人は汎用的インターフェースになりうるか
目的に応じたロボットをその都度作るよりも、何にでも使えるロボットを作ったほうが応用範囲が広がるように見えるが、何にでも使える道具は、何にも使えない。もちろん、人間とそっくりなロボットを作ることによって、人間用のインターフェースだけを作ればよいという利点はある。しかし、人とコミュニケーションする時とは異なり、機械どうしのコミュニケーションにヒューマンインターフェースは不要である。
1. ヒューマノイドの多機能化
「つれづれ:人型ロボット」に対するコメント。現在のヒューマノイド・ブームが、かつての人工知能ブームと同様に、商業的な需要がないので、商業的には成功しないだろうという私の予測について:
僕はそうは捉えていなくて、ヒューマノイド型ロボットではなく、二足歩行ロボットが出来たという風に捉えています。[1]
現在研究者たちが開発しているヒューマノイド型ロボットは、たんなる二足歩行ロボットではありません。例えば、漫才をやるパーソナルロボット「PaPeRo 2005」とかを考えてください。以下のように卓球をするロボットまで作られています。
人間とそっくりなロボットを作ることによって、産業界は、人間用のインターフェースだけを作ればよいという利点もあります。何かしらの製品を作るたびにロボット用のインターフェースを組み込まなければいけないという呪縛から逃げられますから。[3]
確かに、目的に応じたロボットをその都度作るよりも、何にでも使えるロボットを作ったほうが応用範囲が広がるように見えます。しかし、何にでも使える道具は、何にも使えません。多機能なスイスナイフが登山でしか使われないなど、多機能になればなるほど、使われる範囲は限られるというパラドックスがあります。
2. ヒューマンインターフェースの汎用化
港区赤坂四畳半社長(国益第一編)による「万能性と機能性]に対するコメント。ヒューマンインターフェースが汎用化されることで、ヒューマノイドロボットが汎用的に活躍できるようになるのかという問題について:
いまのHDDビデオデッキには、テレビチューナーと、ビデオ録画とビデオ再生と、録画番組一覧表と、Gコード予約やEPG予約と、LAN接続がありますが、これだけ多機能でも別に用途が限定されているわけではありません[4]
そうした相乗効果のある機能を統合すれば、商品として成功するでしょう。しかし、関連のない機能を詰め込むと、需要が急減します。例えば、そのビデオデッキに、花粉症防止機能やおでん鍋の機能が加わり、値段が高くなったとすると、この多機能ビデオデッキを買ってくれる人は、「動画を楽しみたい」かつ「花粉症に悩んでいる」かつ「おでんが大好き」という人でなければなりません。
一つの道具に、関連のない機能を付加するごとに、需要は減少し、そして機能を無限大にすると、需要は、極限値としてゼロになります。だから、何にでも使える道具は、誰も買いません。ただし、多機能化の限界費用がゼロならば、この命題は成り立ちません。しかし、そうしたことが可能なのかどうか。
「多機能=結局は何も使えない」というのはパラドックス(paradox)なのではなく、人間が追いつかないだけなので、人間をアシストする必要があり、そのアシストする方法が確立すれば、「多機能=何にでも使える」が成立すると思っています。[5]
二人とも、話が技術論的で、経済的観点がないような気がします。
インタラクションのない無人工場のメンテナンス用ロボットとインタラクションがあるウエイトレス用ロボットを完全に専用設計するのは、遠い未来においてはナンセンスなことになるのではないかと思います。[6]
人間がロボットを使って仕事をするとき、そのロボットは、人間に対してヒューマンインターフェースを持たなければならないが、ロボットが使う道具までが、ロボットに対してヒューマンインターフェースを持たなければならない必然性はありません。
もしも、道具と道具がヒューマンインターフェースを持つ必要がないとするならば、ヒューマノイドは不要ということになります。例えば、ウエイトレス用ロボットも、ヒューマノイドである必要はありません。
万能性は機能性をスポイルするかというと、そんなことはないと思います。なにしろコンピュータこそが、そもそも万能計算機械として発展してきて、そのなかでさまざまなアプリケーションを動作させているからです。[7]
コンピュータは人間に対してヒューマンインターフェースを持っていますが、コンピュータ内部のハードウェアどうしもヒューマンインターフェースを持っていますか。コンピュータ内のデジタル情報を、いちいち人間にも理解可能なアナログ情報に変換することが非効率であるように、すべての機械にヒューマンインターフェースを持たせることは非効率です。
3. ヒューマノイドはスイスナイフになる
港区赤坂四畳半社長の「インターフェースの汎用化」に対するコメント。何でもできるヒューマノイドロボットは、スイスナイフと同様に、何の役にも立たないのではないかという問題について:
例えばHTTPやSMTPやPOPといったインターネット上の普遍的なサービスでもちいられるプロトコルは、根本的には人間がインターセプトしても理解できるようになっています。[8]
私は、「人間にも理解可能なアナログ情報に変換することが非効率である」と言ったのであって、「人間にも理解可能なアナログ情報に変換することが不可能である」とは言っていません。ヒューマンインターフェースに転換可能であることと、ヒューマンインターフェースであることは同じではありません。コンピューターのハードの内部は、スクリーンに映し出されたアナログ情報を人間の目そっくりの受信機が読み取るという情報伝達をしていないので、ヒューマンインターフェースではありません。言葉の使い方が業界標準と異なるというのであれば、お詫びしますが、私が言おうとしたことはそういうことです。
そうそう、スイスナイフの話を最初にしていましたが、スイスナイフというのは万能な道具ではあっても、ナイフとしてもハサミとしても爪楊枝としても利便性が低い常に「帯に短し襷に短し」という道具なのです。だから登山のような特殊な環境でなければ使えないのは当然です。[9]
私も、その意味で、ヒューマノイドがスイスナイフになるのではないかと考えています。
例えば、全自動の洗濯機は、一種のロボットだと思うのですが、ヒューマノイドが完成すれば、従来の洗濯機が使われなくなり、ヒューマノイドが、昔、洗濯機が普及する前に、人間がやっていたようなやり方で洗濯をするようになるのかといえば、多分そうならないだろうと思います。ヒューマノイドが完成する遠い未来においては、人間が使っている道具のほとんどが自動化されるでしょう。ヒューマノイドは、どんな人間の仕事も、昔人間がやっていた原始的な方法でできるけれども、どの専用自動機械よりも効率が低いので、使われないということになってしまいます。
もちろん、衣服を洗濯機にまで運ぶという作業を、ヒューマノイドにさせるという用途ならあるかもしれません。しかし、そこまで機械にやらせると、運動不足になってしまいます。人間が苦手な作業は非ヒューマノイドロボットに任せ、人間が得意な作業は人間が自らの肉体を動かしてやるというのが、健康面でも経済面でも望ましいのではないかと思います。頭脳労働についても同じことが言えます。
私は、ヒューマノイドに需要がないとは言いません。スイスナイフにそれなりの需要があるように、ヒューマノイドにもそれなりの需要があるでしょう。ただ、スイスナイフと異なって、ヒューマノイドの完成には、膨大な研究開発費がかかります。需要が小さいのに、はたしてそれを回収できるかどうか。
ロボットの使う道具がヒューマンインターフェースを持っていれば、既存の資産が活用できるという経済的メリットが出てきます。[11]
これは、ヒューマンインターフェースの汎用化のメリットとしてよく挙げられる点ですね。でもこれは、専用全自動機械が普及するまでの過渡的段階での話であって、過渡的段階のための技術に金と時間を使うのはどうかと思います。これから光ファイバーによるネット接続が普及するというのに、メタルケーブルの高度化のために、多くの金と時間を使うのと同じで、非合理です。
4. ヒューマノイドはたんなる人型機械以上である
港区赤坂四畳半社長の「自動機械は人間の形を伴うべきか?」に対するコメント。自ら判断するヒューマノイドロボットは本当に必要なのかについて:
PCの例でわかることは、ものが売れる、売れないということに万能であるかそうでないかということに直接の関連性は薄いということです。[12]
私は、単機能機械が多機能機械よりも常に優れている、あるいはよく売れるとは主張していません。スイスナイフの例で誤解なさったのだと思いますが、私がヒューマノイドで問題にしているのは、全能性であって、多機能性ではありません。
ヒューマノイドロボットにとって期待されるのはなにかと言うと、
「専用機械を作るほどではないが手間のかかる汎用的作業」
の全てです。
たとえば資料のコピー。
機械でもできますが、本のページを自動的にめくりながら資料をコピーするのは専用の機械をつくるには手間がかかりすぎます。
それと、部屋の戸締り、会議の後片付け、お茶だし、黒板消し、ちらかっているCDの掃除、名刺整理…こんな機械的な単純作業は、できれば誰だってやりたくないはずです。[13]
本のコピーとか黒板消しとかCDや名刺の整理とか、メディアをデジタル化すれば、全然面倒ではありません。部屋の自動戸締りは、家全体のIT化で、イギリスなどで実用化されつつあると聞きます。お茶飲んで、湯飲みを片付けるなんて、二三歩動けばできることのためにロボットがいるでしょうか。会議室のような特殊な場所でなら、回転寿司みたいな方法で、それすら自動化できるでしょうけれども。ヒューマノイドが完成する遠い未来においては、ヒューマノイドにふさわしい雑用のほとんどがなくなっているのではないかと予想できます。
テレイグジステンスとは、自分がその場にいなくても、いるのと同様のことができるという、バーチャルリアリティ技術の一種です。
これはヒューマノイドでなければ達成できない用途です。[14]
テレイグジステンスに必要なのは、「人間の形をしたロボット」であって、ヒューマノイドロボットではありません。人間が遠隔操作で動かす、人間の形をしたロボットならば、自ら考えて行動するヒューマノイドとは異なって、簡単に作れるし、ある程度需要があると思います。
例えば、放射能漏れを起こした原子力発電所で、普段人間がやっているような作業をする時には、人間が、人間の形をしたロボットを遠隔操作で動かす必要があります。危険な災害現場で、人間向けのブルドーザーを作動させる時とかもそうです。これらは、ヒューマノイドでなくてもできることです。
自動車が登場したばかりのころは「あんなものを使えば運動不足になる」といった人が必ずいたのだと思います。
しかし、実際には速く移動できるようになったかわりに、長距離を移動するようになって結局別のかたちで疲労がでてきました。決して疲労自体はなくならないのです。
また、長距離を速く移動できることによってモータリゼーションが起き、通勤圏が広がり、物流網も効率化しました。
そのむかし、計算機や電卓が流行し始めたころ、ソロバンを愛用している人たちに「あんなものに頼っていては計算ができなくてバカになる」と言われましたが、いまや会計を計算機に頼らない企業はなくなりました。[15]
私は「人間が苦手な作業は非ヒューマノイドロボットに任せ、人間が得意な作業は人間が自らの肉体を動かしてやる」べきだと書きました。自動車は人間よりも走るのが得意です。計算機は人間よりも計算が得意です。だから、自動車や計算機という非ヒューマノイドロボットを作ることに、異論はありません。
私は、《機械は得意で人間は苦手な仕事》のみならず、《機械は苦手で人間は得意な仕事》までを機械に任せることに反対しているのです。前者は、非ヒューマノイドロボットの仕事で、後者は人間の仕事です。効率という経済的観点から言って、ヒューマノイドの開発は好ましくないのですが、人間の仕事がなくなるという点でも好ましくありません。
私は、日本の老人に寝たきりが多いのは、定年制のせいだと思っています。彼らは、寝たきりだから仕事ができないのではなくて、仕事をしないから寝たきりになるのです。人間が、すべての労働を全能のロボットにさせると、ヘーゲルが謂う所の「主人と奴隷の論理」により、ロボットと人間の地位が逆転することでしょう。人間がロボットに滅ぼされるかもしれません。
港区赤坂四畳半社長は、そこまで完成度の高い、つまり全能のヒューマノイドを念頭に置いておられないのでしょう。それはわかっています。ただ、ヒューマノイドは、人間に近づけば近づくほど、有害になってくるということが言いたかっただけです。ヒューマノイドの開発は、高級人形あるいは人間の形をした遠隔操作ロボットの段階で止めるべきです。
5. 参照情報
- 梶田秀司『ヒューマノイドロボット (改訂2版)』オーム社 (2020/10/21).
- 細田耕『柔らかヒューマノイド: ロボットが知能の謎を解き明かす DOJIN選書』化学同人 (2018/9/15).
- 中嶋秀朗『ロボット–それは人類の敵か、味方か――日本復活のカギを握る、ロボティクスのすべて』ダイヤモンド社; 1版 (2018/1/17)
- 中谷一郎『意志を持ちはじめるロボット ~人類が創りだす衝撃的な未来~ (ベスト新書)』ベストセラーズ (2016/9/8).
- 本田幸夫『ロボット革命 (祥伝社新書)』祥伝社 (2014/12/10).
- ↑つれづれ「人型ロボット」2005-05-10 14:00.
- ↑Humanrobo. “TOPIO (“TOSY Ping Pong Playing Robot") is a bipedal humanoid robot designed to play table tennis against a human being. TOPIO version 3.0 at Tokyo International Robot Exhibition, Nov 2009“. Licensed under CC-BY-SA
- ↑つれづれ「人型ロボット」2005-05-10 14:00.
- ↑港区赤坂四畳半社長「万能性と機能性」(リンク切れ)
- ↑つれづれ「何にでも使える道具は、何にも使えないのか?」2005-05-12 18:32.
- ↑港区赤坂四畳半社長「万能性と機能性」(リンク切れ)
- ↑港区赤坂四畳半社長「万能性と機能性」(リンク切れ)
- ↑港区赤坂四畳半社長「インターフェースの汎用化」(国益第一編)
- ↑港区赤坂四畳半社長「インターフェースの汎用化」(国益第一編)
- ↑D-M Commons. “Swiss Army Knife made by Wenger S.A. (model “EvoGrip S17", model no. 1.017.059.821)“. Licensed under CC-BY-SA.
- ↑社怪人のコメント(2005年5月15日 5:44 PM)
- ↑港区赤坂四畳半社長「自動機械は人間の形を伴うべきか?」(リンク切れ)
- ↑港区赤坂四畳半社長「自動機械は人間の形を伴うべきか?」(リンク切れ)
- ↑港区赤坂四畳半社長「自動機械は人間の形を伴うべきか?」(リンク切れ)
- ↑港区赤坂四畳半社長「自動機械は人間の形を伴うべきか?」(リンク切れ)
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これ文末は「?」でしょうか?、そうだとするともっていますよ、それをレジスターセットやBIOSやAPIと呼びます。大体なかったら、コンピュータ自体が作れないじゃないですか、そんなんで、コンピュータが動いたら、それこそオカルトです。歯車だって、物理学に基づいたヒューマンインターフェースがあるから、トルク変換ができるのです。問題は、あなたがそのインターフェースの存在を認知したり、理解したりできるかどうかであって、認知できなかったり、理解できないから、ないわけではありません。ロボットの使う道具がヒューマンインターフェースを持っていれば、既存の資産が活用できるという経済的メリットが出てきます。ロボットが壊れたら掃除もできない家なんて、僕は住みたくありません。
この社怪人さんに対する回答は、本文中に書きましたので、それを参照してください。
清水です。
いつもためになるご意見をありがとうございます。
僕は少なくともあと30年は、自分で思考するという意味での、まともなヒューマノイドロボットは登場しないと思っています。
それを実現するための基礎理論がまるで存在しないからです。
どうも僕が思う「ヒューマノイドロボット」と永井さんの思う「ヒューマノイドロボット」に根本的に相違があったようですね。
また落ち着いたらなにか書かせていただこうと思います。ありがとうございました。
科学者たちが作ろうとしているのは永井さんの定義でいえば「人型機械」なのでしょう。
アトムとかドラえもんのようなヒューマノイドを引き合いに出すのは、それが一般の人に分かりやすく、面白いからであってアトムを実際に作れるとは思っていない。漫才ロボットも同様。
問題はそういった一般の人=有権者がそれを信じてしまうことで、そうなると「実現もしない物にそんな巨額の予算をかけるのか」となるわけですね。
未来がどうなるかなんて、私には分かりませんが…
漫才ロボットが、遠隔操作で動かされている人型機械だったら、興ざめですね。それなら、着ぐるみのほうがお客さんに喜ばれるのではないかと思います。
なお、経済産業省が考えている次世代ロボットは、遠隔操作の人型機械ではありません。