世代を超えた格差の固定化を防ぐ方法

2010年4月16日

豊かな家庭に生まれた子供は、恵まれた教育を受けて、多くの遺産を受け継ぐことができるので、貧しい家庭に生まれた子供よりも有利である。このため、親の世代にできた格差が、次の世代にまで引き継がれ、公平な競争が損なわれてしまう。この弊害を取り除くために、相続税の強化や公教育の充実が提案されることがあるが、こうした方法は、世代を超えた格差の固定化を防ぐ方法として望ましいだろうか。

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フランスの経済学者、トマ・ピケティは、『21世紀の資本』で、資本収益率(r)が経済成長率(g)よりも大きく、格差が拡大すると警告した。これに影響されて、資本への課税を強化し、教育への投資を増やし、貧富の格差を是正するべきだと主張する人が、日本でも増えた。

1. 相続税の強化がもたらす弊害

世代を超えた格差の固定化を防ぐ方法として、最もポピュラーなのが、相続税・贈与税の税率の引き上げである。経済評論家の勝間和代も、以下のように「相続税上げ階級固定化防ごう」と提案している。

相続税・贈与税の税率を上げて、階級の固定化を防ぐことを提案します。具体的には、最高税率を現在の50%から、03年度の税制改革より前の70%にすることが望ましいと考えます。[…]一方、単に相続税を引き上げるだけでは、税逃れを引き起こしかねません。このため、寄付金控除(団体などに寄付した場合、控除を受けられる制度)を拡大し、富裕層が相続税でお金を政府に残すのか、寄付で他の公的な団体に残すのかを選べるようにすることを同時に提案します。[1]

鳩山首相は、2010年2月2日の衆院本会議の代表質問に対する答弁で、相続税に関して「課税ベース、税率構造の見直しを2011年度の改正を目指して頑張っていきたい」と述べた。民主党内にも、国の税収不足や格差是正を理由に、相続税を見直す方針のようである[2]から、勝間の提案は、現政権、現与党の考えに沿ったものだ。自民党も相続税強化に賛成であり、実現する可能性が高い[3]

しかしながら、読者アンケートによれば、59%が勝間の提案に反対で、賛成の41%よりもやや多い。勝間は、寄せられた意見の中から、「日本の相続税は現状でも高く、これ以上の税負担は資産の海外移転に直結する。資産家が経営する会社も海外に移転されるかもしれない」という反対論を「ベストアンサー」に選んでいる[4]

この指摘はもっともである。プライスウォーターハウスクーバーズLLPが2005年に50カ国を調査したところ、アルゼンチン、オーストラリア、カナダ、中国、コロンビア、キプロス、チェコ共和国、エストニア、インド、インドネシア、イスラエル、ラトビア、リトアニア、マレーシア、マルタ、メキシコ、ニュージーランド、ポルトガル、ロシア、スロバキア共和国、スロベニア、スウェーデン、スイス、タイの24カ国は相続税を設けておらず、さらに残り26カ国の相続税平均税率は24%で、日本の相続税最高税率の半分ほどである。

これは2005年の調査結果であるが、その後、2006年には香港が、2008年にはシンガポールが相続税を廃止している。米国、英国、フランスといった大国までもが、相続税の廃止を検討している。世界各国が、相続税を廃止し、富裕層の国内誘致に鎬を削っている中で、日本が相続税率を引き上げるとどういうことが起きるかは、少し考えれば分かることだろう。

数多くの相続税ゼロ国家の中でも、日本の富裕層の誘致に最も力を入れている国は、シンガポールである。シンガポールに拠点を置くプライベートバンクの中には、ジャパンデスクを持ち、日本に居住する富裕層に対してサービスを行っている銀行があって、こういう銀行が富裕層のシンガポールへの移住を勧めている。

ある日本人事業家が高齢となり、子息が事業を継がないことから、会社を売却することになりました。売却額が100億円。

日本では譲渡所得税が20%、相続税が50%かかるとすると、子息に渡るネットの財産は40億円になってしまいます。

あるプライベートバンクは、この方とご子息両方をシンガポールに移住することを提案。シンガポールと日本の租税条約で、日本の譲渡所得はシンガポールで課税されることになっているため、100億円を日本側で源泉課税されること無くシンガポールで受け取れ、キャピタルゲイン課税・相続税・贈与税がゼロであるため、子息は財産100億円を1円の税金も払わず相続することが出来ることになったそうです。[5]

もしも相続税の最高税率を50%から70%に引き上げたならば、こうした富裕層の海外移住はますます加速されることだろう。だから、税率を上げても、税収が増えるとは限らない。森永卓郎などは、2000万円以上の遺産に100%の課税をすれば、所得税も消費税も法人税も一切支払わなくてよくなると予測している[6]が、これも、富裕層のエクソダスを計算に入れない机上の空論である。

それならば、富裕層が国内資産を海外に移転することを法で禁止してから、相続税率を上げたらよいではないかと思う人がいるかもしれない。しかし、そうした法案を作っても、それが可決されて、施行されるまでには時間がかかる。そして、富裕層は、それまでの間に、国内資産を海外にいっせいに移転するだろう。規制でキャピタルフライトを防ごうとする安易な解決策は、むしろ、よりドラスティックなキャピタルフライトを事前に惹き起こすことになるのである。

ところで、勝間は、「単に相続税を引き上げるだけでは、税逃れを引き起こしかねません」と納税者の節税行為を予測して、寄付金控除の拡大も同時に提案している。しかし、こうした寄付の促進は、以下のような、富は努力して手に入れるべきだという勝間の理念に自己矛盾をもたらしてはいないだろうか。

「子孫に美田を残さず」という格言があります。本人の努力とは関係のない巨額の資産を受け継ぐと、受け取った本人も生き方がゆがんでしまう恐れがあります。それよりは税金や寄付の形で社会に還元すべきでしょう。[7]

たしかに、遺産を努力もせずに手に入れることができる制度は、遺産相続人から勤勉の精神を奪い、彼らの生き方を歪めることになるかもしれない。しかし、それならば、寄付を努力もせずに手に入れることができる制度もまた、寄付を受け取る人から勤勉の精神を奪い、彼らの生き方を歪めることになるのではないか。不労所得を減らすために、別の不労所得を増やせというのは、政策理念として矛盾していないだろうか。

もちろん、寄付の対象がNPOの場合、NPOの仕事に対する対価として、寄付を受け取っていると解釈することもできる。しかし、それならば、遺産相続人も、親の介護や資産管理等の労働に対する対価として、相続の権利を主張することができるのではないか。遺産をすべて寄付したNPOの理事に子供が就任するという妥協策もあるが、こういう不純な動機で作られるNPOが本当に公益のためになるのかどうかは疑問である。それらは、むしろ、公益のためにと称して設置され、公的資金を無駄使いする、官僚たちの天下り先と同様の問題を孕んでいる。

2. 公教育の充実がもたらす弊害

勝間は、「相続税上げ階級固定化防ごう」を書いた後、読者の賛否両論を取り入れ、自分の提案を若干修正している。

反対論には「階級の固定化解消はチャレンジした人への優遇策と失敗した場合のセーフティーネット整備で達成すべきだ」との意見がありました。賛成論では「税率引き上げで財源を確保し、奨学金制度を充実させ、勉強したい人に教育の機会が与えられる」との主張がありました。[…]私も、階級の固定化を防ぐ手段は、相続税・贈与税の税率引き上げだけではなく、公教育の充実や、リスクをとってチャレンジした人を応援する風土作り、社会的弱者を救うセーフティーネットの整備など複合的施策が不可欠と考えます。[8]

私は、「階級の固定化解消はチャレンジした人への優遇策と失敗した場合のセーフティーネット整備で達成すべきだ」という意見に賛成である(もっとも、それは、《不幸な者》の救済であって、《弱者》の救済ではない)が、「公教育の充実」には反対である。なぜならば、公教育の充実は、階級の固定化を解消するどころか、むしろ促進するからだ。

その理由は、これから述べるが、ここで、公教育の充実も、現政権与党である民主党が重点的に取り組んでいる政策課題の一つでもあることを指摘しよう。民主党は、高校授業料無償化法案を提出し、国公立の高校を無償化し、私立の高校等に対しても就学支援金を支給する予定である。その一方で、民主党は、全国学力テストや教員免許更新制といった、安倍内閣が公教育の質を上げる目的で企画した施策を、廃止の方向で検討中である。民主党が、公教育を、その質をチェックすることなく、税金で温存させようとしているのは、日教組の支援を受けているからであろう。

公教育は、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」という日本国憲法第二十六条の理念に従って、行われている。「その能力に応じて」とあるが、政府が監督し、規制するために、公教育は、どうしても平等主義的で画一的にならざるを得ない。画一的製品を量産し、国民生活を貧困状態から標準状態へと底上げする、60年代までの工業社会の時代においては、公教育はうまく機能していたが、標準状態以上の豊かさを求める、工業社会から情報社会への時代の転換に伴って、教育に対するニーズが多様化すると、機能不全に陥っていった。

公教育の中で、もっとも平等主義的なのは、公立の学校であり、公教育の堕落は、公立から始まった。公立の学校が健全だった時代、低所得の家庭に育った子供でも、塾や私立に行って、金を使わなくても、公立の学校でまじめに勉強すれば、東京大学をはじめとする名門大学に合格し、立身出世することができた。60年代までは、日比谷、西、戸山といった首都圏の公立高校が、東京大学合格者数ランキングにおいてトップテンに入っていた。だが、70年代以降、これらの公立高校は、ランキングから姿を消し、灘や開成といった私立高校がトップテンの常連となった。

これは、学校群制度が原因だと一般には思われている。学校群制度とは、公立高校の学校間格差を是正するため、学区内に設置した数校からなる群を単位として選抜を行い、各校に学力が平均化するように合格者を割り振った制度で、東京都では、1967年に導入された。だが、和田秀樹は、学校群制度が導入される前に入学した生徒が大学を受験した1968年に、灘高校が東京大学の合格者数で日比谷高校を抜いて初めてトップになったことを根拠に、灘高校などの私立が躍進できたのは、これらが六年一貫制を採用しているからだと主張している[9]。すなわち、日本のカリキュラムはバランスを欠いていて、中学校の学習事項が少なすぎる反面、高校の学習事項が多すぎるので、中学校の学習事項の習得を早めに終わらせ、高校の学習事項の習得に時間をかける六年一貫制私立校の方が受験に有利であることが、この頃から認知されたからだという。

この指摘は正しい。中学校までは義務教育だから、公立の学校では、おちこぼれがでないように学習事項を減らさなければならない。公立の中学校が、学習能力の低い子供に合わせて画一的教育をすれば、それには満足できない子供たちが、進度の速い学校へ行こうとするのは、当然のことである。もちろん、和田も認めるように、学校群制度など、受験生から進学先の選択の自由を奪う制度は、公立離れをさらに加速させた。公立の学校は、さらに、偏差値による序列化を阻止し、受験競争を緩和するために、業者テストを廃止し、高校受験の選抜において調査書における内申点を重視するようになった。こうした反偏差値的教育改革は、公立高校の水準をさらに押し下げることになった。

公立の学校が、平等主義的理念に基づいて、学校間格差の是正や受験競争の緩和に努めても、その目的を達成することはなかった。中産階級以上の家庭の優秀な子供たちは、六年一貫制の私立に入学するための新たな受験戦争を開始したからだ。公立内部での格差が減少し、代わって、公立と私立との間で格差が生まれてきたことで、格差社会はより不健全なものとなった。公立内部に格差があって、そこで競争が行われていた時には、勝敗は、家庭の貧富の差よりも子供自身の努力と能力によって決まった。しかし、公立学校の質が低下すると、家庭の貧富の差が子供の将来に大きな影響を与えるようになる。六年一貫制の私立校は授業料が高いし、しかも名門私立中学の入試問題は、公立小学校の授業内容を超えているので、名門私立中学に合格するためには、高い授業料を払って進学塾に通わせなければいけない。子供に能力があっても、家庭の所得が低ければ、一流大学へ進学することが困難になる。

公立校の機能不全が、公教育の質の低下の第一段階であるとするならば、ゆとり教育による公教育全体の質の低下は、その第二段階であると位置付けることができる。ゆとり教育の象徴的存在である寺脇研は、ゆとり教育の起源は、1984年に中曽根首相の主導のもとにできた臨時教育審議会の方針にあると言っている[10]。これはやや強引だが、関係付けられなくもない。臨教審では、中曽根首相のブレーンの一人でもあった香山健一委員は、「今次教育改革で戦略的に重要なのは、教育行政改革による教育の自由化の断行だ」として、

  1. 教育行政分野での許認可、各種規制の見直し
  2. 教育分野への民間活力の導入
  3. 学校の民営化、塾の合法化
  4. 選択の自由の拡大と競争メカニズムの導入

などを提唱したが、文部省系の委員から反対され、結局、「自由化」の理念は、「個性主義」という玉虫色の理念へと換骨奪胎されて、実現しなかった[11]。もしも、これを実行していたら、教育効率が向上し、学習者には、時間的ゆとりが生まれたことだろう。だが、実際には、ゆとり教育は、教育の効率化によってではなく、学習事項の削減という形で実行され、その結果、深刻な学力崩壊をもたらした。

日本の公教育が抱えている問題は、これに限られるわけではない。たんに教える内容の水準が下がっているだけでなく、教えること自体が成り立たなくなっている。「愛子様不登校事件」で世に知られるようになったが、今や、公立小学校のみならず、学習院初等科のような名門私立小学校でも学級崩壊が起きている。さらに言うならば、小学校のみならず、中学、高校、大学でも、国公私立を問わず、授業が成り立たないという現象が頻発している。

政府が国民全員に画一的な教育を与えるという社会主義的配給経済は、戦後の貧しい時期には有効であった。しかし、社会が豊かになるにつれて、配給経済は機能しなくなった。今日、日本の公教育全体が崩壊の危機にある。民主党がやっている高校無償化の政策は、民間企業なら、とうの昔に倒産しているような不良企業に税金を投入して、延命させようとするたんなる彌縫策に過ぎない。そのような彌縫策は、抜本的解決を遅らせることで、かえって崩壊の危機をより深刻なものにするだけだ。

もしも、日本の公教育が、今後ともますます機能不全に陥っていくとするならば、日本の富裕層は、自分の子供にエリート教育を受けさせるために、海外の学校を選ぶようになるかもしれない。欧米の富裕層の子供は、ボーディングスクール(寄宿制中等教育学校)で学んで、一流大学に入学することが多いが、日本の富裕層の中にも、我が子を世界的なエリートにするべく、海外のボーディングスクールに留学させる動きが出てきている。所謂ジュニア留学ブームである。

日本の富裕層で人気があるのは、スイスのボーディングスクールである。米国のボーディングスクールは、主として国内向けであるが、スイスのボーディングスクールは、海外の富裕層の子弟を積極的に集め、インターナショナルな学校となっている。日本の大学は、東京大学を含めて、世界的には二流以下であり、世界的なトップエリートを目指すならば、世界の大学ランキングのトップに君臨するアイビーリーグやオックスブリッジに進学したほうがよい。そして、これらの一流大学に進学するのであれば、灘や開成といった国内の進学校よりも海外のボーディングスクールで学んだ方が有利である。もちろん、これは、富裕層にのみ可能な贅沢である。

ボーディングスクール留学は富裕層だからこそ実現できる、究極の教育の選択肢です。質の高い教育という、一生散逸することのない貴重な財産を子供に持たせることができる、「無形の財産分与」なのかもしれません。[12]

戦後の日本の教育制度史を振り返ってみると、政府や自治体が、公教育を通じて教育の機会均等を実現しようとすればするほど、教育の機会均等が失われるという皮肉な結果が生まれていることに気が付く。自治体が、学校群制度を導入したり、業者テストを廃止したりして、公立校間の偏差値格差を解消しようとすると、富裕層や中間層は公立から私立に逃げるので、公立と私立の格差が拡大する。それではいけないと、国がゆとり教育を推進して公教育全体の格差を是正しようとすると、富裕層は、日本の公教育から脱出しようとする。役所が平等主義的理念に基づいて、学力の低い生徒に合わせた画一的教育を行おうとすればするほど、金持ちの子供は、彼らの権力が及ばないエリート学校に逃げる。その結果、レベルの低い公教育しか受けられない貧乏人の子供たちとレベルの高い私教育を受けることができる金持ちの子供たちとの格差が広がってしまうのである。

3. 左翼ポピュリスト政策の皮肉な結末

相続税の強化と公教育の充実は、世代を超えた格差の固定化を防ぐ方法として、左翼が好んで使う手段であるが、ボーダレス化したグローバル社会では、どちらも意図した結果と逆の結果を生み出す。しかも、この両者を同時に行うことは、日本にとってさらにネガティブな相乗効果をもたらす。これまで、日本の税率が高いにもかかわらず、日本の富裕層が海外に移住することが少なかったのは、日本語と日本文化の壁があったからである。もしも、富裕層の子供が、海外のエリート学校に通い、海外で働き、生活する能力を身に付けるならば、その親である富裕層は、高い贈与税や相続税を避けるために海外移住するケースが増えることになる。

富裕層は、日本の人口のごくわずかの割合しか占めないのだから、彼らが海外に移住したところで、あまり大きな影響は無いと読者は思うかもしれない。しかし、彼らが納税、消費、貯蓄、投資で果たしている役割は大きく、たとえ人数が少なくても、彼らの海外移住者が経済に及ぼす負の影響は大きい。富裕層は、海外に移住したならば、為替リスクがないことぐらいしか長所のない、金利の低い国内預金を解約し、国債を売却するだろう。そうなると、日本国債は、買い手を失い、財政破綻の危機が現実化する。財政が破綻したら、日本政府は公教育すら十分に行えなくなるだろう。世代を超えた格差を縮小することを目的とした相続税の強化と公教育の充実は、海外移住できる富裕層とそれができない一般国民との間に、世代を超えた、さらにいっそう大きな格差を作り出す。これは実に皮肉なことである

左翼ポピュリストは、貧しい者の味方を自称し、貧しい者が富める者に抱くルサンチマンを利用して権力を握る。そして、彼らは、富める者から富を奪い、貧しい者に配分し、格差を是正しようとする。ジンバブエのムガベ大統領がその典型的な例である。左翼ポピュリストたちは、国家の富は一定であることを前提にして、再配分をすれば、貧しいものが豊かになるという幻想を振り撒くのだが、実際には、富める者が国外に脱出することによって、また国内の勤労者が労働意欲を失うことによって、再配分のための原資である国内の富が急減し、貧しいものはさらに貧しくなる。もしも日本人が、貧困から抜け出したいと考えているならば、左翼ポピュリスト政策の実行によるシンガポールのスイス化と日本のジンバブエ化を阻止するべきだ。

4. 均質的平等に対する根源的批判

以上、格差を左翼的手段で是正しようとすると、かえって格差が拡大することを述べてきた。では、左翼が、左翼的方法で実現しようとしている均質的平等は、実現が困難なものの、理念としては間違っておらず、できることなら実現するべき理想なのだろうか。このことを検討するために、実現できるかどうかは不問に付して、完全な平等が社会にどのような影響を与えるか、思考実験してみよう。

子供は、生まれながらにして平等だとよく言われる。しかし、これは正しくない。子供は、特定の両親から特定の遺伝子をもらって生まれてくる。だから完全な平等を実現するには、政府は、自由な結婚を禁止して、政府が最高と認定した人の遺伝子から、大量に等質なクローンの子供を生産しなければならない。さらに、環境による格差をなくすために、各子供たちに、政府によってその等質性が認定された教師が、まったく同じ教材を使って、全く同じペースで授業を行う。各子供たちは、全く同じ額のお小遣いをもらい、全く同じ種類の遊びをして、育っていく。

たぶん世間で左翼と呼ばれている人たちですら、こういう極端に平等な社会の実現を望まないだろう。しかし、物事の本質は、その最も純粋な形態において顕現するものであるから、極端なモデルで考えることは有意義である。極端な例で誰もが気が付くことは、平等で均質な社会は、高度に分業化が進んだ現代社会にはふさわしくないということである。ちょうど、各細胞が特殊な細胞へと特化しなければ多細胞生物が成り立たないのと同様に、各個人が特定の役割へと特化しなければ、社会は成り立たない。

もう一つの問題は、均質化によって変化適応性がなくなるということである。たとえ、大量に作られる金太郎飴のような人間が現在の環境を生き抜くのに適していたとしても、社会の成員が均質であればあるほど、予測不可能な環境の変化により、全員が環境不適応になるリスクが高くなる。逆に、多様な人材がいる社会では、環境が変化しても、不適合になる人が出る反面、適合的である人もいるので、全員が環境不適応になるリスクは減少する。有性生殖のメリットがこの点にあることは、既に述べた

社会には多様性が必要である。たんに多様な属性を持った人材が必要なだけでなく、属性を評価する価値基準までもが多様でなければいけない。先ほどのSF的な想定では、最高の遺伝子を決める価値基準が、実際には多様であるのに、政府によってその多様性が一つへと縮減されてしまうという点を問題点として指摘することができる。SF的でない話に戻して考えるならば、平等主義者は、社会のメンバーを、自分が理想と考える標準的な状態へと均一化しようとするのだが、その理想的な標準状態が何であるかを決める際に、間違いを犯す可能性がある。想定された理想的標準状態は、変化適応性を持たないどころか、環境適応性すら持たない可能性すらある。

教育の自由化と多様化を批判する人には、認識の有限性と価値基準の相対性を自覚していない人が多い。例えば、苅谷剛彦は、次のように言って、学校選択の自由化を批判している。

学習の市場化が進めば進むほど、それは人びとの行動を導く制度として、個人による「選択」を前提に学習機会が配分されていることを受け入れる基盤となる。選びたいから選ぶのではなく、選ぶことが余儀なくされるようにルールが変更されるのである。その結果、個人の形成(自己や個性の形成ではない!)も、自らが選んだという見なしが成立する(まるで個性を選ぶように)。ところが、そもそも存在する選択能力の差異や、選択可能な資源の差という初期条件の違いを括弧に入れたまま、「選択」原理が推し進められようとしている。それも、選択の経験自体が個人の自立を促すという論理をまとって、である。[13]

要するに、親の学力の差が、良い学校あるいは学習方法を選ぶ能力の差となり、それが子供の学力の差を帰結し、かくして格差の再生産をもたらすというわけである。苅谷がこう言う時、彼は、学習方法の良し悪しが客観的に決まっているということを前提にしている。しかし、実際には、普遍妥当的な「最高の学習方法」などというものはないし、だからこそ、さまざまな教育者にさまざまな学習方法を考案させ、それをさまざまな価値観を持つ消費者たちに自由に選択させるということが必要なのである。

5. 多様性の肯定による機会均等

左翼たちは、多様性の肯定と形式的な平等扱いは、弱者と強者の格差を拡大することになると言って、多様性と形式的平等を否定しようとする。彼らに言わせれば、スタートラインにおいて実質的に平等でない子供たちを、ハンディも付けずに、形式的に平等に競争させれば、強者が勝ち、弱者が負けるに決まっている。強者は、勝利で手にした富を自分への投資に使うから、強者はますます強くなり、それができない弱者はますます弱くなるというわけである。はたしてそうだろうか。私たちは、左翼たちが暗黙のうちに前提としている、弱者と強者という区別の根拠となる価値観自体を疑わなければいけない。

この点で示唆的な例を一つ挙げよう。2009年6月7日にヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した辻井伸行は、生まれつき全盲であった。彼は「全盲であるにもかかわらず」、ピアニストとして成功したと思う人もいるかもしれないが、実はそうではない。視覚障害が起きると、視覚を司る脳の部位が他の感覚、例えば聴覚を司るようになり、健常者よりも聴覚が鋭くなる。ヘレン・ケラーは、視覚と聴覚に障害があったが、その代わり触覚が健常者よりも鋭敏になっていた。辻井伸行は、自分を標準的な人間に近付けることによってではなく、全盲という、普通はデメリットと思われている自分の特性をメリットへと転換することで、非凡な成功を収めることができたのである。

人間の長所と短所は、糾える縄の如く、表裏一体である。例えば、社交的な人には主体性がないし、主体性のある人には、協調性がないというように。人間の本性を変えることは容易ではないし、標準的な人間になっても、平凡な人以上の価値はない。それならば、教育により標準的な人間へと矯正するよりも、自分の特性を長所とする努力をした方が、得策ということになる。左翼たちは、自分たちの価値観に基づいて、標準以下の者を弱者と勝手に認定し、補助金や規制で弱者を救済しようとするが、そういう救済は、その「弱者」たちから、デメリットをメリットに変えて、平均以上になろうとするモティベーションを奪うことになる。

本題に戻ろう。貧しい家庭に生まれた子供は、豊かな家庭に生まれた子供よりも不利だというのが一般的な常識である。左翼たちは、補助金を出すなどして、前者を標準に近付けようとするのだが、それだけでは、前者が後者を追い抜くのは、難しい。そこで、デメリットをメリットに変える逆転の発想が必要だ。一般的に言って、貧しい家庭に生まれた子供には、ハングリー精神がある。このハングリー精神を最大限利用する制度を作れば、格差を逆転させるチャンスが生まれる。

そういう制度の一つとして、成果を上げた生徒に対して、現金を支給するという方法がある。例えば、学力試験を開催して、標準的な基準以上の点数を取った生徒には、一万円を賞金として与えるというコンテストをしたとしよう。豊かな家庭に生まれた子供にとって、一万円というのは、取るに足らない金額であるが、貧しい家庭に生まれた子供にとっては、大金であり、同じ金額であっても、子供にとってのインセンティブは同じではない。

もしも、最高得点の獲得者だけに百万円の賞金を与えるというコンテストを開催するならば、貧しい家庭に生まれた子供は、賞金獲得は高嶺の花と思ってあきらめてしまうかもしれないし、豊かな家庭に生まれた子供は、逆に意欲を示すかもしれない。だから、貧しい家庭に生まれた子供でも、努力すれば十分手が届く低い水準に目標を設定し、かつ、豊かな家庭に生まれた子供にとっては魅力的でない水準に金額を設定することが重要である。これは、形式的には平等だが、実質的には、貧しい家庭に生まれた子供の方が有利な制度である。

米国でも、良い成績を出した低所得の家庭の学生に報奨金を与えるインセンティブ・プログラムを実施している州がある[14]が、低所得に限定する必要はない。家庭の所得や資産を正確に把握することは困難だし、それを確認するのに、余計なコストがかかる。また、中所得の家庭と高所得の家庭との格差が是正されないという問題もある。だから、形式的には平等にするべきなのである。

こういう提案をすると、「子供を金で釣るようなやり方はけしからん」と憤る教育家が必ず現われる。たしかに、これまで、金はセックスとともに、教育現場ではタブーだった。しかし、金もセックスも大人の世界の現実であり、教育が、子供を大人の世界に順応させるための訓練であるとするならば、金もセックスも、教育で取り上げるべきテーマであるということになる。セックスの方は、性教育という形で既に低年齢の教育から実施されるようになったが、お金の教育は、日本ではまだ不十分である。公教育の外部では、擬似通貨を使った職業体験型テーマパーク、キッザニアが、好評のようだが、私が提案した、インセンティブ・プログラムは、労働者というよりも資本家を育てるのに有効である[15]

子供たちは、インセンティブ・プログラムで手にした賞金を、娯楽に使うこともできるが、そうするよりも、その金をさらに勉強することに使った方が、より多くの金を手にすることができるということを学ぶ。これは、資本主義の精神そのものである。資本主義の精神とは、勤勉に働き、かつその収穫を次の生産のために投資する資本として蓄積する拡大再生産の精神である。日本が資本主義の国家である以上、子供たちに、資本主義の精神を教えるべきだ。といっても、知識として資本主義を学ぶのではなくて、インセンティブ・プログラムを通じて、身をもって、資本主義の精神を体得することが肝要である。

日本の中流以上の家庭では、両親の言うことを聞く従順な子供に定額でお小遣いを上げる家庭が多いが、こういうことをしていると、公務員や大企業の従業員にしか向かない子供ばかりになってしまう。無条件にお小遣いを与えていると、子供が親の金や税金に寄生する無業者になってしまう可能性もある。だから、成果を上げた場合に限り金を出すという方法で、経営者の卵を育てるということも重要である。

6. 世代を超えた格差の固定化を防ぐ自由主義的方法

私は、世代を超えた格差の固定化を防ぐこと自体には、賛成である。しかし、それは、左翼がそう主張するように、格差そのものをなくすことによってではなくて、格差を流動化することによって実現されるべきであると考えている。それは、多様性の否定による機会の均等ではなくて、多様性の肯定による機会の均等である。私は、前者は理念自体が間違っており、かつその理念を実現するための手段である相続税の強化と公教育の充実が、目指す目的とは逆の結果をもたらすことを論じてきた。そこで、最後に、こうした社会主義的方法の対極にある自由主義的な方法、富裕層を一方的に搾取して貧困層にばらまくのではなくて、両者の間にWin-Winの関係をもたらす方法を提案してみたい。

まず、相続税であるが、これは、たんに日本の富裕層が海外に移住することを防ぐという消極的な理由からではなく、海外の富裕層を日本に呼び込むためにも、世界の流れに従って廃止するべきである。特に、経済成長が著しい中国では、新たに富裕層が生まれつつあるが、環境汚染、食の安全、治安などの理由から、日本での定住に興味をもつ人は、少なくないと予想される。海外の富裕層を積極的に呼び込むための制度変更が必要だ。

従来、日本では、富裕層から高額の税金を取って、それを政府が投融資するという間接的な方法が取られてきた。この場合、市場原理が機能しないので、当事者意識のない政治家や官僚たちによって、非効率な投融資が行われる。投融資の効率を上げるには、富裕層への課税を減らし、その代わり、資産と所得の一定割合を国内に投資するようにする。投資によるリターンは、もちろん投資家のものである。それゆえ、彼らは、当事者意識を持って、投資対象を選別することになる。結果として、政府が雇用対策として公共事業をするよりも、投資効率は高くなる。

次に教育の方であるが、公教育の学校から、単位認定や学位授与といった公的な評価機能を教育機能から分離し、政府の仕事を評価機能に限定することを提案したい。そして、政府や自治体は、学校に金を出すことを止めて、教育の成果に金を出せばよい。目的達成のために、どのような手段をとるかに関して、政府や自治体は口を出さない。どのような教育方法が良いのかは、民間の創意工夫と消費者の自由選択に委ねる。そうすれば、公教育の学校と私教育の学校にあった差別が撤廃され、イコール・フッティングな競争において、コストパーフォーマンスの悪い学校は淘汰されるだろう。かくして、貧しい家庭の子供は非効率な学校にしかアクセスできないという事態は回避される。豊かな家庭の子供の方が、贅沢な教育を受けることには変わりないが、インセンティブ・プログラムは、貧しい家庭の子供に有利に働くだろう。

富裕層による直接投資の促進と教育への市場原理の導入により、貧しい家庭に生まれた子供が富裕層の仲間入りをするというジャパン・ドリームも不可能ではなくなる。日本でも、欧米並みに、エンジェル投資家が、知力と気力と体力のある若手起業家に投資するケースが増えるだろう。貧しい家庭に生まれたが、ハングリー精神があり、上昇志向が強く、リスクを恐れない若者が起業することで、たんに個人レベルで格差の固定化を突き崩す競争が激しくなるだけでなく、企業レベルでも、伝統的な大企業が安穏とはしていられなくなるのだから、格差の固定化を突き崩す競争が激しくなる。そして、個人レベルと企業レベルでの格差の流動化が、日本経済にイノベーションと成長をもたらす。

7. 追記(2011年)グローバル化する教育市場

2011年1月31日から2月6日にかけて行われた、日本の高年収者(平均年収1138万円)739人に対するアンケートによると、子どもを東大よりハーバードに通わせたいと思っている人が多いそうだ。

ビズリーチの調査によると、年収750万円以上のビジネスパーソンに「息子・娘がいるとして、子どもを入れたい大学はどこですか?」と尋ねたところ、トップは米国の「ハーバード大学」だった。選んだ理由では「生徒・教員とも世界のトップクラスが集まる環境下で切磋琢磨することで、真にグローバル人材となる」「授業だけでなく卒業生同志のネットワークが素晴らしく、世界の一流とグローバルな人脈形成ができる」などが挙がった。

2位は「やはり日本の大学の頂点であり、東大での人脈は将来財産となる。潤沢な研究費と教育環境がある」「まずは日本の最高峰で一流の教育環境で勉強してから、大学院は世界でチャレンジすべき」という声があった「東京大学」、3位は「ビジネス界に多大な影響力を持つ経営者を輩出している。卒業生のネットワークがある。ブランド力がある」という声があった「慶應義塾大学」だった。

全体的に海外志向が目立っており、上位20校のうち半数以上の11校が海外の大学だった。米国以外の大学も多くランクインしており、英国の「オックスフォード大学」が10位、「ケンブリッジ大学」が14位に入ったほか、アジアでも「シンガポール国立大学」が18位、「北京大学」が20位にランクインした。

ビズリーチの南壮一郎氏は「もはや国内成長が見込めない中、企業は海外に目を向けざるを得なくなっている。また多くの企業は、アジアなど急成長中の国への投資を積極化している。そのため、自分の子どもには、海外の大学で世界トップレベルの教育を受け、同時に、世界中から集まった一流の人材との交流を通して、将来グローバルに活躍できる人材に育ってほしいという思いが強いようだ」とコメントしている。[16]

ゆとりの教育のおかげで、かつては高かった日本の大学生の知的水準も大きく低下してしまった。

大学への進学率が上がる一方で、底辺校といわれる大学では、学力の低い学生の存在に頭を悩ませている。千葉のある工業系大学で基礎数学の授業を受け持つ講師がいう。

「微分・積分など、高校レベルの学力がない程度ならばまだマシな方です。一次関数までレベルを下げてもまだ理解できない学生が多かったので、ひょっとしたらと思って九九の計算を解かせてみたんですが、全問正解したのは半数以下で仰天しましたよ」

こんな学生を、エンジニアとして就職させるのは不可能だ。埼玉大学教授の岡部恒治氏はこう語る。

「私が『分数ができない大学生』という著作を出してから10年が経ちますが、大学生の学力は当時よりもひどくなっている。現在、大学の半数以上は、正規の授業やゼミとは別に、小学生から高校生レベルの国語、数学などの補習授業を行ない、学び直させているんです」

埼玉の某大学で英語を教える講師はこう打ち明ける。

「ウチの大学では、中学1年生が最初に教わるI、MY、ME、YOU、YOUR、YOUといった人称代名詞から学び直しています。アルファベットの順番がわからず、辞書すらまともに引けない学生が多いですから仕方がない」

ついには、小学校の「国語」さえまともにできない大学生も出現している。中国地方の某大学では、学生と教員の間で「交換日記」をつけているという。学生は、「つまらなかった」程度しか書けない。そこで教員は、「いつ、どこで、何があって、どのように、つまらないのかを書かないと伝わらないよ」と、5W1Hを教えるところから始めている。[17]

ゆとりの教育の推進者たちは、日本の学生の学力がいくら下がっても、日本企業は日本人を雇ってくれると思っていたようだが、グローバル市場で戦っている日本企業が、能力のない日本人を、たんに日本人であるというだけの理由で、高級で雇うなどということはできない。2011年現在、ファーストリテイリング、楽天、ソニー、東芝、日立など多くの企業が新卒入社の外国人留学生比率を増やしている。このままでは、日本人の雇用は減るばかりである。日本の教育者たちは、公権力の行使による平等の実現を断念し、グローバル市場経済の時代にふさわしい教育システムのあり方を考え直すべきだろう。

8. 参照情報

  1. 勝間和代. 「相続税上げ階級固定化防ごう」『毎日新聞』2010年1月17日.
  2. J-CASTニュース.「相続税の増税が急浮上」2010/3/3.
  3. 自由民主党. 「平成 22 年度税制改正に関する基本的考え方 第一 税制抜本改革の基本方針」2009/12/10.
  4. 勝間和代. 「格差是正、より幅広い観点で」2010年1月31日.
  5. 高橋守. 「シンガポールで金融自由化のメリットを最大限に」『MSN マネー』 2010/03/02.
  6. 森永卓郎. 「消費税論議を吹き飛ばす、相続税改正の大きなパワー」『日経BP』2008年3月3日.
  7. 勝間和代. 「相続税上げ階級固定化防ごう」『毎日新聞』2010年1月17日.
  8. 勝間和代. 「格差是正、より幅広い観点で」2010年1月31日.
  9. 和田秀樹. 『教育格差―親の意識が子供の命運を決める』PHP研究所 (2006/6/1). p. 26-29.
  10. 寺脇研. 「「ゆとり教育」は時代の要請である」『中央公論』2004年2月号.
  11. 朝日新聞. 「「自由化」論争持ち越し 首相周辺に強い意欲 臨教審の審議経過の概要」1985年04月25日.
  12. ゆかしメディア. “5歳から始める「スイスのボーディングスクール留学」" 後編 3. 2009年07月02日.
  13. 苅谷剛彦. 「学力と階層 教育の綻びをどう修正するか」朝日新聞出版 (2008/12/5). p. 256-257.
  14. U.S. Department of Education. “Advanced Placement Incentive Program Grants."
  15. これに関しては、拙稿「エビデンスに基づく教育政策」を参照されたい。
  16. Business Media 誠. 「東大よりハーバード――高年収者に聞く、子どもを入れたい大学」『ITmedia ビジネスオンライン』2011年02月17日.
  17. 週刊ポスト(2011年2月25号)「底辺大学生 九九できない・アルファベットわからない」2011.02.15.