ヒューマンインターフェースの汎用化
「港区赤坂四畳半社長(国益第一編):万能性と機能性」に対するコメント。「ヒューマノイドの多機能化」での論争の続き。ヒューマンインターフェースが汎用化されることで、ヒューマノイドロボットが汎用的に活躍できるようになるのかという問題について。

いまのHDDビデオデッキには、テレビチューナーと、ビデオ録画とビデオ再生と、録画番組一覧表と、Gコード予約やEPG予約と、LAN接続がありますが、これだけ多機能でも別に用途が限定されているわけではありません
そうした相乗効果のある機能を統合すれば、商品として成功するでしょう。しかし、関連のない機能を詰め込むと、需要が急減します。例えば、そのビデオデッキに、花粉症防止機能やおでん鍋の機能が加わり、値段が高くなったとすると、この多機能ビデオデッキを買ってくれる人は、「動画を楽しみたい」かつ「花粉症に悩んでいる」かつ「おでんが大好き」という人でなければなりません。
一つの道具に、関連のない機能を付加するごとに、需要は減少し、そして機能を無限大にすると、需要は、極限値としてゼロになります。だから、何にでも使える道具は、誰も買いません。ただし、多機能化の限界費用がゼロならば、この命題は成り立ちません。しかし、そうしたことが可能なのかどうか。
「多機能=結局は何も使えない」というのはパラドックス(paradox)なのではなく、人間が追いつかないだけなので、人間をアシストする必要があり、そのアシストする方法が確立すれば、「多機能=何にでも使える」が成立すると思っています。
二人とも、話が技術論的で、経済的観点がないような気がします。
インタラクションのない無人工場のメンテナンス用ロボットとインタラクションがあるウエイトレス用ロボットを完全に専用設計するのは、遠い未来においてはナンセンスなことになるのではないかと思います。
人間がロボットを使って仕事をするとき、そのロボットは、人間に対してヒューマンインターフェースを持たなければならないが、ロボットが使う道具までが、ロボットに対してヒューマンインターフェースを持たなければならない必然性はありません。もしも、道具と道具がヒューマンインターフェースを持つ必要がないとするならば、ヒューマノイドは不要ということになります。例えば、ウエイトレス用ロボットも、ヒューマノイドである必要はありません。
万能性は機能性をスポイルするかというと、そんなことはないと思います。なにしろコンピュータこそが、そもそも万能計算機械として発展してきて、そのなかでさまざまなアプリケーションを動作させているからです。
コンピュータは人間に対してヒューマンインターフェースを持っていますが、コンピュータ内部のハードウェアどうしもヒューマンインターフェースを持っていますか。コンピュータ内のデジタル情報を、いちいち人間にも理解可能なアナログ情報に変換することが非効率であるように、すべての機械にヒューマンインターフェースを持たせることは非効率です。
ディスカッション
コメント一覧
>コンピュータ内部のハードウェアどうしもヒューマンインターフェースを持っていますか。
これ文末は「?」でしょうか?、そうだとすると
もっていますよ、それをレジスターセットやBIOSやAPIと呼びます。
大体なかったら、コンピュータ自体が作れないじゃないですか、
そんなんで、コンピュータが動いたら、それこそオカルトです。
歯車だって、物理学に基づいたヒューマンインターフェース
があるから、トルク変換ができるのです。
問題は、あなたがそのインターフェースの存在を認知したり、
理解したりできるかどうかであって、認知できなかったり、
理解できないから、ないわけではありません。
ロボットの使う道具がヒューマンインターフェースを持って
いれば、既存の資産が活用できるという経済的メリットが出
てきます。ロボットが壊れたら掃除もできない家なんて、僕
は住みたくありません。
社怪人さんに対する回答は、ここに書きました。
◎ ヒューマノイドはスイスナイフになる
http://www.systemicsarchive.com/ja/c/swiss_knife.html