4月 022006
 

山脇正俊(北海道工業大学客員教授)は、『近自然学』および『近自然工学』で、従来の人工的な河川工法や道路工法に対して、近自然的な工法を主張している。河川改修や道路建設はどうあるべきか、人間の自然に対する負荷は集中するべきか否かについて考えよう。

1. 河川工法はどうあるべきか

われわれの生命財産を守るために行う河川改修は、一方で多くの問題を抱えている。従来のコンクリート三面張りに代表される「固い川」づくりは、動植物へのインパクト(打撃)が大きいばかりではなく、親水性の悪化、ランドシャフトの貧困化、環境への大きな負荷、水質悪化、土砂硫化のバランスが崩れ、改修にかかるコストアップなどを招き、さらには下流の水害危険性をも逆に増大させてしまった。

[山脇 正俊:近自然学, p.95]

確かに、左のような、コンクリートで三面張りにした「固い川」は、まるでどぶのようであり、見た目が悪く、生態系にも悪影響を与える。

近自然学―自然と我々の豊かさと共存・持続のために
Fig.01. 人工的河川と近自然化された河川[山脇 正俊:近自然学, p.1]

にもかかわらず、近代人が、河川に固い改修を施してきたのは、さもなくば、洪水が人的物的被害をもたらしたり、河川の予期不可能な位置変化が都市設計を困難にしたりするからである。

改修されている河川がある地域は、たいがい人が多く住み、地価が高い都市部である。河川を近自然化するなら、洪水対策をどうするのか、土地の有効利用をどうするのかを考えなければならない。

洪水対策で最も重要なことは、上流の森林を保護することである。森林が深く根を張っているならば、雨が大量に降っても、その相当部分を吸収してくれるし、旱魃時にも水を放出してくれるので、河川の水量が安定する。

森林や土が水量のスタビライザーとして機能しても、それでも時には氾濫するのが自然の河川である。洪水から人命を守るには、やはり堤防が必要だが、無駄な土地を作るまいと、川岸の近くに堤防を作ると、決壊しやすくなるし、生態系を破壊する。

幅が広ければ広いほど堤防は低予算で作れる
Fig.02. 幅が広ければ広いほど堤防は低予算で作れる

これに対して、堤防を河川の近くではなく、離れたところに作り、河岸を遊びとして残しておけば、生態系を破壊しないし、堤防を造る費用も安くなる。しかし、地価の高い都市部で、広大な河岸を遊ばせておくわけにはいかないので、何らかの有効活用を考えなければならない。

ここで、私たちは、古代エジプト人の知恵を借りよう。彼らは、巨大なピラミッドを作ったのにもかかわらず、毎年反乱を起こすナイル川に対して、なんらの治水工事もしなかった。それは、彼らが、ナイル川の氾濫が、流域の土地を豊かにすることを知っていたからである。ナイル川が、上流から肥沃な土地を運んでくれるおかげで、下流では肥料を施さなくても、穀物が豊かに実ったのである。

それならば、私たちも、河岸で農業をすればよい。特に稲のような洪水に強い植物が良い。収穫前に洪水が起きれば、被害を受けることもあるだろうが、それでも土地が豊かになるのなら、長期的には損にはならない。都市部の土地を農業に使うのは、もったいないと思うかもしれないが、生産地と消費地が近ければ、輸送距離が短くなるから、都市の消費者は、新鮮な農作物を低価格で買うことができる。

河岸で農業といっても、都市部では、土地の買収が大変である。そういう時は、大規模な洪水が起きるまで待てばよい。頑固な人も、自分の家屋が水浸しになって、住めなくなれば、あっさり土地の買収に応じるものだ。この方法なら、どの地域が浸水しやすいかも、シミュレーションせずにわかるから、調査費用も少なくてすむ。行政にとって、ピンチはチャンスなのだ。

2. 道路工法はどうあるべきか

山脇によれば、

近自然の道路造りは近自然の川造りに似た面を持つ。自然の摂理や人間の心理に逆らわないのだ。

[山脇 正俊:近自然工学, p.188]

道路工法を河川工法と同じ原理で考えようというわけだ。

従来工法では、護岸をコンクリートなど固く滑らかな材料でしかも直線的に作り、「洪水をできるだけすばやく下流に流す」(または「特定の水量を流すのに、流速を上げてやり水位を下げる」)ということだった。

[山脇 正俊:近自然工学, p.35]

同様に、道路造りでも

従来の道は、1台のクルマを安全にスピーディーに走らせるために設計された。そのため、道路は広くて、真直ぐで、平坦で、見通しが良く、夜も街路灯で明るいことが理想とされてきた。

[山脇 正俊:近自然学, p.179]

河川改修と似た図を描くいて、対比させると、

近自然学―自然と我々の豊かさと共存・持続のために
Fig.03. 人工的道路と近自然化された道路 [山脇 正俊:近自然学, p.5]

ということである。

左の人工的道路では、「道路は広くて、真直ぐで、平坦で、見通しが良く、夜も街路灯で明るい」ために、ついついスピードを出してしまうのだが、運転が単調でつまらないため、眠気を催し、結果として事故を起こしやすくなる。

安全運転のためには、車間距離を十分にとらなければならない。運動エネルギーは速度の二乗に比例するので、車間距離も速度の二乗に比例して長くなる。だから、自動車がスピードを出しすぎると、交通容量(一車線一時間に走らせることができる車の数)はかえって減ってしまう。もちろん、遅すぎても交通容量は減ってしまう。一般道路では、時速60kmで交通容量が最大になることが検証されている。速ければ速いほど良いというものではないのだ。

こうした問題を解決するためには、左の図に描かれている道路を、右の図に描かれているような、狭くて、左右にワインディングし、上下にアップダウンし、木々で見通しが悪く、夜は暗い道路にしなければならない。ドライバーに軽い危機感を持たせたほうが、かえって事故は起きにくいというわけである。

以上の近自然学的な道路工法の理論は、人間が自動車を運転している限り、正しい。しかし、将来、自動車がロボット化し、人間が自動車を運転しなくてもかまわない、したがって、人間の心理など考えなくてもよい時代が来るのではないだろうか。ロボットが自動車を運転するならば、左のような人工的な道路のほうがよいにきまっている。

ITを用いて人と車両と道路を結び、交通事故や渋滞などの道路交通問題の解決をはかる交通システムのことを、ITS (IntelligentTransport Systems)、日本語では「高度道路交通システム」と呼んでいる。自動車がロボット化し、他の自動車、道路、通信衛星がコミュニケーションをとるようになれば、事故や渋滞が大幅に減少し、運転免許取得のために無駄な時間を使わなくてもすむようになる。

もちろん、人間が自動車を運転しなくてもすむようになるには、長い時間がかかる。しばらくは人間が運転しなければならないにしても、ITSにより、スピードの出し過ぎを防止することは可能である。例えば、カーナビと自動車を連結させ、自動車に今走っている道路の最高速度を認識させ、その速度を超えるスピードを出させないようにするといったことなら、今すぐにでもできるのではないだろうか。

直線的な道路を曲がりくねった道路に改造するには費用がかかるし、一度そうした道路を作ると、元に戻すこともまた極めて難しくなる。道路に合わせて、周辺の建物が建設されるからだ。だから、道路を造るときは、将来の技術革新のこともよく考えて、慎重にしなければならない。

3. 環境への負担は集中するべきか

山脇によれば、市街地を図4の左のように分散させるよりも、右のように集中させた方が、人間が自然環境に与えるダメージが、トータルでは小さくなる。

市街地の自然への影響
Fig.04. 市街地の自然への影響
[山脇 正俊:近自然学, p.1]

なぜならば、経済学の言葉を使って言うならば、以下のグラフに示されているように、人間の行為が与える環境への限界影響力は、行為の規模に対して逓減するからである。

人間の行為と環境への影響の関係
Fig.05. 人間の行為と環境への影響の関係
[山脇 正俊:近自然学, p.2]

こうした負担集中論は、人間が人間に与えるダメージを無視している。私たちは、自然環境のもとで生きているだけでなく、社会環境のもとでも生きている。そして、人口密度が高くなればなるほど、人々のストレスが高くなる。例えば、上の階の人が歩く音が天井から聞こえてくるとか、隣の部屋の人が電話で恋人を口説く声が壁越しに聞こえてくるといった集合住宅の社会環境は、一戸建ての家の社会環境に比べると悪い。

そうしたストレスから逃れるために、人口密集地帯に住んでいる人々は、休日になると、リゾートと称して、自然に点在するホテルや別荘へ旅行に行ったりする。だから、図4で言うと、仕事の時は右で、休みのときは左というのが、私たちの住居形態なのである。これは自然環境へのダメージという点からすると、右か左かどちらか一つよりももっとまずいのではないだろうか。

人間が自然にダメージを与えるといってもある程度までなら自然はそれを修復させることができる。たとえダメージの総量を小さくすることができるとしても、自然の許容度を超えるダメージを一箇所に集中させるということは好ましくない。それは、山脇がスイスの学生に教えている合気道の精神から言ってそうである。

合気道の受身は、柔道の受身と同様に、負担を分散させて行われる。倒れるとき、身体の一箇所に衝撃が集中すると、骨折など好ましくないことが起きる。だから、受身を行うときには、合気道でも、柔道でも、身体を丸め、円運動を行いながら、衝撃を身体の各部位へと分散させながら接床するのである[合気道ねっと:受けの練習のコーナー]。

また別の機会に詳述する予定だが、人間は、自然環境に対して、ダメージを与えるだけの存在ではない。所謂「環境保護運動」などしなくても、日常的な新陳代謝を行うことで、自然界の栄養の循環を形成する一翼を担っている。だから、人間の住居を一箇所にまとめようとすることは賢明ではない。

読書案内

近自然学』と『近自然工学』は、ほとんど内容が同じです。前者は後者の改訂版という感じです。『近自然学』だけ買えば、十分ではないかと思います。

書名近自然学―自然と我々の豊かさと共存・持続のために
媒体単行本
著者山脇 正俊
出版社と出版時期山海堂, 2004/04
書名近自然工学―新しい川・道・まちづくり
媒体単行本(ソフトカバー)
著者山脇 正俊
出版社と出版時期信山社サイテック, 2000/04
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  2 コメント

  1. 流域全体の集水域でバッファリングされない面積が多いほど流出が急激に起こるから、流域全体で緩やかに流出させることが重要で、必ずしも、上流の森林に限定する必要はないはずです。
    河川の直線化は、一重に流れをよくするために行われました。曲がりくねった川は氾濫を起こりやすくします。氾濫を起こす川が自然な川と定義され、氾濫を許すように設計されるのが多自然型といえます。多自然型、近自然型を支持する考えの大本は、氾濫を許し、氾濫をコントロールすることであると認識しています。
    これを道路や物流に当てはめると、渋滞を許し、渋滞の台数をコントロールすると言うことになります。
    ですが、河川が氾濫するのは自然の姿として定義されるのはよいとして、道路や物流が滞留し、停滞するのは自然な形として定義されるのでしょうか。交通はゆっくりと流れるものと定義してよいのでしょうか。山脇さんの書いている意味が分からない。
    そして、永井さんの、情報化による物流コントロールは、河川改修で言うならば、河川の流路を増やし、流路を並列化して、個々の流量をコントロールし1箇所に集中させないという考え方に近いです。個々の河川の流量を最適化し、放水路や運河を作り流路を複数に分けることで滞りをなくそうとして来た、従来の河川工法の発想です。道路を太くし、環状線を作って、幹線を平行に走らせる。この場合、河道への流出量のコントロール、つまり、物流量のコントロールに言及すべきだったのではないでしょうか。
    > たとえダメージの総量を小さくすることができるとしても、自然の許容度を超えるダメージを一箇所に集中させるということは好ましくない。
    都市圏での問題のほとんどのケースでは、人間活動を集中させることで影響「範囲」や影響「量」を減らすという議論そのものが意味がないと言うことになると思います。
    > 日常的な新陳代謝を行うことで、自然界の栄養の循環を形成する一翼を担っている。
    「自然環境」は勝手にその状態でより安定な状態になろうとするだけなので、どのような自然環境を望ましいと考えるのかは人間側の勝手な価値基準だと思っていますが、それは置くとして。
    都市圏の現状は、ダメージを与えるほうが大きすぎますから、その影響を軽減する必要を感じます。『所謂「環境保護運動」』という書き方にどういう意図があるのか分かりませんが、集中は分散によって解決すべきというのも、『所謂「環境保護運動」』の中で口の端にあがるテーマです。

  2. “流域全体の集水域でバッファリングされない面積が多いほど流出が急激に起こるから、流域全体で緩やかに流出させることが重要で、必ずしも、上流の森林に限定する必要はないはずです。”
    本文に書いたように、下流では、水田等によりバッファリングすることを提案しています。
    “河川が氾濫するのは自然の姿として定義されるのはよいとして、道路や物流が滞留し、停滞するのは自然な形として定義されるのでしょうか。交通はゆっくりと流れるものと定義してよいのでしょうか。山脇さんの書いている意味が分からない。”
    本文に
    “安全運転のためには、車間距離を十分にとらなければならない。運動エネルギーは速度の二乗に比例するので、車間距離も速度の二乗に比例して長くなる。だから、自動車がスピードを出しすぎると、交通容量(一車線一時間に走らせることができる車の数)はかえって減ってしまう。”
    と書きましたが、山脇さんは、このことを問題視しています。
    “永井さんの、情報化による物流コントロールは、河川改修で言うならば、河川の流路を増やし、流路を並列化して、個々の流量をコントロールし1箇所に集中させないという考え方に近いです。個々の河川の流量を最適化し、放水路や運河を作り流路を複数に分けることで滞りをなくそうとして来た、従来の河川工法の発想です。道路を太くし、環状線を作って、幹線を平行に走らせる。この場合、河道への流出量のコントロール、つまり、物流量のコントロールに言及すべきだったのではないでしょうか。”
    ITSに相当するものも治水に必要ではないかと言われれば、そうですが、河川の場合には、ダムなどを作る場合を除いて、流出量の人為的コントロールは困難で、せいぜいモニタリングしかできません。

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