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トーテムとタブー

2005年3月7日

フロイトは、『トーテムとタブー』において、「個体発生は系統発生を繰り返す」というテーゼのもと、エディプス・コンプレックスの理論を用いてトーテムのタブーを説明しようとするのだが、トーテムは、プリミティブな社会において、本当に父親として表象されていたのだろうか。

Image by Kranich17
トフィーノ(カナダ領ブリティッシュ・コロンビア州)にあるトーテム。

1. トーテムとは何か

トーテムというと、以下のようなアメリカ原住民が建立したトーテム・ポールを連想する人が多いかもしれない。

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アラスカの Ketchikan にあるトーテム・ポール[1]

確かに、トーテムという言葉は、アメリカ北東部に住むオジブエ族が、自分たちの先祖として崇拝していた動物(まれに、植物や自然現象)を“オトテマン Ototeman”と呼んでいたことに由来するのだが、トーテミズム、すなわちトーテム崇拝は、決してアメリカ原住民特有の信仰ではなく、文明以前の自然民族に広く見られる宗教の形態である。

フロイトは、トーテミズムを、タブー(禁忌)という観点から、次のように特徴づけている。

トーテムは、もともとは、動物だけであって、各部族の先祖としてみなされていた。トーテムは母系で継承され、そのトーテムを殺したり(あるいは、未開社会ではよくあることだが、食べたり)、同じトーテムに属する者どうしが性的に交わったりすることが禁止された。[2]

2. 個体発生は系統発生を繰り返す

精神分析学者のフロイトが、なぜトーテミズムのような文化人類学的なテーマに興味を持ったかといえば、それは、彼が、当時ドイツで流行していた「個体発生は系統発生を繰り返す」というヘッケルの進化論的反復説の影響を受け、幼少年期の心理を理解するには、未開社会や原始社会の研究が必要だと考えていたからである。1913年の論文「精神分析学の関心」の中で、フロイトは次のように言っている。

ここ最近の数年の精神分析学的な仕事の結果、「個体発生は系統発生の反復である」という命題は心的生活にも適用可能でなければならないという思いが強くなってきた。[3]

そしてその「適用」の結果が、『トーテムとタブー』なのである。フロイトが注目する、共通点は、動物に対する態度である。

子供の動物に対する関係は、原始(未開)人の動物に対する関係ととてもよく似ている。子供は、後に、自分の気質と他の動物的なものすべてとの間に明確に一線を画そうとするようになる、文明国の成人のあの高慢さをまだわずかですら示すことがない。[4]

子供向けの話には、よく動物の主人公が登場する。それは、子供が動物と自己同一できるからである。だから、物語の中で、動物が、人間のように話をしたり、人間のような感情を持ったりすることに全く違和感を持たない。男の子が、人間の主人公をヒーローとする偉人伝を聞いて、偉人崇拝を始めるのは、もっと大きくなってからのことであり、また、女の子が人形を使って「お母さんごっこ」をするようになるのも年長になってからであって、それ以前は、動物のぬいぐるみをかわいがるものである。同様に、未開社会や原始社会の人々も、動物を自己同一できる存在として認知し、動物の偶像崇拝をする。人格神を崇拝し、動物を人間以下の存在として軽蔑するようになるのは、個人史的にも、人類史的にも、かなり後になってからのことである。

3. タブーはエディプス・コンプレックスの産物か

フロイトは、エディプス・コンプレックスが、馬に対する恐怖という形で現れたハンス少年の症例を手掛かりに、原始人/未開人が恐れるトーテムを父の象徴と解釈する。そして、この解釈に基づいて、フロイトは、トーテミズムのタブーを、エディプス・コンプレックスに結びつけようとする。

トーテム動物が父だとするならば、トーテミズムの二つの主要な戒律、すなわち、トーテムを殺すな、同じトーテムに属する女と性交するなという、トーテミズムの本質を形成する二つのタブーの規定は、自分の父を殺害して、自分の母を妻としたエディプスの二つの犯罪的行為と内容的に一致する。[5]

そして、二つのタブーの成立を説明するためにフロイトが考案した仮説が、有名な原父殺害の物語である。

ダーウィンは、高等なサルの生活習慣から、次のように推測した。人類も、もともとは、その内部で、最も年上で、最も力の強い一人の雄が性的乱交を阻止している、小さな群れを成して住んでいたと。[6]

ここで言う「高等なサル」とは、ゴリラのことなのだろう。ゴリラの群れでは、シルバーバックと呼ばれる一頭の強い雄が、ライバルとなる雄をすべて追放し、群れのすべての雌を独占している。ゴリラよりも人類に近いチンパンジーでも、少数の雄が雌を性的に独占し、若い雄には、交尾のチャンスがほとんどない。だから、人類にもかつて一夫多妻の時代があったという仮説に、可能性がないとは言えない。

異論の多いフロイトの奇妙な空想は、この後始まる。

ある日、追放されていた兄弟たちが、力を合わせて父を打ち殺し、食べてしまった。その結果、父による群れの支配が終焉を迎えた。[7]

なぜ、父を殺すだけでなく、食べてしまったかといえば、息子たちは、一方では、父に憎しみを持ちながらも、他方では、父のようになりたいという憧れも持っていたからで、食べるという行為は、父との同一化を意味している。このように、相反するアンビバレントな感情の複合(コンプレックス)が、エディプス・コンプレックスの特徴をなしている。

息子たちが父を殺し、彼らの憎しみが和らげられ、彼らの父との同一化願望が満たされた後、そうした沈静化した、思いやりに満ちた情動を持続させなければならなかった。[8]

原父殺害を繰り返さないように、息子たちは、自分たちの群れの女性と性交しないことを決め、父を象徴するトーテム動物を殺さないようにし、祭りの際にのみ、トーテム動物を殺して食べ、原父殺害の記憶が風化しないようにしているというわけである。

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トーテムとタブー』のイメージ図[9]

4. フロイト批判

私は、以上のフロイトによるトーテミズムの説明は、反復説という観点からすると、以下の理由で、問題があると思う。

4.1. 動物に関する矛盾した説明

フロイトは、「子供の動物に対する関係は、原始(未開)人の動物に対する関係ととてもよく似ている」と言うが、トーテム動物を父と解釈したために、並行関係が崩れてしまっている。原始時代に存在したとされる追放された息子たちは、原父に恐怖を感じていたはずだが、子供たちは、一般に、動物に恐怖を感じない。子供たちにとって、動物は、自分たちと同類の友達なのであって、目上の存在ではない。ハンス少年が馬を父の象徴として怖がったのは、馬の首が、勃起したペニスと形状が似ているからであって、トーテムとして崇拝されるすべての動物がファルスとして機能するわけではない。フロイトは、ハンス少年の特殊な例を一般化しすぎている。

4.2. 男根期以前は存在しないのか

フロイトは、『性欲論三篇』などの著作で、性器の発達段階として、次のような区分を行っている[10]

  • 口唇期:生後1年余りの、口が支配的な性感帯である、離乳までの時期。
  • 肛門期:生後2-3年の、排尿・排便に快を感じる時期。贈与と取引の経験始まる。
  • 男根期:生後3-5年の、ペニスとクリトリスに関心が向かう時期。エディプス期始まる。
  • 潜伏期:学童期。性的活動が沈静化する。幼年時代の性体験が忘れられる。
  • 性器期:思春期。性器に快感を覚える通常の性愛が始まる。

もしも、原父殺害が、男根期の出来事だとするならば、それ以前の時期はどのような状態に相当するのか。原父がすべての女を独占していて、息子たちが女たちから疎外されていたとするならば、男根期以前の母子密着の時期がなかったことになる。

4.3. トーテムは母系社会の特徴である

トーテム動物が父の象徴だとするならば、なぜ「トーテムは母系で継承され」るのか。トーテム崇拝を行わない文明社会が父系社会であるのに対して、トーテム崇拝を行っている未開社会が母系社会であるのは、おかしいのではないのか。父系の文明社会では、トーテムとして機能しているのは、氏である[11]。男の家に嫁入りした女は、男の氏を名乗るので、氏はそれこそ“Nom du Pêre”である。しかし母系社会では、男が女のトーテムに加入する。トーテムは母の象徴ではないのか。母系社会では具象的な動物が崇拝されていたのに、文明化に伴って、偶像崇拝が捨てられ、氏という抽象的な言葉で、人々が自己同一できるようになったという変化に注目しなければならない。

4.4. 原父殺害は近親相姦回避の原因ではない

原父殺害と似た出来事が、サルやライオンのハーレムでも起きる。他所から来た若くて強い雄が、年老いて、力が衰えたボスを追放するというアルファ雄の交代劇である。アルファ雄が殺され、食べられるということはないが、激しい決闘で深手を負い、それが原因で命を落とすアルファ雄もいる。これを括弧つきの「原父殺害」と表現することにしよう。

この「原父殺害」は、フロイトがそう考えたような近親相姦回避の原因ではなくて、結果である。雌たちは、アルファ雄が来て間もない頃は、子殺しを防ぐために、雄と一緒に侵入者を防ごうとするが、雄が自分の娘と子供を作る頃になると、もはや雄に協力せず、「原父殺害」を傍観する。新しいアルファ雄は、子殺しの後、雌たちと交尾するが、一見非情に見える子殺しも、実は、近親交配を防ぐ効果があるという見方もある[12]

一般に、有性生殖を行っている生物は、すべて原則として近親相姦を回避しているのだから、人類がいかにして近親相姦を回避するようになったかを説明する仮説など不要である。人は、同じ母のもとで育った幼馴染に対して性的関心を持たない傾向があり、それを説明するために過去にエピソードを想定する必要はない。

4.5. 結論

以上の理由から、私は、フロイトのトーテミズムの説明に賛成することができない。フロイト説の最大の間違いは、トーテムを父と解釈した点にある。トーテムを、父ではなくて、母の象徴と解釈すれば、以上の四つの問題点を解決することができる。

  1. 子の動物に対する関係は母子関係と同様に相思相愛である。
  2. 母子関係は個人史的にも人類史的にも最初に現れる。
  3. トーテムが母の象徴であるからこそ母系で伝わる。
  4. 同じ母のもとで育った兄弟姉妹間の性交は自然と回避される。

5. トーテミズムの歴史的位置付け

人類史におけるエディプス・コンプレックスの時代は、エディプスの悲劇それ自体が成立した頃の「枢軸時代」というのが私の解釈である。人類史の男根期に父権宗教が成立したが、それ以前の口唇期と肛門期は、母権宗教の時代であったと考えられる。

トーテムを殺したり食べたりしてはいけないというタブーは、最初からあったわけではなく、オーストラリアのアボリジニのような、きわめて原始的な民族には、そうしたタブーがなく、彼らは、トーテム動植物を自由に殺して食べている。多分、口唇期の人類は、乳児が母の乳首を口に含み、栄養を摂取することに快を感じるように、母なる自然から栄養を摂取することに即自的な快を感じていたことだろう。

口唇期と肛門期の境界を成すのが、鏡像段階である。鏡像段階において、幼児は、母を通して自己同一を果たす。よその子をぶった子が「ぶたれた」と言うような鏡像的反転が起きる。人類史において鏡像段階に相当するのは、4万5千年前頃に起きた文化のビッグバンと呼ばれるコミュニケーション革命である。トーテムは、自己同一可能な他者となり、その殺害がタブーとなる。

もっともこれだけでは、なぜ、祝祭においてトーテムが殺害され、食されるのかが説明できない。ここで、肛門期の子供は、糞尿をすぐに排泄せずに、それを溜め込んだ上で排泄することに快を感じることを思い出さなければならない。トーテムを殺して食べることをタブーによって禁止し、我慢すればするほど、トーテムを殺して食べるエロティシズムの快は大きくなる。

肛門期の子供は、また、離乳により、もはや無媒介に母と合体することは少なくなくなる。しかし、無媒介性が否定されているからこそ、母子の愛の関係は逆に強まる。愛は、「分別」が隔てている自他の差異を消滅させる。それは、未開/原始社会の人々が、祝祭的な供犠において、トーテム動物と一体となる体験と同じである。

タブーは、欲望を否定することで肯定する。エロティシズムは、否定性(他者性)によって媒介された快楽である。包括的に表現するならば、肛門期とは、即自的で無媒介な口唇的段階を否定する、他者性の対自化によって媒介された段階であると言うことができる。

幼児は、排泄物を、自分を世話してくれる母に対する対価と考える。人類史の肛門期において、交易(物のコミュニケーション)と表象文化(情報のコミュニケーション)が活発となるが、外婚のネットワークが確立されたのもこの時期であると考えられる。

トーテムが母だとするならば、同じトーテムに属する女とは、母ではなくて、姉妹ということになる、フロイトは、母子相姦の欲望を語ったが、兄弟姉妹が近親相姦する欲望を語らなかった。人間は、生物学的に、幼い時から生活を共にする同胞に性的欲望を持たないようにできている。そうした近親相姦は、人間が誕生する以前から回避されているから、それを説明するのに何か物語を考える必要はない。

エディプス・コンプレックスで「トーテムとタブー」を説明することはできない。エディプス・コンプレックスは、父権宗教が「トーテムとタブー」というエロティシズムを極大化する母権宗教を否定する中で生じた男根期の意識であり、男根期以前の自然民族には無縁である。

6. 参照情報

関連著作

人文書院 (1969/1/1) の訳は古いので、岩波書店 (2009/6/26)の新しい訳で読むことをお勧めします。ドイツ語が分かる人は、原文で読みましょう。

注釈一覧
  1. Totem pole” by Jeremy Keith. Licensed under CC-BY.
  2. “Die Totem waren ursprünglich nur Tiere, sie galten als Ahnen der einzelnen Stämme. Der Totem vererbte sich nur in weiblicher Linie; es war verboten, den Totem zu töten (oder zu essen, was für primitive Verhältnisse zusammenfällt); es war den Totemgenossen verboten, Sexualverkehr miteinander zu pflegen.” Freud, Anna, E. Bibring, E. Kris, O. Isakower, W. Hoffer, Georg von Griechenland, and Marie Bonaparte. Sigmund Freud – Gesammelte Werke in achtzehn Bänden: Mit einem Nachtragsband. 2. Aufl. Frankfurt a.M: FISCHER Taschenbuch, 2001. Bd.9. p.130.
  3. “In allerletzten Jahren hat sich die psychoanalytische Arbeit darauf besonnen, daß der Satz “die Ontogenie sei eine Wiederholung der Phylogenie" auch auf das Seelenleben anwendbar sein müsse […].” Freud, Anna, E. Bibring, E. Kris, O. Isakower, W. Hoffer, Georg von Griechenland, and Marie Bonaparte. Sigmund Freud – Gesammelte Werke in achtzehn Bänden: Mit einem Nachtragsband. 2. Aufl. Frankfurt a.M: FISCHER Taschenbuch, 2001. Bd.8. p.413.
  4. “Das verhältnis des Kindes zum Tiere hat viel Ähnlichkeit mit dem Primitiven zum Tiere. Das Kind zeigt noch keine Spur von jenem Hochmut, welcher dann den erwachsen Kulturmenschen bewegt, seine eigene Natur durch eine scharfe Grenzlinie von allem anderen Animalischen abzusetzen.” Freud, Anna, E. Bibring, E. Kris, O. Isakower, W. Hoffer, Georg von Griechenland, and Marie Bonaparte. Sigmund Freud – Gesammelte Werke in achtzehn Bänden: Mit einem Nachtragsband. 2. Aufl. Frankfurt a.M: FISCHER Taschenbuch, 2001. Bd.9. p.154.
  5. “Wenn das Totemtier der Vater ist, dann fallen die beiden Hauptgebote des Totemismus, die beiden Tabuvorschriften, die seinen Kern ausmachen, den Totem nicht zu töten und kein Weib, das dem Totem angehört, sexuell zu gebrauchen, inhaltlich zusammen mit den beiden Verbrechen des Ödipus, der seinen Vater tötete and seine Mutter zum Weibe nahm…” Freud, Anna, E. Bibring, E. Kris, O. Isakower, W. Hoffer, Georg von Griechenland, and Marie Bonaparte. Sigmund Freud – Gesammelte Werke in achtzehn Bänden: Mit einem Nachtragsband. 2. Aufl. Frankfurt a.M: FISCHER Taschenbuch, 2001. Bd.9. p.160.
  6. “Darwin schloß aus den Lebensgewohnheiten der höheren Affen, daß auch der Mensch ursprünglich in kleineren Horden gelebt habe, innerhalb whelcher die Eifersucht des ältesten und stärksten Männchens die sexuelle Promiskuität verhinderte.” Freud, Anna, E. Bibring, E. Kris, O. Isakower, W. Hoffer, Georg von Griechenland, and Marie Bonaparte. Sigmund Freud – Gesammelte Werke in achtzehn Bänden: Mit einem Nachtragsband. 2. Aufl. Frankfurt a.M: FISCHER Taschenbuch, 2001. Bd.9. p.152.
  7. “Eines Tages taten sich die ausgetriebenen Brüder zusammen, erschlugen und verzehrten den Vater und machten so der Vaterhorde ein Ende.” Freud, Anna, E. Bibring, E. Kris, O. Isakower, W. Hoffer, Georg von Griechenland, and Marie Bonaparte. Sigmund Freud – Gesammelte Werke in achtzehn Bänden: Mit einem Nachtragsband. 2. Aufl. Frankfurt a.M: FISCHER Taschenbuch, 2001. Bd.9. p.171.
  8. “Nachdem sie ihn beseitigt, ihren Haß befriedigt und ihren Wunsch nach Identifizierung mit ihm durchgesetzt hatten, mußten sich die dabei überwältigten zärtlichen Regungen zur Geltung bringen.” Freud, Anna, E. Bibring, E. Kris, O. Isakower, W. Hoffer, Georg von Griechenland, and Marie Bonaparte. Sigmund Freud – Gesammelte Werke in achtzehn Bänden: Mit einem Nachtragsband. 2. Aufl. Frankfurt a.M: FISCHER Taschenbuch, 2001. Bd.9. p.173.
  9. Totem + Taboo” by Hartwig HKD. Licensed under CC-BY-SA.
  10. Sigmund Freud. “Drei Abhandlungen zur Sexualtheorie.” in Gesammelte Werke in achtzehn Bänden mit einem Nachtragsband. Herausgegeben von Anna Freud, Marie Bonaparte, E. Bibring, W. Hoffer, E. Kris und O. Osakower. 2001/11. Bd.5. p.98-101.
  11. 韓国では、同姓同本不婚という法律があって、姓と本貫が同じなら、結婚してはいけないという民法があった。もうじき改定される予定だが、これなどは、トーテムに基づく外婚制とよく似ている。
  12. 古市剛史.『性の進化、ヒトの進化―類人猿ボノボの観察から』. 朝日新聞社, 1999. p.65-66.