9月 112009
 

老子(老聃)は、春秋時代の中国の思想家で、『老子道徳経』の著者とされているが、長い間その実在が疑問視されてきた。はたして老子は実在したのか、それとも『老子道徳経』は後世の偽作か。『老子道徳経』で論じられる「道」とは何のことか。反儒教としての道家には、どのような思想的意義があるのか。

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中国福建省泉州市にある老子像(清源山石造像)[1]

1 : 老子は実在したのか

『史記』の老子韓非列伝によると、老子は楚の国の生まれで、周の図書館の司書を務め、孔子に礼を教えたりしたが、周の衰えを嘆いて、これに見切りをつけ、牛の背に乗って西方に向かい、その途中、函谷関を過ぎた時、関守の尹喜(いんき)から求められ、『老子道徳経』を書き残したということになっている。老子は、後に道教の中で神として崇拝され、さらには、老子はインドに行って釈迦に教えを垂れたといった老子化胡説までが生まれた。

これに対して、明の時代から、古代伝承を疑う立場が出てきて、その風潮は清末の公羊学派において頂点に達する。日本でも、雑誌『支那学』を発行していた京都大学の研究者によって、清朝考証学の疑古が受け継がれた。彼らの疑古のターゲットは、儒教から始まって諸子百家全般の古伝承に及び、老子も、その実在と文献の成立時期が疑われるようになった[2]

実際、『老子道徳経』には、例えば、以下のような、春秋時代に書かれたものとしては不自然な箇所があり、これらが疑古の根拠となった。

大いなる道が廃れたので、仁義が説かれるようになり、知恵者が出来したので、知恵による詐欺が横行した。父子・兄弟・夫婦の仲が悪いために、親孝行や子への慈愛が目立つようになり、国家が衰え混乱したので、忠臣が注目されるようになった。[3]

聖人や知恵者を絶ち棄てれば、民衆の利益は百倍となる。仁義を絶ち棄てれば、民衆は親孝行に戻る。技巧や利益追求を絶ち棄てれば、盗賊も無くなる。[4]

いずれも儒教の仁義に対する批判を含んでいるが、仁と義を仁義という形で連称し、儒教の徳目として強調したのは、戦国時代の孟子であり、こうした仁義批判は、『老子道徳経』が孟子批判として書かれたことを示しているというわけである[5]

たしかに現行の『老子道徳経』には春秋時代に書かれたにしては不自然な箇所がある。しかし、それは必ずしも老子の実在の否定を帰結しない。現行の『老子道徳経』が、オリジナルの『老子道徳経』を忠実に伝えていないという可能性が残っている。

従来、『老子道徳経』のテクストとしては、漢の河上公(かじょうこう)により注釈されたと伝えられる、河上公注本が使われてきたが、この本は、実際には、東晋の葛洪(かっこう)によって注釈された、かなり後世の写本である。この写本がどこまでオリジナルを伝えているかわからなかったし、成立時期が新しいことから、『老子道徳経』は魏晋時代に捏造された偽書であるという説すらあった。

こうした捏造説は、1973年に発掘された、前漢時代初期の墳丘、馬王堆三号漢墓から馬王帛書『老子』が出土したことで、否定された。馬王帛書『老子』は、上編と下編が逆になっているなど、河上公注『老子』と配列が若干異なってはいるものの、各章の内容には大きな違いはなかった。さらに、1993年には、戦国時代中期の陵墓、郭店一号楚墓から、現行の『老子道徳経』の2/5の分量に相当するテクストが書き記された竹簡のグループ三種類(甲本、乙本、丙本)が発見された。甲本、乙本、丙本は、別々に筆写したとみなされており、第64章下段を除けば、重複がない[6]

これらの新出土資料により、『老子道徳経』は、少なくとも戦国時代の中期には、その内容の一部が完成していたことになる。もちろん、これをもって、『史記』の老子伝が実証されたということにはならないが、春秋時代に老聃なる人物が実在し、今日に伝わる『老子道徳経』の大部分を書いたとする伝承は、以前よりも信憑性を増すこととなった。

では、疑古の根拠となった箇所は、馬王帛書『老子』と郭店楚簡『老子』では、どうなっているのだろうか。

第18章は、馬王帛書『老子』では、「大道廢、安有仁義。智慧出、安有大僞。六親不和、安有孝慈。國家昏亂、安有貞臣」というように、河上公注『老子』とは異なり、「安(いずくんぞ)」の字が入っている。これは、郭店楚簡『老子』も同様で、この場合、「大いなる道が廃れてしまったら、どうして仁義などあろうか」というような反語表現となり、これらの写本の文は、「仁義」、「智慧」、「孝慈」に対して、河上公注『老子』とは全く逆の評価をしていることになる。河上公注『老子』では「忠臣」となっている所が、馬王帛書『老子』では「貞臣」、郭店楚簡『老子』では、「正臣」となっているが、いずれも肯定的な意味で使われている[7]

第19章に関しては、馬王帛書『老子』は、河上公注『老子』と同じであるが、郭店楚簡『老子』では、「絶智棄弁,民利百倍。絶巧棄利,盜賊亡有。絶偽棄慮,民復孝慈」となっており、儒教的な仁義批判と解釈できる「絶仁棄義,民復孝慈」の代わりに、「嘘や偽りの心を捨て去れば、民は素朴な孝慈の心を回復する」という意味の「絶偽棄慮,民復孝慈」という文言が入っている[8]

要するに、戦国時代の写本である郭店楚簡『老子』では、儒教の仁義を批判した文言はなく、仁義という言葉は、むしろ良い意味で使われている。したがって、『老子道徳経』は、本来、儒家をライバル視した本ではなく、孔子の思想とは独立に書かれた本であったが、後に道教と儒教の対立関係が表面化するに及んで、反儒教的な改竄がなされ、疑古派の人々は、それを根拠に『老子道徳経』を偽書と考えたというのが真相に近い。

2 : 道とは何か

道は、老子、あるいは一般的に言って、道家や道教を理解する上で最も重要な概念であるが、それは最も難解な概念でもある。『老子道徳経』は、冒頭で、道について以下のように述べている。

人々が守るべき道と考えている道は、恒常不変の道ではない。人々が正しい名と考えている名は、恒常不変の名ではない。天地が始まる以前には、名はなかった。名が生まれて初めて万物が生まれた。まことに、常に無欲の者は、無欲ゆえに、道の妙(微妙な本質)を観ることができるが、常に有欲の者は、有欲ゆえに、その徼(派生物)しか観ることができない。妙と徼は同じものから出てくるが、名を異にしている。その同じものを玄と呼ぶ。いや、むしろ、それは玄のさらに玄で、あらゆる妙が出てくる門である。[9]

この第一章だけ読んでも、道とは何のことかわからない。しかし、第六章は、道にもっと具体的なイメージを与えている。

谷の神は、決して死なない。それは、神秘の女性と呼ばれる。神秘の女性の門は、天地の根源に相当する。その働きは綿々と続いていて、尽き果てることがない。[10]

これと同様の文句が、『列子』天瑞篇に「黄帝書に曰く」という書き出しで引用されている。だから、この件は、老子のオリジナルではなく、黄帝書からの転載とも考えられる。黄帝書は古佚書とされてきたが、馬王帛書『老子』が出土した馬王堆三号漢墓から、黄帝書の一つ、『黄帝四経』が見つかっている。黄帝は、神話伝説時代の帝王で、実在しなかった可能性が高いので、『黄帝四経』は、黄帝を自称する道家によって書かれたものであろう。『黄帝四経』と『老子道徳経』の思想は、併せて黄老思想と呼ばれ、戦国時代から漢初にかけて流行した。

第六章が老子のオリジナルでないとしても、ここでの具体的描写は、老子の抽象的な道の概念を理解する上で役立つ。「谷神」の「谷」は女性性器の形状を表しており、「玄牝之門」は陰門に相当する。「玄」は「幽玄」という意味で使われているが、本来これは「赤黒い」という意味であり、女性性器の色を暗示している。だから、道は、子宮と外界をつなぐ道、すなわち膣をモデルとしていることがわかる。人間が膣から産まれるように、万物は、目には見えない膣から絶えず産みだされているというコスモロジーが道家の思想の前提になっている。

郭店楚簡『老子』丙本には、現行の『老子』には含まれていない竹簡が含まれていて、「太一、水を生ず」という書き出しで始まることから、『太一生水』と名づけられた[11]。「太一」は「大いなる一者」という意味で、この大いなる一者が水を生み出し、その水が万物を作り出すというタレスを彷彿させる宇宙生成論である。この水は、羊水と解釈することができる。

こうした類の宇宙生成論は、前文明社会に広く見られる地母神崇拝に基づいている。地母神崇拝においては、生命が死ぬと、膣を通って地母神の子宮に回帰するという思想があるが、『老子道徳経』にも、それに相当する考えを見出すことができる。

心を極力虚しくして、静かさを守ることが篤いので、万物が並び生じても、やがては元へ戻ることを私は観取する。そもそも万物は、いかに茂り栄えようとも、それぞれの根源へと復帰していくものである。根源への復帰は静寂であり、静寂は運命に従うことである。運命に従うことが恒常であり、恒常を知ることが聡明である。恒常を知らずに、盲滅法に行動するものは災いに遭うことになる。[12]

老子は、「徳を豊かに持つ者は、赤子になぞらえることができる」[13]と言って、無欲無心の赤子を賞賛するが、ここから、老子には、胎内回帰願望があると言うことができる。もとより、老子は、異界(胎内)ついて積極的に語らないし、異界への通路である道ですら、それは無で、本来名も無いと言うのだから、老子における道は、ファルス化しているということができる。

3 : 道家の思想的意義は何か

孔子と老子は、儒家と道家の代表的思想家であり、儒教と道教という中国発祥の二大宗教の教祖でもある[14]。儒教と道教は、父権宗教と母権宗教という意味で陽と陰の関係にある。

孔子は、ヤスパースが言うところの枢軸時代に現れた思想家であり、儒教は、天を父とする父権宗教である。その機能は去勢にあり、母なる自然に従属していた人類を自立させ、文明化させた。これに対して、老子の思想は、母権宗教的であり、文明化を拒絶する胎内回帰の思想である。その思想の中心概念である道は、ファルスのことであり、胎内回帰するための通路である。

一般的に言って、母権宗教は父権宗教に先立つし、その点からしても、老子の思想は孔子の思想よりも古い。だから、老子が孔子よりも年長だったとする『史記』の記述もあながち間違いではないだろう。とはいえ、言語による人為的な秩序化を拒絶する老子の思想が、それ自体言語によって秩序化されるということは、自己矛盾的である。『老子道徳経』が、反儒教的な理論として流布し、反儒教的な改変を受けたのは、老子の思想が、無為自然の否定である儒教を否定するという形でしか、言説によって対自化されえないはずの思想であったからなのだろう。

4 : 参照情報

  1. 老子像” by 氤氲小调 is licensed under CC-BY-SA.
  2. 浅野裕一「諸子百家と新出土資料」in 浅野裕一, 湯浅邦弘. 『諸子百家「再発見」―掘り起こされる古代中国思想』. 東京: 岩波書店, 2004. 第一章,p.1-56.
  3. “大道廢有仁義。智慧出有大僞。六親不和有孝慈。國家昏亂有忠臣。” 老子. 『道徳眞經註河上公章句』第18章(俗薄)
  4. “絶聖棄智,民利百倍。絶仁棄義,民復孝慈。絶巧棄利,盜賊無有。” 老子. 『道徳眞經註河上公章句』第19章(還淳)
  5. 津田左右吉.『道家の思想と其の展開』1941. in『津田左右吉全集〈第13巻〉道家の思想とその展開』. 岩波書店, 1964.
  6. 湯浅邦弘「老子と道家」in 浅野裕一, 湯浅邦弘. 『諸子百家「再発見」―掘り起こされる古代中国思想』. 東京: 岩波書店, 2004. 第六章,p.184.
  7. 湯浅邦弘「老子と道家」in 浅野裕一, 湯浅邦弘. 『諸子百家「再発見」―掘り起こされる古代中国思想』. 東京: 岩波書店, 2004. 第六章,p.193-196.
  8. 湯浅邦弘「老子と道家」in 浅野裕一, 湯浅邦弘. 『諸子百家「再発見」―掘り起こされる古代中国思想』. 東京: 岩波書店, 2004. 第六章,p.191-192.
  9. “道可道,非常道。名可名,非常名。無名天地之始,有名萬物之母。故常無欲以觀其妙。常有欲以觀其徼。此兩者同出而異名。同謂之玄。玄之又玄,衆妙之門。” 老子. 『道徳眞經註河上公章句』第1章(體道)
  10. “谷神不死,是謂玄牝。玄牝之門,是謂天地之根。綿綿若存,用之不勤。” 老子. 『道徳眞經註河上公章句』第6章(成象)
  11. 湯浅邦弘「老子と道家」in 浅野裕一, 湯浅邦弘. 『諸子百家「再発見」―掘り起こされる古代中国思想』. 東京: 岩波書店, 2004. 第六章,p.197.
  12. “致虚極,守靜篤。萬物並作,吾以是觀其復。夫物芸芸,各復歸其根。歸根曰靜,靜謂復命。復命曰常。知常曰明。不知常,妄作,凶。” 老子. 『道徳眞經註河上公章句』第16章(歸根)
  13. “含徳之厚,比於赤子” 老子. 『道徳眞經註河上公章句』第55章(玄符)
  14. 老子と道教は直接つながりがあるわけではないが、道教にとっては象徴的な存在である。
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