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男女共同参画を推進する本当の狙いは何か

2008年10月28日

1999年に男女共同参画社会基本法が成立し、2001年には内閣府男女共同参画局が設置され、国も自治体も女性の社会進出に向けて取り組んでいる。だが、政府が推進する男女共同参画社会とは、左翼系フェミニストが期待しているような、女性労働者の地位の向上を保証する平等な社会ではなく、むしろ資本家を儲けさせるための格差社会である。

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1. 男女共同参画社会基本法はなぜ成立したのか

女性を家事と育児に固定する性別分業は、憲法で謳われている男女平等の理念に反するとして、フェミニストたちから長らく批判されてきた。彼女たちは、立法や行政を司る国会議員や官僚のほとんどが男性であることから、女性解放は困難と当初は見ていたようだが、1985年に女子差別撤廃条約が批准され、男女雇用機会均等法が成立し、1999年には、男女共同参画社会基本法が成立するなど、女性の職場進出に向けての法的整備は着々と行われている。

以下のグラフは、昭和55年(1980年)から平成19年(2007年)までの間での、専業主婦がいる世帯の数と共働きの世帯との数の推移を描いているが、これをみれば、女性の社会進出が、法的整備を背景に、着実に進んでいることがわかる。

男女共同参画白書 平成20年版
共働き等世帯数の推移[1]

フェミニストたちも、男女共同参画社会を推し進める政府の積極的な姿勢に驚いているようだ。男女共同参画審議会委員の大沢真理との対談の中で、フェミニストの上野千鶴子は、1996年7月に、男女共同参画審議会が、男女共同参画ビジョンを答申したことについて、次のように言っている。

かつて国連で女性差別撤廃条約が締結された時、条約の文言を読んで日本の現実とのあまりの落差に茫然自失しました。こんなものに署名してきた日本政府代表って、おいおい、本気かよ、字が読めなくなって署名してきたんじゃないのか(笑)と思うぐらいの大きなショックがありましたけど、これはそれと同じくらいの落差があります。ジェンダーの解消を目指す私たちにとっては願ってもない歓迎すべきゴールですけれど、それが今日の時点における政府の審議会で合意形成されたという、その事実そのものが、にわかには信じがたい(笑)。[2]

これに対して、大沢は、その時代背景を次のように分析している。

男女共同参画室と審議会が設置され、北京会議に備えるという体制が作られたのは羽田内閣から村山内閣に変わる境目の頃なんですね。やっぱりあの頃、戦後五十年決議であれ、なんであれ、いろいろ言われても、自民党単独政権ではとてもなされないだろうようなことがいろいろなされてきた。私はそういう九十年代連立政治の一つの結果であるというふうに思っています。[3]

大沢は、このように、男女共同参画社会の実現には、社さの閣外協力が追い風になったと考えている。では、自民党の保守主義者は、社会主義者たちとは異なって、女性の社会進出に消極的だったかと言えば、必ずしもそうではない。男女共同参画社会基本法を成立させたのは、純粋な保守政党である。女子差別撤廃条約を批准したり、男女雇用機会均等法を成立させたのは、タカ派の保守主義者として知られる中曽根康弘が首相のときだった。

大沢は、対談の後にできた男女共同参画社会基本法案について次のように述べている。

一九九八年夏の参議院選挙を境に「自社さ」から「自自(自民党と自由党)」へと変わった政権のもとで、法案がどのようなものになるか懸念していたが、意外にもいくつかの点で審議会答申よりも踏み込んだ法案となったことを、やや驚きながら歓迎した覚えがある。[4]

自由党というのは、1998年から2003年にかけて存在した、小沢一郎を中心とした保守政党である。上野は、1999年に、男女共同参画社会基本法が、日の丸・君が代を国旗・国歌として法制化する法律とともに成立した後、次のように感想を述べている。

この法律は、「君が代・日の丸」国会で、超党派の満場一致で成立しました。「君が代・日の丸」法案を通した同じ議員が通したんですよ、信じられます?[…]よう通したな、こんな過激な法律を[5]

2000年12月の講演では、上野はこう言ったと伝えられている。

男女共同参画社会基本法が可決された。しかも全会一致で!私はこのように思った。この男女共同参画社会基本法がどのようなものか知っていて通したのかよー、と[…]これにより後で保守系オヤジどもを地団駄踏んで悔しがらしてやる[6]

上野も大沢も、男女共同参画社会基本法の成立で女性の地位が向上すると喜びつつも、なぜフェミニストの敵と思われている保守本流のオヤジ議員たちが、誰も、これ反対しなかったのか、理解できず、不思議に思っているようだ。

2. 男女共同参画社会の理念は何か

上野は、しかしながら、男女共同参画基本法に全面的に賛成しているわけではない。彼女は、法の名前に、「男女平等社会」ではなくて、「男女共同参画社会」が採用されていることに文句を言っている。たしかに、「男女共同参画」の英語訳が“gender equality”となっていることを考えると奇妙であるが、日本国憲法で平等の理念が謳われているにもかかわらず、「男女平等」という言い回しいは当初から慎重に避けられていた。

ちなみに、1987年に制定された「西暦2000年に向けての新国内行動計画」では「男女共同参加型社会」という表現が使われていた。しかし「参加」では、付け足しのようなイメージが強いので、「参画」という言葉が使われた。大沢はこう回顧している。

財界の人たちは、法制度がどうこうより、要は能力と努力によって差がついているだけなので、それに不満を言い立てるなんてとんでもないと。男女平等という言葉に男性のお偉方のアレルギーが強いということを考慮して、平等とは言わないで、男女共同参加とか共生と言ってきた。参画と言うようになったのは、日本では参加、参加で大衆動員するので、それよりは意思決定過程に参与することを強調する意味で参画を使おうということになって出てきた言葉ですね。[7]

ここからわかるように、委員たちは、財界人の圧力を受けて、男女平等という文言を入れないことで、この法律が《結果の平等》を保証しているかのような印象を払拭し、保証しているのはあくまでも《機会の均等》だけだというメッセージを名称に込めたのである。同じことは、所謂「男女雇用機会均等法」、つまり、「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律」にも当てはまる。どちらの法律も、本文には、日本国憲法に言及した箇所以外では、「平等」という言葉は出てこない。この言葉の問題が、政府とフェミニストの思惑のずれを象徴している。

フェミニズムというのは、たんに男女が対等であることを主張しているだけの形式的な思想ではなく、女性原理を尊重し、エコロジーや社会主義と親近性を持つ、実質的な内容を持った思想である。だから、自由競争のような男性原理を肯定する、自由主義的な機会均等主義者は、フェミニズムとは言わない。上野自身、ブルジョワ的で自由主義的な女性解放思想は、フェミニズム理論に含めることはできないと言っている[8]

上野は、マルクス主義的フェミニストである。マルクス主義的フェミニズムは、男性/女性の関係をブルジョワ/プロレタリアンや先進国/発展途上国といった搾取/被搾取、強者/弱者の関係で捉え、後者の前者からの解放を主張する。マルクス本人がフェミニストであったわけではないが、フェミニストたちは、自由競争という男性原理を否定し、弱者を救済するという点を評価して、マルクス主義を女性原理で染め上げた。

上野は、リベラリズム(アメリカ的な意味ではなくて、イギリス的な意味でのリベラリズム)を、資本主義のイデオロギーとして批判する。

リベラリズムは「自由主義」と訳します。自由主義ってカッコよく響きますが、自由主義の自由って何かというと、資本家が金を儲ける自由のことです。この自由を守れというのがリベラリズムというのものなんです。[9]

上野は、男女雇用機会均等法は、女を自由競争に巻き込むという理由で、この法律に反対している。

ヨーイドンの競争で、最後に結果に差がつけば、これまではヨーイドンの競争に入れてもえら[ママ]なかったから男女格差がついていたように見えたけれど、ヨーイドンの結果、「勝ち組」の女と「負け組み」の女ができるだけでしょう。そうすると勝った女を「いいわね、あの人は。でも私はしょせん、頑張らなかったから-」と、女が自分の劣位に同意をする、同意を調達するシステムに、女がより深く巻き込まれていくだけでしょう。[10]

最近では、さすがに上野も「マルクス主義」を口にしなくなったが、相変わらず、競争のない社会主義的な平等社会を理想としている。だが、現在日本で実現されつつある男女共同参画社会は、そうした理想とは全く逆の社会である。

3. 保守主義者が男女共同参画社会を支持する理由

なぜ、自民党や元自民党の保守主義の議員たちは、男女共同参画社会基本法に賛成したのか、その理由を考える前に、「男女共同参画社会」の実現が何をもたらすのかを考えよう。上野は、こういう予測を立てている。

国内で女性の労働力参加を促進する政策を取ることは、一国国内的な経済性や生産性の効率のためにはプラスかもしれません。ですが、国内で上がりすぎた男女の人件費は、安い労働力を求める資本移動をとめることはできません。福祉国家とかあるいは一国内ジェンダー・ディストリビューション・ジャスティス(ジェンダーによる資源の分配公正)を、域内平和として達成することは可能かもしれないけれども、気がついたらとっくに国内の雇用の空洞化が起きていた、ということにもなりかねません。[11]

ここからもわかるように、上野は、もしも女性が本格的に職場に進出するなら、女性の賃金が男性の水準にまで上昇すると予想し、その結果、資本は低賃金による搾取を海外に求めるようになるのではないかと懸念している。

しかし、私は、上野が考えているのとは全く逆の事態になるだろうと予測している。それまで家庭の中で眠っていた女性の労働力が、労働市場に出てくれば、労働力の供給が増えるのだから、賃金水準は下がることはあっても上がることはない。女性労働者の待遇を今の男性労働者なみに良くするのではなくて、男性労働者の待遇を今の女性労働者なみに悪くすることで男女格差を解消し、同時に、国内の雇用の空洞化を阻止することが、男女共同参画社会実現の結果である。

女性の社会進出は、賃金水準の切り下げを媒介としつつ、ポジティブフィードバックによって促進されるだろう。夫の賃金が下がれば、それまで専業主婦でやっていけた妻も、家計を維持するために、働きに出なければならなくなる。より多くの専業主婦が、労働市場に出れば、賃金水準はさらに下がる。そうなれば、さらにより多くの専業主婦が…というように。

上野のような左翼のフェミニストは、ワークシェアリングによる福祉国家の実現を夢見ているのであろう。確かに、女性が労働市場に進出しても、男女の労働時間を短縮すれば、賃金水準の値崩れを防ぐことができるだろう。しかし、日本の雇用政策は、世界的なトレンドに合わせて、福祉国家的ないしフォーディズム的な労使協調を終わらせる方向で動いている。

1999年から施行された改正男女雇用機会均等法では、男女の均等取扱いとひきかえに、女子保護規定が撤廃され、女性の残業・休日労働・深夜業規制がなくなった。男女の労働者に、現在の男性なみの厳しい労働条件で、かつ、現在の女性なみの安い賃金水準で働いてもらうことで男女間の格差を解消したいというのが資本家たちの本音である。そして、資本家から多額の政治献金を受けている自民党や元自民党の保守主義の議員たちが、資本家の利益になる政策に賛同するのは当然である。

フォーディズム的な労使協調の終焉は、たんに賃金水準を切り下げるだけでなく、雇用形態の変更をもたらす。雇用者は、社会保険や福利厚生費を削減するために、あるいは雇用の硬直化を防ぐために、非正規雇用を増やしつつある。非正規雇用といっても、正規雇用と比べて必ずしも労働時間が短いわけではなく、むしろ時間給が低い分、長時間働かなければいけないというのが現実である。企業は、非正規の雇用を増やすことで、一人当たりの労働時間を減らそうとしているわけではなくて、企業にとって重要でない従業員の一生の面倒を見ることを放棄しようとしているのである。

この終身雇用制の崩壊もまた、男女間格差を是正することになる。これまで女性の賃金水準が男性の賃金水準よりも低く抑えられていたのは、かならずしも経営者の性的偏見が原因とは言えない。女性従業員は、結婚や出産でいつ辞めるかわからないので、スキルアップのための長期投資や、企業秘密を漏らすことになる経営参画の対象にはなりにくかった。つまり、女性従業員の賃金水準が安いのは、男性アルバイト従業員の賃金水準が安いのと同じ理由なのである。しかしながら、長期にわたって働く女性が増えてくると、そうした差別は根拠を失うことになる。

以下のグラフは、男性一般労働者(正規雇用労働者)の時給を100とした時の、女性一般労働者(正規雇用労働者)、男性短時間労働者(非正規雇用労働者)、女性短時間労働者(非正規雇用労働者)の時給の相対値の推移を示したものである。平成元年(1989年)においては、男性の非正規雇用労働者の時給水準は、女性の正規雇用労働者の時給水準に近かったが、その後、下落して、女性の非正規雇用労働者の時給水準に近づきつつある。正規雇用と非正規雇用の格差が厳然と維持される一方で、正規雇用においても、非正規雇用においても、男女の格差は縮小しつつある。

男女共同参画白書 平成20年版
労働者の1時間当たり平均所定内給与格差の推移[12]

男女格差だけでなく、日本と世界平均との格差も縮小しつつある。発展途上国と比べて高い日本の労働賃金の水準は、今後とも下がっていくだろう。但し、下がるといっても、それはあくまでも平均的に下がるというだけであって、個別に見るなら、少数の勝ち組と多数の負け組みに二極分化することになるだろう。では、勝ち組の条件は何かといえば、それは、将来ロボットやコンピュータによるオートメーション化が進んでも、それらによって代替されることがない仕事をしている人たちである。

男女共同参画社会による、労働賃金水準の下落は、究極的には、オートメーション化によって惹き起こされている。かつて主婦の仕事は、成人のフルタイムの仕事に相当するほど多かったが、家電製品の自動化により、格段に省力化されるようになった。女性の労働市場への進出は、家庭内オートメーション化によって浮いた労働力が家庭外に補充されることを意味している。

ロボットやコンピュータによって代替できない仕事は、誰にでもできるような単純な仕事ではないのだから、誰もが仕事をする能力があることを前提にしている社会主義的なワークシェアリングは適切ではない。自由競争により、機械によって代替できる人間と、そうした人材ないし機械を使いこなすことができる人間とに選別する必要が出てくる。福祉国家崩壊後の新自由主義(イギリス的な意味での古典的な自由主義)は、そうした考えに基づいて現れてきたのである。

4. 追記:批判への反論

2010年9月9日

本稿に対する、原名高正さんの批判「哲学者のトンデモ雇用観」への反論。雇用の総量を減らすことになる、規制強化による共産主義的なワークシェアリングではなくて、逆に雇用の総量を増やすことになる、規制緩和による自由主義的なワークシェアリングを提案します。

女性労働者と非正規労働者の待遇が悪いのはなぜか

まずは、“女性従業員は、結婚や出産でいつ辞めるかわからないので、スキルアップのための長期投資や、企業秘密を漏らすことになる経営参画の対象にはなりにくかった。つまり、女性従業員の賃金水準が安いのは、男性アルバイト従業員の賃金水準が安いのと同じ理由なのである。”という私の主張に関して。

■おいおい、ちょっとまった。その証拠は?

■じゃ、なにか? 「男性アルバイト従業員」ってのは「いつ辞めるかわからないので、スキルアップのための長期投資や、企業秘密を漏らすことになる経営参画の対象にはなりにくかった」ってか?

■そんなはずないだろ? だって、パート・アルバイトからはじまって正社員はもちろん、役員にまでのぼりつめたなんて例もあるよね。しかも女性でも。[13]

厚生労働省が2010年9月2日に発表した「2009年若年者雇用実態調査」の結果によると、過去3年間にフリーターを正社員として採用したことがある企業は、全体の11.6%にすぎません。その中でさらに役員にまでするというケースはもっと稀でしょう。もちろん、そういう事例も探せばあるでしょうが、だから、どうだというのですか。パート・アルバイトに長期的な投資をしたりや経営参画をさせている企業がたくさんあるならば、私の主張に対する反論となりますが、正社員にした従業員に正社員の待遇を与えることは、私の主張に矛盾するわけではないのだから、そうではないでしょう。

■女性や、わかい男性が「スキルアップのための長期投資や」「経営参画の対象にはなりにくかった」っていうのは、「いつ辞めるかわからない」からっていう、不信感なんかじゃないでしょ?

■はじめから、「スキルアップのための長期投資や」「経営参画の対象」とみないっていう、「みかぎり」「差別感」があったんだよね。

■でもって、女性や、わかい男性の一部に、「どうみても、既存の常勤スタッフより、できる」って人材は、例外的にだけど確実に少数実在するわけだ。そういったひとびとを、ちゃんとみとめる上司がいると、ひきたてられたわけだよね。[14]

有能かどうかは関係ありません。有能であっても、すぐに辞めてしまうと、投資を回収することができませんし、企業秘密が外部に洩れるかもしれません。むしろ、有能な人ほど、スキルアップした後にライバル企業に転職したり、経営に参画して得た情報を悪用したりといったリスクが増えます。被雇用者が、「スキルアップのための長期投資や、企業秘密を漏らすことになる経営参画の対象」となる条件としては、能力以外にも企業への忠誠心が重要視されます。非正規の労働者、とりわけ、正規労働者になることができるのに、敢えてそれを拒否している労働者は、仮に有能であったとしても、忠誠心という点で疑問視され、「スキルアップのための長期投資や、企業秘密を漏らすことになる経営参画の対象」とはならなくなります。

とはいうものの、フォーディズムのモデルが破綻した現代においては、企業が労働者を一生囲み続けて、無償で教育等の長期投資を行うとか、生え抜きでしか幹部を採用しないとかいった慣習は、時代錯誤的であり、是正する必要があります。従業員がいつ辞めてもよいようにするには、企業内教育を有料化したり、事前に守秘義務契約を結ばせたりすればよいでしょう。非正規労働の場合、研修期間の時給を安く設定することで、社内教育が事実上有料化されているわけですが、転職が一般的になれば、正規労働者に対する教育も有料化されるようになるでしょう。

■つまり、最初に不信感ありきで「おしえたってしかたがない」「おしえたら、ぬすまれ/にげられる」って警戒して、育成をてびかえたんじゃないだろう。

■女性/わかものへの偏見があって、差別的にとりあつかってよいという合意がオヤジたち雇用者がわにあったから、こういった人事がくりかえされてきたとしかかんがえられない。

■あたかも、女性/わかものが、信用ならない存在としてあったから、それなりの処遇をえたのは当然みたない、オヤジ雇用者たちの利害を合理化するなよ。[15]

「オヤジ雇用者」たちが、若い男性に対して最初から不信感があり、その結果、「スキルアップのための長期投資や、企業秘密を漏らすことになる経営参画の対象」にしなかったというのは事実に反します。日本の企業は、新卒至上主義であり、就職において差別されるのは、むしろ35歳以上の中高年の求職者の方です。日本において顕著なこの就職差別を撤廃するのに必要なのは、解雇規制の撤廃ですが、これに関しては、「どうすれば労働者の待遇は良くなるのか」ですでに詳しく述べたので、ここでは繰り返さないことにします。

■「ロボットやコンピュータによって代替できない仕事」っていうけどさ、ながれ作業にしろ、セル方式にしろ、「オフィス・オートメーション(表現がふるいが)」の空間でくりかえされている労働が、ロボットやコンピュータで代替できるような過程(=「誰にでもできるような単純な仕事」)だっていうのか?

■いや「長期的にはそういった宿命をおびた労働過程だ」って見解はただしいかもしれない。中岡哲郎さんの『人間と労働の未来』(中公新書,1970年)は、そういったおっそろしい予言をしていて、基本的にあたっているからな。

■じゃ、そういった労働に従事しているひとは、「誰にでもできるような単純な仕事」にしか適応できない能力、いいかえれば「ロボットやコンピュータによるオートメーション化が進んでも、それらによって代替されることがない仕事」につけない層か、ってことだ。

■そうじゃないだろう。そういう機会があたえられなかった層をさすんじゃないの?[16]

現在単純労働に従事している人たちが、全員、単純労働しかできないと言っているわけではありません。彼らおよび彼女らが単純労働に従事しているのは、まだ需要があるからであり、需要が減れば、当然、それ以外の労働に従事せざるをえなくなるでしょう。原名さんは、能力史観的に考えているようですが、私は必要史観的に考えています。「ロボットやコンピュータによって代替できない仕事」というのは、必ずしも、高学歴のエリートでないとできない仕事というわけではありません。例えば、保育は、人と人とのふれあいが重要な仕事であり、ロボットやコンピュータによって代替が困難な仕事ですが、高度な知性が必要というわけではありません。

■19世紀後半に、オンナ/コドモが家族総出で労働現場にでている。そして、以前は職人(男性)ひとりがかせいでいた賃金を家族総出でかせぐようになった。大工場制が職人わざを分解し、非熟練化することで……って資本のおぞましい運動を描写したのはマルクスたちだったよね。

■そのころ、イギリスとか資本主義の先進地域の女性たちは「家庭内オートメーション化によって浮いた労働力」に変質していたってか? さすが資本主義の最先端。すごいな(笑)。

■ちがうだろ。いつだって、資本は女性たちを労働力の需給の安全弁として、いいように利用してきたんだよな。「ネコのてもかりたい」時期には、どんどん「家庭外」におびきだし、いらなくなったら どんどん「くびきり」。そのくりかえしだったじゃないか?[17]

古代の奴隷制社会でもそうですが、人的資源のための長期投資、すなわち教育に力を入れずに、下層労働者を単純労働に従事させる社会では、生物学的に働ける人間は、男女老若を問わず、労働へと駆り立てられます。しかし、私がここで取り上げているフォーディズム期の日本経済では、そうではないのですから、フォーディズム期以前の時代の資本主義の話を持ち出すのは、的外れです。

ワークシェアリングはどうあるべきか
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ワークシェアリング[18]

■そういった、資本・経営がわの「ごつごう主義」「てまえがって」を擁護するような哲学者は、いらんよ。単なる、新自由主義の正当化じゃない。「無学」なオヤジたちでも くちばしれるようなさ(笑)。

■上野さんたちの発想に限界がある。資本・経営のがわに利用されるだけだっていう批判は、一見カッコよさげだけど、じゃどうすればいいの。

■解答は、簡単なんだよね。「将来ロボットやコンピュータによるオートメーション化が進んでも、それらによって代替されることがない仕事をしている人たち」以外は、貧乏でもしかたがありません、って、それだけだから(笑)。

■要は、ワークシェアリング/男女平等とかの理念についていけないから、反対しているだけなんでは?

■日本のいまの方向性がダメなら、北欧などのとりくみは、導入不能なのか、それこそ証明しないと全然説得力ないぞ。 [19]

原名さんの言う「北欧などのとりくみ」とは何のことでしょうか。日本も、北欧並みに解雇規制を緩和して、労働市場を流動化するべきだということでしょうか。もしそうならば、賛成します。企業の垣根を越えて、人材を生産性の低い分野から高い分野へとシフトさせることが必要ですから。労働市場を自由化すれば、子育てを終えた35歳以上の女性の再就職にも弾みがつくでしょう。

でも、原名さんが言いたいことは、そういう新自由主義的なことではないはずです。ポリティカルコンパスによると、原名さんは、政治的左右度:-7.6で、経済的左右度:-5.19のリベラル左派で、「ワークシェアリング/男女平等」を理念として掲げているのだから、(文字通り、共に生産するという意味での)共産主義的なワークシェアリングを理想としているのでしょう。

もっとも、ワークシェアリングということならば、北欧を引き合いに出すのは不適切です。北欧には、制度としてのワークシェアリングはありません。ワークシェアリングの成功例として日本でよく知られているのは、オランダであり、1982年に政府と雇用者団体と労働組合との間に成立したワッセナー合意に基づく賃金抑制と労働時間短縮は、物価の上昇を抑え、雇用を増やし、オランダ病とも言われた低成長、高失業率、高インフレを改善することに役立ち、オランダ型のワークシェアリング政策は、ポルダー・モデル(polder model)と呼ばれています。日本でも、ポルダー・モデルを導入して、不況と失業率の増加を解決しろと主張する人が、左翼系の人々の間に散見されますが、ポルダー・モデルを日本に導入するにあたっては、いくつか注意が必要です。

第一に、オランダ政府は、ワッセナー合意以降、ワークシェアリング導入と同時に、国営企業の民営化や政府支出の削減といった新自由主義的な政策を同時に行っており、日本でワークシェアリングを推進している左翼系の人々が理想としているような共産主義的な政策の一貫として行ったわけではありません。

第二に、賃金抑制といっても、民間企業の賃金を政府主導で下げることは難しく、実際には、公務員の給与を急激に下げることで、賃金抑制が実現されました。その間、民間企業の賃金は、むしろ上昇したぐらいです。これにより、優秀な人材が、官から民へと流れ、民間主導の経済成長が可能となりました。

第三に、ポルダー・モデルは、インフレ対策として行われたので、長期にわたってデフレに苦しんでいる日本に導入するにあたっては、それがデフレ・スパイラルを加速させないように、リフレ効果のある金融政策で、経済成長を支える必要があります。

第四に、オランダの企業は、フルタイムとパートタイムの間に、日本に見られるような待遇の格差を設けていません。日本にワークシェアリングを導入するのであれば、その前に、正規労働に対する過剰な保護を撤廃し、フルタイムとパートタイムの間の格差を撤廃しておく必要があります。

第五に、規制強化によるワークシェアリングには、生産性の高い人材を長時間働かすことができず、結果として、企業の生産性を下げるというデメリットがあります。こういうワークシェアリングは、誰がやっても仕事の成果は同じという前提に立っているので、能力別賃金格差の導入もできず、労働者のインセンティブにマイナスの影響を与えてしまいます。また、厳しすぎる規制は企業の国外移転をもたらすので、雇用の総量を減らすという悪影響もあります。

以上の注意点を踏まえた上で、私は、雇用の総量を減らすことになる、規制強化による共産主義的なワークシェアリングではなくて、逆に雇用の総量を増やすことになる、規制緩和による自由主義的なワークシェアリングを促進するべきだと思います。但し、労働市場が掘り起こすべき未利用労働力は、専業主婦に限定されません。現代の日本がとりわけ活用するべきであるのは、定年退職後の高齢者の未利用労働力です。専業主婦と定年退職後の高齢者の大部分は、フルタイムの仕事は無理でも、パートタイムの仕事なら参画可能であり、それを促すために、最低賃金法の廃止を提案します。

最低賃金法とは、第一条によれば、「賃金の低廉な労働者について、賃金の最低額を保障することにより、労働条件の改善を図り、もつて、労働者の生活の安定、労働力の質的向上及び事業の公正な競争の確保に資するとともに、国民経済の健全な発展に寄与することを」目的に、昭和三十四年に制定された法律で、違反企業には、罰金が課せられます。最低賃金は、地域によって異なりますが、東京都の場合は、平成21年10月1日現在、時給791円です[20]

東京都は、他方で、ボランティア活動を法律で禁止していません。これは非常に奇妙なことではないでしょうか。時給791円以上と時給0円の労働は許可し、その間の1円以上790円以下の労働を禁止しているのですから。ボランティア活動と労働では目的が全然違うと反論する人もいるかもしれませんが、では、半ば労働で、半ばボランティアといった中間形態はなぜだめなのでしょうか。定年退職した高齢者の中には、時給が安くても、趣味と実益を兼ねた仕事をしたい、生きがいを見つけるために、あるいは健康を維持するために働きたいという人も少なからずいますが、そうした就労の自由を政府が否定してよいのでしょうか。

最低賃金法は、労働の目的は金を稼ぐことだけだという間違った前提の基に作られています。人は、金銭的報酬以外にも、規則正しい生活のリズムの維持、他者とのコミュニケーション、社会貢献に対する誇り、自己実現の充足感といった非金銭的報酬を仕事に求めることがあり、低賃金労働を法的に許可したからといって、生活水準が低下するとは限りません。菅首相は、介護と医療を柱に雇用を創出すると言っていますが、高齢者に働いてもらうことで、介護と医療の需要を減らす方が、世代間の負担の不公平感を減らすという意味でも健全な雇用創出法だと思います。

女性の雇用を増やすにはどうすればよいのか

話を女性の雇用に戻しましょう。女性労働者が寿退社する理由として、あるいは専業主婦の社会進出を阻む理由として、保育所の不足がしばしば挙げられます。また、働く女性の中には、保育所不足を理由に子供を産まない人もいます。そこで、もっと保育所を作れと主張する人もたくさんいますが、私は反対です。

保育所が不足していて、待機児童問題が深刻化しているのは事実ですが、需要に追いついていないのは、認可保育所、とりわけ、保育料が安い公立の保育所であって、認可外保育所はそうではありません。自治体にもっと保育所を作るように要望する人も多いようですが、自治体が税金を投入して安価な保育所を作ることは、民業圧迫であり、するべきではありません。ダイヤモンド・オンラインの以下の記事が指摘するように、認可制度は、認可保育園の既得権益を守りることで、認可保育園の経営を堕落させています。

認可保育園は認可外保育園がもらうことのできない巨額の施設整備費を受け取っているため、園舎は立派で、園庭も大きい。それでいて、月謝の平均は約2万円と安い。これも補助金のおかげだ。

たとえば東京都では、私立認可保育園で約30万円、公立では約50万円を、0歳児1人当たりの保育費用として毎月補助している。だから、月謝が安いのだ。

一方、都心の認可外保育園の多くは、雑居ビルで運営され、0歳児の月謝は6万~7万円かかる。

これだけ差があれば、認可保育園には黙っていても園児は集まる。そして、園児が集まれば、それだけ多くの補助金が入ってくる。

おかげで、認可保育園の経営者に経営感覚は育ちにくい。「複数の物品の納入業者から見積もりを取って、値引きさせるという当たり前のことすらやらない園もある」(認可保育園関係者)。

さらに、保育園経営が“利権化”している面もある。

私立認可保育園の多くは社会福祉法人によって運営されている。社会福祉法人は地域の篤志家などが自らの財を提供して設立し、保育園運営を始めたケースが多い。

しかし、補助金事業で公的側面が強いにもかかわらず、後任の理事長も自ら決めることができる。現在では、二代目、三代目と、後を継いでいる保育園も多い。また法人税を支払う必要がなく、一族を職員として雇うことも多い。

儲けの裏技もある。私立認可保育園の職員の給与の支払いにも補助金が投入されているが、その額は、およそ世間一般での“大卒で30歳程度”に設定されている。

ところが、一部の私立認可保育園では、女性職員は30歳までに辞めるように仕向けつつ、なるべく若い職員を中心にして人件費を抑えている。実際の賃金と補助金との差額が、利得になるからだ。

さらに、社会福祉法人の理事長は給与額を自分で決めることができる。こうして「合法的に私腹を肥やす」(認可保育園関係者)のだ。[21]

私は、認可保育園をもっと増やせという世論とは逆に、公立の保育所を民営化し、さらに認可制も廃止し、すべての保育所を届出制にすることで、イコール・フッティングな競争を促すべきだと思います。

保育産業のもう一つのボトルネックは保育士資格で、現在、短大卒業相当以上の学歴が資格試験受験の要件となっていますが、こうした受験資格を撤廃し、誰でも試験さえ受けて合格すれば、保育士になれるようにします。こうすれば、保育士不足は解消されるでしょうし、保育料金も下がって、利用者が増えることでしょう。

もしも女性の生産性が高くて、時給が保育料を上回るのなら、保育所に子供を預けて働きに行けばよいし、もしもそうでないならば、保育士資格を取って、自宅で自分の子供と共に近所の他人の子供も育てればよい。自宅を保育所にするのなら、コストもかからないし、保育料を低料金にすることができます。自宅保育所の増加は、女性の就業者増加に二重の効果があります。こうした規制緩和によるワークシェアリングは、確実に雇用を増やすし、経済成長にとってもプラスだと思うのですが、いかがでしょうか。

5. 参照情報

関連著作
注釈一覧
  1. 内閣府. 『男女共同参画白書』平成20年版. p. 78.
  2. 上野千鶴子 他. 『ラディカルに語れば?―上野千鶴子対談集』平凡社 (2001/10/1). p. 26.
  3. 上野千鶴子 他. 『ラディカルに語れば?―上野千鶴子対談集』平凡社 (2001/10/1). p. 14.
  4. 上野千鶴子 他. 『ラディカルに語れば?―上野千鶴子対談集』平凡社 (2001/10/1). p. 78.
  5. 上野千鶴子 他. 『ジェンダーフリーは止まらない!―フェミバッシングを超えて』松香堂書店 (2002/01). p. 35-36.
  6. 間接引用:西尾 幹二 他. 『新・国民の油断 「ジェンダーフリー」「過激な性教育」が日本を亡ぼす』PHP研究所 (2005/1/12). p. 214.
  7. 上野千鶴子 他. 『ラディカルに語れば?―上野千鶴子対談集』平凡社 (2001/10/1). p. 17.
  8. 上野千鶴子. 『家父長制と資本制―マルクス主義フェミニズムの地平』岩波書店 (1990/10/31). p. 12.
  9. 上野千鶴子 他. 『フェミニズムの最前線―上野千鶴子講演会記録』ウィメンズブックストア. 松香堂書店 (1986/05). p. 42.
  10. 上野千鶴子 他. 『フェミニズムの最前線―上野千鶴子講演会記録』ウィメンズブックストア. 松香堂書店 (1986/05). p. 49.
  11. 上野千鶴子 他. 『ラディカルに語れば?―上野千鶴子対談集』平凡社 (2001/10/1). p. 68.
  12. 内閣府. 『男女共同参画白書』平成20年版. p. 77.
  13. 原名高正「哲学者のトンデモ雇用観」『タカマサのきまぐれ時評』2006年08月07日.
  14. 原名高正「哲学者のトンデモ雇用観」『タカマサのきまぐれ時評』2006年08月07日.
  15. 原名高正「哲学者のトンデモ雇用観」『タカマサのきまぐれ時評』2006年08月07日.
  16. 原名高正「哲学者のトンデモ雇用観」『タカマサのきまぐれ時評』2006年08月07日.
  17. 原名高正「哲学者のトンデモ雇用観」『タカマサのきまぐれ時評』2006年08月07日.
  18. Scott Maxwell. “Working Together Teamwork Puzzle Concept" Licensed under CC-BY-SA.
  19. 原名高正「哲学者のトンデモ雇用観」『タカマサのきまぐれ時評』2006年08月07日.
  20. 東京労働局労働基準部賃金課「東京都最低賃金改正のお知らせ
  21. 週刊ダイヤモンド編集部「新規参入は断固阻止!! 保育園業界に巣くう利権の闇」『ダイヤモンド・オンライン』2009.11.16.