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教育全般(家庭教育、学校教育、社会教育)に関する記事。

2016年5月12日

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維新が幼児教育から高等教育に至るまでのすべての教育を無償化する憲法改正案を発表して話題になった。現行の公教育を無償化しようとすると、財政負担が重くなりすぎるが、公教育を廃止するなら、教育の質を下げることなく、すべての教育を無償化しても、財政負担は過重にはならなくなる。

2016年4月14日

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従来の日本の教育改革は、政策立案者の個人的体験に基づく人生論、精神論、感情論で行われることが多かった。中室牧子の『「学力」の経済学』は、教育を人的資本への投資とする経済的アプローチをとり、医療行政で行われているようなエビデンス(科学的根拠)に基づく政策立案を提案する。その方向は正しいが、中室が言っていることには同意できない点もあるので、それも併せて指摘することにしよう。

2013年3月16日

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日本では、文学教育が言語教育を乗っ取っているため、文学教育を必要としない学習者までが文学教育を強いられている。この現状を変えるために、私は現行の国語を廃止し、これを日本語と日本文学に分割し、前者を必須教科に、後者を日本史などと同様の選択科目にすることを提案したい。

2013年3月15日

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日本の大学生は、中学と高校で6年間英語を学んだ後、大学でもさらに英語の授業を履修している。にもかかわらず、日本の大学生の大半がまともに英語を話せないのはなぜだろうか。それは、日本の学生は、英語を勉強しても、英語で勉強をすることをしないからだ。

2012年6月30日

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教員の修士課程義務化にせよ、40歳定年制にせよ、大学関係者たちは、その都度もっともらしい理由をつけて、大学院重点化を推し進めようとするが、彼らの本当の狙いは自分たちの職を守ることである。

2012年1月12日

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「生きる力」が、私たちが獲得しなければならない最も重要な力であることは、言うまでもない。しかし、だからといって、学校教育において、体験学習を通じた「生きる力」の育成にもっと時間を割くべきだという結論にはならない。そうした考えは、人は学校以外で学習することはないという間違った前提に基づいている。

2010年3月7日

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私が、日本の高等教育(大学や大学院)の現状を批判する理由は、私が博士課程にまで進学したにもかかわらず、大学教員になれなかったことに対する私怨ではない。高等教育を脱社会主義化することが、国家の競争力向上のために重要であると考えているからである。政府の高等教育に対する補助金を今以上に増やしても、日本の高等教育が抱えている構造的な問題の解決にはならないし、日本政府が財政破綻した時に、道連れになるリスクを高めるだけだ。

2005年8月24日

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私が大学を去ってから10年程が経つ。大学淘汰の時代を迎え、少しは改革が進んでいるのかと思っていたが、古谷浩著の『大学教授は虚業家か―学園のいびつな素顔』を読むと、根本的な問題は何も解決していないという印象を得る。沈み行くタイタニックの甲板上で椅子取り合戦をしている人たちを見ていると、もっと本格的な淘汰が必要なのではないかと思ってしまう。

2005年6月3日

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既に大量に生み出されてしまった余剰博士をどうするかという問題は、無責任な公共工事でできてしまった無用の長物をどうするかという問題と同様に、手遅れなのだが、日本では買い手のつかない物件でも、日本とは異なる価値観を持つ海外の投資家が購入して、黒字に転換した例があることがヒントになる。すなわち、博士に価値を見出す外資系企業に日本の市場に参加してもらうことだ。

2005年5月21日

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「末は博士か大臣か」と言われた時代は終わった。博士号を取得しても、ホームレスにしかなれないぐらいに、余剰博士の問題は深刻だ。余剰博士問題はなぜ起きるのか、その根本的な原因を考えながら、問題の解決策を探ろう。

2002年6月14日

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1980年代、日本が世界最強の経済大国だった頃、「日本のサラリーマンは働きすぎだ」あるいは「日本の子供は勉強しすぎだ」といった非難が海外から浴びせられた。海外から指摘されるまでもなく、過労死につながるような長時間労働や、青少年から考えるゆとりを奪ってしまうような受験勉強は望ましくない。その意味で、ゆとり教育とゆとり労働は理念としては間違っていない。しかし、日本政府がこの理念を実現するためにとった政策手段は、賢明なものだったとは言い難い。

2000年2月12日

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日本の公教育は、高等教育は別として、初等教育と中等教育に関しては、うまく機能しており、それが戦後の日本経済の成長に大きく寄与した。しかし、工業社会から情報社会へと社会の構造が変化するにつれて、公教育のシステムが機能不全になり始めた。ポスト工業社会における教育システムはどうあるべきかを考えよう。