10月 032012
 

フォーラムから“どうすれば論文捏造を見抜くことができるのか”を転載します。

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学術論文は専門家によってその内容が査読されているのだが、捏造を見抜くことは容易ではない。”Peer Review” by AJC ajcann.wordpress.com is licensed under CC-BY-SA

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2012年10月03日(水) 17:12.

2012年2月に東邦大学は、麻酔科医で同大学准教授だった藤井善隆を、論文捏造の疑いで、諭旨退職処分にした。データに捏造の疑いがあるとして撤回された論文は、少なくとも172本あり、一人の著者の撤回数としては世界新記録となった。もっとも、藤井が発表した論文は、マイナーな学術雑誌に掲載されていたため、影響という点ではそれほど大きくはない。世間に与えた影響という点で世界最大の論文捏造スキャンダルと言われているのは、シェーン・スキャンダルである。

シェーン・スキャンダルは、ノーベル賞受賞は確実と言われていたドイツ人物理学者、ヤン・ヘンドリック・シェーンの高温超電導に関する「世紀の大発見」が実は捏造によるものだったことが発覚したことで起きた。このスキャンダルは、NHK の番組「史上空前の論文捏造」で放送されたので、それで知っている人もいるかもしれない。この番組は、バンフテレビ祭でのロッキー賞を始め、国内外の四つの賞を受賞し、さらに、制作した村松秀の執筆によって『論文捏造』として書籍化された。スキャンダルの詳細に関しては、この本に譲ることにして、ここでは簡単にその概略を書こう。

オーストリア出身のシェーンは、1997年にコンスタンツ大学で博士号を取得後、恩師のコネで科学の殿堂と評価が高かったベル研究所に就職し、2000年に、有機物における超伝導転移温度の最高記録である52Kで超伝導を観測したと『サイエンス』で発表し、2001年にはこの記録を117Kに更新したと『ネイチャー』で発表するなど、画期的な成果を科学雑誌の双璧である『サイエンス』と『ネイチャー』に交互に掲載した。『サイエンス』と『ネイチャー』は、シェーンの大発見を載せようと競争し、このため、不正に対するチェックも甘くなったのではないかと村松は推測している。

『ネイチャー』と『サイエンス』は、投稿採用率が極めて低い、厳格な査読を行うトップ・ジャーナルとして知られる。それなのになぜ編集者たちはシェーンの捏造に気が付くことなく、安易に掲載してしまったのかという問題意識から、NHK の取材班は、両雑誌の編集部にインタビューを試みている。以下は『ネイチャー』の物理部門の編集チーフ、ジーメリスの反応である。

論文捏造 (page) 134-135 (author) 村松秀 さんが書きました:

「実際に捏造された論文を掲載してしまい、そのことによって多くの研究者たちの時間やお金を無駄にさせてしまったことは申し訳なく思っています。

しかし、私たちは警察ではありません。論文のひとつひとつを、不正ではないかと疑いの目で見てすべて調べることなど、実際にはできません。私たちの責任の範囲ではないと思います」

意外な答えだった。ジェーンの論文を掲載したことによって学界に混乱を来たした点については、潔くその非を認めた。しかし驚いたことに、科学ジャーナルが掲載した論文の内容については当然、ジャーナル側か責任を持って不正がないかどうか調べ、チョイスし載せているもの、という考えは間違いで、実態はそうではない、というのである。膨大な数の論文が編集部には送られてくる。そのうちの選りすぐりのものだけを科学的にしっかりと精査した上で掲載している、という私たちのイメージは勝手な思い込みに過ぎない、というのだ。つまりは、科学ジャーナルは、不正のチェックはしていない、ことになる。

ジーメリスは続けてこうも言った。

「私たちにできることには限りがあります。広報活動や不正行為の問題についての議論などを通じて科学者の意識を向上させることならばできると思います。しかし、不正行為を止められるような仕組みなど、私たちには想像すらできません。その人たちが仕事をしている研究所自体がそれに気づかないのであれば、関わりのごくわずかな外部者である私たちがどのように不正行為の摘発ができるか、わかりません」

世界中の科学者の憧れである『ネイチャー』誌。しかし、これほどの雑誌でありながら、不正行為に対してはノーチェックなのだ。いったい、権威ある最高峰の科学雑誌の意味とは、何なのだろう。

今回の事件を通じ、読者は『ネイチャー』誌に対して失望した部分があると思うか、という質問に対して、ジーメリスは自信たっぷりにこう答えた。

「いいえ、まったくないでしょう。

ただ、それと同時に、私たちが掲載する論文はすべて100パーセント間違いなく正確である、というのは非現実的だと思います。私たちが掲載する論文の多くは、いろいろな解釈が可能で、問題の部分的な解釈を提示するものであり、さらにたくさんの質問を提起するものもあります。最終的に決着がついたものではないのです。数年後には、科学的に間違っていたことがわかる場合だってあります」

たしかに、不正ではなく、科学的な間違い、ミスが生じてしまうことはままあるであろう。が、それは当然のことなのだ、という言い分には、大きな違和感を抱いた。その違和感とは、精査を受け、選ばれた論文のみが掲載される超一流の科学ジャーナルが、実は論文の科学的な内容の正しさ、再現性を担保してくれてはいない、ということである。

この後、取材班は『サイエンス』の編集部にもインタビューを行っているが、返ってくる答えは同じで、査読では巧みな不正を見抜くことはできないというものである。

村松は、両編集部の開き直った態度にあきれているが、それが査読システムの限界なのだということを理解しなければならない。査読者にできることは、読んだだけでわかる単純なミスの指摘を除けば、せいぜい過去の研究成果を踏まえているかどうか、独創性があるかどうかの判断ぐらいで、編集者も読者が興味を持ってくれるか否かぐらいしか考えていない。査読は無償サービスであり、再現実験による追試といった費用のかかる検証はできない。だから、意図的でない間違いがあっても、それを見抜けないことがしばしばある。

では、ジーメリスが言うように、シェーンが仕事をしていた研究所、すなわち、ベル研究所が捏造を見抜くべきだったのか。実は、捏造が発覚する前に、ベル研究所の上層部に内部告発があったことがわかっている。しかし、上層部は直接シェーンに事情を聴いただけで、彼の言い訳をそのまま信じ、それ以上立ち入った調査はしなかった。村松は、ベル研究所の消極的な姿勢を、親会社の方針の変更に求めている。ベル研究所は、もともとAT&Tの研究所であったが、分社化に伴い、ルーセント・テクノロジー社の研究所になった。ルーセント・テクノロジー社は、ドットコムバブルの崩壊により経営が苦しくなり、ベル研究所にも売り上げに貢献する研究成果を求めるようになった。

論文捏造 (page) 188 (author) 村松秀 さんが書きました:

それまでのベル研究所は、一企業に所属しながらも企業利益ではなく「科学」そのものを追究する研究機関として活躍してきた。しかし、いつの間にか、研究資金を公共予算に頼らず自前で調達する、企業の研究所の複雑な事情がベル研を変質させていった。そして事態をより悪い方向へと向かわせてしまったのである。

要するに、ルーセント・テクノロジー社は、金儲け主義に走り、科学的厳密さよりも市場受けする研究成果の宣伝に力を入れ始め、その結果、シェーンのスキャンダルの追及には及び腰になっていたというわけである。

村松は、さらに事件の背景として、米国の科学界に顕著な成果主義と競争主義を挙げている。

論文捏造 (page) 298-299 (author) 村松秀 さんが書きました:

ジェーンは競争社会に生きる一科学者の典型だった。もともとはジェーンもベル研究所の契約研究員に過ぎなかった。しかし、一流科学雑誌に次々と論文を掲載するという際立った成果を上げると、すぐに正式な社員として採用される。そして、30歳そこそこの若さでヘッドハンティングの声がどんどんかかり、名門大学の教職ポストを次々と提示され、母国での研究所の共同所長という肩書きすら手に入れようとしていた。アメリカという成果絶対主義の国での功績が、ものを言ったケースである。問題はその成果がすべて捏造だった、ということだ。

ジェーンの親友、フェスが指摘したように、ジェーンは共同研究者やベル研、あるいは科学ジャーナルなとがら、インパクトのある成果を求める無言あるいは有言の強いプレッシャーを受けていたことは想像に難くない。極度の競争社会の中で、短い時間で最大限の研究成果を求める成果主義。身分の不安定な科学者たちにとって、研究で優れた成果を得ることはまさに自身の人生そのものを決めることにほかならない。そうした状況の中では、成果を求めるあまり、本当は得られてもいないデータを作り出してしまう捏造が生じやすいことも、また当然のことである。

こうしたアメリカ型の競争社会は、アメリカのみならず、日本でも科学界を席巻してきている。また、純粋に科学を追究する研究風上の強いヨーロッパですら、アメリカの競争原理と成果主義が幅を利かすようになってきている。いつのまにか競争が、グローバルスタンダード化してきているのである。

捏造がなぜ起きたのか、そしてなぜそれが長い間発見されなかったのかに関して、村松は、他にもさまざまな細かい要因を挙げているが、主要因としては、競争主義と成果主義という米国社会一般の背景、親会社が経営難の中、成果を出すよう圧力をかけられたベル研究所、インパクトのある論文を掲載しようと競争し合った科学雑誌というところだろう。

結局のところ、村松は、米国流の利益第一主義、競争主義、成果主義を止め、一流研究所や一流科学雑誌は、その権威にふさわしいチェック機能を果たすべきだと考えているようだが、これはきわめて NHK 的な発想である。NHK は、放送法に基づく特殊法人で、事前に内容の厳重なチェックを行い、公平・正確な放送をしているという前提で、国家から受信料を強制徴収する権利など特権的な待遇が与えられ、民間営利企業では当たり前の利益第一主義、競争主義、成果主義を免れている。

では、それで NHK が捏造の防止に成功しているかと言えば、そうでもない。『奇跡の詩人』、『プロジェクトX』、『JAPANデビュー』など、捏造が疑われている番組はいくつもある。衛星放送のマイナーなテレビ局がこういう番組を放送しても、大した影響はないが、NHK が放送する場合はそうはいかない。この点で、NHK は、ベル研究所や『ネイチャー』や『サイエンス』と同じ問題を抱えている。

NHK のような集権的メディアの対極にあるのが、分権的メディアの代表であるインターネットだ。インターネット上では第三者による検閲が行われないので、捏造された情報を発信することは容易にできるが、そもそも権威がないから、意外な情報を鵜呑みにする人は、初心者を除けば、いない。ネットには、無数の情報発信者がおり、間違いの指摘や批判は、ネットという公開の場で互いになされる。ネット・ユーザは、それらを読み比べながら、どれが最も信頼できるかを自分で判断するメディア・リテラシーが身に付く。

集権的メディアが、捏造を含めた虚偽情報をいかに事前のチェックにより防止するかに力を注ぐのに対して、分権的メディアでは、虚偽情報を防ぐことはできないという前提のもと、虚偽情報の無権威化と素早い訂正により虚偽情報によるダメージを最小化する。後者より前者の方が社会に混乱を与えないと思うかもしれないが、前者のような権威主義がメディアの主流である社会では、情報の消費者は権威に盲従し、かつ情報の生産者はその無謬主義により訂正に消極的になるがゆえに、虚偽情報の流布が社会に与えるダメージが大きくなってしまう。

集権的なメディアのあり方を極端に推し進めていくと、旧ソ連の新聞(共産党の機関紙)、『プラウダ』のようになる。プラウダとはロシア語で「真実」という意味で、まさに「真実」の名のもとに様々な捏造事実が全国民に一斉にに宣伝された。真理が一つのメディアによって独占されると、それを批判するメディアがなくなるので、捏造はやりたい放題になる。これは、メディアのあり方としては最も危険である。最も健全なメディアのあり方は、誰もが簡単にメディアに参入できて、どのメディアも特権的な地位を持たない状態で、相互批判を通じて競争している状態である。

村松は、利益第一主義、競争主義、成果主義が捏造の温床になっていると考えている。そういう側面があることは否定しないが、だからといって、利益第一主義、競争主義、成果主義を否定するのではなくて、むしろ捏造の発見それ自体に利益第一主義、競争主義、成果主義を導入するという発想を持ってほしいものだ。私が「査読付き学術雑誌の終焉」で提案した「再帰的投票システム」は、その発想に基づいて設計されている。査読付き学術雑誌は、検閲付き放送局と同様、集権型メディアの時代の遺物であり、論文捏造の問題は、集権型メディアの強化によってではなくて、むしろ逆に分権型メディアへの解体によって解決されるべき課題なのである。

小保方スキャンダルとシェーン・スキャンダル

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2014年3月24日(月) 20:58.

Nature に投稿された STAP 細胞論文に浮上した捏造疑惑のおかげで、このトピックに検索エンジン経由でアクセスする人が増えている。日本版シェーン・スキャンダルと評されることもあるが、たしかに、小保方晴子とヤン・ヘンドリック・シェーンが惹き起こした二つの騒動には、以下のような類似性がある。

  • 発表者は学生時代それほど優秀ではなかった。
  • 恩師のコネで出世し、超一流の研究所に就職できた。
  • 論文が、世界的に最も権威ある学術雑誌に掲載された。
  • マスメディアはノーベル賞級の大発見と報じ、称賛した。
  • 最初に捏造の可能性を指摘したのは匿名の告発者だった。
  • 研究所は本人の主張を信じ、疑惑の追及に消極的だった。

小保方スキャンダルがシェーン・スキャンダルと違うのは、発表から不正発覚までの時間が短かったことだが、これは、小保方の論文がシェーンの論文以上に杜撰だったことに加えて、現在の方が不正を指摘するネットでの活動が活発であることが原因である。小保方論文は、発表当初から疑問を呈する声が国内外にあったが、積極的に疑惑を追及したのは、11jigen を名乗る匿名のネットユーザだった。私は、

Nagai Toshiya さんが書きました:

最も健全なメディアのあり方は、誰もが簡単にメディアに参入できて、どのメディアも特権的な地位を持たない状態で、相互批判を通じて競争している状態である。

と書いたが、今回の件でもその思いを強くした。真偽を権威ある中央集権的で閉鎖的なシステムに委ねるよりも、無数の人が自由に批判できる分権的で開放的なシステムの方が、不正を指摘する上で機能する。

NHK の村松は、不正論文が生み出される背景として、米国流の成果主義と競争主義を挙げていた。科学ライターの緑慎也も、科学論文に不備が多い背景には、科学界の成果主義、競争によって早く論文を出さなければいけないというプレッシャーがあると指摘している。では、成果主義と競争主義を止めれば、不正が見抜けるようになるかと言えば、既に書いたとおり、そうとも言えない。

Nagai Toshiya さんが書きました:

NHK は、放送法に基づく特殊法人で、事前に内容の厳重なチェックを行い、公平・正確な放送をしているという前提で、国家から受信料を強制徴収する権利など特権的な待遇が与えられ、民間営利企業では当たり前の利益第一主義、競争主義、成果主義を免れている。それで NHK が捏造の防止に成功しているかと言えば、そうでもない。『奇跡の詩人』、『プロジェクトX』、『JAPANデビュー』など、捏造が疑われている番組はいくつもある。

今なら、このリストに NHK が放送したドキュメンタリー番組『魂の旋律〜音を失った作曲家〜』を加えることができる(『魂の旋律-佐村河内守』という本までNHK出版から出ている)。もちろん、NHK が意図的に捏造したのではなかったが、厳格な審査で信用を得ている NHK ですら、佐村河内の嘘を見抜けなかった。番組を制作したディレクターは、佐村河内に5年間寄り添ったというのだが、本当に何も気づいていなかったのだろうか。

11jigen はボランティアで不正の摘発をやっているというのだが、こういう活動をしている人には、何らかの報酬があってもよいのではないだろうか。「査読はどうあるべきなのか」で提案したシステムは、「捏造の発見それ自体に利益第一主義、競争主義、成果主義を導入するという発想」で設計している。ピアレビューの機能不全とネットにおける不正摘発の実績が積み重なれば、このシステムと似たようなシステムに移行せざるを得なくなるだろう。

なぜ不正の摘発は匿名で行われるのか

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2014年3月26日(水) 09:08.

Facebook Comment (author) Takuya Hamada さんが書きました:

匿名で不正を暴き正義ヅラするのはいかがなものかと…ボランティアとの名のもとでリスクヘッジするのは?チクリ屋のリコとかわりませんね(笑)

私が提案しているシステムでは、不正の摘発は匿名では行われません。現在のアカデミズムのシステムでは、実名で不正の追及をして恨みを買うと、ピアレビューや人事で報復される可能性があるから、彼らは匿名で行っているのでしょう。アカデミズムに限らず、内部告発をすると厳しい制裁を受けるのが日本の社会の一般的な現状なのです。現在のピアレビューや裁量人事といった私的復讐が容易な制度を廃止し、かつ不正摘発に対する報酬が制度的に保証されるなら、実名による摘発も可能になるでしょう。

市場原理主義

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2014年3月27日(木) 14:14.

Facebook Comment (author) Nob Chika さんが書きました:

裁量人事に代わる客観的データに基づいた人事制度とはどのようなものなのか、私には検討もつかなかったのですが、貴方の『査読はどうあるべきなのか』を読み、大まかなアイディアは理解しました。これも市場原理主義の応用と見てよろしいでしょうか。確かにそのような流れに移行するのは避けられないと思います。非常に民主的だと思います。貴方のレトリックでは市場原理主義的だと言うべきなのでしょうが。

査読はどうあるべきなのか」で提案していることは、「民主主義はどうあるべきか」で提案していることと同様に、《市場原理としての民主主義》です。それはレトリックではなくて、同じ原理です。なお、「市場原理主義(Market Fundamentalism)」というのは、軽蔑語ですから、私は自分の立場を表す言葉としては使いたくありません。市場原理の聖典(そのようなものがあるとして)を一字一句字義通り解釈するという立場でもありません。市場原理至上主義、あるいは、もっと一般に使われている用語では、リバタリアニズムという言葉を使う方が適切かと思います。

Re: どうすれば論文捏造を見抜くことができるのか

投稿者:Katsuki Takaya.投稿日時:2014年4月03日(木) 16:02.

はじめまして。病院に勤務する薬剤師です。学生のときは成績がわるいので、研究は一切やっていないので
卒業論文はありません。研究に憧れていましたが。
論文をあれだけ追求し、監査するのはすごい才能ですが、論文そのものはそんなにたやすく検索できるのでしょうか。
論文検索機はものすごく高額であると学生時代にならいました。
様々な論文からデータ、文章を引用するには検索しなくてはいけませんが、それら論文を検索することも
すごく時間と、お金、労力が必要であると思います。
何か簡単にどのようにして、論文を検索し、転載、引用できるのか、皆平等にするべきだと思いますが。

論文検索のためのソフトとサービス

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2014年4月04日(金) 10:57.

Katsuki Takaya さんが書きました:

論文をあれだけ追求し、監査するのはすごい才能ですが、論文そのものはそんなにたやすく検索できるのでしょうか。

ここで謂う所の「検索」が無断転載などの不正追及のための検索なのか、論文執筆時における引用のための検索なのかわかりませんが、前者の場合なら、以下のような有料ソフトあるいは有料サービスがあります。

ま多二つの文を比較し、同じ個所を摘出する無料ソフトとしては、difff《デュフフ》があります。このソフトは、STAP 騒動でも活躍しました。

Katsuki Takaya さんが書きました:

論文検索機はものすごく高額であると学生時代にならいました。様々な論文からデータ、文章を引用するには検索しなくてはいけませんが、それら論文を検索することもすごく時間と、お金、労力が必要であると思います。

論文執筆時における引用のための検索なら、Google Scholar で無料でできます。ただし、論文全文を読もうとすると課金される場合があります。これを回避するために、最近では、オープン・アクセスの制度が試みられていますが、まだ不十分です。

Katsuki Takaya さんが書きました:

何か簡単にどのようにして、論文を検索し、転載、引用できるのか、皆平等にするべきだと思いますが。

転載は著作権者の許可が必要なので、簡単にはできません。簡単にするための提案としては、“定額式超流通の提案|システム論アーカイブ試論編|永井俊哉”をご覧ください。

Re: どうすれば論文捏造を見抜くことができるのか

投稿者:Katsuki Takaya.投稿日時:2014年4月04日(金) 23:17.

返事を大変ありががく思っております。本当にありがとうございました。
別に今更、論文を書こうとは思いませんが、容易にできるみたいですね。
正に芸術でいう盗作ですね。いいとこどりですね。

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