なぜ戦争は起きるのか
戦争は、通常政治的な現象だと考えられている。民族や宗教やイデオロギーの対立から戦争が起きるとか、石油を手に入れるために戦争が起きるとか、そうした通俗的な説明に満足している限り、近代の戦争の本質を理解することはできないし、戦争を防ぐ有効な手段をも見つけることができない[1]。

1. 太陽黒点数と経済の関係
金利/物価に関する詳細な記録が残っている過去200年ほどの資本主義の歴史を振り返ってみると、金利/物価は50年から60年周期のコンドラチェフ・サイクルに従って、上昇と下降を繰り返していることに気が付く[2]。金利/物価が最も上昇したインフレの頂を山、金利/物価が最も下降したデフレの底を谷と表記すると、コンドラチェフ・サイクルを次のように画期することができる。
- 第一波動 谷 1789年 山 1815年
- 第二波動 谷 1844年 山 1870年
- 第三波動 谷 1896年 山 1920年
- 第四波動 谷 1949年 山 1973年
- 第五波動 (近い将来、谷を形成する?)
コンドラチェフ・サイクルは、太陽黒点数の55年周期に対応している。太陽黒点数が増えると、太陽放射が強くなり、地球上の生物が受け取る太陽エネルギーが多くなる。経済活動とは、生産であれ消費であれ、低エントロピー資源を消費して環境におけるエントロピーを増大することにより、生命システムを維持することに他ならない。そして人間にその低エントロピー資源を提供している主要なネゲントロピーが、太陽である。もっと具体的に説明すると、すべての経済は労働と資本の関数であるが、資本の方は、例えば化石燃料など、過去に蓄積された太陽資源ということもあるが、労働の方は、現在入手可能な食物の質と量によって左右されるので、太陽資源の波動とシンクロナイズする。
近代ヨーロッパ人が太陽黒点を発見したのは1611年で、黒点数の変遷に関しては、1645-1715年のマウンダー極小期以降、詳細な記録が残っている。その記録と照らし合わせると、太陽黒点数の55年周期の山はコンドラチェフ・サイクルの谷の時期と一致し、逆に谷は山の時期と一致する。このことは、資源量の増加はデフレーション、すなわち《物余り・金不足》をもたらし、資源量の減少はインフレーション、すなわち《物不足・金余り》をもたらすことを意味している。
同じことは、太陽黒点数の11年周期(シュワーベ・サイクル)とこれに対応するジュグラー・サイクルについても当てはまる。太陽黒点数とニュージーランドの羊毛生産とGDPの時系列を重ね合わせてみると、太陽黒点数と羊毛生産量は正相関だが、太陽黒点数とGDPは逆相関であることに気がつく。太陽黒点数が減少すると、牧草が育たなくなるので、羊毛の価格は上昇し、輸出金額が増え、景気がよくなるのだ。
2. 資本主義社会の危機と前資本主義社会の危機
現代の資本主義社会にとってインフレよりもデフレの方が脅威である。1973年のオイルショックをきっかけに顕在化したインフレは、確かに生活苦を私たちにもたらしたが、1990年のバブル崩壊後に顕在化したデフレは、それ以上に悩ましい生活不安を私たちにもたらした。一般に、社会が危機に直面すると集権化と技術革新が起きるが、こうした現象は資本主義社会では、資源量増大=デフレから脱却する局面で見られる。この意味で、資本主義社会の危機は余剰の危機であると言うことができる。
他方、資本主義が成立する以前の前近代社会は、太陽活動が衰え、資源量が減少したときに重大な危機を迎える。17世紀以前の太陽黒点数については、詳細な記録が残っていないのだが、気温の上昇と下降から太陽エネルギーの増大と現象を推測できる。資本主義が成立するまでは(資本主義が成立した時も含む)、気温が下がった時、すなわち資源が枯渇した時に、社会は飢餓の危機に直面し、そしてその危機を乗り越えるために、政治的革命(集権化)と経済的革命(技術革新)を断行する。この意味で、前資本主義社会の危機は不足の危機であると言うことができる。
では、なぜ資本主義社会の悩みの種が豊作貧乏で、前資本主義社会の悩みの種は凶作貧乏なのか。それは、資本主義社会が、大量生産のメカニズムを持ち、投機的な思惑から、消費しきれないほどの大量のストックを作り出してしまうからである。資本主義社会が文字通りのストック型経済であるのに対して、前資本主義社会はフロー型経済である。満腹のライオンは、おいしそうなシマウマが目の前を通っても、将来の飢えに備えて、それを捕獲し、貯蓄するといったことはしない。同様に、前資本主義社会は、消費しきれないほどの大量のストックを作り出して、ためこむということはあまりしない。
3. 資本主義社会の戦争と前資本主義社会の戦争
資本主義社会と前資本主義社会で、危機の種類が異なるように、戦争の種類も異なる。前資本主義社会の戦争には、凶作貧乏から脱却するために行われるディスインフレ型戦争が多いのに対して、資本主義社会の戦争には、豊作貧乏から脱却するために行われるリフレ型戦争が多い。鷹は雛を二羽産むが、餌が少ない時は、強い雛が弱い雛をつついて殺す。このように、前資本主義社会では、資源減少局面において、希少な資源を奪い合う形で戦争が起きる。
例えば、1990年から1994年にかけ、フツ族の政府軍とツチ族のルワンダ愛国戦線(Rwandan Patriotic Front)との間で行われたルワンダ紛争は、一般には二つの民族の憎悪が原因と思われているが、ジャレド・ダイアモンドによれば、人口密度が高くなりすぎて、人口を減らさざるをえなかったのが実情で、同じようなマルサス的状況は、かつて、イースター島やマヤ文明などでも起きた[3]。
これに対して、資本主義社会では、その高い生産性のおかげで、インフレという物不足の局面においても、餓死者が出ることはまれであるから、戦争する必要は少ない。むしろ戦争をしなければならない時期は、資源増加局面において、資本と労働者数に過剰感が出てくるデフレの時期である。
戦争においては多数の人間が殺される。しかし人を殺す理由が、ディスインフレ型戦争とリフレ型戦争では異なる。インフレ局面においては、需要が供給に対して過大であるから、消費者としての人間を大量に殺して、過大な需要を削減することが求められる。また資源の獲得が目的であるから、敵が所有していた資源を戦利品として持ち帰るという現象がしばしば見られる。
これに対して、デフレ局面においては、供給が需要に対して過大であるから、働き盛りの男性である兵士に殺し合いをしてもらって、労働市場における供給過剰を削減することが求められる。しかし男性労働者は消費者でもあるから、デフレ解消という点では逆効果の面もある。だから、リフレ型戦争では、大量破壊兵器を用いて、人間以上に施設を攻撃し、過剰になった生産設備を削減することに力が注がれる。
湾岸戦争やアフガン空爆を見ても明らかなように、現代のリフレ型戦争では、生産拠点の破壊が主で兵士の殺戮は従である。特に、純粋な消費者である女性や子供を殺したりすると、たとえそれが誤爆によるものであっても、国際社会の強い非難を浴びるが、それはデフレからの脱却というリフレ型戦争の本来の趣旨に反するからである。捕虜の扱いも異なる。前近代的なディスインフレ型戦争では、捕虜を皆殺しにしたり奴隷にしたりしたが、近代的なリフレ型戦争では、そうした消費を減退させることは行われない。このことは人権意識の向上とかヒューマニズムとかで説明されることが多いが、要は、資本主義社会では、人口の削減が戦争の第一の目的ではなくなったということなのだ。
4. 戦争の原因は政治ではなくて経済にある
こうした戦争の経済的説明に違和感を持つ人も多いかもしれないが、しばしば戦争の原因として取り上げられる戦争の政治的文化的側面は、あくまでも表層的な意識に現れる結果現象に過ぎず、経済的な均衡回復こそ原因として実際に戦争を動かす深層の構造である。だから、「民族・人種・宗教・イデオロギーの対立から戦争が起きる」という通俗的戦争論は皮相である。
戦争における民族・人種・宗教・イデオロギーといった差異化の記号は、サッカーの試合における選手のユニフォームに喩えることができる。ユニフォームを着ないと、誰が敵で誰が味方かわからなくなってしまう。その意味で、試合を戦うには、ユニフォームが必要である。しかしだからといって、「選手は、ユニフォームが原因で戦っている」と言えるだろうか。もちろん、相手のチームが憎くなると、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の論理で、ユニフォームの色までが憎くなるかもしれない。しかしそれは、結果として起きることであって、決して原因ではない。
戦争の原因をどう認識するかは、戦争の防止策にも違いをもたらす。多くの平和論者は「民族・人種・宗教・イデオロギーの対立から戦争が起きる」というユニフォーム原因論に基づいて、「自分と異なる価値を理解する多元的価値観を持ちなさい」「国際交流を通じて相互理解を深めなさい」「かつて戦争した民族と同じ歴史認識を共有しなさい」としたり顔でお説教を垂れるが、こんな方法で戦争がなくなるわけがない。実際、日本のような民族・人種・宗教・イデオロギーの対立がほとんどない島国の内部でも、有史以来多くの戦争が起きたではないか。
そもそも、自分と他者が異質であるという理由だけで、なぜ戦争をしなければならないのか。ユニフォーム原因論では、これが説明できない。従って、ユニフォーム原因論者にとって、戦争は不可解なものに見える。ユニフォーム原因論者は、しばしば「戦争は愚かだ」と嘆くが、戦争の愚かさと思えたものが、実は自分の愚かさではないのかと疑ってみる必要がある。
戦争は合理的な経済の法則に従って起きる。だから戦争を防止するには、その対策は経済的でなければならない。私はこれまで、資源増大局面で、貨幣数量一定を前提に、デフレが起きると説明してきた。しかし、貨幣数量を増やせば、《物余り・金不足》の状態を相対的に解消することができる。人間には、太陽黒点数をコントロールする能力はないが、貨幣数量をコントロールすることならできる。おそらく金融緩和こそ、リフレ型戦争を回避する最も害の少ない方法に違いない。
5. 参照情報
- ↑本稿は、2002年1月19日のメルマガの記事「不足の危機と余剰の危機」を改訂したものです。本稿とは別に、小学生向けの「なぜ戦争が起きるのか」もあります。
- ↑以下の記述で、安宅川 佳之.『コンドラチエフ波動のメカニズム―金利予測の基礎理論 (MINERVA現代経済学叢書) 』ミネルヴァ書房 (2000/12). を参考にした。
- ↑Jared Diamond. Collapse: How Societies Choose to Fail or Succeed. Penguin Books; Reprint (2005/12/27). p.328.






















ディスカッション
コメント一覧
リフレ型戦争というものは、自国の軍隊が自国の施設を破壊する、一種の「反乱」なのか、それとも、酷いデフレに陥っている国が、同様の状況に陥っている国へ宣戦布告をして開戦するものなのか。どちらでしょうか?
後者のケースが普通です。リフレ政策の責任を負っているのは政府ですが、政府が自国に戦争をするわけにはいきません。しかし、戦争の口実を作るために、わざと敵国が自国民を犠牲にするように仕向ける場合ならあります。かつてのパールハーバーがそうでしたし、アメリカとアルカイダの戦争もたぶんそうでしょう。
>は、生産拠点の破壊が主で兵士の殺戮は従である。
世界最大の生産物資源の産地は中東でありここでは戦争が発生しました。次に世界の工場が集まっている場所で戦争を発生させれば理想的となります。
米第1軍団司令部の座間移転、政府が受け入れへ
http://www.asahi.com/politics/update/0413/004.html?t
>貨幣数量を増やせば、《物余り・金不足》の状態を相対的に解消することができる。
貨幣数量を発生させればバブルが発生します。必要以外の海外や土地、有価証券、外貨、ゴールドなど行き先は千差万別です。今の日本も、日銀の量的緩和と米国財務省証券の大量購入によるバブルです。しかし、この人為的な貨幣数量のコントロールは何を齎すでしょうか?私の考えだと取り返しの付かないモラルハザードと国家に対する信用の失墜、そして、社会に対する憎悪を持つ人間の階層の肥大化です。
カネボウ旧経営陣、4年間で2156億円粉飾
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20050413i104.htm
日本で一番の金持ちといわれた西武の会長だった堤義明は逮捕、社長は首吊りです。日本で二番目の金持ちだった武富士も逮捕です。通貨供給量を増やすよりピラミッドや仁徳天皇陵を作る方が良いと思います。但し有効需要の拡大には将来の交換価値の確保が前提です。無意味な橋や道路、空港を作るのは自然破壊の極みで反対です。過ぎたるは及ばざるが如しなり。米国式戦争リフレも日本式通貨乱発リフレも国家解体に進むと見ています。
デフレ経済の下では、投資をするよりも貨幣を死蔵している者の方が得をします。こっちのほうが、バブルよりもモラルハザードなのではないですか。
>デフレ経済の下では、投資をするよりも貨幣を死蔵している者の方が得
インフレ経済では土地を死蔵している者が得をします。デフレもインフレもどちらも永遠には続きません。
景気は必ず循環します。風邪を引いた時、薬品で体温を下げても病気が治るわけではありません。
人為的に新大陸から銀を持ち出したり通貨を乱発すればバブルが発生します。泡は必ず崩壊します。
日銀金融政策「維持」決定 量的緩和の“ジレンマ” 新たなバブルを懸念
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050120-00000014-san-bus_all
ダブダブにタブ付いた金がライブドア騒動を引き起こしました。
カネボウやUFJ銀行の粉飾など氷山の一角です。真面目に働いた人々が作った貯金を吐き出させるには通貨の発行は条件付でよい方法です。それは将来の交換価値のあるものを知的理論を元に建設する事です。
それは災害対策でもいいし、歴史的な文化建造物でもいいと思います。宇宙開発もよいでしょう。問題なのは信用創造を支える互いの信頼関係です。既に政府日銀ともにそれを消失し待つのは二度目のバブル崩壊だけです。今度は財政と日銀を連続して直撃していくと考えています。東アジア経済はその余波で麻痺に陥り反日デモで荒れ狂う不況下の社会は安全保障の面からも危機をもたらすでしょう。これがバブル崩壊後の通貨膨張策の結末になると考えています。
土地をたんに死蔵するよりも、活用しながら所有し続けた方が儲かるはずです。
バブルが崩壊したら、また量的金融緩和をすればよいではないですか。各国がそういうことをし続ければ、いつかは世界全体がインフレになります。戦争するぐらいなら、インフレになる方がましです。
>バブルが崩壊したら、また量的金融緩和をすればよいではないですか。
日本の現代史は経済の良い実験材料でした。特に流動性の罠についてです。
1980年代中期 円高不況
1980年代末期 低金利政策→バブル発生
1990年代初期 高金利政策→バブル崩壊
1990年代中期 円高(80円)発生
1990年代後期 量的緩和国債乱発
2000年代初期 IT及び国債バブル発生
2000年代中期 たぶん破裂、国民ストレス増大→日銀は量的緩和を継続
2000年代後期 中国バブルも崩壊→軍事衝突
上の産経新聞の記事にあるように企業や土地にバブルとしか考えられないような値段が付いています。もし、バブルが破裂したら過去の経験を持つ日本の高齢資産家はどういう行動にでるでしょうか?一部を現物、一部を海外通貨に変えるでしょう。そうなれば国内ではインフレが激化します。但し、このインフレは物が不足して発生するインフレではなく、物が下がるという予想に基づくインフレです。つまり、全商品で発生するのではなく、希少価値(ワクチンなど)や消耗品(ガソリン)などに投機的に発生して行くでしょう。多くの希少価値を作ることが出来ない労働者層は中国インドの低廉なモノとサービスに苦しめられ給与水準は上昇しないはずです。実際、アメリカではIT技術者やアナリストの失業で困っていると聞きました。単純な量的金融緩和は新型インフレ(ピンポイントインフレ、ベッカム冬ソナ型インフレ)を招くという事です。全てが終わったら経済学の教科書に載るでしょう。既に財政は1000兆円近い公債発行の為に金利をあげることができません。自業自得の自縄自縛です。もし、バブル崩壊後の量的緩和中にアメリカが北朝鮮を空爆でもしたら資本の流出はアジア通貨危機やロシア通貨危機のように一気に加速度が付くでしょう。
インフレ政策の落とし穴は、キャピタルフライトです。だからこそ、インフレ政策は、各国でやる必要があります。EUはあまり熱心ではありませんが、ドルと円がインフレ政策により値下がりすれば、ユーロが高くなり、ヨーロッパも、通貨を切り下げ、デフレを阻止するために、インフレ政策を採らざるを得なくなるでしょう。
興味深く拝読させて頂きました。やや違う視点から感想を述べさせて頂きます。
つまり、工業型戦争から、経済型戦争に変わったということだと思うのですが、
工業時代には、軍事力の勝るものが勝者となりましたが、現在のような経済社会においては、経済力のある国が戦争に勝利しています。そして、経済戦争では、永井さんもおっしゃるように人間の大量虐殺はしません。しかし、私は、それは表層的であると考えます。
なぜなら、先進国も経済力によって、形を変え、間接的に、大量虐殺をしていると思うからです。兵器等を使用していないだけで、経済力によって、その国の資源を奪い、人間を虐殺しているのです。
そういう意味では、日本も戦争放棄したというのは、工業型戦争に放棄しただけで、経済戦争は放棄していないということです。
日本などの資本先進国では、途上国を経済力によって、資本を奪い、その国の経済を奪い、その結果、貧困を招いたり、先進国との経済戦争に負けた途上国企業は、倒産し路頭に迷う。また、途上国の人達を低賃金で雇い、長時間労働を強い、また、経済力によって、形を変えたレイプ(表向きには売春という形で。たとえそれが双方合意でも結局は経済力に負けたからでしょう。経済力の前に抵抗できなかったということです。)が行われたりしています。
現在は、戦争の形態がきれいに見えているだけなのだと考えています。
先ほどダイビングから帰りました。エイと亀を写しました。非常に美しい海です。そこで日本の地方議員と知り合いになりました。いろいろとお話をしましたが日本の惨状は私がいたときよりも遥かに酷い状態になっているようです。私は美しい自然が大好きです。
>インフレ政策の落とし穴は、キャピタルフライトです。
私は貴方を評価しています。現実の海底は理論と同じでも少しニュアンスが違います。私たちの多国籍のグループがしていることの一つに自分達だけの国際的な企業決済用の電子地域通貨(マイレージのようなもの)を作ることです。私はホリエモンのような人間に私たちの商品を勝って欲しいとも、彼のような価値観を持つ人の製品を買いたいとも思いません。どうしても不可欠なもの以外はできるだけ同じ哲学を持つ人から購入したい。イスラム教徒はハラルの付いた食品しか買いたがりません。それと同じです。私はダボス会議の連中が大嫌いです。彼らの偽善に満ちた貧民救済策は反吐がでます。私の家は古い武士の家系ですし私の曽祖父も祖父も父も母も私も公職についていました。しかし、今の日銀や政府を信用していません。その為か大卒の同期は皆、退官しました。通貨の発行権限者や政治主体が信用を失ったとしたらそれは単なるペーパーになるのではないでしょうか?私たちには力がありました。故に外国に移り、複数の外国政府から庇護を受けています。力のある人や金のある人、近親者に限っていますが私たちは同じ哲学を持つ仲間を海外に退避させています。インフレ政策によって資本逃避は起きますが、同時にイチローや松井のように人材の逃避も発生します。信用は失われたら取り戻すのは大変です。
>ヨーロッパも、通貨を切り下げ、デフレを阻止するために、インフレ政策
私たちの友人には外国人が多数います。欧州にはアメリカ的な哲学(価値観)を嫌う人々が大勢います。私が聞いた話では「新しい形のブロック経済」を作るということです。私はEUに関係していませんので真実かどうかは知りません。しかし、エマニュエル・トッドの「帝国以降」を読めば判るようにアメリカ帝国は攻勢終末点を迎えつつあります。資源も無く、食料自給率も低く、資本と人材が流出を始めた日本の未来が心配です。
しかし、日本は民主政体です。私にはできる事は何もありません。哲学が違うからです。
>現在は、戦争の形態がきれいに見えているだけなのだと考えています。
私には今の戦争(非対称戦争、マネー戦争、マインドコントロール戦争)がとてもとても醜く感じます。被害を受けるのは貧しい人、意志の弱い人、そして何よりも、未成熟な子供達だからです。
以前に少し書いたと思いますが下記に直して世界を見てください。
金融や宗教、大学 海軍力
マスメディアや映画 空軍力
職業や産業、商業 陸軍力
宗教的な洗脳で信者を操るパウロ金牧師(逮捕)やオウム麻原、メディアの力で拝金的影響力を行使する資本家、営業マンの突撃でシェアを伸ばす企業。それが世界的な規模で発生しています。
私は騎士の戦争が好きです。武士と騎士の戦争がなくなり、王の戦争になり、国民の戦争になり、そして、現在、大衆の戦争になりました。大衆民主主義(劇場民主主義=衆愚政)として日本は完成したのです。ベンジャミン・フルフォードはこれを「泥棒国家の完成 Kleptocracy」と名づけました。
https://www.amazon.co.jp/dp/4334933327/249-1372084-9094747
外国の人は日本の事を「ハイテクスラム」といいます。
これほど子育てに最悪の環境はありません。毎日が性犯罪、毎日がイジメ、毎日が幼児虐待、毎日が財政破綻、毎日が少子高齢化、毎日がフリーターの激増のニュースです。
自分を犠牲にして子供を守る、又は、力のある人間が力の無い下の人間を守る。そういう美学を戦後の日本は否定しました。自分達で選択した報いをこれから受けるでしょう。
私は、経済のグローバル化が地球規模の搾取を生むとは考えていません。むしろ、見かけの不公平さは、グローバル化が不徹底であることから生じると考えています。特に、労働力の移動に対しては、民族主義的反発が強くて、なかなか自由になりません。
私も「今の日銀や政府を信用していません」。貨幣発行権は民主化されるべきですし、そのための新しい方法を私は「電子マネー導入による経済の安定化」で提案しました。
https://www.nagaitoshiya.com/ja/2002/digital-money-economy/
政府だけでなく、民間企業が発行する貨幣もまた、等しい流動性をもって使われるべきでしょう。
について:
現実に考えた場合、グローバル化を徹底できるでしょうか。
「環境適応か変化適応か」での議論で、永井さんは「グローバル社会での競争とは、外国に行って働くということではなくて、地球上のすべての個人・法人と、単一市場で競争するということです。」とおっしゃっておりますが、競争するスタートラインが、先進国と途上国ではすでに違うので、公平性に欠け、途上国の資本は搾取されてしまいます。高校球児と巨人が戦うようなものです。最初から勝負は付いています。
先進国の搾取によって砂漠化が進行しているという事実もあります。
結局先進国は、形を変えて資本を奪っているので、先進国の現状の戦争形態は「リフレ型」というよりむしろ「ディスインフレ型+リフレ型」であると考えています。
ちなみに、私も所謂平和論者が唱える戦争論は嫌いです。
もしも、経済のグローバル化が搾取をもたらすと考えているのならば、リカードの比較優位の原理を勉強してください。どの経済学の教科書にも載っていることですが、ネットでは、例えば、このページに解説があります。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/3776/micro-36.htm
ご教授頂きありがとう御座います。早速「リカードの比較優位の原理」について勉強致します(貿易論については気になっていることもありました)。
いつもありがとう御座います。
「比較優位の原理」について勉強させて頂いております。理論としては優れていると思うのですが、一つ感じたのは、この理論は現実として“公平に”取り入れていけるのか、ということです。
以前「近代世界システムの克服について」の項において、「“環境問題を考える”近藤邦明氏のHP」をご紹介頂きましたが、そのHPによると、
まず、国際貿易における現実問題としては「貿易商が途上国にはいない、若しくは優秀でない」ことだという。その為に、“貿易商のいる先進国へ資産が移動する原因となっている”とのことです。
また、その余波で、途上国の農民は失業し、砂漠化が進行しているとの事です。
そういう意味でも、グローバル化が徹底されるにはまだまだ時間が掛かると思います。というより、基本的に今、世界は自由主義社会であるので、はたしてグローバルにおいて「条件の平等」を実現していけるのでしょうか、これだけ欲深い人間が多い中で・・・。
貿易の恩恵を受けるのは、貿易商だけではありません。貿易がないよりもある方が、途上国の人の賃金が高くなるのですから、賃金が高くなった分だけ、途上国の労働者にも資本が蓄積されることになります。
もしもすべての人が等しく欲深くなければ、かえって、条件の平等は実現できないでしょう。
>貿易の恩恵を受けるのは、貿易商だけではありません。貿易がない
通常、経済赤字国は通貨が暴落するのが普通です。
為替介入もしていないのに為替が安定しているのはキャピタルフライト現象が発生しているからです。経済学と経済は時差が発生します。
真珠湾攻撃を平成日本人はどう感じるのか実に興味があります。
4月期の円売り介入、13カ月連続ゼロ
経常利益は26兆円と最高に 中国特需や原油高で好調
この矛盾を矛盾でなくすのはアメリカの敵国からの東京直撃ミサイルしかない。
軍事評論家、池萬元は「5月か6月に、米国と北朝鮮の間に戦争が起きる確率が90%以上」と言っています。
http://japanese.joins.com/html/2005/0502/20050502192152500.html
今後、日本が戦争に巻き込まれるシナリオとしては、
1. アメリカが北朝鮮の核施設にサージカル・ストライクを行う。
2. 北朝鮮が日本国内の米軍基地に向けてミサイルを撃ち込む。
3. 日本が自衛権を発動して参戦する。
というのが一番可能性がありそうです。
>軍事評論家、池萬元は「5月か6月に、米国と北朝鮮の間に戦争が起きる確
可能性の問題ですが北朝鮮から攻撃するなら今年か来年の冬だと思います。天候が荒れれば航空機が使いにくいからです。アメリカからやるならば今年の5月、6月もありますが今年よりは大統領選挙前を狙うのではないかと考えています。台湾問題を含めてその時期は遠くはないでしょう。5月に私は1週間だけ帰国し、再び東南アジアから中東にかけて出張です。中東産油地域と東アジア工業地帯を破壊すればリフレは完成されます。
池萬元が6月までに米軍が北朝鮮を攻撃すると予測しているのは、多分このためだと思います。
米国攻撃といっても、せいぜい西海岸までのようですが、北朝鮮攻撃の口実がそろいつつあるのは確かです。
いまのブッシュ政権中に北朝鮮問題が火を噴くのは周辺諸国は極めて論理的に理解している。根として思想、幹としてリフレ政策という経済的な流れがあり、花として大統領選挙が待っている。
日銀はバブル崩壊以降、狂ったように超低金利政策と量的緩和をしてきた。その大前提には戦争は起きないという希望的観測が合った。しかしながらもしジャブジャブに紙幣をばら撒きそこで戦争が発生したらどうなるだろうかなどはきっと考えないのだろう。JR西日本が過密ダイヤと過重労働とモラルの低下を計算に入れなかったのと同じだ。
「戦線から遠退くと楽観主義が現実に取って代る。そして最高意志決定の場では、現実なるものはしばしば存在しない。戦争に負けている時は特にそうだ」民主主義政体において(居住する)主権者は国民大衆とされる。主権者の最高意思決定を私はもう少し見ていたい。私は住民票が日本にはない在外日本人。幸いな事にその意思決定には法的に参加できない。
「北朝鮮核問題、10年前より危険な状態」
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/
2005/05/06/20050506000067.html
私は昨日、サイパン島に来ました。明日、2ヶ月ぶり日本に飛びます。
6月にこちらに天皇陛下がきます。可能な限り外遊日程を組んで頂きたいと知人に伝えてあります。
グアムの米軍に動きがあるらしく航空機が飛び回っています。
おそらく、北朝鮮が核実験を強行すればアメリカは何らかの行動を独自に取るでしょう。
中国、韓国、北朝鮮、アメリカ、それぞれ大衆レベルは別にして政府も知識人も戦時体制に突入しています。日本でこれに呼応しているのは海外ビジネスマンと一部の科学者だけです。
永井さんのいうリフレとデフレが戦争の原因の一つというのは間違いありません。問題なのは今のブッシュ政権中に中東及び東アジアでリフレ対策を採るのに対して日本では対応が取れていないという事です。
最大見積もってあと3年、早ければ今年から動きます。本国も対応を急いで下さい。
もしも、核実験を阻止するための空爆ならば、今年の6月までに行うのではないですか。実験が成功した後だと、むしろ攻撃しにくくなるはずでしょう。
> 実験が成功した後だと、むしろ攻撃しにくくなるはず
北朝鮮は原子爆弾を持ってはいますが北米に到達可能な運搬手段は当面は持てません。リフレを完成させつつドル崩落を阻止する為に核保有国を攻撃しにくい理由は少ない。
私のIPが証明していますがシンガポールで会議が終り今度はガルフ諸国に飛びます。日本は世界有数の大国ですがその国民は世界に興味もなく義務も果たしません。
メディアに操られ自発的に行動せず国内に引きこもり精神的に退行して行く。その表層行為として若者達は規範を失い治安は悪化する。大人は子供に、子供は動物に,,,
幕末は脱藩志士が活躍したそうですが現在では退官した元役人の旧士族ばかりが国際的な活動をしている。ベッカムブーム、冬ソナブーム、小泉ブーム、ライブドア騒動、このええじゃないかを踊り続ける狂った国民につける薬は戦争と大地震しかないのでしょうか?
リフレを完成させるには東アジアの工業地帯と中東の資源遅滞の両方を潰すしかありません。戦争で潰すか、別の方法で潰すかの速度戦です。私は当然後者です。バイオ触媒エネルギーと生分解物質とネットワーク型のロボット。前者になれば大量の死者、後者になっても大量の失業者が生まれます。
関ヶ原に例えるなら東北方面の戦いが北朝鮮から台湾に続く右翼戦線を形成し、不破の関はシリアからイラク、イラン、アフガン、サウジのラインで左翼戦線となるでしょう。
さすれば主力は中東周縁に結集させる必要があります。古来から戦は武士の仕事ですが日本の民主主義者は一体全体歴史的に何の為に存在しているのでしょうか?
時間があるときに教えて下さい。私は仲間達の待つガルフの港湾都市や砂漠内陸部のオアシス都市に行きます。
韓国の世論 05.05.17.up
アメリカによる「北爆」時には「アメリカ側」ではなく「北朝鮮側」に立つべき
http://www.tongilpyongron.com/comment/comment050517_1.html
ロシア下院のコサチョフ外交委員長によると、北朝鮮には「本物の核兵器」を製造する能力はなく、「汚い爆弾」しか保有していないそうです。それならば、「核実験」(?)の後攻撃しても遅くはないでしょう。でも、ロシアが言っていることだから、あまり信用できません。アメリカにとっては、北朝鮮よりもイランの方が重要で、北朝鮮空爆は、イランに核兵器が密輸されないための作戦のようです。
久しぶりに見に来ました。リニューアルされていますね。
幾つかのプログを見ていると祖国の惨憺たる状態が見えます。
「多数者の専制」という状態はこのようなことをいうのでしょうか?
戦争は何故起きるのか。北朝鮮や今の日本を見ているとシヴァの踊りを欲する人々が多い為という理由付けも出来るかもしれません。
一部の武士以外は元々女々しい民族が日本人だと聞いた事があります。
http://critic.exblog.jp/1375952
日本人はすっかり政治への関心を失い、政治を考えるインテリジェンスを喪失し、政治的思考においてインポテンツになった。言い方が少し妙かも知れないが、政治系のコンテンツは最早商売にならない。北朝鮮の経済制裁問題で若干アクセスがあったが、手応えが弱い。Exciteのニュースページで芸能ニュースが一番上に置かれている理由がよくわかる。
koji さんは、本当に今の日本が「多数者の専制」だと思いますか。国民の多数は政治には関心を持たず、少数の人間が日本の政治を危うくしているように見えます。国民が政治に関心を持つようにするには、もっと国民に意思決定に参加させるようにするしかないでしょう。
>国民が政治に関心を持つようにするには、もっと国民に意思決定に参加させるようにするしかないでしょう。
私は今、バウという船を象った形のアラブのホテルにいます。
この国は最大の首長が大統領となり、二番目の国の主張が副大統領なります。町中、前の国王の写真が氾濫し、ホテルにも写真集があります。
シンガポールの私のサービスアパートメントにも多数のアラブ人がいます。彼は本当に強制でなく、死後も多くの人々から敬愛されています。
私は日本の国民が政治の意思決定に参加すればするほど社会崩壊現象は加速されると考えています。必要なのは信頼できる友人を持つことです。私は先ほどホテル前のウオーターパークでサウディアラビア人の若い医師と友人になりました。長く付き合えば知る必要はなく専門家に託せます。規範が崩壊しアノミー化した民主制度は衆愚制度といいます。
私は「もっと国民に意思決定に参加させる事」という幻想を追うのではなく、自発的に新しい薩長に参加して体制を整えるのが有意義だと思います。時間はかかりますが一番確実ですし、充実感もあります。
マスメディアに全く掲載されないけど21世紀の新しい設計図は既に生まれています。日本の技術や一部の人材は病んだ地球にとって不可欠です。私は昔、選挙管理委員会の書記をしていました。日本にとっても世界にとっても最大の癌は日本のマスメディアとそれが生み出した大衆と政治家です。その副産物としての官僚と金融(IT詐欺経営者含む)です。逆転の発想で戦場を変えてみてください。これからの日本は地震、戦争、疫病と表面的にはロクデモないことが続きます。しかし、日本が住みよければ日本文明は世界に広がりません。文明は人とともに拡散するからです。その拡散を可能な限りスムーズにすれば誰もが考えもしなかった方法で日本は良くなるでしょう。多少の時間は必要ですが・・・
バウではなく、ダウでした。
母型の先祖は瀬戸内海の水軍でした。
その為に明治期は母の一族は百貨店経営をしていました。
父型は武士だったのでずっと公務員でした。私も元役人です。
曽祖父の時に加賀藩が祖父の時に大日本帝国が親父の時に国鉄がつぶれました。私の代では一体何が潰れるのでしょう。
同期の大卒仲間は全て退官しました。
一体全体、抜け殻のようになった役所を率いて素人が何ができるのでしょうか?
どんなに良い指揮官(政治家)がいても将校がいかければ何もできません。脱藩するのは武士、幕府に使えたのが百姓(新撰組)でした。
もし、歴史が似た事を繰り返すのであるならばあまりに彼らが哀れでなりません。
私もそう思います。マスメディアは、少数の権力者たちによって簡単に操作されます。しかし、インターネットは、あまり検閲されないし、だれもが簡単に情報発信をすることができます。情報発信に大衆が直接参加することで、権力者による情報統制が困難になっています。私は、これは良いことだと思っています。
インターネットは道具です。光にもなりますが闇にもなります。
ある税務職員が個人的に取った写真が流出して大騒動になっています
メディアは嘗ては光でしたが今は闇を広げています。
2007~2008年
チャイナクロス
国家破産
団塊世代の引退
日米両国が民主党政権に
こから15年。光のユニバースが勝つか、それとも人間の弱さとしての短期的な願望(欲望)に飲まれていくのか、勝負の年になります。
ただ、私の予想では例え人の長期的な願望が勝ったとしても2020年の日本は焦土のような状態になっていると思います。
貨幣発行の民主化についてですが、無限信用(次の人が受け取りさらにまたその次の人がうけとる…の無限系列)の構造をどうすれば構築できるのでしょうか?
やはり国家に替わる信用受容体は困難ではないでしょうか。
永井先生はどう思われますか?
たとえばマイレージや楽天ポイントは、民間企業が発行している貨幣です。政府が発行している通貨ほど流動性や信用性があるわけではありませんが、それなりの流動性と信用性があります。貨幣発行の民主化については、こちらに投稿してください。
https://www.nagaitoshiya.com/ja/2002/digital-money-economy/
人は悲しい…誰かを傷つけるために生まれたはずではないのに…
人は愛がないのカナ? あるのなら、傷つくヒトなんていないはず…
愛があれば世界さえ変えられるのに…気がついていない人はきっと
悲しい人だって私は思います。
やっぱり戦争って怖いですね!
今でも世界では戦争がおこっています。どうすればなくなりますか??
戦争は何故起きるのだろう?私は今その事を調べています。
でも、
調べれば調べるほど、複雑な真実が浮かびあがって来るのです。
今、こんなに幸せに生きられる事に感謝しなければいけませんね。
学校で、戦争のビデオをみました。「・・・・・・残酷だ・・・・」
私はそれしか思えませんでした。死体の除去シーンがあって、吐き気がしました。だけど、このビデオは本当にあったことで「現実に目をむけてはいけない」ということを学びました。喧嘩やいじめなど、ささいな出来事でも憎しみ・怒り・恨みから戦争は起きると思います。私は命を無駄にすることがないよう生きたいです。
現在の長期にわたる大規模な戦争は、リフレーション(デフレーションからの回復)を目的にしています。要するに、戦争とは、景気対策としての公共事業です。ですから、戦争を未然に防ぐには、バブルの発生と崩壊が起きないように、適切にマネーサプライをコントロールする必要があります。
私も昔戦争のビデオを見ました。そのビデオには原子爆弾で死んでしまった人々が写っていて吐き気がしました。
学校の先生たちは、戦争の悲惨な映像を見せれば、子供たちが反戦的になって、彼らが大人になってからも戦争を支持しないようになるだろうと期待しているのでしょう。そうした反戦教育を戦後長い間やっているにもかかわらず、なぜいまだに戦争を望む人々が日本にもいるのか、なぜ小林よしのりの影響を受けて、戦争を美化する人々がたくさんいるのかを考えてみてください。
私は戦争という愚かな行為が国民のためになるとは絶対に考えることはできない。 大きな過ちである。犯罪である。
戦争というのはすべてを破壊し奈落の底に叩きつけてしまう恐ろしい凶器。
家族や友達のことを考えればわかるはず。誰でも家族はいるはず。
戦火の中に必ず悲劇が存在するということを忘れてはならない。
私は今、戦争の原因について調べています。
このサイト(資料)を見て非常にお役に立ちました。
色々えらい人が話し合って戦争が1つでもなくなってほしいです。
如何なる理由があろうと、戦争でたくさんの貴い命が失われていいはずがないと思いました。
私の中で戦争というものは理解できないものです。
同じ場所に住む人が、同じ地球に住む人々が争って結局最後に残るのはなんなんだろうと思います。
たとえ勝っても、たしかに国に資源が入ったりして生活が豊になるかもしれません。しかし自分たちのために他の国あるいは他の地域の人々を殺したことをいつまでもいつまでも悔やみ続けるのではないでしょうか?
戦争が経済的に必要になると、「他の国あるいは他の地域の人々を殺したことをいつまでもいつまでも悔やみ続ける」ことがないように、戦争を正当化するイデオロギーが現れ、それが人々を洗脳します。だから、たとえ動機が経済的であったとしても、表向きは、復讐の正義や自由のための戦争といった崇高な目的が掲げられます。
僕は、戦争についての平和作文を書いています。色んな戦争を調べていますが、どうしてこんなにも戦争は多いのでしょうか。
人間は、戦争を何度も繰り返して歴史を築いてきました。その戦争の中で、大切な何かをたくさん学んできたと思います。戦争をしなくてすむような大切な何かを。
けれど、戦争は続いています。もしかすると、僕たちはその大切な何かを見過ごしてしまっているのではないでしょうか。
大切な何かをちゃんと見つけることが出来るまで、僕たち人間の戦争は終わらないんじゃないかと思います。
私もそう思います。でも、大切な何かって何でしょうかね。
あたしは今人権作文をかくために、戦争のことについて調べました。
戦争はなぜおきるのか・・・??
理由はいろいろあるでしょう。
でも理由があるにしても話し合うだけではだめなのでしょうか??
戦争をして何になるんでしょうか。
戦争をしたら解決するのでしょうか??
何でも戦争したらいいと思うのはやめてほしいです。
戦争にまきこまれる住人の気持ちも考えてほしい。
そう私は思います。
今でも戦争をしている国はあります。
そんな国が1つでも減りますように・・・。
私は今、戦争について調べています。
戦争は、必要なものなのでしょうか?
「話し合うことで解決」 することは、できないのでしょうか?
戦争をすることで、人が沢山死んでしまうだけなのに……、戦うことでなにか解決するかもしれません。そのぶん、たくさんの人が犠牲になります。 大切な何かがなくなります。
ほかに、解決法はないのでしょうか?
戦争とは、人々の意識の中にある。
私益追求や自我独占欲、いわば私的権益こそが戦争の原因です。
簡単に言うと自分さえ良ければ良いと言う意識のことです。
自己中が蔓延する世の中である限り、戦争は無くならない。
しかし、これだけでは、世界的或いは国家間にも及ぶ民族紛争には至らない。
その最大の原因は、国家に金を貸す金融資本家たちの存在だ。
彼らは、国家や企業に金を貸して戦争を起こして巨大資本を獲得する。
世界最大級の自己中集団が、国家政策をもコントロールするからだ。
金を借りる立場(国家)が、貸す立場(資本家)より弱いのは世の中の常だから。。。
彼らが仕掛ける国際金融市場経済(グローバル経済)とは、まさに搾取支配の構造なのである。そして、彼らは、マスコミをも支配しているから、みんなは事実を知らない。
どうする?
そうした、国際金融資本家たちの暗躍を暴き実態事実を解明することです!
中ソ国境紛争や中越戦争など、金融資本家が存在しないはずの社会主義国家間の戦争をどう説明しますか。金融資本を持たない貧しい下層民が、しばしば、熱烈に戦争を支持するという事実をどう説明しますか。金融資本家にとって、戦争は、通常ネガティブな要因です。巨大資本を獲得することが目的なら、もっとリスクの低い方法が他にあるでしょう。
戦争が起きる原因・・・
もうちょっとわかりやすくなりませんか?
どうして世界は戦争を止めないのか
答えはひとつ「儲かるから」
完成してしまえばそれ以上の進歩は望めない
じゃあどうしたらいいか
完成したものを壊してしまえばいい
そうすればもう一度作ることができる
壊して作る、それが戦争
例にイラク戦争を挙げよう
イラク戦争では世界中から復興資金として世界銀行にお金が集まる
そのお金でアメリカは自国の企業に復興をさせる
日本はアメリカの下請けとして物資の輸出が盛んになる
軍需産業が伸び、莫大な復興需要が生まれる
日本の経済を振り返ると戦争が起こったときのみ好景気になっている
これは「戦争=儲かる」ということの裏づけ
国益のためなら自国民の死もいとわないのが国家
しかしそれを非難することはできない
なぜならその恩恵を受けているのは私達にほかならないから
いわゆる平和維持のためにはある程度の犠牲は避けて通れない
私達はその犠牲の上に生きているということを知っておく必要があるのではないだろうか
私も今、国語の時間で、「平和のとりでを築く/自分の考えを発信しよう」という勉強をしています。
今回は、パソコンを使っても良いということなので使っています。
私が調べに来たのは、「戦争が起こる原因」です。
どうして戦争が起きたのか、それは人々に不幸をもたらす事を知らないかのように。
けれど、戦争を行った人達は、それがいけないことであると、分かっていたのでしょうか?
その人々達にとっての「平和」って何でしょうか?
そして今の私達にとっての「平和」とは・・・?
もしも私が戦争時代に生まれていたら、私はいったいどうしたんだろう?
自分の考えさえ、はっきり分からないなんて、情けないです。
願うのはたった一つ。
人々の幸福と、平和な未来と。
もし戦争時代に生まれていたら、私は、皆さんは、 どうしますか?
小学生が読んでもわかる解説のページを書きました。
「なぜ戦争が起きるのか(小学生向け)」
小学生がコメントを書くときは、こちらに書き込んでください。
今、僕に出来ることはありますか?
しりませんこ☆
こわいよブッシュ
なんとかしろ麻生
どうしたら戦争はなくなるの?
何のために戦争するんでしょうか
それは人間が愚かだからでしょうか
あと一部の金持ちが裏で軍などを動かしているのでしょうか
ぜひ教えてください
戦争をした人は死んでからも罰を受けるのでしょうか
人間だしすぎww
人の言葉を自分の言葉のように使うのは、泥棒です。
「戦線から遠退くと楽観主義が現実に取って代る。そして最高意志決定の場では、現実なるものはしばしば存在しない。戦争に負けている時は特にそうだ」
「戦線から遠退くと楽観主義が現実に取って代る。そして最高意志決定の場では、現実なるものはしばしば存在しない。戦争に負けている時は特にそうだ」
とコメントされているのは永井俊哉さん本人ですか?
このブログでは、投稿者名は、右下に表示されます。そのコメントの右下を見てもらえればわかるように、それは、kojiというペンネームの人のコメントです。
戦争大好き(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)
戦争大好きっておかしいとおもう。なんで、そんな事言うんですかっ?
戦争で奪われたものあるだけど戦争で与えられたものはない 戦争が好きだ馬鹿言ってんじゃねー戦争で奪われた人の身にもなってみろ 戦争で奪われたものの大切さを知るのは後からなんだよ
少女Bさんの言うとおりですよ。戦争が好きだなんて間違ってます!
戦争終わるって、言うなら、
アンタが、止めてみれば~(^o^)
皆さんの意見、色々見させてもらいました。私的に、全部の国が平和であってほしいです。私は実際、戦争がどんなものかよくわかりません。だけど、もし自分の家族や友達が居なくなったら、私は一人じゃ生きて行けないと思います。「戦争が続いてほしい」とか、「戦争大好き」とか、そんなふうに思ってほしくないです。
戦争&ブッシュだよな!
でもよ、麻生&ブッシュでもあるよなぁ~
……悲惨なコメントが大量だな。
戦争が手段にすぎないのであれば、
その手段が必要とされる状況が続く限り、
戦争は無くならないのだろうか。
戦争の目的を正しく認識していれば、その目的を実現するための代替手段を探すことによって、戦争を回避することができます。戦争を廃絶するために必要なことは、戦争の目的をなくすことではなくて、有効で無害な代替手段を開発することです。
その通りですね。特に不況によって起こる戦争に至っては、
政府だけでなく国民がその目的を理解し、対策手段を考える必要があります。
これはお国に任せるだけでは避ける事は難しいでしょう。
生産する物の見直しや主流となる社会構成の見直しも必要になると思われます。
2.ディスインフレ型の戦争を読んでいて、
昨今の格差社会の現状は、形を変えたこの戦争そのものなのではないかと思えました。
この現状を見てみぬ振りをする層は、リフレ型戦争への片棒を担いでいると言っても過言ではないのではないでしょうか。
一度この格差状態に陥ってしまえば、代替手段で例え景気が戻り経済において均衡を得られたとしても、
人間の心境的な均衡が元に戻る事は無いように思えるのです。
大震災などの災害により危機的状況を体験した人は、価値観が一気に変わるといいます。
戦争はその危機的状況をもたらし、人の心境にも影響を与える部分もあるのではないかと私は考えます。
しかし、かといってその為に戦争をするべきだとは私も思っていません。
ただ、長らく平和が続き他人の事に無関心になり、昔とは違い特に都心は人と人との繋がりが希薄になっている状態で、
有効で無害な代替手段がしっかりと開発されるのかどうかは疑問です。
リフレ型戦争を回避するにはあらゆる要因も同時に解決する必要がありそうな気がします。
戦争を回避するには、全ての国の軍隊に核武装させる事。大国のみが核兵器を保有する事で持たぬ者を制御しようとしている現実から目を逸らしてはならない。大切なのは戦闘力が均衡する事によってのみ、戦争を回避する事ができる要素が発生するという事だ。核不拡散の運動は核兵器が開発され保有する国家が存在する以上、無意味且つ危険な運動でしかない。
核武装するのが国家の軍隊だけならいいけれども、核拡散が進んで、国家でないテロリスト集団までが核武装したら、問題があるでしょう。核の所有が核戦争の抑止力として働くのは、所有者が、正体のはっきりしている、責任が問える主体である場合に限られます。
仰るとおり、核の所有のレベルは独立国家のレベルが限界でしょう。もしも全ての国家が核武装し終わった時が来たのなら、核兵器の所在を軸にして、新たな価値観が生じて、国家自体の存在理由も変化するかもしれません。使えない兵器でも兵器は時代を変える力になるでしょう。
平和な世界を作りたいです みじかくてすいません そんなこといわないで^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ 冗談言わないでください あなたち大人でしょ
「 戦争がなくなるわけがない 」
っていうけど
なくなるかどうかじゃなくて
なくなるようにすることが
大切なんだと…
……
あぁ
綺麗事…………
すいません小学生ですヾ(・ω・`)
「戦争大好き」とか書いてあったけど、
本当に戦争起きたら、その人はどうするんでしょう?
戦争について、まじめにコメントしてほしいんだけど…。
軽い気持ちでコメントしないでください。
こうやっている今も戦争で苦しんでいる人がいるんです。
なぜ、人の命をとるようなことをするの?
謎です。
戦争をして、何の意味があるの?
謎です。
今すぐ、戦争をやめてください。
世界を、平和にして下さい。
戦争にあった人はどれだけ苦しんだか。
命を失った人は、どんな辛い思いをしたか。
原爆症にあった人は今、どれだけ苦しい思いをしてるか。
はだしのゲンのビデオを私は学校で見ました。
ゲンのお父さんは戦争に反対していました。
戦争に反対してるだけで、刑務所に連れて行かれました。
ゲンのお父さんは、何を間違っているのか知りたいです。
私は、死ぬまで戦争に反対しつずけます。
戦争はなくならないと思います。
それで世界が成り立ってるんだからしょうがないと思います。
平和な世界を創りたいって言うけど自分が戦争に参加したこともないのに、何で戦争がいけないなんて言えるのか不思議です。
当たり前のことのように日本人は戦争がいけないって言うけど本当に戦争に巻き込まれた人たちからしてみればただの偽善でしかないから。
だからこそ、日本人はただの偽善で終わらせないために行動を起こさなくちゃいけない。政府とか宗教とか関係なく国民全員が世界のために、未来のために。
(中学2年)
ヒトが殺しあうって悲しい
なんで 戦うの?
僕には謎です
神様はさ 世界中のヒトはさ
こんなこと 望んでたのかな
ヒトはさ ほんとは素晴らしいんだよ
こんな事するために
生まれたんじゃないよ
いなくなった命たちが言ってるよ
ヒトはヒトを愛することができる
愛 って素晴らしいよ
みんなはやく気付かないかな・・・
私は戦争が世界からなくなるとは思ってはいません。しかし、だからと言って何もしないのはおかしいと思う。人間の技術ならなしえることでわないだろうか。
現在でも石油が無くなるということがわかって電気自動車なども開発されている。少しずつでも減らせるのではないか、こういうときこそ先進国が積極的に活動するべきではないか。
と、私は思います。
後、みんなふざけすぎですね。ふざけるならここに投稿しないほうがいいかと。
結局どれだけ平和を訴えてどこかの宗教団体やボランティア団体がやっているような人道活動をやっても戦争はなくならないということですか。
結局人間の自由意志では戦争はなくならないということですか。
人間は神の子孫ではなく所詮猿の子孫。種族が違うだけで、弱肉強食の原理は他の生き物と同じ。
人間という生き物には全く失望させられますよ。
いいえちがいます。デフレが原因で戦争が起きるのだから、戦争以外の手段でインフレにすれば、小さな一時的紛争の類は別として、大規模な戦争は防ぐことができるということです。
戦争は人間が存在する限り絶対になくならない。
人間は生物としての身の丈を一番理解していない。
本来人間が生活するに足るだけの食料も資源も
この世界には十分に存在する。
しかし、人間は自ら生きるに必要不可欠な最低限で
良しとせず、食う為でもないのに戯れに生物を殺し、
資源を搾取し、一部の富裕層や権力者のみが豊かな
人生を謳歌し、その皺寄せは全て貧困層に押し付け
られる。
更に富裕層はその出生や環境の恩恵を受けたから
今の地位と名誉があるのに同じように努力しても
出生や環境が悪かった為に地位と名誉を得られなかった
貧困層を自己責任とし、更に貧困層から搾取を続けている。
知性を得る場を奪われ、力を得る場を奪われ、
発言の場すら奪われ、追い詰められた貧困層には
徒党を組んで暴力に訴える手段しかなく、
その暴力すら富裕層に更なる富を与える為に
そして自分達への不満の捌け口として利用される。
それが戦争。
戦争をなくす方法。
それは人間が滅ぶ事かもしれない。
久々の投稿です。
戦国時代の日本は「(内戦と言う意味で)戦争の100年間」と言えます。
戦国時代の武将たちは、戦いをする理由としてお家騒動、謀反、資源開拓、混乱平定、侵略、同盟(政略結婚)破棄(ちなみに「仇討ち」的な戦いである、「弔い合戦」はあまりしない)など、と言った要素があります。ただ、織田信長が登場する16世紀半ばまでは、「全国的支配」を考えられる勢力(財力)と時間がある武将がいませんでした。それまでの武将は、せいぜい現在の複数の「自治体」を手に入れる程度でした。
室町幕府の権勢と威厳、経済力が衰えて、(応仁の乱が終結しても)全国の武将たちが、将軍の言う事を聞かなくなったと言われますが、武将たちが本当に室町幕府および将軍の権勢を無視していたのでしょうか?将軍から名前(1字をもらう)をもらった武将がいます。
少しおかしな表現になりますが、戦いが「家臣たちのストレス解消と、賃金とポストの確保の手段」と思います。やはり国を治める「国主」の武将は、お互いを信用できないのでしょうか?平和的な天下統一の手段として、現代風に言えば「EU」の様な組織を作り、全国を統一する手段もありますが、当時としてはその発想がなかったみたいです。
もしも元寇がなかったなら、東国に拠点を置いた武士による安定した統治が続いたことでしょう。元寇は避けることができた戦乱であり、それを避けていたならば、南北朝時代から戦国時代に到る不安定な時代を回避できたことでしょう。
戦争のこと教えてください
イグさん、まずは、本文を読んでください。これを読んでわからないなら、「なぜ戦争が起きるのか(小学生向け)」も読んでみてください。
永井俊哉ありがとう。時間がないので詳しく教えてください
やっぱり、戦争があるからいけないんです。戦争は残酷すぎます。
戦争が好きな人なんて、いませんよ。
私は、戦争に賛成です。
オバマって書いてる人処けいできるもんなら処けいしてみてください。
私はいっこくもはやく人間がぜつめつしてほしいです。
人間は自然のルールを破ってきました。
人間はどんどんふえて自然をはかいし動物の住むところをうばってきました。
だから私は人間同士で殺しあってぜつめつしてください。
ぜつめつしてきた動物のようにしんでください
多分、話し合いのできない鳩山みたいな人が、上で日本を動かしてるから戦争が起こるんだよ!
紅連の錬金術師 キンブリーさんのいっていることは論理的に成り立ちません!!
人間は、自然を壊しますが、生み出すこともできます。そして、戦争が起こると、自然も動物も人間も死んでしまいます!これでは、あなたのいっていることは成り立ちませんね?
だから、戦争は、いらないです!私は、戦争や争い事に反対です!!!!
「戦争は賛成です」という人の意見はおかしいとは思いません!!
それも一つの意見ですから・・・・・・。
上のやつら
いいこといおうとあせってますねwww
「戦争に賛成」ですに反対した人もそれはそれで意見じゃない?www
なにその1つの意見ってww
いいこといって説得してもみえみえですよん
雑魚だな
戦争は確かにいけないと思います!
けどやらなきゃいけないときもあります!
戦争か~
自分はゲームで人を普通に殺してしまいます
これってやっぱり戦争好きなのかな?
答えをください!!!
待ってます!!!!!!!!!
私のお墓の前で泣かないでください
これって未来で流行してるんだよねーーーーー
戦争ってさ~
いけないね
賛成とか言ってるけど
自分が戦争にあってないからいえるんじゃないの?
しんばさんへ!!
あぁ?あたしのいけんも一つの意見だよ^^
あなたの意見も一つの意見だけどね
だから、答えにはまちがいはないし、答えなんかないと思うんだよね
戦争は、敗者にとって失うものしかない。 戦争をする者、したい者、生物の死を望む者がいる限り戦争はなくならないのだ。 戦争に関心のある者はぜひ覚えておいて欲しい 生物の死を望む者は悪魔だ。
戦争をなくす方法は、人間がほろぶことだ!
戦争は、一瞬で人の命を奪ってしまうとても残酷なものだ。
そして、後にまで大きな傷あとを残す、してはいけないものだ。
1945年、8月6日に広島、9日に長崎に原爆を落とされた日本は、
世界で唯一の『原爆を落とされた国』として有名になった。
原爆では、たくさんの人の命がうばわれ、たくさんの人が涙を流した。
60年たった今でも、ピカドンとして名を残している。
戦争は、たくさんの【悲しみ】【恐怖】【涙】と、ほんの少しの【利益】【土地】との取りかえだ。
その代償はあまりにも大きい。だから私は、たくさんの人が悲しむ戦争は
もう二度と起こしてほしくないと思う。そして今の平和がずっと続いてほしいと願っている。
日本が戦争を始めたのは土地が欲しかったり、賠償金が欲しかったりした
ということが多いでしょう。条約のせいもあるけれど、欲がでたためにたくさんの
人の命を失ってしまったのだと思います。だから、平和を守るためには、
自分の欲に任せずに、他の人を思いやることが大切だと思います。
戦争は起こったら決着がつくまで起こるから最初から戦争は起こらないように気をつけたらいいと思う
みんな自分勝手やぜいたくをするのをやめたら戦争は起こらないと思う
今のように平和が続けばいいなと思う
せんそうはいけないとおもいます。
ピースさんの言うとおりだともいます!!
第二次世界大戦では約6000万もの命が失われているんです!!
戦争大好きとか言わないで下さい・・・。
戦争大好き。
なぜ、ドナルドさんは、戦争大好きといえるのですか??
それは、戦争のどこがすきなのですか?
そこのところを教えてください!
何人もの命を奪う戦争のどこがいいかが分りません。
とても理解に苦しみます
実際その戦争で苦しい思いをした人たちがたくさんいるのに・・・
確かにそうだとも感じるんですが
ナチスドイツのように国が徹底して経済を計画的に成長させ、さながらバブルのように領土を広げていった国家は果たして平和的だったでしょうか?
また、デフレやインフレで戦争が起こると言われていますが
昭和の日本や今の中国のような計画経済や
社会主義の過程や国家社会主義的な国作りが
はたして平和を作るのでしょうか?
全世界の国が生産量や雇用を半ば強制的に安定させたとしてこれから戦争が起こらないともいえない気がします。
僕もユニホーム論は信じてはいないのですが
例えばフォークランド戦争のような戦争はどう説明されますか?
フォークランド紛争は、3ヶ月程度で終わった小規模な戦闘で、戦争といえるほどのものではありません。私がリフレーションのための戦争として念頭においているのは、長期にわたる総力戦としての戦争です。
3ヶ月程度でも戦争ととらえてよいのではないでしょうか?
例えば普仏戦争の期間は一年にも満ちませんし、それ以前の戦争は数週間や数ヶ月にわたっての戦闘が殆どだったはずです。それに技術的にも長期間の戦闘は不可能でした。長期的な戦争だとしても散発的な戦闘が何回にもわたって繰り返されると言う形式でした。
先の大戦では運搬技術が成長したことが戦闘を長期化する最も大きな要因です。前線にいくらでも武器や物資を送り込めるようになった結果、戦争は泥沼化したのだと認識しております。
物資を多く送り込んだ方が勝てるならば銃後も生産要員として戦争に参加しなければなりません。ご存知の通りこれが総力戦です。
また、総力戦はもともとあった兵力や物資を投入するのではなく、「作りながら戦争をする」と言うのも特徴的です。
という事は、なぜ戦争がおこるのか?ではなく
なぜ総力戦をしなくてはいけなくなるのか?という事で理解していいのでしょうか?
ミサイルなどで超長距離のピンポイント攻撃が可能になり前線が本当にどこなのかわからなくなっています。
そして、これからの時代の戦争は潜在的に長期化すると思うのですが散発的に表に出てくる「戦闘行為」はより短くなって良くと思うのです。
戦後の総力戦はどのようなものがあるでしょう?
朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争にしても総力戦とは言いがたい。
上で言ったように「作りながら戦争をする」と言う論法で言わせてもらえば戦後65年間アメリカもロシアも戦争を止めていないんです。それは銃後の生産要員という型の兵隊がずっと作戦を続けているわけですから。
その作戦の利益をとらなくてはいけない場合戦争は人工的に起こされます。永井さんが仰るようにインフレやデフレが要因になることは賛同しますが
それはアメリカやロシアのような大きな軍産複合体を持った国家にだけ当てはまるようなきがするのです。
作らなければ巻き込まれる可能性はあっても、総力戦を起こす側には立てないとも言えますね。
中国やインドもこの路線に加わり(おそらくブラジルもですが)、今世紀中盤にはどうなることやらと言った感じです。
武器は持たなければ不安でしょうがないものですが作り続ければ戦争が起こるのですからこれは大変なチキンゲームです。
インフレが原因となるのは、前近代社会での話しなので、除外するとして、デフレが原因となる現代の戦争の場合、リフレ効果をもたらすのに十分な規模の財政支出を伴う戦争が求められます。そうではない小規模な戦闘は、リフレ効果を求めた戦争ではないということができます。純粋に政治的動機から起きる争いには、そうなる傾向があります。
米ソの冷戦が、リフレのための戦争であったことは、70年代にインフレが顕在化して以来、雪解けの時期を迎えたことからも説明できます。
世界中で起こっている戦争は総力戦だけでは決してないと思うのですが
アフリカで毎年のごとく起こっている戦争やフォークランド戦争
またユーゴなどで起こった戦争は戦争とは呼べないものなのでしょうか?
なぜ戦争がおきるのか?という題にあうように
例外を作らない方法論を導き出せないと普遍性があるとは言えないのではないでしょうか?
人が死んでしまう以上、それは紛争だから戦争扱いはしないよ。ではこの題には語弊があると思います。
とくにアフリカに起こる典型的な戦争は先進国が過剰に物資を輸入をすることで貧しさがつのり戦争を起こしていると思います。
彼らは先進国の高額な武器を買うお金もありませんから商売にもならない。
この場合、持論はとおせますか?
まず戦争という言葉でコールドリーディングさせているような気も・・
筆者のいう戦争の定義とは何か?
大人のための記事として書いているようなので
紛争と戦争の違いや、総力戦と単なる戦争の違いも
ハッキリした形で説明した方が良いかと思うのですが
紛争と戦争、局所戦と総力戦の違いは、たんに量的なものです。そして、近代国家においては、デフレの規模が大きいほど、規模の大きな戦争が起きやすくなるということを私は主張しているのです。逆に言えば、政治的要因で紛争が起きても、インフレ局面においては、大規模な戦争には発展しないということです。
オイルショックにより物価が急上昇した1973-79年の時期には、世界的に戦争があまり起きていません。フォークランド紛争が起きた1982年においても、まだインフレが完全に沈静化していなかったので、大規模な戦争には発展しなかったと説明することができます。ユーゴスラビア紛争は、長期間持続しましたが、それは、1990年に世界的に発生したバブル崩壊が惹き起こすデフレーションを阻止するためだったからでしょう。1999年の3月24日から6月11日までのNATOによるセルビア空爆は、1998年8月に起きた、ロシア財政危機とロング・ターム・キャピタル・マネジメント破綻に端を発する金融不安がデフレに結び付くことを警戒して行ったと解釈できます。
アフリカの場合、まだ近代社会になっていないところがあるので、そういうところでは、前近代的な、インフレ型の戦争が起きるでしょう。なお、「彼らは先進国の高額な武器を買うお金もありませんから商売にもならない」というのは事実誤認で、アフリカは、レアメタルなど、商品価値のある資源が豊富で、死の商人にとっては、格好のマーケットになっています。
あなたは、一つでも例外があれば、法則に普遍性がないと考えているようですが、社会科学では、統計的な傾向が問題になるのであって、例えば、「不況になると犯罪が増える」という法則は、好況時に犯罪が起きるという例外によって無効になるわけではなく、好況の時よりも不況の時の方が、犯罪発生率が高くなるということでもって成り立つとみなされます。戦争の法則についても同じことが言えます。
リーマンショックなど経済破綻が起こり景気はいまだ好転を見せませんが。
最近、中国やインド、ブラジルなどは先進国とは逆に好調さを見せています。
順位が入れ替わる現象がおこっている現代社会で
むしろ昔より第三次世界大戦は近くなったのでは?と感じます。
今のアメリカの大統領が変わると大戦争は起こるのでしょうか?
核兵器を持っている大国どうしは、直接戦争ができません。だから、リフレのための戦争も、比較的無害なテロとの戦いが中心となります。オバマ大統領が、今年3万人の米兵をアフガニスタンへ増派するのは、このためでしょう。
「戦争は無くならないのか」
常々私も考えています。ヒトは知能が高度に発達したおかげで文明を築き、地球の歴史の中で最も短い期間で繁栄を手に入れた生物と言えるでしょう。加えて最も地球そのものを破壊できる能力をもった唯一の生物にもなりました。特にこの100年というのは劇的という言葉がふさわしいほどです。
永井俊哉さんの主張はとても納得できるものです。なぜなら、戦争の原因としてもっとも挙げられる政治の危機を掘り下げていくと、その大部分を経済的なものが大きく占めるからです。だから、経済的問題の性質・量が違えば、その戦争の性格も大きく異なります。
しかし、戦争は一定の分類はできても自然科学のような法則を見出だすことはできないと思います。人間の動作でも反射的なものと、そうではない:つまり思考して選択したものがあります。前者は構造上の法則はありますが、後者はそうではありません。戦争の主体はもちろんたくさんの人間です。彼らは決められた刺激に反射的に行動しているわけではありません。毎回条件や環境は違いますので傾向は認められても、法則や定理というのは認められません。
社会科学の法則は、統計学的なもので、個々人の合法則的行為の単純な合計によって、その法則性が担保されているわけではありません。これは、自然科学についても同様で、二体問題は決定論的に解くことができますが、三体問題以上になると解析的に解くことはできません。つまり、自然科学でも、エージェントが三体以上になると、統計学の世界で、社会科学と同様になってしまうわけです。
戦争って何だろう?
平民に生まれたものには良くわからないはず、
理解できるのは世の中を牛耳る人たちか、一部の識者
基準
世の中に基準なんであるのだろうか?
普通
普通ってなんだ?
そんなもんありゃせんよ~
世の中は何でもありえるということを理解したほうがいい。
我々平民はどうしても正義と悪を綺麗に分けようとする。
ヒーロー映画がヒットするのはこのためだ。
しかし世のなか灰色の世界。
白黒のようにはっきりしていない
なのに、あれは間違いだ、あれは正しくない、あいつが悪い、私が正しいなどと
自身の主観的に物事を全て白黒をつけようとする。
このような人間は世の中を理解していない。
なぜか?
貴方に非難された人の主観的な答えは貴方と矛盾しているから
それもしょうがない話だ、
なぜなら、そのようになるように教育されてきたからだ。
なぜか大臣の子供は大臣になる。
なぜか金持ちの子供は企業の経営者になる。
遺伝子が優れているからか?
そんなわけが無い。
ようは親が子に見せる世界観の違いだよ
「世界というのはこのようなものですよ~ 我が子よ!」
これだよ!
この教えが平民お父さんと大臣お父さんが違うからだ。
どうすれば戦争なくなるって?
60億人の全てが能天気をやめ、みんなが総理大臣クラスの世界観を持ち合わせれば戦争はなくなる。
無理!
無理です。でもなぜ?
100000人中に99999人がわわがままにしか生きない。
小さな自分の世界の中で「幸せ」を見つけようとする。
経済?
政治?
デフレ?
恐慌?
戦争?
戦争なんでイラクでやってるでしょう?
私に何の関係があるの?
それより車がほしいな~
デフレ?
何それ?要するに景気がよくないの?
ああ~それはしょうがない話ジャン、
だって、政治家がアホだから
恐慌?
100年に一回は起きるでしょう。良くは理解できないけど、
ほとんどこんな人間の世の中、戦争なんで止められないでしょう。
こんな人間では100万人集めても、10人の「戦争推進派」に敵わない。
後に自身が戦争で死ぬこと、或は人を殺すことを想像もできずに・・・・・・
>戦争は、通常政治的な現象だと考えられている。民族や宗教やイデオロギーの対立から戦争が起きるとか、石油を手に入れるために戦争が起きるとか、そうした通俗的な説明に満足している限り、近代の戦争の本質を理解することはできないし、戦争を防ぐ有効な手段をも見つけることができない。
自説以外の説に対して、見下してる感があるように思う。
特に「通俗的な説明に満足している限り」というところ。
正解が複数あって、両立する場合もあるから、自分の説以外に対して、もっと尊重したらどうだろう。
もし、相手の説が正しくても、見下してしまうと、認めるのが難しいと思う。
戦争の最終目的地は「欲望」
「欲望」がなくならない限り、戦争は消えません。
どの国も天秤にかけたら同じにならなければならないと思います。
その方法が、今、間違っています。 「力」で解決しようとしないでほしいです。
「言葉」で解決する国ではなくなってしまったのでしょうか?
私はなぜ戦争が起きるか。について調べています。
ヒマだったのでウェブ検索をしてこのサイト(?)にたどりつきました。
私がこの文章を読んだ後に感じたことは
「戦争も正しい選択なのではないだろうか」ということです。
しかし私個人としては戦争反対です。人を殺すのも嫌ですし、自分が殺されるのも
嫌です。
個人にとっては、そういうものでしょう?
我々個人としては戦争を回避するべきです。死にたいと思ってる方は別ですが。
そういう方は勝手に死に急いでください。どのみちその方々には止める人なんて
いないでしょう。勝手に死ねばいいかと。
さて、死にたくない殺されたくない個人にとって戦争を回避する方法ですが、
各々の人たちが政治、国の現状、戦争を起こそうとする人たちの心理、を理解
することが大事です。
それらについて勉強する必要があります。
明確な言論によって戦争否定が出来ないのであれば、その言葉は
力を持ちません。明確な言論による、力を持った発言が出来る人が
国民の多数を占めれば、戦争が起きる確率が減ります。
上の方々の「戦争はなくならない」という発言には同意します。
しかし戦争が起こる確率は減らすことは出来るはずでしょう。
現状・・・もっとも私の世代の話ですが、「戦争反対」について明確な
言論が出来る人がいません。「戦争」そのものについて考えていないからです。
それもそのはず、我々日本人にはその事を考える余裕がありません。
社会人になると、自身が使える私的な時間がグッと減ります。
もちろん私的な時間がなくなるということはありません。私は
一日につき平均4時間ぐらいは、その時間があります。
問題は我々個人が、「戦争」や「政治」やらを勉強する時間を、
その私的な時間に一切割いてないことにあります。
我々は、そういった嫌なこと、出来れば直視したくないことから目を
背けているのです。
こういう現状が、我々の後の代にも続いてしまえば、
もし国が「戦争しよう」と言った時に立ち向かえるでしょうか?
我々日本人は流されやすいとされています。私もそう思います。
国、テレビ、新聞、ラジオ、インターネット。これらすべてが「戦争すべきだ」
と言ってしまう状況があれば、我々は流されてしまうのでは
ないでしょうか。そういう不安が私にはあります。
我々日本人は、忙しすぎて戦争について考える余裕などはないと思います。
ですが、この「戦争離れ」した、または戦争から現実逃避した状態が続けば
戦争は必ず起きます。時期の予想まではできませんが、もう近い将来まで
きているはずです。」
だって日本には敵がいるじゃないですか。北朝鮮という敵が。
私は私なりに行動を起こしてみようと思います。私は「戦争がなくなればいいのに」
とは言いません。私たちで戦争を回避しましょう。今出来ることは
政治を見張ることです。若者の政治離れは深刻です。
投票などは義務ではありません。政治を見張ることが国民の義務なのです。
戦争反対の方々、みんなでがんばりましょう!
戦争は雇用のために起こる
失業するのもニートになるのも苦しい。
普通人間はそういうもの。
それでもいいじゃないかなんていう人は余りに現実感のない人生を送って来たに違いない。
日本は農耕民族で安定したい意識が人一倍つよい。
だからこそ、日本人は流されやすいのだとも言える。
戦争が雇用を生むのならそれもやむなし。
民主主義が活発になってから
「パンをよこせ」と民衆が叫び
常に成長を求めるようになった。
成長しなければ革命を起こすぞと国を国民が脅すようになった。
他国から奪ってくる必要性はそれだけに募っていく。
権力者はそれを与えただけにすぎない。
そこには、陰謀ももくろみも無く
我々の集団心理が戦争を生む。悪者を作っても意味がない。
戦争に協力しませんといわなかったものは全員「加担者」なのだから
少子化にも関わらず雇用が無い
日本は今、民主主義国たりえているだろうか?
戦争をしたくないなら
国民は口をつぐみ緩やかに死に向かうことを受け入れるべきだ。
それはインフレ型戦争の場合の話です。デフレ型戦争の場合、人々は、他の国からパンを奪うためではなくて、仕事と名誉を求めて戦場に赴きます。
人類の文明は発展し過ぎた。
人類のために研究され続けた科学は、いつの間にか
ヒトを効率よく殺すために研究されてしまった。
悲しいばかりだ。
戦争の科学には、戦争に勝つための科学と戦争の原因を探る科学の二種類があります。後者は前者よりも歴史が浅いし、熱心に研究されているとは言いがたいのですが、戦争を防止するためには不可欠です。
「口の中いっぱいにパンをほおばりながら、飢えている人間を憂いたり諭しても解決に及ぶことはない」
話し合いで戦争が回避できるというのは、自分たちが飢えていないと互いに思っていることが条件になる。
「欲望が!」と言い切る人間は、みずからが飢えたこともなければ、飢えた時の精神状態を想像できないだけだと思う。
自分だけではない。自分の大切な人、子供、親、恋人……etcが飢えた時のこと、それらがどう思うだろうかと想像できないだけだと思う。
格差だとか不景気だといっているが、少なくとも日本は豊かである。
餓死者がゼロだとは言わないが、少なくとも大量だとは言えない状況だからである。
少なくとも、自分が餓死しそうな状況を想像できない、しなくてもいいというくらいには富んでいる。
その状況で、なお「景気が悪い」「格差を埋めるべきだ」と言うのは明らかに『欲望』である。
寒さをしのげるだけで、
一日一食だけで、
電化製品や自動車などなくても、
家などなく野宿でも、
人間は生きていけるのだから、今の豊かな生活は過剰なものばかりだからである。
戦争はなぜおこるのか。
どうすればおきないのか。
それは、「足るを知る」ことである。
自分よりも隣人が豪華な食事をしていても妬ましく思わず、
テレビの向こうの子供の方が玩具を買い与えられていても、自分の子供を不憫に思わず、「我慢せよ」と平然と言えることだ。
戦争は、それを望む強い権力をもった人々が起こすものだと思っていましたが、最近では国民も心の奥底でそれを望んでいるかもしれないと思いました。我々は決して善意の第三者や、戦争に巻き込まれただけと考えるのはいけないのかもしれないと思いました。
人間の嫉妬や妬み、憎悪などが経済と結びついて戦争がおこることを許してしまっているのではないだろうか。「あいつは俺よりも良い人生を謳歌している。ちくしょう、戦争が起こればあいつも俺も同じになるな。」と、思って戦争を受け入れることがあってもおかしくないような気がします。
戦争は文化系の存在と関係があります。平安貴族は文学を著しました。
戦争に勝ち続けた子孫が生き残ってきたので、先進国はみな軍事大国です。
>前資本主義社会の戦争には、
>凶作貧乏から脱却するために行われるディスインフレ型戦争が多いのに対して、
>資本主義社会の戦争には、豊作貧乏から脱却するために行われる
>リフレ型戦争が多い。
実にシンプルでわかりやすい説明ですね。
それと、もうひとつ、私から・・・、
戦争が起こるのは、人類の自我の成長とも関係があると思っております。
精神的な背景を知ることも、次のステップに進む上で大切な要素かと思います。
自我の成長は、人によって伝え方がまちまちなのですが、
ここでは、4つの段階で伝えます。
初期自我 ・・・・・ 欲求をただただストレートに出す。抑圧がない自我。
(赤ちゃん、アルツハイマーの老人等)
中期自我 ・・・・・ 自分自身をある程度律することができる。
しかし、律する基準は自分自身の内面にあるわけではなく、
親や社会のルールに依存している状態。
カリスマ的な人の意見を鵜呑みにする人や、
会社ベッタリな人や、宗教に依存する人なども該当する。
(今の日本人は、この段階の人が多いです)
(このサイトのコメントを見ても、
中期自我の段階にいる人が多いなと感じます)
後期自我 ・・・・・ 自分自身を自分で律することができる段階。
普通に現時点の社会で、自我が成長すると
この段階まで進める。
しかし、これが過剰になりすぎると、
自分を正しさという鎖でしばりつけてしまうため、
知らず知らずの内に、自分の内面を抑圧してしまう。
そして、抑圧している事実にも気付けずにいる。
抑圧している影の部分は、自己概念の外側でしか
認識できない。
つまり、目の前の人が、自分の影の部分と
同じような振る舞いをしているのを見て、怒りを感じる。
これを、“投影”と言う。
つまり、戦っている相手は、自分自身の影の部分である。
今の時代は、後期自我中心の社会です。
そして、後期自我で止まるようにできています。
合理的に物事を解決するということ自体が、後期自我社会の特徴です。
後期自我においては、戦って勝つことで英雄になれます。
これは、戦争だけでなく、ビジネスの世界でも、
ライバルに勝つことが重要なんですね。
さて・・・・、
戦争がなくなるとすれば、その先の“成熟した自我”に進む必要があります。
成熟した自我とは、自分を律している部分と、抑圧している部分、
いわゆる“光と影”がある程度統合された状態です。
自分の影がある程度統合されていますので、
目の前の“自分とは違う価値観の人”を見ても、過剰な反応はしません。
とても、バランスがとれた自我と言えます。
このような社会では、合理的な価値判断だけでなく、
精神的な活動という非合理性を重視するという特徴があります。
社会全体が、“成熟した自我”の社会に進むことで、
戦争を引き起こす“感情”が起こりにくくなっていくことと思います。
それには、まだまだ時間が必要かと思います。
なくすと国の利益が損なわれる(と偉い人たちが考えている)からです。
核兵器は使ったら都市どころか国が消し飛びかねない兵器です。
いくら強力な軍隊を持っていても、核兵器の前には無力に近いんです。
核を持っている国が「こちらの言うことを聞かないと核を撃ちこむぞ」と脅せば、
核を持っていない国は、いくら軍隊が大きかろうが抵抗のしようがありません。
だから、核に対抗するためには核を、という理論に人々は辿りつきました
冷戦期のアメリカとソ連は、互いに必死になって核兵器をせっせと作りましたが、
これは相手に核兵器の数で負けていると、万が一の時に不利になってしまうからです。
(「相互確証破壊」や「核抑止」という単語で検索すれば色々と出てきます)
つまり、この世に核兵器が一個でも存在する限り、
また、この世に核兵器を作れる工場が一つでも存在する限り、
国家は核を捨てようとしませんし、また核を持とうと必死で努力します
ですから、
1. 全ての核保有国が同時に全ての核を放棄し、
2. 以後、誰も核兵器開発が行えないよう、完璧に監視し、
3. 核開発を行おうとした国は全力で叩きのめしてでも阻止する
核の問題を根本的に解決するならば、最低限このような仕組みが必要になります。
そうでないと「あいつが核を持っているのに俺が捨てられるか!」と皆が思ってしまいます。
「本当はあいつ隠れて開発してるんじゃ?」と疑心暗鬼になる国が出てきてもダメ。
そして、ルール破りが認められれば、ルールは形骸化してしまいます。
でも、どうやって誰もが満足するような形で、核開発を監視できるの?
北朝鮮のような国をどうやって説得するの?テロリストのような国家でない集団は?
本当にルールを破って核開発を強行する国が出たら、誰がどうやって止めるの?
問題山積です。質問者さんが、これらを一挙に解決できるようなアイデアを考えたなら、
10年分のノーベル平和賞を1人で貰ってもいい、それくらいに難しいでしょう
なぜ、中国は今回の衝突事件でかくも怒っているのか?
日本の海上保安庁が逮捕したのは、自分たちの命に危険を感じたことによる怒りの現れで普通の事態に見える。
その取り調べについても、政治は最初介在したとは思えない。
つまり、普通の現場判断だと起訴されるのが当然なのだろう。
じゃあ、中国が仕掛けたかと言うと微妙な所だ。
中国内部の強硬派が穏健派にゆさぶりをかけるために、わざと事件を引き起こしたという考えはあまりにもまだるっこしい。
謀略ならば、銃をぶっぱなすとか、尖閣諸島に上陸するとか、もっと確実な方法を狙うように見える。
やはり、最近の中国の高度成長による意識の高揚が、普通の漁船の船長にも波及しただけだろう。
GNP世界第二の大国になったのだから、第三位の国に譲る必要はないというわけだ。
問題なのは、それだけのことで日中関係ががたがたになってしまうことだろう。
大部分の戦争は経済活動を立て直すためにあるってことですよね。
ってことは、今のところふつうに生計を立ててる人は戦争のおかげで生きているかもしれないって事ですね。
つまり直接手を下していなくても、すべての国が戦争をやめない限り、僕たちは誰かの死をもって生きているって事なんでしょうね。
そんな意識を世界の人々がもってくれたら、今よりいい環境ができると思います。
たとえば、戦争以外の経済政策として挙げられている公共事業の、意識が低いなんて問題は解決するんじゃないかな~なんて思います。
公共事業が失敗したら戦争になって自分が死ぬ。こう考えたら手抜きとかやってる場合じゃないと思うはずです。
でも現実においてこういうことは考えず、自分のことを優先して適当なことをやる人がでてきたりすると、国は困って戦争せざるを得なくなっちゃうんでしょうね。
まあこんなことばっかり考えてたら疲れちゃいますけど。
要するに、今自分が生きているということは、身のまわりだけじゃなくて、国全体とか、世界全体から影響を受けていて、また影響を与えているってことをみんなが意識できるようになったら、平和になってるとおもいます。
常々感じていたことをキチンと説明していただいて、
すっきりした感じがしました。
現代の戦争は経済活動の手段の1つに過ぎないのは、やはり事実でしょう。
ですので、戦争を手段として選択しない道はあるはずです。
その点からの論理展開では、戦争は無くなると思われます。
核武装がどうとか、民族や宗教といった原因で発生する戦争も、
今や国家間ではやはり発生しにくいのではないでしょうか。
先進国の豊かな生活をそこそこ維持している人たちが、
それをなげうってまで求める正義は少ないと思います。
日本においては、太古より続き、皮肉にも明治維新以降に
ピークを迎えた武士的感覚がこのごろようやく終焉した感じがします。
武士的感覚とは、○○の為に命を賭して~みたいなやつで、
失敗したら切腹です。新撰組など判りやすいですよね。
命がとても軽い時代は戦争に対する賛同も得られやすかったでしょう。
同じ人間どうし仲良くやっていけばいいのに
どうしてそれができないのか・・・
とても、不思議です・・・
わたしは、戦争を体験したことなんて
1度もありません・・・
でも、つらいことは、
わかります・・・
みなさんだってつらいということぐらい
わかるんじゃないですか?
戦争を、
楽しいスポーツとかいってる人
戦争を体験した人が見たら、
どのくらい傷つくかぐらい
わかるんじゃないですか?
わたしは、小学6年で、
こんなこというのは、
生意気だと思うんですが、
戦争は、絶対にスポーツじゃないと思います!!
戦争なんて、
すべてを失うだけの、
最低なもの何じゃないですか?
戦争をなくすには・・・
私は、世界が平和になるためには、一人が望むのではなくみんなが
「この世の中を平和にしたい」と思わなければ平和には、ならないと思いました。
前は、日本も戦争をしていたので、その戦争で多くの人が苦しんだり、悲しんだりしたと思います。
私は、もう戦争はしない、世界中の人が平和を願う
そんな、世の中になってほしいです。
僕も戦争はいけないと思います。
人と人は何故、傷つけあうのでしょうか。
両方とも傷がつくのに、なぜ、傷つけあうのでしょうか。
戦争で失うものはあります。
ですが、戦争で手にするものはありません。
何故、身を傷つけてまで、何故、物を失ってまで
戦争を続けるのでしょうか。
世界は変わらないといけません。
世界が変わる為には、自分が関係無いと思ってはいけません。
皆は、1つになってこそ世界が変わるのだと思います。
僕はそう思います。
後、「戦争大好き」何ていうのは、戦争で戦って死んだ人に
とても失礼だと思います。
戦争がどんなに辛い事とかどんなに寂しい事か知らないくせに
「戦争大好き」なんて言葉を発するのは、とても人間として
恥ずかしい発言だと思います。
戦争に行っている人だって、本当は行きたくないのに、
軍、政府、から無理やり、連れて行かれるのです。
僕の発言は以上です。
失礼しました。
朝鮮戦争を対岸の火事のように眺め、日本の経済が活性化したのは昔の話
おそらく、それを知って苦々しく思ったからテポドンを開発、実験的に日本の上空を越えて太平洋まで飛ばしたのでしょう。
戦争は終わっていない。
終戦条約が結ばれず小競り合いが続けば→戦線拡大→アメリカ介入→長期化泥沼化→アメリカの補給基地(沖縄や横浜)を狙って大陸弾道ミサイルが打ち込まれる。→ようやく日本人が危機に気付く。といったことも有り得るのでは?
そうなってから何が出来るのか
そうならないために今どう生きればいいのか
皆さんの意見を聞かせてほしいです。
昨年のいま頃、僕はパレスチナにいました。
メディアから受動的に受け取る「パレスチナ」は
僕の中に「テロリスト」や「プロパガンダ」というイメージを形成し、
しかしながら、世界の戦争の根源と言われるその国を
どうしても自分の目で見たいと思ったことがきっかけでした。
そして、そのイメージは、一瞬にして覆されました。
道端に即興の店を出し、その日暮らしをしているロシア系のパレスチナ人が
倉庫のような場所に夕飯に招いてくれ
その仲間達と樽のように大きな器に入った米を貪り食いました。
雨が降って路上で販売が出来なかった日、
そいつは夕飯を抜くと言い出しました。
はらぺこだった僕がご馳走すると言うと、
「自分は貧乏だから、遠いところからやってきてくれた君を
持て成せなくて申し訳なく思う。その上奢ってもらうなどできない」
と言いました。僕は、「ありえない」と思いました。
すると、そいつは続けました。
「日本からやってきて、せっかく友達になったんだ。
一度でも奢ってもらうと、心のどこかで、
君の事を金づるのように見てしまいそうで、それがいやなんだ」
間違っているかもしれないと思いながら、僕は屋台でカバブを買って、
食べきれないから食ってくれといって彼に手渡しました。
数日後、彼は僕を行きつけのレストランに連れて行き、
ここは友人の店だから払わなくていいんだと、
素敵な料理をご馳走してくれました。
戦争とは、こいつの命を奪うことです。
激しく侵略にあう村では、闘う村人たちの強さを見せ付けられました。
僕の訪れたその村は、イスラエルの侵略にあい村は分断され、
一度は途方に暮れた村人達は、しかしながら立ち上がり、
みな武器は持たずに国旗を掲げ、
毎週イスラエル軍に向ってもう何年もデモ活動を行っています。
死者も含め、負傷者は数え切れません。
それでも、なお、彼らは闘うことをやめず、
憎しみの連鎖を断ち切るため武器ではなく言葉という手段で
イスラエルと、世界と、闘っています。
世界の大きな構造の中で、
戦争を肯定せざるをえない資本主義という形式のもとで、
その戦争の最前線でどんな不条理にあおうと人々は悲観的に成らず、
連携し、自分達の未来のために、
我が村を守ろうと必死で闘っています。
この村で、ライフルを持ったイスラエル兵の前に立ちはだかる
アメリカ人の女性に会いました。
彼女は、
「このライフルには私の税金が使われている。
パレスチナの子供に向けるなら私に向けなさい」
といって、一歩も動こうとしませんでした。
僕は、戦争と言う巨大な構図の中に自分も加担しているということを、
そのとき初めて思い知らされました。
日本はアメリカ政府に最も資金援助をしている国であり、
アメリカ政府はイスラエルに無償の軍事援助を行っています。
その事実を無視して理論武装して
「戦争反対」だなんて、自己暗示というか、
そうやって僕達は日々、人を殺しているのです。
世界中で幾人もの人が理論と言う形で反戦し、
戦争を推し進める国家が存在し、
ジャーナリストは媒体を介して反戦し、
他所の出来事だと関心を示さない多くの人々がいて、
メディアは情報の再生産を繰り返し、
ライフルの前に立ちはだかり一歩も引かない女性がいます。
戦争とは、先進国のエゴだと思います。
反戦を謳う理論も含め、エゴだと思います。
家を完全に包囲され、孤立させられている一家がいました。
分離壁と電流フェンス、さらにミリタリーゾーンと入植地で
四方を完全に包囲され
監視カメラで監視され、
自由な外出も許可されていません。
一家の主は、英語を喋らないと聞き、
乗合タクシーで知り合った理髪店経営のおっさんに
通訳としてついてきてもらい、その一家に会いに行きました。
後から知りましたが、僕のような外国人はまだしも、
理髪店のおっさんのような地元の人間が、
その監視カメラ周辺をうろつくのはとても危険なことだったのです。
しかし、そのおっさんは、イスラム教の教えなのでしょうか、
「旅人は厚く持て成せ」に基づき、
危険を顧みず、通訳としてついてきてくれたのでした。
一家の主は、もう十何年も隔離の中を生きていました。
散々入植者から石を投げつけられ、毎晩兵隊が「パトロール」という名目で
家に押し入ってきます。
子供たちは怯えきり、生きている心地もしないような環境でした。
僕は、「なぜ逃げ出さなかったのか」
聞かずにはいられません。
その時、理髪店のおっさんの通訳にもやたらと力がこもっており、
もしかすると少しばかり装飾していたのかもしれませんが、
そんなことは関係ありません。
「これは、一国を仕切る国家のやるべきことではない。
イスラエルに限らず、世界の国々を敵にまわそうとも、
私はここを動くつもりは無い。明らかな不当を世界が黙認しようと私は認めない。
これは私の意思表示なんだ。
そして、この壁はいつかかならず、堕ちる」
外務省がパレスチナを危険区域と認定すれば
マスコミには中々取材許可がおりません。
知らずして語り、とりわけ能動的でないテレビの情報は
未完成であるにも拘らず人々に知識を構築させる。
そしてこの一家の主のような、ちなみに名前はアマールですが、
こういう人間が大多数の1人として「死亡しました」
それが先進国に生きる我々にとっての、戦争という概念ではないでしょうか。
ちなみに、よくいわれることですが、
他県の殺人事件を隣人のことのようには思えないのは当然です。
戦地に赴いて彼らと友達になってしまったら最後、
戦争に反対しないわけにはいきませんね。
戦争が必要だとか、戦争すべきだとか、そういう意思を表明した人が、優先的に兵士として戦場に行く。
というルールを立法化すれば、よいのでは?
自分が戦争で戦いたくなくて、戦争賛美をやめるなら、それでよし。
信念に基づいて、戦場で散るなら、長期的には戦争を好む遺伝的要素が、人類から減少することになる。
ダメかな?
それは志願兵制度として多くの国で実現しています。また、ジュネーブ条約により、文民(非軍人)への攻撃は禁止されているので、戦争というのは、少なくとも建前上は、やりたい人同士でやるということになっています。
戦争が起きるのは、しかたないと思います。
戦争があるおかげで人口が減るっていうのも、わずかだと思うけどホントだと思うし、敵を作ることで国がまとまるっていうのもホントだと思います。例えば、ブッシュとかね。
もっと身近なところだと、体育大会とか、ね。
僕は、こんな事を聞いて、なんて事をしているんだ!?と思いました。理由は、昔、しっかりと仕事や勉強に励む人(今もいると思うけど)がいるのに、自分の国を守るためだけに、何人もの(数えきれないほど)命を奪う機械を作り、それを使って何にも罪を犯してもいない人たちの命を奪うからです。
アフリカの人たち(他にもいますが)は飢えながら道ばたやその辺に落ちている物でも食べられる物であれば食べるのですから、それほど生活が大変だと言う事が分かると思います。
ここ日本は平和宣言(名前がどうかは知りませんが)をしていますが、他の国も一体となって戦争という、とてつもなく怖く、今生き残っている人たちの脳裏にまで植えつけられるほどの恐怖と化する戦争はやめてほしいと思います。その気持ちは、どこの人でも変わりません。
しかし・・・ だい○くんさんの意見には、弱点があるよ。
それは、「戦争で生計を立てている人がいる」って事だ。
兵器を造る人、軍人、また例外的には、戦争は建物を壊すわけだから、大工とか、ね。
もし戦争が起こらなかったら、その人たちはどうやって生計を立てていくのか。
それと、みんな戦争がいやなら、戦争なんてしないはずだ。
人間は「メリット」と「デメリット」を比べる生き物だと思う。
戦争が起こるのは、そこにだれかが「メリット」を見いだしたからじゃないかな。
「豊作貧乏」とは言い得て妙ですね。
裕福なのだが金持ちがいよいよ儲けたいと思い、貧乏人は生産力過剰で働き口さえない状態になるから新たな市場を求めて侵略に走る。つまり豊作貧乏とは元を正せば内政問題であり、それを戦争という究極の外交手段に解決方法を求めるわけですね。今現在行われている海外への工場移転なども部分的な占領政策みたいなものとも見れます。現地人を自国民より安く買い叩いているようなものですからね。というわけで昔から人間のやってることは変わっておらず微妙にやり方や認識が変わっているのみですね。
私は、戦争するお金があるなら
全世界で戦争をなくした方が良いと思います。
そうしたら、苦しい生活をする人はもちろんいると思うけど、
命を失う人は減ると思っています。
あと、どうせ戦うなら爆弾や機械などを使わずに、
ナイフや刀で戦えば良いです。
それなら、人を殺す感触というものを知り、
人の命の尊さを知ると思います。
直接じゃなければ、人々は
人をゲーム感覚で殺すようになります。
人を殺して、なにを喜ぶのでしょうか?
これ、戦争一般じゃなくて第二次世界大戦のはなしだよね
近代資本主義時代の戦争一般についての話です。
戦争は、怖いですね。人間が人間を殺して勝ったら喜ぶんですから
戦争をして 何が楽しいのか いまだにわかりません
私も学校で沖縄の戦争を見ました。
火炎放射器で人を殺したり、洞窟の中に爆弾を入れたり
何を考えているのか意味わかりません。
人間が人間を殺して何が起こるのか、何のために人間を殺すのか…。
戦争は、怖いですね。
皆さん、初めまして。戦争、、、怖いっすね。
ども
元リンドォォォウですよです
まぁそんなことは置いといてw
>悠
じゃあなぜ戦争系ゲームはあるの?説明クレ
そもそも刀などを使っても人を殺すことに変わりはないよね?だったら意味無いと思うが^^;
命の尊さを殺してから知っても意味はない
悠>ナイフで殺そうが銃で殺そうが同じことだが?
世の中には戦争で殺されるより残酷な事件もある
ユキータ>沖縄戦なんて大したことねえよベトナム戦争の方が悲惨だ
図にすると難しい言葉でも理解しやすい
言葉だけでは誤解が生まれる
人の解釈は勝手だから
最近の子供は残酷だよ
俺のPSPに入ってるスネ夫探偵事務所(かなりグロい)を見て
「キャハハハ!やってみた~い」
とか言い出すからね
ホントに将来、人を殺しかねない
こういう奴等がゲーム感覚で人を殺すんだろうね
おーこわいこわいw
彼岸花>まぁそうだなw 小さい子には、ちょっと悪影響があるから制限してほしいよ・・・・・・っつかあんた なんで見せんだよwww 悠>実際、切りつけたりとかして 亡くなった事件とかあんだろ?どっちにしろ死ぬんだよ。戦争する奴は、どうせなにも思わないよ。敵なんだし
>(゜ロ゜)(名前違ってごめん)
いや、チビたちがリクエストしてくるんだよwwwwww
「スネ夫殺されるやつ見せて~」って言ってきたからねwwwwwww
ちょっとテスト
http://machionion.blog.fc2.com/
宣伝みたいでごめん
リンク貼れるけどトリップ生入力しなきゃいかんのか
戦争が無くならないのは貧困より戦争が良いから
自由と平等と平和はトリレンマであるから必ずどれかを犠牲にしなくてはいけない
平等が機会均等を意味し、平和が武力を伴わない競争を排除しない概念なら、自由と平等と平和は両立する概念です。
お忙しい所すいません。
元寇は避けることができた戦乱 とおっしゃっていますがどうすれば避ける事が出来たのでしょうか?
戦国時代も避ける事が出来たのでしょうか?
ローマ帝国、漢の崩壊も避ける事は出来たでしょうか?
出来たとしたらその方法を教えていただきたいのですが。
御質問の件に関しては、現在記事を執筆中なので、少しお待ちいただけますでしょうか。
実は戦争は戦争してまで絶対貧困は回避しなくてはいけないものだから戦争はある
ブラック企業と並べて考えてはいけない
返信遅れましたが、「日本と覇権国との関係はどうあるべきか」の第3節をご覧ください。私は、元寇も戦国時代も避けることができたと考えています。その代わり、モンゴル帝国から東南アジアへの塩性を命じられたでしょうが、それはその後の日本にとってプラスになったであろうと考えています。
これに関しては、「西ローマ帝国はなぜ滅亡したのか」をご覧ください。気候変動が背景にあり、回避は難しかったと考えています。
実は戦争の期待リターンは減少している
実は戦争の平均リターンは低下しつづけている
ゼロになれば利権以外の戦争はなくなる