名,博士約3名を輩出し,関係機関に供給する。

「コミュニケーター・コース」は、学位を出さないたんなる研修だから、「余剰博士の就職について」の批判の対象外です。しかし、「研究者コース」はどうでしょうか。「ポスドク等を研究院として3~5名採用」ということであれば、科学ジャーナリストが、国から金をもらって、仕事をするというような事態も起きるでしょう。

5年後の目標として、研究者コースの修了者を関係機関に供給するというのがあるのですが、はたして、民間にそのような需要があるでしょうか。東京大学の資料に、面白いことが書いてあります。

教育現場では理科離れ・科学離れが進み、ジャーナリズムでは科学雑誌の廃刊が相次いでおり、日本の科学技術の基礎体力は確実に低下している。この事態を改善するためには、科学技術と社会とのギャップを埋めて相互交流を促進する科学技術インタープリターを養成することが必要不可欠である。

理科離れ・科学離れが進み、科学雑誌の廃刊が相次いでいるということは、科学ジャーナリストの需要がそれだけ減っているということです。需要が減っているのなら、供給を減らすというのが民間事業の論理ですが、逆に需要を増やすために供給を増やそうというのが公共事業の論理で、結果としてむだなものがたくさんできます。

優れた科学ジャーナリストを輩出すれば、人々の科学に対する関心も高まるというのが、こうした大学院を新設する狙いなのでしょうが、日本の大学院は教育機関として優れているとは言えず、本当に優秀な人材が生まれるかどうか疑問です。

早稲田大学の資料には、新しい大学院を作るもう一つの狙いが、正直に書かれています。

わが国では、ポスドク1万人時代といわれるように理系に有為の人材が少なくないが、活用されずにいる。これを科学コミュニケータとして再教育すれば、ポスドク問題だけではなく科学コミュニケータ不足問題の解決にも貢献することができる。

「目標」のところにも、「理系・文系のポスドクを積極的にリクルートし、科学コミュニケータとして再教育する」とあって、これが余剰博士対策でもあることがはっきりと書かれています。

しかし、私は、これが余剰博士の救済策になるとは思いません。余剰博士が余剰ジャーナリストになるだけでしょう。大学当局は、院生の将来のことなど考えずに、自分たちの仕事を増やすことばかり考えているとしか思えません。

余剰ジャーナリスト問題が深刻になってくると、「国策で作ったジャーナリストなのだから、政府が面倒を見ろ」ということになります。修了者の面倒を見ないと、科学ジャーナリスト養成大学院に学生が集まらなくなります。

国が、科学ジャーナリストに仕事を与えるとなると、「核エネルギーは二酸化炭素を排出しないクリーンなエネルギーです」とか「タミフルの服用と死亡とには因果関係はありません」とか、政府にとって都合のよい宣伝をさせられる可能性があります。私が

現在政府は、科学ジャーナリストに金をばらまいて、彼らに大本営発表をさせる計画を立て、その準備として、ジャーナリストを育てる博士課程を作っています

と書いたのは、将来そうなることを憂えてのことです。

おまけになぜかここで唐突に、それまで触れられていなかった大学内部の権力の話が飛び出してくる。ここまで政府との関係で語っていながらなぜ話が飛ぶのだろう?それ自体は確かに大学の構造問題として正しいだろう。しかしこの場に持ち出す必然性が全く感じられないのだが…

私は、

日本のアカデミズムでは、師弟関係を媒介とした間接支配が行われているのです。

[政府は科学ジャーナリストに金を出すべきか]

と書いたのですが、黒影さんは、この「間接支配」の意味を理解してくれていないようです。若手は教授に弱いけれども、教授は研究資金を出してくれる政府に弱いのです。日本のアカデミズムは、政府を頂点とする、上意下達のピラミッド型の権力構造を有し、若手研究者は、直近の上司である教授(あるいは助教授)の支配に入ることにより、国家権力の支配下に間接的に入ります。

私が大阪大学にいたときに聞いた話ですが、ある学部生が大学院の試験を受けて合格したものの、その直後、彼が原子力反対運動のリーダーであることが発覚して、入学を取り消されたということがありました。原子力エネルギーの開発は、官民一体で推し進めている国家プロジェクトです。若手が国家プロジェクトに反旗を翻すと、こういう目にあいます。

私は、科学ジャーナリストまでがピラミッドに組み込まれてしまうことを懸念します。大卒のジャーナリストは、教授との関係が比較的弱いので、ピラミッドを外部から批判することができるのですが、大学院にまで行くと、師弟関係の結びつきが強くなるので、運良く民間に就職できても、ピラミッドから完全に抜け出せないままになるケースが多いのではないかと忖度します。

追記(2)自民党のメディア政治

5号館のつぶやき」に対するコメント。

たとえ政府がお金を出してコミュニケーター、インタープリター、ジャーナリストを育てたとしても、それは大本営発表要員を育てることには全然ならないのです。ご安心ください。今回の政府の出資は国民すべての利益に合致しますし、我々一同がその方向に向かって努力もしているところです。

なぜ、コミュニケーター、インタープリター、ジャーナリスを育成する大学院が作られるようになったのか、その政治的背景を考えてみましょう。

従来、自民党は、マスコミ対策や浮動票対策には熱心でなく、一部の業界団体と癒着することで組織票を確保することに力を入れていました。この体質は、小泉内閣が成立してから、大きく変わりつつあります。

2005年の衆議院議員選挙が典型的にそうであったように、自民党は、マスメディアを通じた大衆動員によって、選挙に勝利しています。いわゆる小泉劇場と呼ばれる現象です。自民党は、選挙前に、ブログおよびメールマガジンの作者33人と党幹部との懇談会を自民党本部で開催しましたが、これなども、自民党にしては斬新な試みです。

もちろん、最も影響力のあるメディアは、テレビです。政府が、民間のテレビ番組制作会社に金を出して、政府にとって好ましい番組を作らせるといったことなら、既に行われています。自民党は、今後もこうしたメディア戦略を推し進めていくでしょう。

永田町におけるこうしたトレンドを考慮に入れるならば、なぜ政府が、民間にそれほど需要があるとも思えない科学ジャーナリストを大学院で組織的に育てようとしているのかが理解できるのではないでしょうか。結局のところ、科学ジャーナリスト養成大学院は、メディア対策を重視する政府と自分たちの仕事を増やしたい大学の思惑が一致してできたのだと思います。

政府の立場を擁護する科学ジャーナリストがいてもかまわないけれども、それに対抗できるだけの、政府に批判的なジャーナリストが民間で育たないとするならば、それは好ましいことではないと私は考えています。

政府が国策として行いたい科学に大きな予算をつけることはあるでしょうが、それを否定するとなると国立大学や国立の研究所における研究をすべてやめなければならなくなりますが、永井さんもまさかそこまではおっしゃらないと思います。

私は、国立大学や国立の研究所は不要だと思っています。教育も研究も民間法人がすればよいのです。政府は、公共財を直接生産するべきではなく、あくまでも、公共財の生産者と消費者を媒介する透明な媒体となるべきです。詳しくは、末は博士かホームレスかの5をご覧ください。そこでは、政府の裁量が入る余地のないシステムを提案しました。

このページをフォローする
私が書いた本

  2 コメント

  1. トラックバックありがとうございました。

    永井さんの考え方は潔癖すぎる気がします。政府や官僚の意図が不純なのはおっしゃるとおりかも知れませんが、だからと言ってそこから発せられる資金援助制度を利用できないということになると、反体制的な考えを持った人々はは税金の再配分を利用することができなくなり、ひたすら疲弊するのを待つばかりという気がします。(民間はもっと過酷です。)

    私は、国立大学や国立の研究所は不要だと思っています。

    というところで見解の相違がはっきりしました。ご意見は理解できますが、我々自然科学系の分野にいるものにとってはとても現実的なものとは思われません。

  2. 私は、意思決定プロセスの民主化を主張しているわけであって、公的な資金援助制度自体を否定しているわけではありません。私は、

    資金配分と人事が公正になる→研究成果があがる→科学技術に対する納税者の評価が上がる→科学技術に対する予算が増える

    というやりかたで、科学技術を振興させるべきではないのかと提案しているわけです。そして資金配分と人事を公正にするには、意思決定プロセスに市場原理を導入するべきです。

 返信する

以下のHTML タグと属性が利用できます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>

/* ]]> */