言語の重要度ランキング
言語は、その話者の数、経済力、文化力などに応じて、重要度に違いがあります。このページでは、さまざまな基準による言語のランキングを紹介しながら、どの言語が最も重要であるかを考えます。コンテンツを何ヶ国語に翻訳しようか迷っているパブリッシャーや、第二外国語をどれにするか迷っている大学生は、参考にしてください。

1. 話者の数
言語の重要度を決める要因にはいろいろなものがありますが、一つには話者の数があります。以下の表は、その言語を母語としている人口とその言語が公用語となっている国の人口のランキングです。
母語人口 | 公用語人口 | ||
---|---|---|---|
1 | 中国語 (1,000) | 1 | 英語 (1,400) |
2 | 英語 (350) | 2 | 中国語 (1,000) |
3 | スペイン語 (250) | 3 | ヒンディー語 (700) |
4 | ヒンディー語 (200) | 4 | スペイン語 (280) |
5 | アラビア語 (150) | 5 | ロシア語 (270) |
6 | ベンガル語 (150) | 6 | フランス語 (220) |
7 | ロシア語 (150) | 7 | アラビア語 (170) |
8 | ポルトガル語 (135) | 8 | ポルトガル語 (160) |
9 | 日本語 (120) | 9 | マレー語 (160) |
10 | ドイツ語 (100) | 10 | ベンガル語 (150) |
11 | フランス語 (70) | 11 | 日本語 (120) |
12 | パンジャブ語 (70) | 12 | ドイツ語 (100) |
13 | ジャワ語 (65) | 13 | ウルドゥー語 (85) |
14 | ビハール語 (65) | 14 | イタリア語 (60) |
15 | イタリア語 (60) | 15 | 韓国語 (60) |
16 | 韓国語 (60) | 16 | ベトナム語 (60) |
17 | テルグ語 (55) | 17 | ペルシア語 (55) |
18 | タミール語 (55) | 18 | タガログ語 (50) |
19 | マラータ語 (50) | 19 | タイ語 (50) |
20 | ベトナム語 (50) | 20 | トルコ語 (50) |
ヒンディー語などインド系の言語は、母国語人口が多いにもかかわらず、インドとパキスタンが英語を公用語にしているため、存在感がありません。
2. 話者の経済力
言語の価値は、言語の使用人口だけでは測ることができません。ビジネス的には、その言語の使用者の経済的豊かさも考慮に入れなければいけません。言語の使用者の総生産を言語内総生産(Gross Language Product)と言いますが、この尺度で、言語の重要性を測ると、上位10言語は、以下の通りとなります。
順位 | 言語名 | GLP($billion) |
---|---|---|
1 | 英語 | 7,815 |
2 | 日本語 | 4,240 |
3 | ドイツ語 | 2,455 |
4 | スペイン語 | 1,789 |
5 | フランス語 | 1,557 |
6 | 中国語 | 985 |
7 | ポルトガル語 | 611 |
8 | アラビア語 | 408 |
9 | ロシア語 | 363 |
10 | ヒンディー語/ウルドゥー語 | 114 |
engco は、これにさらに貿易額も加算して、各言語の国際的な重要度、グローバルな影響力を指数化しています。
順位 | 言語名 | スコア |
---|---|---|
1 | 英語 | 100 |
2 | ドイツ語 | 42 |
3 | フランス語 | 33 |
4 | 日本語 | 32 |
5 | スペイン語 | 31 |
6 | 中国語 | 22 |
7 | アラビア語 | 8 |
8 | ポルトガル語 | 5 |
9 | マレー語 | 4 |
10 | ロシア語 | 3 |
engco モデルは、データが古く、たとえ名目でGDPを評価したとしても、現在では、中国語の順位はもっと上であってしかるべきです。
以下のグラフは、1975年から2002年までの購買力平価(PPP)による言語内総生産のシェアの推移を表したものですが、2002年現在の順位は、1位が英語(29.3%)、2位が中国語(12.5%)、3位が日本語(7%)、4位がスペイン語(6.5%)、5位がドイツ語(5.5%)、6位がフランス語(4.6%)、7位がポルトガル語(3.3%)となっています。購買力平価による試算ですから、途上国に有利なのですが、このグラフを見ても、いかに中国語の割合が増えてきたかを確認することができます。

3. 話者の文化力
次に文化的な重要度を見てみましょう。以下のグラフは、90年代初頭に、どの言語によって書籍が書かれたか、その割合を示した円グラフです。多い方から順に英語、中国語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、日本語となっています。

日本語よりも上位にある英語、中国語、ドイツ語、フランス語、スペイン語は、すべて、日本の大学での外国語教育でも定番の重要言語です。これらは、世界の六大言語と呼んでよいかもしれません。
次に、ウェブサイトのコンテンツの言語別分布を見てみましょう。やはり六大言語が上位六位を占めています。
順位 | 言語名 | 百万PV |
---|---|---|
1 | 英語 | 68.4% |
2 | 日本語 | 5.9% |
3 | ドイツ語 | 5.8% |
4 | 中国語 | 3.9% |
5 | フランス語 | 3.0% |
6 | スペイン語 | 2.4% |
7 | ロシア語 | 1.9% |
8 | イタリア語 | 1.6% |
9 | ポルトガル語 | 1.4% |
10 | 朝鮮語 | 1.3% |
これは2002年ごろのデータで、現在では、英語の割合はもっと減っていると考えられています。なお、ブログに関しては、日本語と英語が互角で、中国語が第三位となっています。これは驚くべき結果で、信用できないデータだという意見もあります[7]。

次に書く方から読む方に目を転じてみましょう。言語別のネットユーザ数の順位は、最新のデータによると、以下のようになっています。

2000年のデータと比べると、中国語、スペイン語、ポルトガル語、アラビア語、ロシア語が600%を超える急激な成長により、上位に食い込んでいます。
但し、こうした新興国の言語は、一人当たりのGDPが低かったり、当局が自由なアクセスを制限したりするなどの理由で、この数字が示すほど、パブリッシャーから見て魅力的な言語ではありません。また、途上国ほど知識人の割合が少なく、知的コンテンツに関心を示さなくなります。このことは、ウィキペディアの言語別閲覧者数で確認することができます。
順位 | 言語名 | 閲覧数(百万PV) |
---|---|---|
1 | 英語 | 5565 |
2 | 日本語 | 981 |
3 | ドイツ語 | 947 |
4 | スペイン語 | 587 |
5 | フランス語 | 427 |
6 | ポーランド語 | 325 |
7 | イタリア語 | 294 |
8 | ポルトガル語 | 224 |
9 | ロシア語 | 188 |
10 | オランダ語 | 140 |
六大言語のうち、中国語だけが圏外ですが、これは、中国政府がアクセスをしばしば遮断しているからです。もしもアクセスや投稿を完全に自由にしたら、中国語は、間違いなくランクインするでしょう。
4. 結論
世界的に重要な言語には二種類存在して、一つは、科学技術や文化の水準が高くて、学ぶに値するコンテンツが豊富にある言語で、英語、日本語、ドイツ語、フランス語といった先進国の言語は、この点で重要視されています。古典ギリシャ語やラテン語などは、死語であるのにもかかわらず、重要な古典を多くもつという理由だけで、今でも学習者がいるぐらいです。
これに対して、中国語(北京語・簡体字)、スペイン語、ポルトガル語、アラビア語などは、それが話されている地域のほとんどが発展途上国で、学ぶべき水準の高いコンテンツがほとんどないにもかかわらず、話者人口が多く、今後の経済発展が期待されているがゆえに、重要な言語とみなされ、近年、特にビジネス関係者の間で熱心に学習されています。
このように、何が重要な言語であるかは、評価基準によって変わるものですが、それを承知で、あえて総合的な観点から、独断で重要な言語のランキングを作るなら、1.英語、2.中国語、3.日本語、4.スペイン語、5.ドイツ語、6.フランス語といったところで、これら六カ国語を世界六大言語と呼んでよいかと思います。
5. 追記(2010)今後の見通し
2010年に行われた、日米の18歳以上の男女1000人を対象にしたアンケートの結果によると、それぞれローカルな事情を反映しつつも、共に、英語、中国語、スペイン語の需要が将来増えると予想しています。たしかに、50年後には、日本語、ドイツ語、フランス語のステータスは、今よりも下がっているでしょう。
今後、どんな言語が重要になっていくのだろうか。「今後50年間で、需要が高くなると思う外国語」では、日本のトップは「中国語」で77.2%。以下、「英語」が67.6%、「韓国語」が16.0%、「スペイン語」が7.0%、「ヒンディー語」が6.7%、「ロシア語」が4.7%で続いた。BRICsのような新興地域で話されている言語が重要だと思っている人が多いようだ。
一方、米国のトップは「スペイン語」で67%。以下、「英語」が40%、「中国語」が34%、「アラビア語」が13%、「日本語」が12%、「フランス語」が8%で続いた。ロゼッタストーンでは「ヒスパニック系人口が増加している影響があるようだ」とコメントしている。[11]
6. 参照情報
- ↑WIPジャパン. “世界の主要20言語使用人口“. 出典:ケンブリッジ大学出版局「THE CAMBRIDGE FACTFINDER」1993年刊.
- ↑David Graddol (1997) The Future of English? The British Council.(オンライン版)p. 29.
- ↑David Graddol (1997) The Future of English? The British Council.(オンライン版)p. 59.
- ↑Mark Davis (2003) GDP by Language.
- ↑David Graddol (1997) The Future of English? The British Council.(オンライン版)p. 9.
- ↑Online Language Web Site Content Statistics, Original Source: Vilaweb.com
- ↑“Technorati: Big Business with Bogus Data.” iA.net 13. DECEMBER 2006.
- ↑“The following charts show the relative volume of blog posts based on the primary language of the post, on a month by month basis." ― David Sifry. “State of the Blogosphere, April 2006 Part 2: On Language and Tagging" Sifry’s Alerts May 01, 2006.
- ↑Internet Usage World Stats (2009) Top Ten Internet Languages.
- ↑Wikipedia. “Page views per language per month."
- ↑Business Media 誠「今後50年で需要が増す言語、米国人と日本人で違い」『ITmedia ビジネスオンライン』2010年09月15日.
ディスカッション
コメント一覧
>あえて総合的な観点から、独断で重要な言語のランキングを作るなら、1.英語、2.中国語
私は中国語を仕事で使っていますが、世界的にみて2位は中国語などではなく、フランス語もしくはスペイン語だと思います。
理由は、
(1)「中国語」といっても方言差ではなくて、まったく別の言語とすべき広東語や福建語も「中国語」としてひとつに見ているだけで、狭義の中国語である「普通話」の音声言語としての普及度が半分に満たず、文字言語(広義の中国語の文字言語は普通話を基礎とした現代中文、中国語世界は言文一致になっていない)としても、文盲を考慮すると、やはり普及度は7割程度でしょう。まして普通話を母語とする人など微々たるもの。だから実際には「母語人口」の数字はそれほど大きくない。
(2)経済の貧富格差、地域差を考慮すると、ビジネスや学問などで本当に意味のある人口は、中産層と目される5千万人程度です。これは日本の人口よりも少ないし、しかも日本よりも中国の中産層の所得、資産水準ははるかに低い。
(3)中国語圏は、台湾を除けば(台湾も自由化の歴史が浅い)、表現・学問・言論の自由が厳しく制限されているところばかり。ネットや学術コンテンツという意味ではかなり厳しい。
最近は中国において、欧米日のさまざまな学術コンテンツの翻訳が盛んですが、中国共産党の思想に反するものは訳されないか、改竄されているのが現実。
ともかく、「中国語人口」は見た目だけは大きいのですが、話者のほとんどは貧農や文盲で、しかもコンテンツ面でも政治的に抑圧されている地域が多い以上、「中国語で見るべきコンテンツ」などほとんどないのが実情です。中国文学や中国域内言語研究などについては見るべきものはありますが、それをいうなら他の第三世界も同様です。
(4)それに比べて、フランス語圏はフランスやケベックで学術書などが盛んで、フランス語でしか見られない重要なコンテンツが多いです(社会学に多い)。旧フランス植民地の広がりも無視できません。スペイン語もラテンアメリカの広がり、先進国やその手前の中進国の多さ、学問的なコンテンツの多さを考えると、フランス語と同等かそれ以上の重要性があります。また、ドイツそのものの経済力やオーストリア、スイスへのひろがり、東欧の知識人言語であるドイツ語、ソ連時代の遺産で旧ソ連(バルトも含めて)では知識言語とされているロシア語も中国語よりははるかに重要です。
「見た目の人口」だけに幻惑されて、言語差の大きさや内容の乏しさを考慮しないで、2位というのは、実際に中国語を仕事に使っている人間から見ると、納得できません。
もちろん日本人としては、日中交流の深さなどを考えると中国語は重要ですし、あらゆる言語に価値がありますが、情報コンテンツの重要度や世界的な視点をいうのであれば、中国語は世界的には重要性は低いといえるでしょう。
学ぶべき言語を選ぶとき、その言語が今どれだけ重要かという視点以上に、今後(自分が生きている間)どれだけ重要になるかという視点が重要です。中国語を二番目に選んだのは、見かけの母語人口が多いからだけではなくて、今後の中国の発展を考慮に入れてのことです。以下、各指摘に回答しましょう。
(1)スポークン・ラングエイジとしての中国語(複数形)が、相互に意思疎通が不可能なぐらい異なっていることは承知していますが、例えば、ウェブサイトで中国語版を作るときには、このことは問題にはなりません。日本も、江戸時代、多様な方言がありましたが、近代的な学校教育により、標準語が普及しました。中国でも、今後そうなるかもしれません。
(2)中国語の一人当たり言語内総生産は、たしかに現時点では低いけれども、これまで急激に伸びてきたことを考えると、今後、韓国レベルまで伸びることが予想されます。それ以上に伸びるかどうかはわかりませんが、それだけで十分、重要な言語と言えるでしょう。
(3)私も、これが最大のリスク要因と認識しています。しかし、中国当局も徐々に自由化を行っているので、今後は、どうなるかはわかりません。簡体字の中国語で見るべきコンテンツがないのはたしかですが、それは消費者にとってのデメリットであり、コンテンツ・クリエイターの立場からすれば、競争率の低さはメリットであります。
(4)ドイツ語とフランス語が学問的に重要であることには異論がありません。しかし将来性という点では、見通しはよくありません。スペイン語圏とロシア語圏も、中国語圏ほどの成長は見込めません。中国人のIQは、日本人や韓国人のIQとほぼ同じで、白人の平均IQよりも高く、また中国人は教育熱心で、中国経済の潜在力は十分あります。政府が中国経済や中国文化の進化を妨害しないかどうかが今後の課題ですが。
以上、憶測に基づく期待先行型の評価ですが、私の憶測は、世界的なコンセンサスの範囲内であると思います。
中国の成長は米国に端を発した世界経済危機で頭打ちで、今後下降することが予想されているので、残念ながら永井俊哉さんがおっしゃっている「今後の中国の発展を考慮」というのは、失礼ながら妄想以外の何者でもないでしょうね。
実際に中国に携わってもいない人は、中国の国土と人口に幻惑されて、中国の潜在発展力なるものを捏造して過大評価する傾向がありますが、中国語で仕事をしている私に言わせると、中国なんてもはや発展の可能性はありませんね。
>ドイツ語とフランス語が学問的に重要であることには異論がありません。しかし将来性という点では、見通しはよくありません。スペイン語圏とロシア語圏も、中国語圏ほどの成長は見込めません。中国人のIQは、日本人や韓国人のIQとほぼ同じで、白人の平均IQよりも高く、また中国人は教育熱心で、中国経済の潜在力は十分あります。政府が中国経済や中国文化の進化を妨害しないかどうかが今後の課題ですが。
そもそも、「将来性」なるものが、これまでことごとく予想をはずしてきたことは御存知ですか?
1950年代までは日本が先進国になることなど不可能で、ビルマ、南ベトナム、フィリピンこそが将来のアジアの先進国だと議論されていた時期がありましたが、見事はずれました。
中国の発展の可能性についても、米国経済が低迷した今、単なる純輸出で米国頼み、ネオリベによりかかってバブル発展してきたに過ぎない中国経済など、もはや将来性は暗いというしかないでしょうね。
あの国は、実態より過小評価された通貨安、社会保障の欠如とそれに伴い貯蓄率の高さ、消費の低さなどから、内需拡大など不可能ですから、米国などの消費が冷え込んだ今、過剰設備に陥った中国の輸出産業もどんどんつぶれていますから、中国経済の未来などないといって過言ではないですよ。
いまだに信じているなら、どうぞ中国にでも移住してください。私は保証しません。
>日本も、江戸時代、多様な方言がありましたが、近代的な学校教育により、標準語が普及しました。中国でも、今後そうなるかもしれません。
中国はそもそも統一国家でもなく、近代的教育システムがありませんから、だから建国後60年になろうとするのに、普通話の普及度が半分にも満たないんですよ。
>(2)中国語の一人当たり言語内総生産は、たしかに現時点では低いけれども、これまで急激に伸びてきたことを考えると、今後、韓国レベルまで伸びることが予想されます。それ以上に伸びるかどうかはわかりませんが、それだけで十分、重要な言語と言えるでしょう。
韓国語が読めないからそうおっしゃるんでしょう。
韓国語で出ている本は、ほとんどが日本語からの重訳の類で、韓国語でしか得られない貴重なコンテンツなどありませんよ。
韓国語は韓国地域研究をするときには必要ですが、そうでなければ必要がない言語です。
ちなみに、韓国、台湾、中国の学術研究では日本語が必須で、みんな日本語を参照にしていることも補足してよいでしょう。
日本の知識人は日本に対して自虐的ですが、台湾や韓国に住めばわかりますが、日本語の権威は絶大ですよ。
>(3)私も、これが最大のリスク要因と認識しています。しかし、中国当局も徐々に自由化を行っているので、今後は、どうなるかはわかりません。
中国は自由化など行っていません。中国となると何でもばら色に見えてしまうのは、問題ですよ。
>簡体字の中国語で見るべきコンテンツがないのはたしかですが、それは消費者にとってのデメリットであり、コンテンツ・クリエイターの立場からすれば、競争率の低さはメリットであります。
それをいうなら、すべての言語は同じ位置にあるので、中国語だけがメリットがあるというのはどうみても強弁にすぎません。
>(4)ドイツ語とフランス語が学問的に重要であることには異論がありません。しかし将来性という点では、見通しはよくありません。
ドイツ語は中欧、フランス語はアフリカなども抱えているんですが、IQ論を持ち出していることも考えると、あなたは中欧やアフリカはバカだといっているようなものですね。
>スペイン語圏とロシア語圏も、中国語圏ほどの成長は見込めません。
スペイン語も読める私にはそうは思えませんね。
>中国人のIQは、日本人や韓国人のIQとほぼ同じで、白人の平均IQよりも高く、また中国人は教育熱心で、中国経済の潜在力は十分あります。
IQって、あなたはナチスの優生論の信奉者なのですか?
では逆にIQが低いとされている人たちは、発展の資格や可能性がないのですか?そもそもIQなんて欧州人が開発したものに過ぎないんであって、人間の価値を図る普遍的な指標でもなんでもありませんが。
それから中国人が教育熱心というのは、海外華人については今でも真実ですが、中国大陸についていえば、もはや中国の教育は低迷期に入っているのが実情ですよ。一人っ子政策でわがままな子供が増えてさらに出生率が激減していますから、中国はあと10年もすれば人口面でも縮小するので、とても経済的にこれ以上成長は見込めませんね。
>政府が中国経済や中国文化の進化を妨害しないかどうかが今後の課題ですが。
労働契約法を制定したりしているのを見ると、経済発展はすでに阻害されています。共産党一党独裁では絶対に自由はありえませんしね。
いずれにしても、あなたの「中国の将来性論」はもはや頭打ちになった現実を見ると、妄想です。中国語もおわかりにならないから、実際に中国の一次資料から分析できないんでしょうけど、素人の妄想ほど意味のないものはないんですよ。
「米国に端を発した世界経済危機」で打撃を受けているのは、世界中どこでも同じです。また、私が言っている「今後」とは、「自分が生きている間」のことですから、よほどの高齢者でない限り、数年先のことは意味しないはずです。
私は、中国が先進国になるとは言ってません。また、一部の人が言うように、中国が米国に代わって、世界の覇権国家になるということは、予測可能な期間内ではないだろうと考えています。これに関しては、「日本は米国に代わって世界を支配できるか」で既に説明したので、ここでは繰り返しません。しかしながら、中国は、アジアNIES(中進国)レベルにはなりうると考えています。あなたは、韓国が日本を模倣しているだけだという主張をしていますが、そういう韓国ですら一人当たりGDPは、19,505ドルで、世界で36位です(2008年現在)。中国の場合、その人口規模ゆえに、一人当たりGDPが世界平均に近づくだけで、十分経済的に重要な国となります。
1950-60年代の中国と現在の中国を比べてみてください。本当に自由化されていないといえますか。もちろん、経済が自由化されている反面、政治と文化に関してはほとんど自由化がなされていないという見方もできるでしょう。しかし、経済だけを自由化するということは、長期的には持続不可能で、経済を自由化すると、当局の意思に反して、政治と文化の自由化まで起きるという可能性が高いと思います。
例えば、ラテン語と中国語を比較してください。イタリア語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、ルーマニア語といった、ラテン語の話者の末裔たちは、相互に筆談することすらできません。中国語の場合、オーラル・コミュニケーションができなくても、筆談はできます。これはインターネット上では重要なことです。
IQに関しては、いろいろな説がありますが、私は教育次第で変化しうる値だと考えています。現在、平均IQが世界で最も高いのは、アシュケナジー系のユダヤ人とされていますが、20世紀初頭での移民の調査によるとかなり低かったそうです。一般に米国内での各民族のIQは、母国でのIQとは異なっており、遺伝子によって固定される値ではないようです(遺伝子とまったく無関係というわけでもなさそうですが)。アシュケナジー系のユダヤ人や東北アジア人のIQが高いのは、彼らが教育熱心であることと無縁ではないでしょう。
なお、IQは、学業成績や年収と正の相関性があり、決して無意味な値ではありません。しかし、私はIQが低い人には生存権がないなどと主張しているわけではありませんから、ナチスなどの優生政策と混同してもらっては困ります。私は、遺伝子の多様性は維持されるべきだという考えを持っています。
一般に、どこの国でも、経済が高度化すると、出生率が低下しますから、そのこと自体は、否定的にとらえる必要はありません。今後、中国は、労働コストの低さという優位を国際市場で失うのですから、人的資源の付加価値を高める必要があります。だから、出生率を抑制して、一人当たりの教育投資を増やすという戦略は間違っていないと思います。
>「米国に端を発した世界経済危機」で打撃を受けているのは、世界中どこでも同じです。
同じではありません。独自の経済構造を育ててきた日本やドイツや北欧やマレーシアやインドネシアは影響が弱い。打撃といっても濃淡があるのであって、一様だというあなたは世界を見ていない。
日本が打撃があると思い込んでいるのも、それこそ島口にいて外と比較しないで思い込みでいっているだけで、実は社民主義的な日本の経済構造は、今回のネオリベの破綻では強いのです。ドイツ、北欧も同じ。
それから、中国の経済構造を調べてみてください。対米輸出依存度が、他国よりぬきんでて多く、さらにRMBを事実上対ドルペッグにしていて、しかも安くしているので、今回の米国発の影響が一番強く、壊滅的な打撃を受けているのは中国なのです。
中国は「低コスト労働集約型加工貿易」で発展してきたんですから、そのモデルがおしまいになった今、中国の経済発展は今後はありえないといえるでしょうね。
>また、私が言っている「今後」とは、「自分が生きている間」のことですから、よほどの高齢者でない限り、数年先のことは意味しないはずです。
一度発展しかけたものが、壊滅したら、次に立ち上がるのは、おそらく数百年先でしょうな。あなたの目の黒いうちはまず無理でしょう。
むしろ「ネクスト11」に選ばれているナイジェリアあたりのほうが、20年スパンで発展の可能性は大というべきでしょう。とくにイボ語母語話者は、中東あたりでよくみかけますね。
>しかしながら、中国は、アジアNIES(中進国)レベルにはなりうると考えています。
それも不可能でしょうね。だってもはや中国は壊滅的打撃を受けているのですから。それから、世界の資源や環境は、中国がNIESレベルになるほど無限ではありませんよ。地球をこれ以上、いじめないでください。
>あなたは、韓国が日本を模倣しているだけだという主張をしていますが、そういう韓国ですら一人当たりGDPは、19,505ドルで、世界で36位です(2008年現在)。
韓国はかつて日本の植民地だったし、戦後は早い時期に日本の下請けで発展できたし、人口もたかだか5千万程度だから、地球資源を枯渇させません。
>中国の場合、その人口規模ゆえに、一人当たりGDPが世界平均に近づくだけで、十分経済的に重要な国となります。
中国の場合、その人口規模ゆえに、一人当たりGDPが世界平均に近づくだけでも、地球の資源は枯渇し、対流圏で人類が住めないほど環境が破壊されます。
エントロピーという概念をご存知ないのでしょうか?
>1950-60年代の中国と現在の中国を比べてみてください。本当に自由化されていないといえますか。
あはは。今の共産党の公式論を鵜呑みしてらww。
それは、あなたが中国語がまったく読めないで、しかも50年代の百花斉放時代を知らないからでしょうね。
50年代、そして60年代でも一時的には、今の中国よりもはるかに自由な時代だったのですよ。
しかも54年まではレーニンのネップを真似して、多党制だった時期もあったしね。
また文化大革命にしたって、全体主義赤色恐怖だったというのは一面的な史観というか、今の共産党の公式史観の受け売りに過ぎない。
文革が始まったころの上海あたりは、紅衛兵の間で、アナキズムに近い思想も出てきているし、初期段階ではかなり多元で多様な思想が出てきていましたからね。
今のように新自由主義、金儲け主義だけに毒されて、モラルも低下している中国社会に比べたら、54年以前はおろか、文革初期だってはるかに自由で多様でしたよ。あなたが思っているほど、人民中国成立以降、文革以前は、恐怖政治ではないんです。
いや今のほうがシンガポールあたりとネット検閲技術を高めていて、さらに金銭主義になっている分、よほど不自由だといえるでしょうね。
新自由主義の横暴は一番中国で強く発現していますから。
>もちろん、経済が自由化されている反面、政治と文化に関してはほとんど自由化がなされていないという見方もできるでしょう。しかし、経済だけを自由化するということは、長期的には持続不可能で、経済を自由化すると、当局の意思に反して、政治と文化の自由化まで起きるという可能性が高いと思います。
>
シンガポールの例があるんだが?
それから、ソ連東欧で、本当に自由化できたのは、戦前からの市民社会や民度の蓄積があったチェコやバルトなどで、ロシアやベラルーシは独裁に逆戻り、ウズベキスタンやトルクメニスタンや沿ドニエストルにいたっては、スターリン時代に戻っていますよ。
中国も市民社会の経験がないから、経済的にいくら自由化しても政治的に自由にならないことは断言できますよ。
それにアジアは不自由な国のほうが多いんです。てか日本くらいです。本当に安定して自由で民主的なのは。韓国や台湾ですら、かつての独裁政党が復活してから、自由が後退していますからね。タイやフィリピンも後退した。他は推して知るべし。
>例えば、ラテン語と中国語を比較してください。イタリア語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、ルーマニア語といった、ラテン語の話者の末裔たちは、相互に筆談することすらできません。
>
筆談はできない?w
フランス語を知っていれば、少なくともイタリア語の文章はコツさえつかめば難なくよめるよ。スペイン語とポルトガル語の間も問題ない。
ルーマニア語は若干困難だが、あれはもともとスラブ系言語だったものを「ダキアの末裔」という神話によって、ルーマニア語をでっち上げたから。
>中国語の場合、オーラル・コミュニケーションができなくても、筆談はできます。これはインターネット上では重要なことです。
>
中国語もちゃんと教育を受けないと、筆談は不可能です。
すでに指摘しているように、中国の教育普及率と、「方言」差の激しさから、「北京官話」を基盤にした「現代中文」はちゃんと中等教育以上を受けた人しか使えません。その人口はせいぜいが2億程度。
大体、日本ですら中学1年生が新聞を全部読めないように、漢字なんてローマ字と違って簡単に覚えられるものじゃない。
漢字だけで表記する中国語の場合、普通に使う文字だけでも5千は必要。それを学ぶのに、どれだけの労力が必要だと思いますか?
「オーラルコミュニケーションができなくても、筆談ができる」というのは、中国語の実態を知らない素人の発言。
事実は、オーラルコミュニケーションとしての普通話ができない人は、普通話による文章も読み書きできません。
広東語圏は普通話文を広東語音で読む下す伝統はありますが、福建語にはそういう伝統はないから、福建語しか知らない人は文字も読めません。
>IQに関しては、いろいろな説がありますが、私は教育次第で変化しうる値だと考えています。
だから無意味。
>アシュケナジー系のユダヤ人や東北アジア人のIQが高いのは、彼らが教育熱心であることと無縁ではないでしょう。
教育熱心なのも、今のうちだけということを忘れてはいけない。
イスラエルは遠くない将来に滅亡する運命にあり、中国もすでに教育は荒廃しています。
>なお、IQは、学業成績や年収と正の相関性があり、決して無意味な値ではありません。
無意味。しょせん欧米人をスタンダードにつくられた「近代科学教」の産物。
以前、IQ220と報道された韓国の天才少年は、年齢を数えるごとにIQが低下し、三流大学を出て凡庸な人間になっているし。
いっとくけど、最近漢方やインド療法が医学の世界でも見直されているように、自然科学にも「西欧の偏見」が指摘されている。
>しかし、私はIQが低い人には生存権がないなどと主張しているわけではありませんから、ナチスなどの優生政策と混同してもらっては困ります。私は、遺伝子の多様性は維持されるべきだという考えを持っています。
>
だったら、IQなどという無意味な指標は捨てなさい。
子供時代にIQが高くても、大人になったら低い人だってうようよいるわけですから。
>一般に、どこの国でも、経済が高度化すると、出生率が低下しますから、そのこと自体は、否定的にとらえる必要はありません。
中国は高度化するはるか前の段階で、出生率が低下しているんですけど!
>今後、中国は、労働コストの低さという優位を国際市場で失うのですから、人的資源の付加価値を高める必要があります。だから、出生率を抑制して、一人当たりの教育投資を増やすという戦略は間違っていないと思います。
>
労働集約型の産業しかない中国が出生率を低くしても、何も将来性はない。
今の中国の大卒の就職率はたった3割しかない。そして将来を悲観した若者が、暴動を起こしているんですよ。
先進国でもないのに、すでに先進国よりもひどい状態の先進国病。
大体、中国から日本になぜあんなに密入国者が多いの?それは中国に希望なんかないからですよ。
要するに、あなたは、今後、中国が、経済崩壊によって最貧の水準に落ちると予測しているわけですね。そうなる可能性は、ゼロではないにしても、かなり低いと思います。いずれにせよ、あなたの予測が正しいかどうかは、あと十年も経たないうちにわかるでしょうから、それまで様子を見ましょう。
>そうなる可能性は、ゼロではないにしても、かなり低いと思います。
では、すでに底割れしている中国株にでも投資するなり、上海あたりに移住してください。
自分で中国語も理解できず、中国経済に賭けるという実践もしないで「中国経済は将来性が大きい」なんていっていても、単なるうそつきか法螺だとみなされるだけです。そこら辺の株屋と同じ、ペテンの手口。
公式に出てくる数字だけ見ていても、すでにハードランディングしているんだが、あなたは経済の素人なんですね。
台湾投資家も次々に逃げているし、相当ヤバイ状態ですよ。
10年どころか、早ければ今年10月の中国建国60周年、あるいは来年にはわかることです。
そもそも「将来性」なる言葉は、不確定性と同義。
それから、スペイン語がたいしたコンテンツがないとおっしゃいますが、哲学者のオルテガ・イ・ガゼット、文学のイサベル・アジェンデ、それから中南米の権威主義研究から派生した体制転換理論など、現代学問の知はスペイン語でしか読めないものもかなりありますよ。中南米は60年代以前は日本よりも経済的に上だったし、スペイン語圏は発展途上国というより、中進国が多いので、あまりなめるべきではないでしょうね。
スペイン語に対する不当な蔑視、中国に対する異常な幻想を見ていると、あなたの主張は、単にアジアがわかっていないで中南米を見下している米国人知識人の言説の受け売りでは?
わかりました。2009年10月から2010年にかけての時期に中国経済が崩壊すると予測しているのですね。では、この予測が当たるかどうか、注目したいと思います。
ところで、アマゾンにある『台湾ってどんな“国”? 』のレビューで、謝長廷という人が、以下のようなことを書いているのですが、これは本当ですか。
未来を確実に予想することは不可能だから、予想が外れたからといって、その人が理論家として失格と言うつもりはありませんが、予想の根拠となっているあなたの理論に関しては、私はかなりの疑問を感じています。
私は、サブプライム問題の原因は、「小さな政府」ではなくて、「大きな政府」にあったとみています[サブプライム問題はなぜ起きたのか]。また逆に、日本が社民主義的な経済構造を持っていることは、日本経済の弱点であると認識しています。
2008年1月1日に、中国で労働契約法が施行されましたが、こういう労働者保護の規制は社民主義的です。あなたは、社民主義的な労働契約法そのものを問題にしているのではなくて、労働契約法を作らなければならない現状が危機的だと言っているだけなのですか。
現在の中国は、新自由主義にかぶれたおかげで、自由がないという時の「自由」とは何のことでしょうか。「共産党一党独裁では絶対に自由はありえません」ということは、複数政党制を導入した共産主義なら「自由」があるということでしょうか。
リンク先のブログ「むじな@台湾よろず批評ブログ」の「中国経済崩壊で、真の共産主義革命が必要かも」には、以下のように書かれています。
多数の餓死者を出した毛沢東の大躍進政策が理想的なのですか。
同じことはIQだけでなくて、学力にも当てはまりますが、だからといって学力の度合いを表す値が無意味というわけではありません。中国本土はTIMSSにもPISAにも参加していないので、残念ながら、中国本土の学力を国際比較することはできません。だから、IQを代わりに使ったのです。
むじな様のツッコミに「泥棒にも3部の理」的な印象を持ったので、それなりに面白いと思い、賛成票ではありませんが、横からノイズ的ですみませんが、少々コメントさせて下さい。
産経新聞の田村秀男という人が、ある雑誌で中国について次のように予想してます。
「(・・・)現象面からみて、農民や民衆蜂起により共産党体制が打倒されるかのような議論を展開するのは、床屋談義に近い。/実は、党独裁体制の崩壊というものは、体制指導部や支配者グループの内部分裂、あるいは体制側内部の造反から起きる、というのが現代史の示す「法則」である。/支配者の特権体制が内紛を起こす理由はただひとつ、財政難である。共産党独裁というのは、徴収する税を中央に集め、特権により再配分するところに特徴がある。したがって、財政が乏しくなれば、自壊しやすい。/旧ソ連、東欧をみればよい。(・・ここで具体例が挙げられている・省略・)/農民グループの指導者が全国を制覇するような、中国古代の王朝交代を連想するのはありまに安易である。農民や市民が連携して反乱を起こすことは、中国人の性格からみて不可能である。市民は農民を人間とはみていないし、農民は都市住民や警察に絶えず反感を抱いている。地域も言葉も違う異国民が集合しているのが中国である。この状況を根底から揺さぶるのは、やはり、北京中央が財政難に陥り、地方に資金を再配分できない、軍部にカネがまわらない、という状況になることだ。そこまで進むには、あと十年以上はかかるだろう。」
---以上の洞察が鋭いのではないでしょうか。
また、中国の国富ファンドである中国投資有限責任公司(CIC)は今世界で猛威をふるっています。CICは、米国最大手投資ファンド「ブラックストーングループ」の筆頭株主にまで躍り出ているのです。使えない無辜の庶民よりも、財政に裏打ちされた国家権力が、諸葛孔明のような傑出した軍略を持って世界に挑む時、それは世界にとって大きな脅威になることでしょう。よって、中国が駄目だと述べるのには早すぎるでしょう。あと十年か二十年後に中国共産党が崩壊した時こそが問題でしょうね。群雄割拠の経済戦国時代に突入するか、誰かが合衆国的にまとめあげるか・・見ものです。
すみませんが、もう1点、韓国語について触れたいのですが、呉善花さんの著書『漢字廃止で韓国に何が起きたか』(PHP)を読むと笑いながらも呆れてしまい、最後に戦慄してしまいます。「アンニョンハシムニカ」のアンニョンが「安寧」であることも分からないなんていうことがあるのかどうか?
それにしても、確かに、漢字を廃止した韓国人の知性は急落しているのではないでしょうか? これまで、頭の体操として奨励されて来た囲碁においてはものすごい強さを発揮しているので、潜在的な能力は日本人と変わらないかもしれませんが、なんと言っても、基本言語がハングルのみでは悲惨なことになってしまいますね。
思ったのは、ハイデッガーの「存在と時間」のような書物をハングルで翻訳しても、全く理解不能な語群列になってしまうだろう、ということです。実際、西洋哲学書のハングルへの翻訳書がどれほどあるのか? また西洋哲学史の自国紹介学者がどのぐらいいるのか? 永井俊哉さんのエントロピーとシステム学の哲学も、ハングルのみで翻訳表記したら、韓国人には、全く理解不能なものになってしまうでしょう。漢字廃止で漢字読めない韓国人、全く以て、恐るべし・・です。もしも、「ひらがな」しか使えず読めない日本人がいたとしたら・・・という「恐るべき想定」が見事に、現実化しているのが韓国なのですから(苦笑)。ひらがなだけで、漢字の意味もわからず、どんな漢字が使われているかもわからないまま、ひらがなでカントの用語を操ったとした、全くパニックになるしかないでしょうね。カテゴリーどころではありません。(笑)
現在の中国は、1973年頃の日本と似ています。高度成長期の日本と同様に、改革開放路線選択後の中国には
☆ 開発独裁型政府のもとで重化学工業が発達した
☆ GDPが二桁を超える成長を遂げてきた
☆ 教育水準が比較的高くて、先進国の模倣が容易だった
☆ 安い人件費と低く抑えられた為替レートのおかげで輸出産業が成長した
という特徴が見られます。また、
☆ 独裁体制に反対する民主化運動が挫折した(安保闘争と天安門事件)
☆ 公害問題が顕在化して、深刻な社会問題となった
☆ 基軸通貨発行国が泥沼の戦争(ベトナム戦争とイラク戦争)に巻き込まれ、インフレ懸念が台頭し、低い為替レートが維持できなくなった
といった類似点も見られます。日本が1973年を境に成長率が鈍化したように、中国の成長率も今後鈍化することでしょう。
中国の将来についてですが、一方で、先進国となり、さらには、米国に代わって世界のリーダーになるという極端な意見もあれば、他方で、むじなさんのように、経済崩壊が起きて、最貧国に逆戻りすると予測する別方向の極端な意見もあります。予測の平均は、他のアジアの中進国と同様のレベルになるというもので、これが現在の多数派の見解だと思います。
中国がさらに経済発展をすると、地球の生態系が持たなくなるとむじなさんは言っていますが、経済の規模が大きくなることは、必ずしも環境破壊を悪化させません。日本でも、70年代の方が80年代よりも公害問題がひどかったけれども、経済規模は80年代の方が大きいです。
日本の合計特殊出生率は、1974年以降下落していますが、これは、工業社会から情報社会への移行に伴って起きる自然な現象です。中国の一人っ子政策は、毛沢東の人口資本説によって増えすぎた人口を抑制するための政策で、こうした政策による強制的な少子化と社会の高度化による自然な少子化を混同してはいけません。中国の沿海部の都市は、既に中進国のレベルに到達しており、自然な少子化が起きています。
この点でも、中国では、かつての日本と同じ現象が起きているといえるでしょう。
かんじをつかわないと、どうおんいぎごのくべつがつかなくなって、こみゅにけーしょんがなりたたないというひとがいますが、にほんごのこみゅにけーしょんは、おんせいだけでなりたつことからもわかるように、かんじ、ひらがな、かたかなのくべつがなくても、なりたちます。もじげんごのばあい、たとえば「はし」のふたつのいみを、あくせんとによってくべつすることができないなどのでめりっともありますが、それはほんしつてきなもんだいにはなりません。いまわたしは、すべてひらがなでぶんしょうをかいていますが、なにをいっているのかわかりますでしょう。
話を哲学や思想に限定すると、スペインのオルテガ程度の知名度の思想家なら、デンマークのキルケゴール、イタリアのグラムシやクローチェ、ロシアのスターリン、中国の毛沢東など他の言語圏にもたくさんいるし、スペイン語圏のコンテンツが特に豊富とは思いません。
「これからはアジアの時代だ」という人はいても、「これからは中南米の時代だ」という人があまりいないのでは、中南米は、60年代以前からある程度豊かであったのにもかかわらず、半世紀以上たっても先進国レベルにならないのに対して、東アジアは、60年代以前きわめて貧しかったのにもかかわらず、この半世紀の間、急速に成長したからでしょう。
しゅんかんはちょくせんてきときのいってんとかんがえねばならない。しかし、ぷらとんがすでにしゅんかんはときのそとにあるとかんがえたごとく、ときはひれんぞくのれんぞくとしてせいりつするのである。ときはたといちとのむじゅんてきじこどういつとしてせいりつするということができる。ぐたいてきげんざいというのは、むすうなるしゅんかんのどうじそんざいということであり、たのいちということでなければならない。それはときのくうかんでなければならない。そこにはときのしゅんかんがひていされるとかんがえられる。しかしたをひていするいちは、それじしんがむじゅんでなければならない。しゅんかんがひていされるということはときというものがなくなることであり、げんざいというものがなくなることである。しからばといって、ときのしゅんかんがここひれんぞくてきにせいりつするものかといえば、それではときというもののせいりつしようはなく、しゅんかんというものもなくなるのである。ときはげんざいにおいてしゅんかんのどうじそんざいということからせいりつせなければならない。これをたのいち、いちのたとして、げんざいのむじゅんてきじこどういつからときがせいりつするというのである。・・・・
http://www.aozora.gr.jp/cards/000182/files/1755.html
の4段落目です。
上の文章でも、日本人であれば、努力すればわかるでしょうが、しかし、こういうものに取り組んで思索したくはない、という面倒臭さが必ずつきまとうので、よほどの根気のある人でないと、挫折すると思います。
漢字を一切使わないのですから、カントの「じゅんすいごせいがいねん」の「ごせい」が悟性の意味であると、すぐにはわからないのですよ? 日本人だって、ひらがなだけで最初から表記されていたら、「ごせい」って何? 「五勢?」「語性?」と混乱すること必至です。そして、韓国人の場合、漢字そのものがわからないのですから、「ごせい」の意味を解説されたとしても、外国語の単語のようにそのまま丸覚えするしかないわけです。決して「ごせい=悟性」という言語使用の理解には至らないわけです。
呉善花さんが出した例では「ソジュミルシク」を韓国の大学教授が意味がわからず、「焼酎密食」で「焼酎を秘密に作って飲みなさい」という意味だろうか?と思ったそうですが、実は「小株密植」であったと。韓国での漢字がわかる世代では笑い話ですが、漢字を知らない世代だと、「焼酎密食」という連想すら浮かばないはずですから、事態は深刻ではないでしょうか?
想像して下さい。漢字を一切使わない、専門用語の説明もないまま、ひらがなだけで無数の哲学ジャーゴンが表記されている本があったら、どうなるかと。
そうだっ!韓国で、「ハングルで書かれた哲学事典」を韓国人に読んでみてもらいたいものです。って、そんなもの、果たして出版されているでしょうか?もし出版されていたら、若い漢字を読めない韓国人に、表音文字の哲学ジャーゴンの羅列で言葉の意味を推測できるのでしょうか?たぶん無理ではないでしょうか?(笑)
日本語でも、たぶん、漢字を導入する前の大和言葉なら、すべてひらがなで書いてもそれほど難しくはなかったと思います。しかし、漢字を導入したおかげで、漢字に適応してしまい、漢字なしでは、高度な情報を伝達できなくなってしまったのでしょう。
ちなみに、ドイツ哲学の専門用語は、日本語に訳すと非常に難しそうな表現になりますが、ドイツ人にとっては、日常的に使っている言い回しがほとんどで、思想内容はともかくとして、表現自体はそれほど難しくないそうです。彼らが、表音文字だけで高度な哲学的思想をしていること考えると、漢字のような表意文字がなければ哲学ができないとは言えないでしょう。
日本のドイツ哲学研究者は生真面目な人が多いので、権威付けのためにわざと難しく訳しているのではないかと思われるふしがあります。例えば、ハイデガーの世界内存在ですが、これはもともと老子の「処世」のドイツ語訳を日本語に直訳した結果生まれた言葉なのだそうです。もとの「処世」の方がわかりやすいのに。
概ね、楽しく読ませて頂きました。
言語を評価する観点は様々で面白いですね。
一点だけ正す点がありましたので、記しておきます。
「古典ギリシア語やラテン語などは、死語であるにもかかわらず、重要な古典を多く持つという理由だけで、今でも学習者がいるぐらいです。」
「だけ」というのは言葉のあやだとは思いますが、欧米では古典を読むために、ラテン語を学習している人はごく少数だと思います。例えば私が留学をしていたドイツでは、私が95年当時把握していた限り、大学に進学し、医学、法律学を学ぶためには、ラテン語は必修科目でした。蛇足ですが、法律学は弁論術(レトリーク)も必修科目でした。確かにギムナジウムでのラテン語学習は古典が教材ですが、学生は古典を読むためではなく、将来の選択肢を狭めないためにラテン語を学習します。ラテン語の学習人口が死語にもかかわらず比較的多いのは、正確を期すならば、重要な古典を読むことが目的でなく、学位を得るための必須科目となっているためと言えるでしょう。なぜ、歴史ある実学の必須科目となっているかは、ここは象牙の塔の権威主義でしょうか、それとも一貫性の問題でしょうか、学名に一般にラテン語が用いられるからでしょう。
う~む、成程。永井様の主張が仮に正しいならば、呉善花さんの心配(韓国人はハングル専用で知的劣化が起こっている)は杞憂ということになりそうですね。確かに、当面は、かつての漢字文化からの無理やりの移行期間であるため、色々な支障が出て来ます。たとえば、過去の韓国の漢字文献が全く読めない、という(自分の国の古文書が読めないという)事態が起こりますが、それはそれで、一時的な現象と看過することも可能でしょう。
「石の上にも3年」と言いますが、「ハングル専用の上にも300年」で、韓国独自の平易かつ奥深い思想が形成されてくることになるかもしれません。それは不可能ではないと思います。それに期待すべきなのか、或いは、漢字併用制度に戻して、中国との文化的共存・共生の道を選んだ方が良いのか・・悩ましいところですね。敢えてどちらが良いだろうとはここでは言いませんが。
そ、そ、そうなんですかっ! 最初の翻訳者、ゆるすまじっ!(笑)
自分では独自の哲学もできない単なる哲学史の紹介学徒に過ぎないくせに大学で教授などと呼ばれて天狗になって権威の上にアグラをかいているヤツラが、わざと難しい用語を作り出して紹介し、メシのタネにしている・・というわけですね。
官僚制度の腐敗と同根だと見ました。東大からぶち壊す必要がありそうですね。暴走族をダサイ族と呼ぼうという試みが沖縄で始まるそうですが、同様のイメージ戦略で、日本における「東大はエライ神話」を破壊する必要がありますね。
水指丈夫氏の小説「東大を出ると社長になれない」(講談社)は、経済学者の匿名作品らしいですが、今度読んでみます。
今は亡き池田晶子さんが日常語を使ったわかりやすい「オラクル・ヘーゲル論理学」を完成させたいと望んでいたのが思い出されます。(黙祷)
なるほど、よく考えたら、そうですね。例えば、生物種の学名とか、いまだにラテン語で記されていますね。その意味では、ラテン語は完全には死語になっていないと言えるでしょう。古典ギリシア語やラテン語がまだ学習されているのは、今でもそれらが部分的に使われているからだと言えばよいでしょうか。
日本の学校では、古文や漢文が必須ですが、これは、現代の日本語でも古文や漢文が部分的に使われているからでしょう。例えば、過去の助動詞「き」は、現代では使われていないことになっていますが、「ありし日の思い出」とか「まず戦争ありきの議論」といった言い回しで、化石的に残っている場合があります。
老子というのは、私の記憶違いで、正しくは荘子でした。ごめんなさい。岡倉天心の『茶の本』に荘子の「処世」を“Being In The Word”と英訳した箇所があって、存在と時間』の刊行8年前に、伊藤吉之助がハイデガーに贈呈したそのドイツ語訳、“Das Buch von Tee”では、“Being In The Word”が、“Sein in der Welt”となっており、ハイデガーは、そこから“In-der-Welt-Sein”という用語を作ったという説が有力視されています。“In-der-Welt-Sein”を「処世」と訳せとは言わないまでも、せめて「世間内存在」と訳すべきではなかったのかという気がします。
ハイデッガーの用語「世界内存在」が、岡倉天心の『茶の本』や荘子の「処世」に連なるらしいというお話、大変勉強になりました。ありがとうございます。どのような日本語訳が一番ふさわしいか、私なりに、熟考してみたいと思います。
さて、昨日、経済学者で評論家の池田信夫さんがブログで、はてな取締役の梅田望夫の「日本のウェブは残念だ」という発言について、辛口のコメントがアップされました。そして、それに対して、賛同のコメントが沢山付いたのですが、その中に、ここでの言語の話に関連する内容のものがあったので、コピペをして一部をご紹介して、最後に私の意見を述べたいと思います。
ここから私「照る照る大空」の発言ですが、もしも、上記のコメント内容を受け入れるならば、欧米などでは概念操作する専門家と一般庶民の間には大きなギャップがあって中間層が殆どいないぐらい希薄であるが、漢字文化圏、特に日本では「その中間層」の存在が分厚くてレベルが高い、という分析ですね。
確かに、ブログ(ウェブ日記)を書く人数と分量では日本人がダントツらしいですが、それも中間層のレベルの高さと関係あるのかもしれません。
そういう意味では、池田信夫氏が指摘するような「上司を批判できず転職という逃げ場もないため、そのストレスが匿名による悪罵にはけ口を求めているのだ」というようなウェブの使い方を我々がしないで、誰か賢者が、その分厚く存在する中間層の人々に対して、「ウェブの創造的で生産的な参加」のできるシステムを作って提供すれば、日本のウェブ内容は飛躍的に進化するだろう、ということだと思います。
また、そうした関連から言えば、韓国がこのまま「ハングル専用政策」を今後300年維持したとしても、そして、それにより独自の奥深い文化と語彙が醸成されたとしても、欧米のように、概念操作する専門家とそれができない一般庶民に2極分化してしまう運命にあることになります。そうであれば、やはり、ハングル専用政策から方向転換して、漢字との混淆(ハイブリッド)使用政策」に変更した方が、民族の文化戦略としては、有効で有意義であるように思います。
ちなみに、パソコンのOSもマイクロソフトのウインドウズより坂本教授のトロンの方がずっと優秀で漢字文化圏の人にジャストフィットしていることが知られています。清水馨系八郎氏は現代の圧倒的情報化時代では26文字の表音文字では略語にも限界があるし、表現の幅が狭過ぎるけれども、一方、漢字文化圏では、漢字の組み合わせは幾何級数的であり表現の幅も莫大であるから、暗黒搾尊(アングロサクソン)より、これからは日本人の時代だ、という言い方をします。流石にちょっと国粋主義バイアスがかかった意見だと差し引いても、漢字文化圏である中国・香港・台湾・日本こそ、言語表現においては明るい未来がある、という見方も、それなりに正当性があるように思えますが・・・。
漢字一字とアルファベット一文字を比較すると、両者には大きな違いがあるようにみえますが、漢字一字と英単語を比較すると、あまり大きな違いはありません。両者とも、要素的なパーツから全体が構成され、一定の意味を持っていて、ユーザは、それぞれのパーツが何を意味しているかほとんど意識せずに使っています。のぎへんという部首が何を意味しているかを知っている日本語のユーザは、mneが何を意味しているかを知っている英語のユーザと同様に、少数派でしょう。アルファベットは表音文字といわれますが、英語に関して言えば、アルファベットだけでは発音は決まらず、アルファベットの配列によって、はじめて決まります。この点でも漢字に似ています。漢字一字が英単語一つに相当すると考えれば、中国語と英語には、それほど大きな違いはないというのが私の見解です。
検索サーチをして、ここにきました。すごく参考になりました。
複数の言語学習による相乗効果みたいなことってあるのでしょうか?
英独は同じゲルマン語族、仏西伊はロマンス諸語、英語はノルマンの影響で仏単語を取り入れています。
あと、その言語に翻訳される書籍のランキングも知りたいです。
そして、Wikipediaの項目数では、話者数の割りにスペイン語が少なく、ポーランド語が多いのも気になります。
ヨーロッパの言語は、相互に類似しているので、複数言語の習得には相乗効果があります。なお、Wikipedia の項目数は、その言語の文化力を知る上であまりあてにはなりません。英語との類似性の高いヨーロッパの言語の場合、豊富に存在する英語による項目を機械翻訳することで、項目を量産することができるからです。
皆さん相当な知識と教養がおありのようで、大変勉強になります。少し発言が攻撃的でどうかなと思うこともある、「むじな」さんですが、個人的には、基本的にこの方の意見に同調したいことが多くありました。そういう意味で「むじな」さんがこのごろ発言されていないのを寂しく思います。
むじなさんの意見のどういうところに同調しているのですか。あなたは、むじなさんと同様に、毛沢東時代の中国を礼賛し、改革開放路線と資本主義化を好ましくないと考えているのですか。
中国の経済規模は日本どころか米国に近づいて、追い越しそうな感じですね。
中国が発表しているGDPは信用できないので、「中国の経済規模」がどの程度なのかわかりません。
10年前の記事ですがとても楽しく読ませていただきました。やはり、中国(語)の存在感は当時と比べて、日本のみならず多くの国で存在感を増していると言ってよいのではないでしょうか。
むじな様とのやり取りも拝見しましたが、むじな様は恐らくもうこちらのページに長らくいらっしゃってはいないと思いますが、どうしても気になってしまったことがありますので書かせていただきます。(少なくとも私にとって)理想的な議論というのは主張とその根拠を示し、反論の際はその根拠の誤りを指摘し、論理的により穴の少ない結論を導くことだと思っています。私の知識不足のため真偽のほどは分からないにしても、むじな様の知識に関しては素晴らしいと思う部分もありますが、
>自分で中国語も理解できず、中国経済に賭けるという実践もしないで「中国経済は将来性が大きい」なんていっていても、単なるうそつきか法螺だとみなされるだけです。そこら辺の株屋と同じ、ペテンの手口。
>あなたは経済の素人なんですね。
といったような決めつけ、侮辱は目に余るものがあります。また、たまにタメ口も混じっていますがそれも真面目な議論においてはあまり品の良い態度には見えませんでした。一つ目のコメントでは冷静に自らの主張を示されているのにも関わらず、後の返信では永井様の主張を否定したいがために躍起になっているように見えました。どんなに相容れない主張をしている相手、および主張そのものにも敬意を払わないことには不毛になりがちだと思います。
ムエザさんのような感想を述べる人は他にもいるようです。
それはさておき、2009年10月から2010年にかけての時期に中国経済が崩壊すると予測していたむじなさんは、実際に2009年9月に『加速する「脱・中国経済」取り残された日本の行方 ──逃げ出す台湾、そして世界』という本を出版したようです。ところが、2013年10月に出版した『アジア 反日と親日の正体』という本の「内容紹介」には、
とあります。むじなさんは、『中韓以外、みーんな親日 ~クールジャパンが世界を席巻中~』(2013年)とか『アニメが地方を救う! ? – 聖地巡礼の経済効果を考える』(2016年)とかいった本も出しているようで、どうやら経済よりもアニメ文化での優位性を主張するようになったようです。
しかし、いくら日本のアニメ文化が世界の一部でもてはやされているからといって、経済や科学技術で勝たなければ、日本は中国に対して優位には立てないのではないかと思います。「日本すごい」系コンテンツは需要があるから売れるのでしょうが、そういうもので慢心していないで、どうすれば科学技術や経済で中国を凌駕することができるようになるのか謙虚に考える必要が今の日本にはあります。さもなくば、日本は今後も没落を続け、日本語はますますマイナーな言語になってしまいます。
文化が持つ影響力の凄さは数値化することは難しいですが、他国から良いイメージを持ってもらえる、ひいてはその国へ興味を持たせるきっかけとなり、その国の言語を勉強するきっかけを作るものだと思います。日本では数ある人気コンテンツの一つでしかないと思っていた韓流が、ベトナムでは最先端のオシャレといったように扱われていて、実際に韓国語を勉強する若者やK-POPアイドルのメイクをそっくり真似したような若い女性が思った以上に多かったです。一つのコンテンツが持つ影響力の凄さを目の当たりにしたのと同時に、日本でもこうやって欧米コンプレックス、白人コンプレックスが生まれたのではないかと色々と考えさせられました。
しかし一方でやはり日本の存在感も盤石で、もう一歩踏み込んでみると韓国よりも日本の方が「信頼感」、「質実剛健なイメージ」のようなものは強かったように思います。その存在感を作っている大きな要因は永井様のおっしゃる科学技術や経済であることは間違い無いでしょう。正直なところ、経済ではアメリカ、中国そして韓国(サムスン、ヒュンダイ等)の話題になることが多く、日本は以前ほど話題になることはないですが、基礎研究分野においては多くの国でまだまだ世界トップクラスのイメージを持たれているのではないかと思います。実際のところはどうなのかはわかりませんがそういったイメージを持たれるというだけでもプラスだと思います。恐らくK-POPに夢中なベトナムの若者でも研究をしに行くのであればアジアでは日本、と多くが思っているでしょう。
ある程度、経済が良ければ自ずと科学技術も発展すると思いますし、科学技術が発展すれば自ずと経済も良くなると思いますが現実にはメディアからは日本のアニメがすごい!で目を眩ませられてしまっていて、本質を見ることが難しくなっているように思います。もちろんアニメ等のカルチャーの持つ力も上で述べた通り絶大なものだとは思いますが、そればかりに力を注いで経済や科学技術がダメになってしまうとその国が「ダサい国」になってしまい、カルチャーにも興味を持たれにくくなるでしょうね。極端な話かもしれませんがあながち間違っていないのではないかとも思います。冬のソナタが流行った時の韓国は経済的には今より地味で、韓流にさほどオシャレなイメージはなかったでしょうから。
そういう認識はもう古いと言わざるを得ません。『ネイチャー』が指摘する通り、日本が出版する論文数は、世界の潮流に反して減少しています。
論文の量だけでなく、質も低下しています。論文の質を表す被引用数でももはや世界のトップに立つ分野がなくなりました。
たしかに日本の研究予算は米中と比べると少ないのですが、日本の学術界が抱えている問題は予算の少なさだけではありません。財務省が指摘するとおり、日本のトップ10%に入る論文を生み出すための費用が欧米より高い、つまり日本の論文生産性が低いことが問題です。