プロレタリア型右翼
従来、左翼は弱者の思想で、右翼は強者の思想と考えられてきた。たしかに、左翼や右翼という言葉が生まれたフランス革命後の議会では、そうした区別は有効だったが、現代では、弱者であるがゆえに右翼的な思想を持つ、プロレタリア型右翼とでも呼ぶべき、新しい右翼が増えてきた。知識人たちは、こうした右翼を権威主義的パーソナリティー論によって説明しようとするが、私はそれとは違う視点から、プロレタリア型右翼を解釈したい。[1]

目次
1. ナショナル・アイデンティティと学歴/所得の相関
田辺俊介の『ナショナル・アイデンティティの概念構造の国際比較』が、ISSP(International Social Survey Program)の1995年の調査結果から、排外的な人には低所得と低学歴が多いという結論を出したことが、かつて話題になったことがあった。低所得で低学歴で排外的な人は、まさに私が言うところのプロレタリア型右翼に相当する。ISSPの調査結果は、この論文を読まなくても、1995年版のみならず、2003年の最新版までもがISSPのサイト上で無料で閲覧できるので、それを直接紹介することにしよう。
調査項目は、多岐にわたるが、ここでは、右翼一般にとって最も重大な問題の一つである「自国内への移民の数を増やすべきか」という質問に対する回答を見よう。「強く同意する」と答えた割合に+2、「同意する」と答えた割合に+1、「現状でよい」と答えた割合には0、「反対する」と答えた割合に-1、「強く反対する」と答えた割合に-2を乗じた値の合計で、移民の増加への賛成の度合いをグラフにしてみた。以下のグラフに見られるように、日本では、学歴が低くなるほど、移民の増加に対する拒絶度が大きくなっている。

次に収入との関係を見てみよう。学歴の場合ほど相関性は明確ではないが、年収が少ない層のほうが、移民増加に対する拒絶度が大きい。一般的に言って、低学歴ほど低所得なので、これは当然であろう。

もとより、移民に対して排他的だから、即、右翼(極右)というわけではない。そこで、次に、極右政党の支持の分布を直接見てみよう。日本を含めて、現在の主要先進国には、有力な極右政党はあまり存在しないが、フランスには、ルペン党首で有名な国民戦線という、一定の勢力を持つ極右政党が存在する。以下のグラフが示すように、フランスにおける各学歴ごとの国民戦線の支持率を見てみると、学歴が低くなるほど支持率が高くなる傾向がある。

オーストリアの有力な極右政党、自由党に関しても同様の傾向が見られる。

では、外国人に対して排他的な価値観の持ち主には、なぜ低学歴・低所得の階層が多いのか。田辺の博士論文の審査を行った宮台真司によると、「昔からフランクフルト学派の人たちが言ってきた通りで、権威主義者には弱者が多い」のであり、そして、低所得ないし低学歴層が排外的愛国主義にコミットする背景には、「丸山眞男問題」があるとのことである。宮台は次のように言っている。
■丸山眞男によれば、亜インテリこそが諸悪の根源です。日本的近代の齟齬は、すべて亜インテリに起因すると言うのです。亜インテリとは、論壇誌を読んだり政治談義に耽ったりするのを好む割には、高学歴ではなく低学歴、ないしアカデミック・ハイラーキーの低層に位置する者、ということになります。この者たちは、東大法学部教授を頂点とするアカデミック・ハイラーキーの中で、絶えず「煮え湯を飲まされる」存在です。
■竹内氏による記述の洗練を踏まえていえば、文化資本を独占する知的階層の頂点は、どこの国でもリベラルです。なぜなら、反リベラルの立場をとると自動的に、政治資本や経済資本を持つ者への権力シフトを来すからです。だから、知的階層の頂点は、リベラルであることで自らの権力源泉を増やそうとします。だからこそ、ウダツの上がらぬ知的階層の底辺は、横にズレて政治権力や経済権力と手を結ぼうとするというわけです。
■これが、大正・昭和のモダニズムを凋落させた、国士館大学教授・蓑田胸喜的なルサンチマンだというのが丸山の分析です。竹内氏は露骨に言いませんが、読めば分かるように同じ図式を丸山自身に適用する。即ち、丸山の影響力を台無しにさせたのは、『諸君』『正論』や「新しい歴史教科書をつくる会」に集うような三流学者どものルサンチマンだと言うのです。アカデミズムで三流以下の扱いの藤岡信勝とか八木秀次などです。[6]
宮台は、文化資本の「独占」者は政治資本や経済資本から疎外されていて、政治資本や経済資本の所有者は文化資本の所有に与ることができないと考えているようだ。それならば、政治資本や経済資本から疎外されている知的階層は、その限りでは弱者であり、その弱者が、アカデミズムという知的権威を振りかざして、文化資本が不足しているという意味で弱者である右翼系論客を「三流学者ども」と罵倒して攻撃するならば、それは、自分が批判していることを自分自身で行っていることにならないだろうか。
あるいは、宮台が言っている弱者とは、知的な弱者に限定されるのかもしれない。宮台が言及しているフランクフルト学派の理論とは、知的弱者は、過剰な自由に耐えられず、自由から逃走し、権威に頼ろうとするという、フロム著『自由からの逃走』(1941年)やアドルノ他著『権威主義的パーソナリティ』(1950年)に見られる考えのことであろう。
しかし、こうした心理学的説明は、ファシズムに対する説明としては不適切ではないか。ファシストが権力を掌握したドイツやイタリアや日本よりも、そうではなかった英国や米国の方が、個人により多くの自由を与えていた。ドイツでもイタリアでも日本でも、ファシズムが勃興した第二次世界大戦前の時期に、それ以外の時期と比べてより多くの自由が個人に与えられていたわけではなかった。
『権威主義的パーソナリティ』は、アメリカユダヤ人委員会(American Jewish Committee)がスポンサーとなって出版した『偏見の諸研究(Studies in Prejudice)』の一部で、ユダヤ人を擁護しようとする政治的意図に基づいている。その序論には、次のように書かれている。
著者は、大部分の社会科学者と同様に、反ユダヤ主義は、ユダヤ人の現実的性格よりも、主観と主観の全状況における諸要因に主として基づき、反ユダヤ主義的見解と態度の決定要因を探す一つの場所は、それらを表明する人の内側にあるという見解を持っている[7]
慎重な言い回しで書かれているが、要するに、ユダヤ人が迫害されるのは、ユダヤ人が悪いからではなくて、迫害する側の性格に欠陥があるからだという立場を表明しているのである。ユダヤ人は悪くないという見解には同意するが、それを強調しようとするあまり、ファシズムの問題を個人の心理の問題に矮小化してしまうと、ファシズムの最大の原因である経済問題を見落としてしまうことになる。
ファシズムは、それ自体は政治的な現象であるが、その原因は、心理学ではなくて経済学によって説明されるべきである。第二次世界大戦前夜のファシズムの直接的原因は、世界大恐慌であり、失業の増加が、戦争を含めた全体主義的公共事業の必要性を高め、とりわけ、植民地が少なく、国内市場が小さい後発工業国でファシズムが支持された。要するに、個人がファシズムに走るのは、《自由からの逃走》ではなくて、《失業からの逃走》である。
なぜ低学歴で低所得の人ほど移民の増加に否定的なのかに関しても《失業からの逃走》という観点から説明ができる。日本のような先進国の場合、移民制限を緩和すると、発展途上国から安価な労働力が流入するが、それによって真っ先に仕事を奪われるのは、単純肉体労働に従事している低学歴・低所得の人たちである。彼らが、外国人労働者に対して排他的になるのは、経済的な利害関係による。
読者の中には、このような説明は、先進国には当てはまるが、発展途上国には当てはまらないのではないかと反論する人もいるだろう。その通りである。実は、田辺俊介の『ナショナル・アイデンティティの概念構造の国際比較』は、ISSPが23カ国を調査したにもかかわらず、日本、ドイツ、アメリカ、オーストラリアの4カ国しか取り上げていない[8]。世界中どこでも低学歴で低所得ほど排他的というような結論は、こうした先進国の調査結果だけから導くことはできない。
では、発展途上国では、どうなのか。典型的な発展途上国として、フィリピンの事例を取り上げてみよう。1995年のISSPの調査では、フィリピンの所得に関するデータはないが、学歴に関するデータはある。以下のグラフからわかるように、フィリピンでは、学歴が低くなるほど、移民の増加に対する拒絶度が大きくなるという、日本で見られた傾向は見られない。むしろ、学歴が高い方が、拒絶度が大きくなっている。特に大学卒業者の拒絶度が最も高いことは、特筆するべきことである。この現象は、フランクフルト学派流の権威主義的パーソナリティー論では説明できない。

フィリピンの場合、国内の所得水準が十分に低いので、移民の受け入れを増やしても、低学歴の労働者のライバルが増えるという可能性は低い。むしろ、フィリピンの公用語が英語であることから、他の英語圏の高学歴労働者が、フィリピンに来て、国内の高学歴労働者から仕事を奪うという可能性の方が高い。大学卒業者の拒絶度が最も高いのはこのためだろう。
2. プロレタリア型右翼はなぜ戦争を渇望するのか
好戦的であることは、移民に対して排他的であることと並んで、右翼の大きな特徴であり、左翼との大きな違いであると一般に認知されている。では、なぜ右翼は戦争を好むのか。
こうした議論をするとき、そもそも右翼とは何かというところから話を始めなければならない。右翼という言葉は、フランス革命後の議会において、保守派が右側の席を占めていたことから、保守主義を指す言葉として使われるようになった。右翼は伝統的権威を重視し、好戦的であるといわれるが、それは、当時の没落貴族たちの特性であった。
フランス革命によって特権を奪われた貴族たちは、自分たちの栄光ある地位の回復を求めていたがゆえに、伝統的制度や伝統的価値観の復活に肯定的である。よって、彼らは、保守主義者の名に値する。ヨーロッパの貴族たちの伝統的な職業は戦争であるから、自分たちの活躍の場を増やすためにも、対外的戦争を支持する。だから、好戦的であるという右翼の属性を持っていた。
日本の場合、こうした右翼を形成した没落貴族に相当するのは、明治維新時の士族で、彼らは、伝統的な特権が奪われることに不満を持ち、自分たちの活躍の場を求めて、征韓論を唱え、それが新政府によって却下されると、新政府に対して反乱を起こした。
現代では、没落貴族型の右翼は少数派であり、代わって増えてきたのがプロレタリア型の右翼である。ISSPの調査で浮き彫りになった、移民に対して最も拒絶的な、低学歴・低所得の先進国の下層民たちには、復活するべき栄光に満ちた過去があるわけではなく、そのため、没落貴族型右翼とは異なって、伝統的権威への固執は強くない。彼らが伝統的権威の重要性を持ち出すとするならば、それは、それが移民排斥や対外戦争の手段として使える場合に限られる。彼らには、伝統的権威は、第一義的な重要性を持たない。
そういうプロレタリア型右翼の一つの事例として、赤木智弘を取り上げよう。赤木は、高校と専門学校を卒業したフリーターで、年収は150万円と報道されている[10]。日本人の大学・短大の進学率は50%を超えており、また平均年収も400万円を超えていることから、赤木を低学歴・低所得のカテゴリーに分類することができる。赤木は、「決して右傾化するつもりはない[11]」と言いつつも、戦争を希望し、特権化された既存の「弱者」しか守らない左翼を厳しく非難しているという点で、一種の右翼と呼んでよいだろう。
では、赤木のようなプロレタリア型右翼が戦争を希望する理由は何か。
現状のまま生き続けたとしても、老いた親が病気などによって働けなくなってしまえば、私は経済基盤を失うのだから、首を吊るしかなくなる。その時に、社会の誰も、私に対して同情などしてくれないだろう。「自己責任」「負け犬」というレッテルを張られながら、無念のままに死ぬことになる。
しかし、「お国の為に」と戦地で戦ったのならば、運悪く死んだとしても、他の兵士たちとともに靖国なり、慰霊所なりに奉られ、英霊として尊敬される。同じ「死」という結果であっても、経済弱者として惨めに死ぬよりも、お国の為に戦って死ぬほうが、よほど自尊心を満足させてくれる。
[…]
生きていれば流動化した社会でチャンスも巡ってくる。また、軍務に就いていれば衣食住は保証され、資格もいくつかとれるだろう。今の日本で、年長フリーターが無資格で就業できて、賃金を得ながら資格をとれるような職業に就けるチャンスはどれくらいあるのだろうか?[12]
苅部直氏の『丸山眞男――リベラリストの肖像』に興味深い記述がある。1944年3月、当時30歳の丸山眞男に召集令状が届く。かつて思想犯としての逮捕歴があった丸山は、陸軍二等兵として平壌へと送られた。そこで丸山は中学にも進んでいないであろう一等兵に執拗にイジメ抜かれたのだという。
戦争による徴兵は丸山にとってみれば、確かに不幸なことではあっただろう。しかし、それとは逆にその中学にも進んでいない一等兵にとっては、東大のエリートをイジメることができる機会など、戦争が起こらない限りはありえなかった。
丸山は「陸軍は海軍に比べ『擬似デモクラティック』だった」として、兵士の階級のみが序列を決めていたと述べているが、それは我々が暮らしている現状も同様ではないか。
社会に出た時期が人間の序列を決める擬似デモクラティックな社会の中で、一方的にイジメ抜かれる私たちにとっての戦争とは、現状をひっくり返して、「丸山眞男」の横っ面をひっぱたける立場にたてるかもしれないという、まさに希望の光なのだ。[13]
赤木には、天皇崇拝や愛国心といった日本の伝統的右翼の特徴のいくつかが欠けている。だから、彼は典型的な右翼ではないのかもしれない。右翼には、没落貴族型右翼やプロレタリア型右翼の以外にも愛国心に最大の重点を置く心情右翼や宗教的伝統を重視する宗教右翼などさまざまな類型が考えられる。しかし、私が見るところ、デフレ経済のもと、失業率の増加とともに社会が急速に右傾化するとき、増えるのがプロレタリア型右翼であると思う。
プロレタリア型右翼にとって、戦争で日本が勝つかどうかは重要でない。戦争をして、日本が勝ったとしよう。戦場で死ねば、英霊として崇拝されるし、生き残れば、強くなった日本で立身出世できる。戦争をして、日本が負けたとしよう。戦場で死ねば、戦争の犠牲者として同情してもらえるだろうし、生き残れば、かつて偉そうにしていた特権階級が没落した、混沌とした日本で、新たに出世するチャンスがやってくる。戦争になれば、どちらに転んでも、屈辱的な身分が死ぬまで続く平和な世の中より自分にとって望ましい。
以上のようなプロレタリア型右翼の考えは、戦前の朝鮮人の考えと同じである。大日本帝国の下層民であった朝鮮人の当時の心境を赤木風に表現するならば、「日本人をひっぱたきたい―檀紀4243年にして日本の属国。希望は、戦争。」といったところだ。前回、「彼らにとって、世界の一等国民の仲間入りをして、民族のプライドを取り戻すことは、歴史的悲願だった」と書いたが、赤木も「社会に出てから10年以上、ただ一方的に見下されてきた私のような人間にとって、尊厳の回復は悲願なのだ[14]」と同じようなことを言っている。
フランクフルト学派流の権威主義的パーソナリティ論は、没落貴族型の右翼の説明にはある程度使える。市民革命によって、社会が流動化すると、特権を失った貴族たちは、自分たちの利権を支えてきた過去の権威を復活しようとする。しかし、この説明は、赤木のようなプロレタリア型右翼の説明には使えない。赤木は「権威主義に対するラジカルな批判[15]」を行っている。「丸山眞男をひっぱたきたい」という象徴的表現が、強者や権威に対する彼の激しい憎悪を示している。赤木は、また、過剰流動性がバックラッシュ(右翼的な保守反動)の原因となっているとする宮台によるフロム流の説明を次のように言って批判している。
男性弱者が抱えている不安は「過剰流動性」とは正反対の「硬直性」です。「一度フリーターになってしまったら、正社員になることは、非常に困難である」ということです。[16]
要するに、赤木のようなプロレタリア型右翼の場合、《弱者であるがゆえに、過剰流動性に耐えられなくなって、権威に盲目的に服従し、権威が遂行する戦争に加担しようとする》といったフランクフルト学派的説明は成り立たず、むしろ《流動性のない格差社会で負け組みとして固定されているがゆえに、戦争によって流動性を作り出して、権威を打ち倒そうとしている》というような逆の説明が成り立つのである。
読者の中には、弱者が強者を打ち倒したいのであれば、右翼的な戦争ではなくて、左翼的な革命あるいは改革によってその目的を達成するべきだという人もいることであろう。これに対して、赤木は次のように反論する。
革命は「多数派の国民が、小数派の国家権力に支配されている」というような状況を逆転させるための手法である。少数派が多数派に対して革命を行ったって、十分な社会的承認を得ることなどできないのは明白だろう。
[…]
正社員で、もしくは非正規社員でも生活に十分な給与を確保している安定労働層という多数派に、小さな企業の正社員や、派遣労働者や、フリーターといった貧困労働層という少数派が支配されている現状において、革命などは絶対に成就しない。つまり社会への信頼もなく、少数派であるしかない私が、革命という結論に至ることはあり得ないのだ。[17]
非正規労働者が労働者に占める割合は、2008年の平均で、34.1%で、男性に限定すると、たったの19.2%である[18]。こういう数が少なくて、金も何もない弱者が団結して革命を起こしても、鎮圧されて失敗に終わるに決まっている。左翼政党も、労働組合に加入している正規労働者や女性といった票になる多数派の「弱者」のための政治には熱心であるが、赤木のような票にも資金源にもならない少数派の弱者には冷たい。だから、赤木は既存の左翼に対して強い不満を持っている。赤木からすれば、左翼的革命/改革よりも右翼的戦争の方が、固定化された格差社会を流動化する上で、より現実的な選択肢なのである。
ここで、もう一度「朝鮮人はなぜ太平洋戦争を喜んだのか」という問題を考え直してほしい。朝鮮人は、日本人よりも数が少ないし、経済力も格段に劣っていた。彼らが内地に反旗を翻しても、たちまち強大な軍事力で鎮圧されてしまう。従属的身分からの解放を熱望していた彼らにとって、左翼的革命は破滅的結果しかもたらさない非現実的手段であり、右翼的戦争こそが、自分たちのステイタスを確実に向上させてくれる現実的手段だったのである。
従来、左翼の論客(進歩的知識人)は、戦争を望んでいるのは資本家という強者であり、弱者である労働者は、強者に騙されて、戦場に駆り出された犠牲者だという説明をしてきた。進歩史観による戦争の説明は、例えば、以下のようなものである。
資本家は、自分たちの搾取によって国内で品物が売れなくなると、搾取を少なくするのではなく、今度はその品物を外国に売ってもうけようとします。それは日本だけではなく、アメリカもイギリスもフランスもドイツも、資本主義国はみんなそうです。そうなると、品物を売る場所をどちらがとるかということで争いになります。
[…]
そこで問題は、戦争をやるとなると武器を持って戦場に行くのはだれかということです。その場合、大きな資本家が自分で武器をかついで戦争をしに行くでしょうか。そんなことはありません。資本家階級から搾取され、抑圧されて、貧乏になっている労働者や農民やその他の勤労人民を「国のため」とあざむいて、戦争へ行かせるのです。[19]
私は、小学生の時以来、日教組の教師から、こうした類の説明を聞かされてきた。しかし、実際には、貧乏な勤労人民ほど、デフレで失業が増えると、戦争を熱望する。「右翼は、低学歴で頭が悪いから、権威に盲従し、自分たちにとって不利益になる権威の発動、すなわち戦争を支持する」というのが、権威主義的パーソナリティー論に影響された進歩的知識人たちの低学歴右翼に対する認識であるが、プロレタリア型右翼は、彼らが考えているような馬鹿ではない。下層階級の右翼には、戦争になれば、自国が勝とうが負けようが、自分たちの利益になるというしたたかな計算があるのであって、戦争に負ければ、多くの既得権益を失うリスクを抱える特権階級よりも、戦争から利益を受けやすいのである。
3. 右翼と左翼の対立地平を越える

右翼と左翼は、相容れるところがない、正反対の思想の持ち主と考えられがちである。たしかに、右翼と左翼という言葉の起源となったフランス革命後の議会では、右翼は第二身分、左翼は第三身分の代表であったから、その支持基盤には、明確な階級の差があった。しかし、これは、伝統的な特権階級が特権を失い、それまで権利を持たなかった者が権利を手にするという特殊な流動的状況での話である。持つものと持たざるものの格差が固定されると、自分たちの利権を守ろうとする特権階級が保守主義的になるのに対して、特権を持たないものはプロレタリア型右翼あるいは左翼となって、自らを解放しようとする。つまりプロレタリア型右翼と左翼は、支持する階級が同じで、下層階級の救済という同じ使命を帯びている。
プロレタリア型右翼にとって、戦争とは、別の手段を用いた左翼的革命の継続である。両者の手段の違いを簡単に言うと、左翼が自虐的で内ゲバ的な手段を使うのに対して、右翼は他虐的で外ゲバ的な手段を使う。すなわち、左翼が、ゲバルト(暴力)を同じ国家内の特権階級に向け、社会を流動化させようとするのに対して、右翼は、ゲバルトを外国に向け、自国と外国を戦わせることで、社会を流動化しようとする。もちろん、ゲバルトを使わない穏健な左翼や右翼もいるから、正確には、極左と極右と呼ばなければならないのかもしれないが、以下、極左と極右という意味で左翼と右翼という言葉を使うことにしたい。
一般に、右翼と左翼は、相互に相手を激しく非難する。このため、人々は、右翼と左翼は、正反対の、全く異なる思想と考えてしまう。だが、両者の仲が悪いのは、近親憎悪によるのであって、決して、両者が異質であることを示さない。プロレタリア型右翼も左翼も、ともに、下層階級の救済を目指しているので、譬えて言うならば、低所得層を顧客とするディスカウント店どうしのようなものである。ディスカウントショップは、同じ客を奪い合う関係にあるからこそ、激しく対立するのである。
プロレタリア型右翼と左翼は、手段においてのみ異なるわけではなく、目標においても相違している。すなわち、左翼が平等な社会の実現を目指しているのに対して、右翼は、必ずしもそうではなくて、むしろ自分だけは特権階級に入りたいというエゴイズムによって動機付けられているという違いもある。つまり、左翼的理想は普遍化可能な合理性を持つのに対して、右翼的理想はそうでないという違いがある。
ここで、話をまた赤木に戻そう。赤木は、「国民全員が苦しみつづける平等」を望むと言っているが、そういう平等は、決して長く続くわけではない。
本当に戦争のようなカタストロフィーが起きて、もし国民全員が苦しむ平等が達成されたとしても、そのような流動は極めて一時的なもので、安定を求める人たちがこうしたシステムを額面通り流動させたままにするとは思わない。戦争によって一度流動化したシステムも、やがてまた硬直化する。その時にはまた硬直化したシステムからはじきだされた人たちが、私と同じように異議を唱えることだろう。[20]
戦争によって、固定的だった格差社会が流動化し、赤木がたまたま特権階級の仲間入りをしたとしよう。格差が再び固定された後、赤木は、社会の流動化を要求する下層民たちの声に耳を傾け、敢えて自分が手にした特権をリスクに晒すような戦争を支持するだろうか。もしも、特権階級にいる時とそうでない時とで言うことが異なるなら、赤木の思想は普遍化可能な合理性を失う。
思想には、普遍化可能な合理性がなければならない。社会における自分のポジションがどこであっても、同じ政策を支持することができないならば、その人はエゴイストということになる。格差の流動化が望ましいならば、自分が高資本所有者だろうが、低資本所有者だろうが、常に格差を固定しないことに同意しなければならない。但し、格差の流動化といっても、戦争は望ましくない。他者を不幸にすることを目標とする競争ではなくて、他者を幸福にすることを目標とする競争によって社会を流動化する必要がある。そのような競争とは、市場原理に基づく経済的競争であり、この競争により、社会を絶えず流動化させようとする政治的立場はリバタリアニズムと呼ばれる。
右翼・左翼・リバタリアン・保守主義者の違いがわかるように、以下のフローチャートで整理してみた。

左翼は、格差を否定する。現実に存在する社会主義・共産主義国家には、格差は存在するが、彼らは、少なくとも理念としては、平等な社会の実現を主張している。左翼は、格差を肯定するすべての立場をまとめて「右翼」と呼んでいるが、そうした呼称は、大雑把過ぎる。そこで、彼らが言う「右翼」をさらに細かく分類しよう。
格差を肯定する立場のうち、現在の格差を固定的に維持しようとする立場は、言葉の本来の意味で、保守主義と呼ばれる。格差をゼロにしたり、格差を固定すると、イノベーションが起きなくなって、生産性が低下する。だから、格差社会は流動的でなければいけないが、流動化するための競争は、非合法な暴力に基づく右翼的競争ではなくて、市場原理に基づいたリバタリアンな競争でなければならない。この理由により、私は、四つの政治的立場の中で、市場原理至上主義という意味でのリバタリアニズムが最も望ましいと考える。
赤木は、特権階級が貧しくなれば、自分は豊かになると考えているようだが、こうしたゼロ・サム・ゲーム的な発想では、すべての人を納得させるような社会を設計することはできない。たとえ配分結果に格差が出ても、公平なルールに基づいて競争が行われ、社会全体の富が増大するシステムなら、(少なくとも理論的には)すべての人を納得させることができる。そうした社会は、市場原理至上主義によって実現されるというのが私の立場である。
4. 追記:関連フォーラムからの転載
4.1. 我が国のプロレタリア右翼について
「プロレタリア型右翼」を拝読いたしました。貴稿で、低学歴・低所得の者が右翼を支持する一因として、単純労働をめぐる移民との競争を挙げられていましたが、これはわが国にはあまりあてはまらないと思います。
現在のところ、マスコミやネットで取りざたされる失業問題といえば「正社員になれない」というものであり、移民と競合するような単純労働はまだ注目を集めていません。現実には、非正規労働者にすらなれないという事態は、中高年の失業者にとっては切実な問題ですが、彼らを政治的に組織しつつあるのは伝統的な左翼です。彼らの救済策として語>られるのも、「正社員への道を開け」「社会保障を充実せよ」といったものです。
その上、わが国の排外主義は主に南北朝鮮、中国、米国に向けられており、肉体労働者の大きな割合を占める中南米系の移民を排斥する動きはほとんど見られません。排外主義者の主張は、外国が政治力によって日本の富を収奪しているとか、在日朝鮮人が福祉を食い物にしているといった、陰謀論的なものが大半です。なお、文化や血統の純化を求める傾向がほとんど見られないのも、わが国の右翼の特徴であるかと思います。
日本のプロレタリアが右翼を支持する理由は、(1)社会保障の分配問題、(2)強者たる既成左翼への反感、の2つが中心であると思います。
(1)は、社会主義に常に付いて回る問題です。国家の庇護を受ける権利があるのは自国民・自民族だけであるというナチズムの論理には大変に説得力があります。その上に、貴稿でも指摘されている通り、戦争に協力することで社会的地位の向上を目指す動きが加わりますから、第2インターの崩壊以来、左翼国際主義は民族社会主義に敗れ続けているわけです。
(2)は貴稿を含め広く指摘されている通りなので繰り返しませんが、こちらは必ずしも第二の左翼ばかりではなく、社会の流動化を求める者、経済的な動機が薄い反知性主義者など、様々な傾向の持ち主が、反権威でまとまっているように見受けられます。
最後に、高学歴・高所得の者がなぜ左翼を支持するのか、という問題にも触れる必要があるかと思います。前近代から、国家や宗教組織が救貧に乗り出し、あるいは自ら清貧を実践することが多々見られます。名誉への欲望と、恵まれた出自への罪悪感が動機です。これに加えて近代には、知的権威が力が増して、権威を裏打ちする富を必要としなくなったため、左翼的論理をもって知識層が支配層を精神的に征服するようになりました。現在ではマルクス主義は敗北して、自由主義が主流となりましたが、穏健な社会主義はまだまだ頑張っています。
単純労働、非正規労働、肉体労働を区別する特段の理由はないので、以下これらをまとめて低賃金労働と呼ぶことにします。
秋鮭 さんが書きました:
現在のところ、マスコミやネットで取りざたされる失業問題といえば「正社員になれない」というものであり、移民と競合するような単純労働はまだ注目を集めていません。現実には、非正規労働者にすらなれないという事態は、中高年の失業者にとっては切実な問題ですが、彼らを政治的に組織しつつあるのは伝統的な左翼です。
たしかに現時点では、大部分の若者が「非正規労働者にすらなれないという事態」は生じていません。しかし、もしも途上国からの外国人労働者がさらに増えれば、彼らに低賃金労働を奪われ、日本の若者が低賃金労働にすらつけないという事態が生じる可能性は十分にあります。
秋鮭 さんが書きました:
わが国の排外主義は主に南北朝鮮、中国、米国に向けられており、肉体労働者の大きな割合を占める中南米系の移民を排斥する動きはほとんど見られません。排外主義者の主張は、外国が政治力によって日本の富を収奪しているとか、在日朝鮮人が福祉を食い物にしているといった、陰謀論的なものが大半です。
在日外国人に占める中国人の割合が31.1%、韓国・朝鮮人が26.5%であるのに対して、ブラジル人は12.2%、ペルー人は2.6%です[21]。また、低賃金労働の従事者の内訳でも、一番多いのは中国人で、中南米の出稼ぎ労働者は少数派です[22]。それでも、豊田市保見団地事件や浜松市宝石店入店拒否事件などのように、日本人がブラジル人を排斥しようとしてトラブルが起きたこともあります。
もとより、日本の場合、国内での外国人の割合は比較的低いので、外国人追放運動は活発ではありません。しかし、今後外国人労働者を増やすという提案に対して、右翼系の人は一応に反対します。「中国、韓国、北朝鮮出身の労働者はお断りだが、中南米出身の労働者ならいくら来てもよい」と言っている右翼の方はいるのでしょうか。
なお、米国は先進国であり、右翼が米国の日本支配を批判するのは、途上国からの安価な労働者の流入を批判するのとは別の動機によるものとみるべきです。もちろん、この場合でも、米国からの輸入が増えると、それだけ日本での雇用が失われるということを懸念しているのであれば、似たような動機ということになります。
先進国のプロレタリアは、たんに雇用が外国人に奪われることを懸念しているのみならず、失業した時の社会保障の財源やさらにはそれらを保証してくれる国家主権が外国人に奪われることも懸念しているというのは事実です。高学歴高所得の人ほど、祖国が滅んでも外国で生きていく自信のある人が多いのに対して、低学歴低所得の人はそうではなく、祖国を運命共同体のように感じる傾向があります。先進国のプロレタリアは、先進国に生まれた幸運という彼らに残された最後の既得権益を外国人に奪われまいとして排他的になっているのでしょう。
秋鮭 さんが書きました:
高学歴・高所得の者がなぜ左翼を支持するのか、という問題にも触れる必要があるかと思います
左翼は高所得よりも高学歴の人、特に学者や一流大学の学生といった世間知らずのインテリに多いように思います。インテリは、自分の知的能力に自信があり、すべてを理性的に管理しようとする傾向があります。彼らが、社会主義的な計画経済に魅了されるのはそのためでしょう。だから、彼らは不確定性の高い市場原理にすべてを委ねることに抵抗を示し、市場原理主義を批判するのです。
財界人のように、必ずしも高学歴ではないが、高所得である人には、左翼は少ないようです。富裕層の中には慈善活動に熱心に寄付する人もいますが、彼らが社会主義に賛同しているとはかぎりません。私は、保守主義者とリバタリアンを右翼や左翼から区別しており、その分類を用いるなら、経団連に名を連ねるようなエスタブリッシュメントには保守主義者が多く、ベンチャー企業の経営者などにはリバタリアンが多いということが言えるでしょう。
4.2. 中国のプロレタリア型右翼
日本政府による尖閣諸島国有化に抗議する中国の反日デモが、2012年9月11日から続いている。特に16日は日曜日ということもあり、デモの参加者は多かった。
クローズアップ2012:中国・反日デモ 指導部、対日強硬崩せず 党大会前、保守派の影 (date) 2012年9月17日 (media) 毎日新聞 さんが書きました:
「毛主席、万歳」。北京の日本大使館前で16日に起きたデモでは、多くの集団が新中国建国の父、毛沢東の肖像画を掲げ、声をそろえて毛沢東をたたえる集団もあった。
上海でも16日、大小の毛沢東の肖像画がデモ参加者によって掲げられた。上海市郊外から参加したという20代の男性は胸に毛沢東の肖像が描かれたシャツを着ていた。「国民の多くが平等だった毛沢東時代の方が良かった。今の政府のやり方はおかしいことばかりだ」と語った。だが、尖閣諸島の問題とは直接関係ないのではと問うと、口をつぐんだ。
中国では貧富の格差や官僚の腐敗が深刻化するなか、保守派や若者の間に毛沢東を崇拝する動きが広がっているが、これまでの反日デモで毛沢東の肖像画を掲げるケースはなかった。今回の反日デモの広がりには保守派の支持拡大を反映したものとの見方もある。
中国では社会主義者は保守派ということになっているが、現在の中国共産党は、毛沢東の路線を軌道修正し、改革開放路線を採っているのだから、それを批判する毛沢東主義者は反体制派であり、保守というよりも革新に分類されるべきである。毛沢東の肖像画を掲げたデモと言えば、1966年から始まったプロレタリア文化大革命を思い出させるが、これもまた当時「実権派」あるいは「走資派(資本主義に走る連中という意味の蔑称)」と呼ばれていた修正主義者に対するプロレタリアたちの原理主義的な革命運動であった。
毛沢東の死後、毛沢東と同様の革命を起こそうとした人物が現れた。重慶市委書記だった薄熙来(はくきらい)である。薄は、毛沢東の手法を徹底的に真似た。
「毛沢東」になれなかった薄熙来の悲劇 ついに政治生命絶たれる (date) 2012年4月11日 (media) WEDGE Infinity (author) 城山英巳 さんが書きました:
自分の政敵を、大衆の忌み嫌う「腐敗幹部」として「打黒」の対象とし、法を無視してでも打ちのめす。大衆を動員し、毛沢東時代の革命歌(紅歌)を熱唱する「唱紅」では熱狂的雰囲気の中で、大衆に嫌な現実を忘れさせる。格差是正や平等・公平という政治スローガンを唱える「共同富裕」では毛時代に郷愁の念を抱く大衆を引きつけていく――。
重慶で薄が強調したように、農民を新市民にする戸籍改革が軌道に乗り、貧困層に安価な住宅が行き渡ったのかは定かではない。しかし新聞などメディアを支配下に置いた毛沢東さながらの巧みな「宣伝」が効果を発揮したのは確実だろう。
薄は、ニール・ヘイウッド事件や王立軍事件の責任を問われ、2012年3月に失脚した。しかし、薄を支持し、現代の「走資派」に不満を抱く貧困層は依然として多い。反日デモで毛沢東の肖像画を掲げている人が多数いるのは、その証拠である。
デモの参加者が、尖閣諸島の問題とは直接関係ないのではと問われ、口をつぐんだのは、口外できないような動機があるからだろう。貧困層が格差社会を暴力で打倒そうとするならば、文化大革命のような内ゲバ型の革命を起こすか、あるいはそれが失敗するなら、外ゲバ型の戦争を起こすしかない。だから、毛沢東を崇拝するプロレタリアが、対日戦争を望むことは決して不自然なことではない。
尖閣諸島の領有をめぐって、日中が紛争を起こしたとしよう。もしも成功すれば、尖閣諸島の近辺にある(と思われている)石油が手に入るので、中国人は豊かになれる。もしも失敗すれば、現在の中国の支配者である「走資派」が失脚し、極左革命を起こしやすくなる。つまり、どちらに転んでも、プロレタリアにとっては、現状よりも好都合であり、これが毛沢東を崇拝する極左プロレタリアが右翼的に見える反日活動を行う理由と考えることができる。
世論調査によると、尖閣問題を武力で解決することを望む中国人は、27.4% もいるとのことである。
「戦争あり得る」が半数超=尖閣めぐり中国の世論調査 (date) 2012年9月17日 (media) 時事通信 さんが書きました:
17日付の中国紙・環球時報に掲載された世論調査結果によると、日本政府の国有化で中国との対立が深まっている尖閣諸島(中国名・釣魚島)問題をめぐり「戦争が起こり得る」と考える中国人が52.3%、「可能性は低い」とする人が43.2%となった。
同紙によると、日本の尖閣国有化に対し「中国側がさらに対抗措置を取るべきだ」という人が89.7%に上り、「必要ない」という人は7.3%。専門家は「中国側が紛争解決の主導権を握ることに期待している」とみている。
最終的な解決法としては「平和的な交渉」が47.7%に対し「武力による解決」が27.4%。「10年以内に解決できる」と楽観的な人が64.8%だった。
一般的に言って、デフレになると、戦争によってデフレを解消しようとする動きが出てくる。中国はこれまでインフレと戦ってきたが、最近ではデフレの兆候も出てきている。もしも、現在中国が行おうとしている総額1兆元(約12兆4千億円)規模の平和的手段による公共事業がリフレ策として失敗するなら、中国が戦争に走る可能性は高まるだろう。現在の共産党幹部にとって、戦争は、既得権益を失うことにもなりかねない危険な選択肢だが、プロレタリアは失うものがないから、戦争を支持するだろう。
2012年11月8日から北京で開催が予定されている中国共産党大会で胡錦濤に代わって国家主席に就任する予定の習近平は、胡錦濤以上に中国国内のプロレタリア型右翼に配慮した政治を行いそうである。薄熙来は、党籍を剥奪され、完全に失脚したが、代わって、同じ太子党の習近平が、薄熙来の路線を継承しようとしているようだ。
『週刊現代』は、習近平副主席が、9月初旬から2週間にわたって姿を消したのは、胡錦濤に軟禁されていたことが原因だったと書いている[23]。すなわち、習近平は、9月1日に、党幹部養成機関の中央党校の始業式で、約1600人の「新入生」を前に挨拶に立ち、毛沢東主義への回帰を説き、党校機関紙『学習時報』の「新学期記念特集号」に以下のような文章を載せた。
「消えた習近平」その真相は胡錦濤に「軟禁」されていた (date) 2012年10月1日 (media) 現代ビジネス さんが書きました:
わが国はこの10年間で、幹部の腐敗がはびこり、国民の生活格差が深刻になり、いまや多くの庶民が生活苦に喘いでいる。こうしたことは毛沢東時代にはあり得なかったことで、「改革開放」の名の下での過度の対外妥協政策の副作用である。中国共産党は、図らずも党の根本理論にそぐわない『失われた10年』を過ごしてしまったが、この秋からは正しい指針を持った新時代を迎えるであろう
「失われた10年」とは、胡錦濤が国家主席を務めた時代(2003年3月-2012年11月)のことであり、この文章は胡錦濤を激怒させた。胡は『学習時報』を全面回収させ、緊急常務委員会を招集し、習はその場で自己批判を強要させられ、「当分間の活動禁止処分」が下されたとのことである。
『週刊現代』の軟禁説がどの程度正確なのかはともかくとして、習が、胡とは異なり、毛沢東主義への回帰を強めていることは確かと言える。毛沢東は、日中戦争、太平洋戦争という外ゲバ革命を通じて、国民党を追放するという内ゲバ革命に成功した人物であり、毛沢東主義の復活は日本にとって望ましいことではない。
2012年9月9日、ロシアのウラジオストックで開催されたAPECにおいて、胡が日本の野田総理と15分間ほど立ち話をする機会があった。野田は、胡から国有化しないように要請されたにもかかわらず、翌日に国有化方針を打ち出した。これで胡のメンツは丸つぶれとなり、他方で「過度の対外妥協政策の副作用」を主張していた習一派を活気付かせることになった。
習が職務復帰した9月15日に反日デモが急拡大したのは偶然ではなく、反日デモは習が煽ったと見られている。中国共産党内部の強硬派と軟弱派を、軟弱派に手柄を与えることで離間させるのではなく、両者を一致団結して反日に走らせ、後で「この規模は想定を超えている」などと言っている野田には外交戦略がないと評さざるをえない。
永井俊哉 さんが書きました:
中国共産党内部の強硬派と軟弱派を、軟弱派に手柄を与えることで離間させるのではなく、両者を一致団結して反日に走らせ、後で「この規模は想定を超えている」などと言っている野田には外交戦略がないと評さざるをえない。
そもそも、東京都が尖閣諸島を買収する、などと石原がブチ上げなければ、日本政府が尖閣諸島を国有化することもなかったであろう。今回の騒動の張本人は、石原ではないか。
なぜ石原が、東京都による尖閣諸島の買収を画策したのか、という動機については、自分のバカ息子を自民党総裁にするためだった、といわれている。
野田の悪口をいう前に、石原を非難すべきではないのか。
尖閣諸島の国有化は、所有者の年齢を考えれば、遅かれ早かれ行わなければならなかったでしょうが、国との賃貸借関係が終わるのが2013年3月ということですから、国有化の決定は急ぐ必要はなく、もう少しタイミングを考えてやるべきだったということです。
歌舞伎町案内人の李小牧が私と同じ見解を示している。典型的なプロレタリア型右翼は、日本よりも中国に多数いる。
尖閣問題で大騒ぎする中国人の「本音」は (date) 2012年10月15日 (media) ニューズウィーク日本版 (author) 李小牧 さんが書きました:
日本人にとって信じ難いことだが、中国人の中には自国に対する破壊願望が存在する。実際、微博には「もし戦争になって勝ったら釣魚島を取り返すことができる。負けたっていい。なぜならそれをきっかけに『新中国』が誕生するからだ!」というかなり際どい書き込みが現れた(すぐ削除されたが)。貧しい農民にとっても知識人にとっても、中国は非民主的で腐敗に満ちた不満だらけの国だ。「こんな国、壊してしまいたい!」という衝動を、実はあらゆる中国人が共有している。その衝動が、デモで解放されたのだ。
わが故郷の英雄、毛沢東の肖像画がデモに現れたのは、彼が抗日戦争を戦った人物だから。ただ彼が、破壊の限りを尽くした文革の指導者であることも、参加者の破壊願望に訴えたはずだ。
中国政府がデモ隊のひそかな「目標」に気付いていたか定かではないが。
以下の李小牧の意見にも同意できる。野田は胡錦濤の対内的対外的メンツを潰すべきではなかった。
尖閣問題で大騒ぎする中国人の「本音」は (date) 2012年10月15日 (media) ニューズウィーク日本版 (author) 李小牧 さんが書きました:
なぜ中国政府は常識外れな行動に出たのか。最大の原因は野田佳彦首相だ。
APECで胡錦濤(フー・チンタオ)主席と「立ち話」し、「大局的観点から対応する」と答えたわずか2日後、野田首相は尖閣の国有化に踏み切った。これでは、任期最後で有終の美を飾ろうとしていた胡のメンツは丸つぶれだ。それどころか、領土をむざむざ失った売国奴として共産党の歴史に名を残しかねない。怒りにわれを忘れた胡が政府機関に「日本に目にものを見せろ!」と指示したとしてもおかしくない。日本は中国と国交回復して40年になるというのに、いまだに中国人にとってのメンツの大事さを分かっていない。
習近平が国家主席となって、反日的な発言をしてから、その報復として国有化を行えば、習と胡との関係がより悪化したことだろう。
5. 参照情報
- ↑本稿公表後、内容に関していろいろな方からご批判をいただきました。なかでも(1)「なぜ右翼には低学歴と低所得が多いのか」という最初のタイトルは、「右翼は低学歴で低所得」というステレオタイプを広めようとしているようにみえる(2)赤木智弘氏という一つの事例をすべての右翼に当てはまるかのように一般化することは一面的過ぎる(3)新聞の購読者層の比較については、購読者の年齢層に偏りがあり、一般的な結論が導けないというの三つの問題点を反省し、(1)タイトルを「プロレタリア型右翼」に変える(2)右翼一般ではなくてプロレタリア型右翼に話を限定する(3)新聞の購読者層の代わりに極右政党の支持層のデータを採用する。以上の改訂を加えました。
- ↑Data source: ISSP (2003) National Identity II .
- ↑Data source: ISSP (1995) National Identity I .
- ↑Data source: ISSP (2003) National Identity II .
- ↑Data source: ISSP (2003) National Identity II .
- ↑宮台真司(2006)アンチ・リベラル的バックラッシュ現象の背景【追加】.
- ↑“The authors, in common with most social scientists, hold the view that anti-Semitism is based more largely upon factors in the subject and in his total situation than upon actural characteristics of Jews, and that one place to look for determinants of anti-Semitic opinions and attitudes is within the persons who express them.” Source: Theodor W. Adorno et al. The Authoritarian Personality. Verso (2019/8/27). p. 2.
- ↑中尾 啓子. 宮台 真司. 玉野 和志.「学位論文審査要旨」東京都立大学. 平
成18年2月. - ↑Data source: ISSP (2003) National Identity II .
- ↑東京新聞朝刊(2008年5月3日)反発と絶望―極論生む.
- ↑赤木智弘.「けっきょく、「自己責任」 ですか ― 続「『丸山眞男』を ひっぱたきたい」「応答」を読んで」『深夜のシマネコ』Accessed on 13 Jul 2007.
- ↑赤木智弘.「けっきょく、「自己責任」 ですか ― 続「『丸山眞男』を ひっぱたきたい」「応答」を読んで」『深夜のシマネコ』Accessed on 13 Jul 2007.
- ↑赤木智弘. 「「丸山眞男」をひっぱたきたい―31歳フリーター。希望は、戦争。」『深夜のシマネコ』Accessed on 13 Jul 2007.
- ↑赤木智弘.「けっきょく、「自己責任」 ですか ― 続「『丸山眞男』を ひっぱたきたい」「応答」を読んで」『深夜のシマネコ』Accessed on 13 Jul 2007.
- ↑赤木智弘.「『バックラッシュ!』非難の本質とは?(その2)」『夜のシマネコBlog』2006年08月10日.
- ↑赤木智弘. 「『バックラッシュ!』を非難する」『夜のシマネコBlog』2006年07月06日.
- ↑赤木智弘.「けっきょく、「自己責任」 ですか ― 続「『丸山眞男』を ひっぱたきたい」「応答」を読んで」『深夜のシマネコ』Accessed on 13 Jul 2007.
- ↑統計局(2009)雇用形態別雇用者数.
- ↑福田正義.「第二次大戦の真実は何か」1983年の講義. 2006/12/22.
- ↑赤木智弘.「けっきょく、「自己責任」 ですか ― 続「『丸山眞男』を ひっぱたきたい」「応答」を読んで」『深夜のシマネコ』Accessed on 13 Jul 2007.
- ↑国籍(出身地)別外国人登録者数の推移.
- ↑国籍(出身地)別在留資格(在留目的)別外国人登録者 .
- ↑「消えた習近平」その真相は胡錦濤に「軟禁」されていた (date) 2012年10月1日 (media) 現代ビジネス.
ディスカッション
コメント一覧
永井様
右翼・左翼・リバタリアン・保守主義者と分けた場合、イノベーションにもっとも敏感で積極的なのは、リバタリアンだと思います。
しかし、当初イノベーションの果実を市場を通じて分配していたリバタリアンも、やがて保守主義者に変質するように思います。
「守り」に入るわけでしょう。
このリバタリアンが保守主義に転換する兆候とは何でしょうか?
例えば、日本の大企業のトヨタや本田やソニーはリバタリアンなのでしょうか、それとも保守主義なのでしょうか?
特許取得数、内部留保の多寡、研究開発費の多寡、人事の流動性、保護主義へと傾倒などが思い浮かびます。
理念としての分類で現実は混合しているとは思いますが、永井氏の視点では何を重要視するのかご教授ください。
日本における移民増加賛成度と学歴の関係etc
こんなモノでラベリングしようとは安直すぎないか。
低所得・低学歴ほど単純労働や劣悪な労働環境に身を置いている可能性が高く、より安価な労働力が流れ込むことで、さらに生活が厳しくなることに我が身の危険を抱いているという証左ではないのだろうか。
>左翼的であると言われている『朝日新聞』の購読者の平均世帯年収が、最も右翼的であると言われている『産経新聞』の購読者の平均世帯年収よりも高いことによって傍証される
まで見て、読む気が失せた。
1、新聞なんて既にジジババ世帯専用メディア。
2、朝日は左翼的であると「言われてる」だけで、全然左翼でもなんでもない。
3、日本では年功序列なので、他の条件が同じなら年収が高い=高齢。単に『年収が高い』だけでは朝日の読者が高齢者中心で、故に年収も高いというだけのことかもしれない。考察が甘すぎる。
右翼・左翼の定義がおかしくないか?
収入が少なく、移民増加を拒絶している人は、格差を否定するよね。ということは左翼。
・・・論理矛盾を起こしてます。
ある国家内部の市場で、競争によって勝者になった者が、自分の利権を確固不動のものにしようと、勝者であるがゆえの権力を用いて、これ以上競争が起きないように格差を固定するという可能性は十分あります。
しかし、国内の格差を固定すると、イノベーションが起きにくくなり、その国家はグローバルな市場で競争力を失い、国際的な競争で淘汰される危険が出てきます。国家が没落すれば、その国家内部の特権階級も同時に没落してしまいます。勝者が保守主義になることを防ぐのは、こうした危機意識です。
逆に言うと、つぶれる可能性が少ない大国ほど、そうした危機意識が希薄になり、国内の勝者は、自分の特権を固定しようとするようになります。日本で市場原理の導入という意味での構造改革がいっこうに進まない原因の一つは、構造改革などしなくても日本がつぶれることはないという安心感を多くの日本人が共有しているからでしょう。この弊害を取り除くために、日本を複数の小国からなる連邦国家にするということを考えた方がよいかもしれません。
赤木は、国内の格差を流動化するには、戦争が必要だと考えました。私は、この主張をもっと一般化して、国内の格差を流動化するには、国家間の競争が必要だと言い換えたいと思います。そして、国家間の競争は、戦争ではなくて、市場原理に基づく経済的競争でなければならないというのが私の主張です。
同じことは本文に既に書かれています。本文をよく読んでからコメントしましょう。
1. だから「現在、新聞の購読率自体が大幅に下がってきているので、新聞購読者の平均世帯年収は、統計資料としての価値を失いつつある」と書いて、「傍証」と位置づけたのです。
2. たしかに「朝鮮人はなぜ太平洋戦争を喜んだのか」で書いたように、戦前の朝日新聞は右翼的でした。しかし、左翼と右翼は紙一重というのが本論の主張であることをよく考えてください。戦後に限定すれば、朝日新聞を左翼的メディアと位置づけることは問題ないでしょう。
3. 新聞の購読者がどこでも高齢者に偏っているのだから、新聞どうしの比較では問題にならないでしょう。学歴に関しても、朝日新聞購読世帯の世帯主学歴は、大学卒以上が44.3%を占め、他新聞購読世帯のスコア、21.9%よりかなり高くなっています[朝日エリア・アド]。こちらは、年齢は無関係ですね。
なお、誤解がないように書き添えますが、私は朝日新聞を高く評価しているわけでも、産経新聞を低く評価しているわけでもありません。
違います。移民を拒否している先進国の下層民は、豊かな先進国と貧しい途上国の間にある格差を維持しようとしています。これは、格差の否定ではなくて、格差の肯定です。
お疲れ様です
中流層の人達をもっと増やせば世の中が平和になるでしょうね
1980年代、日本人が最も豊かさを実感した頃、国民は、「一億総中流」という意識を持っていて、極右も極左も影響力がありませんでした。バブル崩壊後、下流社会が拡大しており、このままでは、将来、極右や極左が台頭する可能性があります。極右や極左の台頭を防ぐために必要なことは、学校での思想教育などではなくて、社会全体を経済的に豊かにすることです。
>左翼的であると言われている『朝日新聞』の購読者の平均世帯年収が、最も右翼的であると言われている『産経新聞』の購読者の平均世帯年収よりも高いことによって傍証される
既出とかぶりますが、
ちょっとこれは「ん?」となりました。
そもそも、朝日新聞とか読んでる人って、リアルにジジババだと思うし、
というかこれは書かなくてよかったんじゃないかと。かなりターゲットに偏りあるし
そうですね。傍証だから、カットしてもよかったわけで、不愉快なら、そこは読み飛ばしてください。ただ、新聞が全国民的なメディアだった戦後の一時期のほうが、
高学歴=進歩的知識人=マルクス主義者=左翼=朝日新聞購読者
でした。朝日新聞が賞賛した大躍進や文化大革命やポルポト政権の実態が明らかになり、そして、冷戦が終結して、社会主義が崩壊してから、この等式がどんどん崩れていったことを考えると、「昔の高学歴インテリは、いまだに朝日新聞を読んでいるのか」というのが私の率直な感想です。
ようするに、格差の存在と、格差が発生する元の社会階層の存在をどう捉えるか(格差を認めるか、認めないか。社会階層を固定するか、しないか)で立場がわかれるわけですね。これはわかりやすい。
社会全体の富(文化資源,政治資源、経済資源とか)を巧い具合に市場で交換出来れば良いですね。
単なるレッテル張りでしかないと感じました。申し訳ないですが筆者のあなたを軽蔑します。
フィリピンでは、高学歴ほど外国人移民に対して排他的になるという事実の指摘は、むしろ既存の偏見に対する反論になっています。ここからもわかるように、本稿は、右翼を馬鹿扱いするために書いたのではなくて、右翼を馬鹿扱いしてきた従来の左翼による右翼論(フランクフルト学派のファシズム論)を批判するために書いています。
日本では、右翼というと「頭のおかしな人」という偏見で見られてしまいます。しかし、実際には、右翼とはそういう人たちではなくて、貧しい生活から抜け出し、プライドが持てる人生を送りたいと切に願っている弱者なのだということを本稿から理解していただければ、幸いです。
私も正社員になれなかったアカデミズムの落ちこぼれだから、赤木さんの気持ちはよくわかるけれども、だからといって、自分の利益だけを考えて戦争を肯定するのではなくて、社会の全員が幸せになる社会の仕組みを考えるべきだと思っています。
>以下のグラフからわかるように、フィリピンでは、学歴が低くなるほど、
>移民の増加に対する拒絶度が大きくなるという、日本で見られた傾向は見られない。
学歴が高くなるほど、移民の増加に対する拒絶度が大きくなる、の間違いではないでしょうか?
と、思ったら読み違えてました。上のコメントは無視してください。
◆豊かな国
・・・(A)富裕層
・・・(B)貧困層
◆貧しい国
・・・(A2)富裕層
・・・(B2)貧困層
移民政策を肯定することによって利を得るのは、(A)(A2)(B2の一部)ではないだろうか。
(B)が反対するのは自明の理です。格差の否定や肯定を各国内・各国間の話が混ざっているのではないだろうか。
各国間での格差は、政治・行政・医療・教育など文化・文明の差であり、食や知における生産的な活動を積み重ねた結果を垂れ流すことは、それぞれの国益に反することになるのではないだろうか。
後進国ほど得られる利得が多きく先進国ほど失うものが大きくなるのではないだろうか。但し、先進国の中では得に貧者が大きく割を食うのではないだろうか。
>もしも、特権階級にいる時とそうでない時とで言うことが異なるなら、赤木の思想は普遍化可能な合理性を失う。
>思想には、普遍化可能な合理性がなければならない。社会における自分のポジションがどこであっても、同じ政策を支持することができないならば、その人は偽善的なエゴイストということになる。
赤木氏は自らがエゴイストとなることによって特権階級側のエゴイズムを浮かび上がらせることを狙っているのかも知れませんね。
あなたのような正論を言う人にはテレビの仕事は来ないでしょうね(笑)
ところで私は永井均が好きですが、
永井俊哉も少し気になります(笑)
赤木さんは、男性/女性と強者/弱者の組み合わせでできる4つの立場に以下のような序列を作っています[赤木智弘(2006)『バックラッシュ!』を非難する]。
「強者男性」>「強者女性」>「弱者女性」>「弱者男性」
女性は男性よりも一般に弱者と思われているがゆえに、左翼は弱者女性を手厚く保護します。そのために、強者と思われていて、実は弱者である弱者男性は、弱者女性以上に不利な立場におかれます。ここで、男性/女性の代わりに豊かな国/貧しい国という対立軸を持ってくると、あなたの話と同じになります。
まださっぱり理解できていません。
「移民に反対」という意見を持つと、その人は右翼なのでしょうか?
普遍化不可能なエゴイズムを普遍化可能なエゴイズムへと止揚しようとすると、相互承認されたエゴイズム、すなわち個人主義となります。そして、市場経済とは、利己的に動機付けられた諸個人の行為を結果として公益に結びつける装置です。ですから、エゴイズムそのものが問題なのではなくて、普遍化不可能であることが問題なのです。
右翼に関しては、いろいろな時代にいろいろな定義がなされていますが、例えば、現代のヨーロッパの極右政党は、移民問題を最も重要な問題として扱っています。もっと具体的に言うと、ドイツのネオナチはトルコ系移民、フランスの国民戦線はアルジェリアの移民を主なターゲットにしています。
考えは分かりましたが、どれもこじつけのように思えます。本当はただ、右翼の人が嫌いなだけなのではないですか?
世の中には様々な意見を持つ人がいるので、気に入らない人達もいるのは仕方ありませんが、くだらないことを書き並べて相手を軽蔑するのはいかがなものかと思います。
私は、右翼を軽蔑するためにこれを書いたのではなくて、右翼を軽蔑している左翼の誤解を批判するためにこれを書いたのです。私は、「右翼は頭が悪いので、自分では何も判断できずに、権威に盲従して、自分で自分の首を絞めている」という従来の左翼による、右翼を馬鹿にした解釈を退け、「右翼は、固定された格差社会の犠牲者なので、自らを解放するための手段として戦争を肯定する」という代替解釈を提示したのです。
どうも皆さんの反応を見ていると、タイトルの中にある「右翼は低学歴で低所得」という部分だけ見て感情的に反発している人が多いように思えます。「右翼は低学歴で低所得」という事実自体は、田辺さんの『ナショナル・アイデンティティの概念構造の国際比較』によって明らかにされ、ネット上では、既に周知となっています。私は、既にネット上でよく知られるようになったこの事実を改めて広めるために、本稿を書いたのではなくて、この事実に対するフランクフルト学派流の既存の解釈に異議を唱え、代替解釈を提示するために書いたのです。
多分この記事は、ハニーポットなのです。
古代ローマの階級制度というのが、本文で述べられている「リバタリアニズム」に相当するのかと考えました。
古代ローマには、確かに明確な社会階級というのは存在し、それにより、戦争の際に拠出する費用も決まっていたそうです (e.g.: 経済基盤を持っていない奴隷は戦争参加の義務を負わず、逆に経済力のある者は、 (自分の) 軍馬に乗って戦争に参加するなど)。
更に、これらの明確な階級というのは、生まれの様なもので一生決まるのではなく、例えば奴隷は奴隷でも、自分で財産を貯めて、自分自身を買うことができたそうです (そうした人を解放奴隷と呼んでいたと塩野七生さんは著書で述べられています)。これと同化政策により、ローマに征服された人達も、希望を持ちながら古代ローマ社会の活性化に貢献する事ができた、とも述べられています。
私の勉強不足かも知れませんが、このような社会を、私は古代ローマ以外に知りません。「自由と平等の国」アメリカでさえも、黒人の大統領は最近まで生まれませんでしたし、アメリカ国内の富豪層と、人口比の (「アイルランド系」や「日系」等の、先祖も含めた) 出身国の分布には大きな隔たりがあります (参考)。
この記事は書き方自体が右翼への攻撃と取られても
仕方ない部分をたぶんに含んでいるからね。
右翼の人がこの記事を見てどう思うか、
ということに配慮して書かなきゃ。
右翼を軽蔑する気持ちが本当に無いのであれば
そういう人間として当たり前のこともできただろうに・・・。
筆者は人間性に少々問題があるような気がする。
右翼とか左翼とか関係無くね。
右左翼の思想はどうでもいいが、どちらかといえば経済より治安の悪化を懸念する声の方が多い気がする。移民を受け入れた国々の事例を見れば明らか(例:フランスにおける暴動)だ。
日本は世界的に見ても犯罪率が低い平和な国なので、貧しく、文化も違う学も無い野蛮な連中が大挙として押しかけてくる恐怖感は言いようのない不安感を生み出していることだろう。
特に、富裕層ほど彼らに狙われやすくなるので、低所得の右翼層だけが反対しているとはとても思えませんね。
>特に、富裕層ほど彼らに狙われやすくなるので、低所得の右翼層だけが反対しているとはとても思えませんね。
「移民増加賛成度」という訳の分からない尺度がカラクリだったりして。
ソースを読めばいいのかもしれないけど、そこまでエネルギーは無い・・・。
ところで、
質問:
>「移民に反対」という意見を持つと、その人は右翼なのでしょうか?
に対する答えは、これですか?
↓
右翼に関しては、いろいろな時代にいろいろな定義がなされていますが、例えば、現代のヨーロッパの極右政党は、移民問題を最も重要な問題として扱っています。もっと具体的に言うと、ドイツのネオナチはトルコ系移民、フランスの国民戦線はアルジェリアの移民を主なターゲットにしています。
結局どうなのか、さっぱり分かりません(涙)
はじめまして
「3. 右翼と左翼の対立地平を越える」を
読んで私も比較的近い考えであると感じました。
しかしながら、
「2. 右翼はなぜ戦争を渇望するのか」は
乱暴過ぎると思います。
「3.?対立地平を越える」のような考えを
持っておられるのであれば
「左翼はなぜ内戦を渇望するのか」と
いったような項を作るべきだと考えます。
「2.?渇望するのか」は意味をなしていなと感じます。
そもそもの「右翼と低学歴と低所得の関連」
について結論が出ていないのでは?
途中から話が脱線しているような気が。。
新聞の購読者数からの検証ですが、
購読新聞と思想の関係はそれだけで
議論すべきテーマではないでしょうか。
新聞に影響される部分もあるのでしょうが
高学歴であるほど報道に対して
鵜呑みにするのではなく
記事に議論の余地を見出すかもしれません。
購読者数の減少以前に
議論の引き合いに出せるか否か検証が必要だと感じました。
そうですね。たしかにそうした配慮が足りなかったと思います。そこで、タイトルと本文を書き換える決心をしました。
追記にも書きましたが、
1. 「なぜ右翼には低学歴と低所得が多いのか」という最初のタイトルは、「右翼は低学歴で低所得」というステレオタイプを広めようとしているようにみえる。
2. 赤木智弘氏という一つの事例をすべての右翼に当てはまるかのように一般化することは一面的過ぎる。
3. 新聞の購読者層の比較については、購読者の年齢層に偏りがあり、一般的な結論が導けない。
の三つの問題点を反省し、タイトルを「プロレタリア型右翼」に変え、エントリーおよび本文の一部を改訂いたします。
今後とも、皆さんの意見を反映して、よりよいサイト作りに励みたいと思いますので、アドバイスを宜しくお願い申し上げます。
>その人は偽善的なエゴイストということになる。
赤木さんはどうみても露悪的なエゴイストですが。
なんで「偽善的な」なんて言葉が出てきたんでしょうか?
永井先生の論文はいつも読ませてもらっています。
永井先生の人格に対する批判がコメントに出ていますがそれは少しだけ間違いだと思います。既存の論文を読めば先生は客観的に物事を論じようとしている事が分かります。
今回の論文に関しても、右翼が低所得等、一般論としてありえると思います。
2ch等見ていても刺激的な発言をする人は国家に自己を投影、一体化しているように思えます。
私自身書き込みなどはあまりしませんが、そのような意見に賛同する事が多いので今回の論文の内容がすんなり入ってきました。
プロレタリア型右翼が好戦的な訳が分かったのですが赤木智弘に関してはプロレタリア型右翼とは少し違うと感じました。
なぜなら左翼を非難する事や戦争を肯定する事で右翼と定義付けるには弱いと思うからです。
まず左翼が嫌いなだけの反左翼主義者もいるという点と、日本における右翼の定義には「天皇崇拝や愛国心といった日本の伝統的右翼の特徴」という物が必須だという点においてです。ネット右翼と呼ばれる人達はプロレタリア右翼だと考えているのですが、彼らは伝統的右翼の特徴を持っている事からもそうであると思います。
それと、これは全く個人的な感想なのですが、引用文を見るに彼にとって戦争を望む事は政治的な思想ではなく、宗教的な終末思想におけるのようなものではないのでしょうか。
今の自分をとりまく世界を破壊する終末論としての戦争を絶望の中で見出したのではないのかと感じました。
疑問があったので質問させて頂きます。
3. 右翼と左翼の対立地平を越える、において
左翼が自虐的で内ゲバ的な手段を使うのに対して、右翼は他虐的で外ゲバ的な手段を使う。すなわち、左翼が、ゲバルト(暴力)を同じ国家内の特権階級に向け、社会を流動化させようとするのに対して、右翼は、ゲバルトを外国に向け、自国と外国を戦わせることで、社会を流動化しようとする。
とありますが、5・15事件や2・26事件、三島由紀夫によるクーデター未遂などの事例によって断定するにいかがなものかと考えますがいかがでしょうか。
もうひとつ
プロレタリア型右翼と左翼は、手段においてのみ異なるわけではなく、目標においても相違している。すなわち、左翼が平等な社会の実現を目指しているのに対して、右翼は、必ずしもそうではなくて、むしろ自分だけは特権階級に入りたいというエゴイズムによって動機付けられているという違いもある。つまり、左翼的理想は普遍化可能な合理性を持つのに対して、右翼的理想はそうでないという違いがある。
とありますが、粛清や左翼同士の内ゲバなどの事例により、左翼が思想の普遍化可能な合理性を持っていないと感じるのですがいかがでしょうか。
たしかに、話を日本に限定すると、治安の悪化を理由に移民の増加に反対する人が多いですね。しかし、米国のように、もともと治安がよくない国では、別の説明が必要になります。
“「移民に反対」という意見を持つと、その人は右翼なのでしょうか? ”
外国人移民を拒絶しているだけでは、極右とは言いがたいので、フランスの極右政党の支持率と学歴に関するデータを追加しました。なお、この項目では、所得に関するデータはないようです。
その文は、赤木さんのことは念頭におかずに、理論家一般のこととして書いた文だったのですが、論者の中には、偽善的ですらない人もいるでしょうから、「偽善的な」は削除します。
低学歴低収入を知識層の価値観で「弱者」だと決め付けておられますが、彼らプロレタリア型右翼の多くを占めるブルーカラー層においては低学歴低収入で腕力が取り柄で脳みそまで筋肉のような存在はむしろ「強者」なのですよ。
ブルーカラーにとってはIQや学歴など全く眼中にないと言うより、IQと言う言葉さえ知っているのかもはなはだ疑問です。年収でさえ彼らにとっての強弱を計る価値にはなりえません。
腕力があって肉体労働がきちんと出来るとか、マッチョ主義で喧嘩が強い事が彼らにとっての「強者」です。
日の丸をかざしてサッカーを観戦して一般客に暴力を振るったりするネオナチの日本版のような人間が、自分を弱者だと思っていると思いますか?
よって彼らは、強者として排外主義を取っているに過ぎません。
それから身体的にはひ弱であろうネトウヨであっても同じです。彼らは自称「ネット界の強者」です。自分たちは国家を支えるために活動している国士様と言うわけです。
国家間の格差、国家内の格差
混ぜて考えていませんか?
永井様
”つぶれる可能性が少ない大国ほど、そうした危機意識が希薄になり、国内の勝者は、自分の特権を固定しようとするようになります。”
このコメントは、日本企業に対してよりアメリカのGMのような会社によりよく当てはまりそうな気がしますが、どうでしょう?
また、国際的競争力の確保のために、国内での独占的地位を正当化することに何処まで賛成するのでしょうか?
たとえば、世界シェアの半分を目処に独占禁止法の適用を検討するといった基準とかはあるのでしょうか?
ご教授ください。
赤木さんは、例えば、遊就館に関して次のように発言しています。
たしかに天皇崇拝という側面は弱いけれども、右翼的な価値観は持っていると思います。
米国には、そういう宗教型右翼がたくさんいるそうです。しかし、彼は戦争をハルマゲドンとは考えていないから、やはり違うと思います。
右翼と左翼は、極端になればなるほど相互に似てくるという傾向があります。ナチスは典型的な右翼と思われていますが、国家社会主義ドイツ労働者党という正式名称が示すように、「国家」「ドイツ」という右翼的要素と「社会主義」「労働者」といった左翼的要素の両方を持っています。右翼と左翼は、ウェーバー的な意味での理念型であり、現実にはその混合が多数あるわけです。
強者か弱者かは、基準によって変わる相対的な概念です。そもそも価値自体が、目的との相関で決まる値ですから、同じものが、ある目的にとっては良く、別の目的にとっては悪いというように変化することがあります。このように、価値は相対的であるがゆえに、肉体が強靭で、スポーツで良い成績をあげることができる人と頭脳が明晰で、学業で良い成績をあげる人とどちらが「客観的に」良いかということは言えません。
こうした価値の相対性に基づいて、社会科学は、価値中立的に社会事象を分析しなければいけません。先進国が移民の受け入れを拡大すると、途上国で相対的に豊富な肉体労働者が流入して、先進国の肉体労働者のライバルになるので、後者がそれに反対するといった説明は価値中立的です。
そう断った上での話ですが、プロレタリア型右翼には、強者のレッテルを貼られた弱者が多いという気がします。健常者/障害者、男性/女性、先進国/途上国といった二項対立で、前者の属性の所有者は、強者と認識され、たとえ貧しくても、左翼は保護しようとはしません。強者のレッテルを貼られた弱者は、右翼的な手段で、自分の問題を解決しようとするのでしょう。
両者は、一応区別するべきだと思いますが、しばしば同じロジックがフラクタルに成り立ちます。例えば、第二次世界大戦におけるファシズムの台頭は、「植民地を持たざる国」の中の「資本を持たない階級」という二重の意味で「もたざる者」が格差の流動化を謀って起こした戦争であるというように。
発展途上国が国内の幼稚産業を育成するという場合ならともかく、先進国の場合、特定企業に独占的地位を与えることは、国全体ではメリットよりもデメリットの方が多いでしょう。
「自民党リベラル派」と「民主党リベラル派」の違いは何でしょうか?
リベラル=中道左派という意味だと思いますが。
労組のメンバーの中でも改憲派と護憲派がいます。
ただ、日本の右翼が「目指す社会」は何なのでしょうか?
やや「小説的な話」になりますが、今世紀の末期には民主主義ルールに基づいて「徳川幕府的地方分権推進+京都朝廷的な官僚統制・全国自治管理=公武合体政府」ができるのではないかと感じます。民主主義の限界を国民が感じ、既成政党ではなく前述の「世直し新党」が誕生して公武合体的な連立政権誕生。本当に実現したらある意味すごいです。
フラクタルという語は、単に「複雑」という意味で用いているのか。
または、「合成の誤謬」のような意味で用いているのか。
どちらなのか。
横文字を曖昧に使用されて茶を濁されても訳が分からない。
どちらであれ、議論をするにあたり、場合分けして考える必要性を自認しているものを一纏めにしラベリングするのは暴論が過ぎないか。
御用学者としてのポジショントークをしているように見えてならない。
既知だと思うが読み直して欲しい。
加藤周一
http://kshu.web.fc2.com/
右翼に朝鮮半島の方が異常に多い件について、コメントどうぞ。
はじめまして。記事を楽しく拝見しました。
最近ドメインごとにユーザーのプロフィールが推定できるサービスがあるのですが、それに沿っていろいろと調べてみました。どうやら言論・政治系のオンライン・プラットフォームに来る人たちにはいくつかの特徴があるように思えました。比較したのは、uesugitakashi.com, the-journal.jp, agora-web.jpとnagaitoshiya.comです。
大学卒者が多い。年収は500万円以下。購読者に35-44歳(偶然ですがバブル世代です。私もここに入ります)が抜けるM字型。男性が多い。(だいたい75?80%程度になります)。低学歴 X 低収入というのは結びついているようですが、実はある程度学歴があるのに収入が中程度から下という人が多いのです。このインバランスが一つの問題のような気もします。このnagaitosiya.comのプロフィールも、年収600万円台の人たちと35-44歳くらいの人たちが抜けていたM字になっています。
私も「自己の基準が持てない人たちが、国家や民族といった大きな物語に飛びつくのであろう」と思ってヒトラー、ユング、フロムといった本をいくつかぱらぱらめくったのですが、どうも日本の今の状況とは若干異なるように思えます。「ある程度リテラシーがあるのに、期待すべき待遇が得られていない(もしくは投資に対して期待するリターンが得られていない)ことを不満に思っている人たち」対「自称反体制派(他人をダシにして自分はサボリたがる人)」といった図式です。これは果たしてイデオロギー対立なのでしょうか。
そもそも、会社の社長も株主に使われているという意味ではプロレタリアですし、年金を株式で運用している普通の引退サラリーマンが資産家だったりします。そういう意味で「正しいプロレタリア」とはどういう人たちなのかという疑問も湧きます。例えば土地を持っている農民はどこに入るのでしょうか。このように、旧来のラベルは再定義が必要なようにも思えます。例えば、資本家が力を持っていたのは、生産を行なうためには設備が必要だったからです。その前は土地を持っていなければ生産ができませんでした。この支配力の源泉がナレッジ(金融とかITとか)に失敗を繰り返しながら傾斜してゆく中では、ブルジョアやプロレタリアというラベルも再定義が必要になりはしないでしょうか。資産も有形資産から無形化(この無形化は簡単でにいうと、政府が信用だけを元に発行する例の紙切れのコトをさします)しています。
私は社会資本が知識依存型の人たち(無形財から無形財を生み出す人たち)にうまく使われないことが問題なのではないかと考え始めています。例えばSEやプログラマと言った人たちですが、この人たちには階級としての自覚も自分たちの優位性に対する認識もありません。投資は故に一番簡単に再生産可能な無形財に流れます。お金がお金を生む経済の誕生です。
過剰感のある大学院卒の人たち(ナレッジが唯一の財産になっている人)も、彼らがダメな人であるということではなく、社会資本と結びついていないことが「問題」だと思うのですが、彼らが階級闘争に立ち上がったという話も聞きません。単純化すると「仕事がなくてコンビニでバイトしている経済学の修士号を持つ人」は、右翼、左翼どちらになりやすいかというような議論です。彼らがシンパシーを感じるイデオロギーはないように思えます。しかしもし知識が生産財として使えればこの人は資産家になってしまいます。
経済とイデオロギーを結びつけるのであれば、こういった変化も考慮する必要があるように思えます。
排他主義と低学歴・低所得の相関が強いことを心理学的側面よりも経済的側面から説明しようとするのは面白い試みだと思います。重回帰分析してみたいですね。
ところで、移民増加賛成度についてですが、人数が増えると値が増えるような度合になっているように思います。平均にしたほうがよいのではないでしょうか。またエラーバーはどの程度のものでしょうか。
ええと、ザクッと読んだだけなのですが、一言だけ言わせてください。
グラフの意味が全く読み取れません。理由は(グラフ中に)単位が存在していないためだと思います。
例えば、”フランスにおける各学歴ごとの極右政党(国民戦線)の支持率”のグラフでは、極右政党の支持率だし、おそらく%だろうと予想がつくのですが、”日本における移民増加賛成度と学歴の関係”や”日本における移民増加賛成度と税引前年収の関係”のグラフでは、まったくもって予想がつきません。
そこでお願いなのですが、ぜひグラフ中に単位をつけてもらえないでしょうか。
自民党と民主党の違い自体がなくなりつつあります。小泉政権の時、自民党はリバタリアンな方向に動こうとしましたが、現在の麻生政権では、再び「大きな政府」に戻りつつあります。みんな「早く民意を問え」と言っていますが、リバタリアンには、「民意」を表明する選択肢がありません。
解説抜きで使って、すみません。フラクタルに関しては、「フラクタルは複雑系か」をご覧ください。ここでは、「全体が部分を繰り返す」あるいは同じことですが「部分が全体を繰り返す」システムのあり方と理解してください。
例えば、プロレタリア型右翼が、北朝鮮へ圧力をかけるように日本政府に働きかけたとしましょう。日本政府は、単独では北朝鮮に十分な圧力をかけることができないので、その意味では弱者であり、強者である米国に、北朝鮮へ圧力をかけるように働きかけます。この場合、「全体が部分を繰り返す」と言うことができます。
日本の左寄りの政党は、日米よりも経済的水準の低いアジアとの連携を主張しています。つまり、国内的にも、国際的にも、「弱者との連携」を主張しているわけです。ここでも、「全体が部分を繰り返す」と言うことができます。
プロレタリア型右翼が、外国人移民を排除し、先進国と途上国との格差を維持し、固定しようとする時、保守主義になっています。下にいるときには右翼となって社会の流動性を要求し、上にいるときには保守主義になって格差を固定しようとすることは、普遍化可能な合理性を欠いています。
普遍化可能な合理性を持つには、自分のポジションが格差社会の上でも下でも、ポジショントークをせずに、同じ政策を語ることが必要です。市場原理至上主義は、すべての市場参加者の機会均等を主張しているのだから、ポジションとは関係なしに賛同できる思想だと思っています。
場合分けするのではなくて、概念的に区別するということです。全体と部分を概念的に区別しなければ、「全体が部分を繰り返す」と主張することすらできなくなります。
元公安調査官の菅沼光弘氏が、外国特派員協会での記者会見で、日本の右翼団体に在日コリアンが少なからず存在するという趣旨の発言をしたそうですが、詳しいデータがないので、コメントは差し控えさせていただきます。
善悪や妥結解の話ではありませんが、機会均等とは甚だ疑問です。
例えとしてですが
誰でも、訴訟を起こせるが金と時間が無いとできない。一部の有能な人間は除く。その有能さとは知識を積み上げられる環境にあった者やある者。
出口部分の訴訟を起こす事は認めていても実質は機会均等ではない。
高等教育への進学や留学等による見聞を広め知識を深める方法なども、する事を禁止していないだけで実質はできない。極めて賢いヒトをのぞいては、金が幅をきかせる。
私立大学の医学部・歯学部・薬学部など大して難しくもないけれど金の多寡で、その後の将来が左右されている。借金してでも進学すれば良いのではと言われるが、担保価値のある資産すらない。
機会均等とは、それを禁止しないだけであり実質は無理が生じる。では、全てを極めて優秀なヒト(天部の才)をくみ取れるようにハードルを上げれば良いのかというとそうでもなさそうで、東大などに見られる保護者の所得をみれば歪みが見て取れるように思えてならない。
以上、オチなし
プロレタリアートとは、無産階級のことで、本来的には経済的資本から疎外されている人たちのことです。本稿で言っている格差とか弱者とかは、経済的な意味での概念です。では、なぜ年収よりも学歴との相関を調べたかというと、年収の場合、例えば、20代で年収300万円と40代で年収300万円では、同じ階層に所属しているとは言い難いといった問題点があるからです。本当は生涯賃金のデータがあればよいのですが、そういうデータは計算が難しい。だから、生涯賃金と相関性が高い学歴を代わりに使ったというわけです。
二変数しかないので、単回帰分析で十分でしょう。グラフに回帰直線を加えました。また、オーストリアの極右政党のデータも追加しました。
本文に書いたように、「強く同意する」と答えた割合に+2、「同意する」と答えた割合に+1、「現状でよい」と答えた割合には0、「反対する」と答えた割合に-1、「強く反対する」と答えた割合に-2を乗じた値の合計で、単位はありません。相対値と考えてください。
その通り。機会均等とは、市場への参入をオープンにするということであって、スタートラインを同じにするということではありません。スタートラインで、市場参入者が金太郎飴的に同じなら、いくら自由参入・自由競争を促進しても、市場に多様性が出てきません。そこで、重要なことは、スタートラインで同じでないことを「不平等」と嘆くことではなくて、「災いをもって福となす」開き直りの精神です。短所を克服して金太郎飴になることではなくて、長所を伸ばして、自分のニッチマーケットを見つけることです。多様性を否定する平等ではなくて、多様性を肯定する平等が、市場原理至上主義が求めているものです。
金銭の多寡による裏道を歩める者が、格別に有利である現状の「不平等」は、割を食う側の大多数の人々にとって嘆きに値するかと個人的な感情では考えています。
このような社会制度の現状について、教育する機会を設けていない事にも甚だ疑問が残ります。
また、超過利潤にありつける可能性の高低について、不満は顕著に表れるのではないでしょうか。
ニッチを狙える素養や資質を磨くにも金銭の多寡が影響を及ぼしているのには疑問が残ります。
何かを目指す人々が、金銭に縛られる事無く純粋に能力で競えると良いのですが、能力の計測法に限界があり困難を極めます。
当方は、マルキシアンでもケインジアンでもなくフラットのつもりですが、現状の制度では、富裕層の中でもさらに上位の者ほど市場原理至上主義による恩恵が過大であり、その他大勢の貧困層には厳しいことは自明だと考えています。
その昔は、不特定多数のヒトとの意見交換をする機会に乏しくインターネットにより良くも悪くも「考える人」が多くなり、その結果が反体制的に映るだけではないのでしょうか。権力者側は、自分たちの利得が減少することを理解しているだけに、誤魔化す事に躍起になっているように思えてなりません。
私も最低限の生活を保障するセーフティネットが必要だと考えていますが、それは市場原理至上主義と矛盾しません。これに関しては、「社会福祉は必要か」をご覧ください。
市場原理至上主義であることの利点?優位点?が、貧者に見られない事や、それに対する説明や妥結解の考察が見られない点が、優位者(≒権力者≒富裕層≒賢者)としてのポジショントーク・御用学者と思えてならない所以だが如何なものか。
社会全体の富を増やすということは、社会におけるポジションがどこであれ、賛成できることです。逆に平等を求めるあまり、社会全体の富が減るということは、望ましいことではありません。干上がっていく池の中で「平等な水」を求めて争い合う魚のようで、悲惨です。
市場原理至上主義でなければ『“社会全体の富”が増えない』という論拠をお教え頂けますか。
多様性と自由に基づく市場原理がイノベーションを促進し、イノベーションが生産性を向上させ、生産性の向上が社会全体の富を増やします。
既知かと思いますが『イノベーションのジレンマ』
http://satoshi.blogs.com/life/2005/11/post_2.html
多様性と自由に基づくイノベーションを担保するモノは何だとお考えでしょうか。
日本やアメリカ等の現状を鑑みるにアカデミズムを排他する傾向や社会を構成する要素を統合するモーメントには、一時的な自由や多様性しかみてとれません。また、焼き畑農業にしか見えませんし、一部の人間の利得最大化に働いているようにしか理解できません。
継続的・恒久的な、ぬか床のような知の温床を耕す事が良いとは考える事ができません。
『イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき』は読んでいませんが、書評を読む限り、私が主張していることと矛盾していないようです。大企業は、社会主義国家と同様に中央集権的で、イノベーションが起き難いから、イノベーションの主体は、中小のベンチャー企業でなければなりません。
多様性と自由を堅持した市場原理至上主義が成り立つのに必要なモノは何だとお考えでしょうか。
市場原理至上主義については、「至上原理としての市場原理」、「市場原理は至上原理か」を参照してください。
物凄い量のコメントが来ても、一つ一つ丁寧に返事をする永井氏の知的誠実さには平伏します。
たしかに、戦争待望論を公然と主張する人はほとんどいないでしょう。ヨーロッパの極右政党も、移民の排斥を声高に主張しても、戦争に関してはほとんど発言しません。しかし、建前はそうでも、本音は別という人もかなりいるかと思います。ISSPの調査には戦争に関する項目がありませんが、仮にあったとしても、どこまで本音が反映されるかは疑問です。ですから、実証的な検証はかなり困難です。
私が赤木さんを取り上げたのは、彼が、自分の利己的な主張を、普遍的価値で隠したり、ごまかしたりせずに、正直に表明しているわかりやすい人物だからです。彼と同じことを公然と主張する人はまれでしょうが、内心、同じようなことを考えているという人なら、もっといると思います。
>ISSPの調査には戦争に関する項目がありませんが、仮にあったとしても、どこまで本音が反映されるかは疑問です。ですから、実証的な検証はかなり困難です。
社会学的手法では当然不可能なはずです。
ここで用いられるべきは(フロイト系のアレなものではなく、コンテンポラリーな)心理学における実験であり、しっかりした操作的定義を用意し、必要に応じて実験の目的を偽装すれば、件の統計に関して永井氏の解釈が正しいのか、私の解釈が正しいのか、はたまた両方正しかったり間違っているのか、そして本当に右翼は戦争を望むのか等、現状より深く探求できるはずです。
ホームレスの悲惨な境遇を無視して、「弱者保護」と称して動物愛護にばかり力を入れる団体は、ホームレスからすれば、偽善的で狂っているように見えるでしょう。赤木さんが既成の左翼政党に対して抱いている不満は、これと同種類のものです。もちろん、すべての左翼団体が、動物愛護団体と同じとは思いませんが。
私が問題としているのは、ある観点から”偽善的で狂っているように見える”左翼思想がある、という自明の理ではなく、”左翼思想は一般化可能か、またはそもそも一般化可能な規範に則っているか”ということです。
純粋な左翼思想は、理論的には普遍化可能ですが、それを普遍的に実現しようとすると、生産性が低下し、さらには、社会が機能しなくなります。これに対して、利己主義は、現実的にどころか理論的にすら普遍化不可能ですが、それを個人主義という普遍化可能な形態へと止揚するならば、理論的にも現実的にも普遍化可能になります。
ほんの一例だけですが、右翼の考えでも。
私は、第二次世界大戦時の報復戦争や日本の支配圏の拡大、資源獲得を望んでいますが、正当性皆無なので、たとえ匿名の調査であっても、この考えを明らかにしたくはありません。生活のための戦争という発想には乏しいです。公共事業すればと。防衛戦争に関しては、何も言う必要は無いでしょう。
第二次世界大戦で、勝ち組と負け組みが決められ、その後、その格差が固定されています。日本は、国連の分担金が、イギリス、フランス、中国、ロシアより多いにもかかわらず、常任理事国になることはできません。また、自立的な国防力を持たないために、外交的にも不利な立場におかれています。このように、格差が固定されると、格差社会の下層は、不満を持ち、格差という秩序を破壊したいという願望を持つようになります。これは、プロレタリア型右翼の願望です。ここからもわかるように、個人だけでなく、民族全体や国家全体までがプロレタリア型右翼となりえます。
建設的な公共事業だと、需給ギャップが埋まらないが、破壊的な公共事業である戦争は、インフレ効果が大きいので、その悲惨さにもかかわらず、デフレ時に実行されるのでしょう。もちろん、私は、別の手段でインフレにするべきだと考えているのですが。
なるほど。私の考えは、日本国自体のプロレタリア右翼的な側面から生まれていたわけですか。祖国が抑圧されている状態に憤りを感じたのかもしれませんね。なんだか、戦前のドイツに生まれていれば、ナチを支持していそうな感じで、ちょっと嫌ですね。危険なわけではなく、異質なだけで人を迫害することには、強い嫌悪感を感じますから。
左翼とは共産主義者のことですが、では、右翼はどうか。
「所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義者なり」近衛上奏文
正直、ウヨサヨごっこにはうんざり。いずみんさんに同意というところ。
これはプロレタリア型右翼に対する正しい認識です。
まだ論文2つしか読んでおりませんが、アホな私でも納得することしきりです。
さて、NHK、JAPANデビューへの抗議デモがあったことはご存知でしょうか?
右翼的と思われている団体が左翼的な手法で成功しそうです。(数にまかせての抗議や集団訴訟なんかは左翼の得意技ですよね?)
これは今まで無かったパターンだと思うのですが、どうなんでしょう?
私は戦後教育のおかげで基本左ですし、義侠心から参加したのですが、私もプロレタリア型右翼に分類されちゃうんでしょうね。
貧乏が図星なだけにちょっとツライ。
賢い永井先生のご意見を賜りたいです。
『JAPANデビュー』は見ていないので、直接の論評は避けたいと思いますが、インタビューを柯德三さんが同意しない形に編集して、放送したとするならば、それは、イデオロギー的な話を別にしても、問題がありそうですね。時間的制約があるのだから、編集するのはやむをえないとしても、放送する前に、本人の同意を得るべきではなかったかと思います。
これは開発独裁体制一般に関して言えることですが、日本の台湾統治には、近代化の素地を作ったという光の側面と人権侵害という影の側面があるわけですから、その両方を取り上げないとフェアな評価はできないでしょう。それにしても、戦前の日本の台湾人に対する扱いは、朝鮮人に対する扱いよりもひどかったにもかかわらず、現在、台湾が韓国よりも親日的になっているというのは皮肉なことです。
いつも論文を拝見させていただいております。
「プロレタリア右翼」。。実にすばらしい考察です。
貧しい者が戦争を望むのは社会科学的には上記の論説通りであると思います。
根源的には?私見ですが。。生存本能や自己実現の欲求によるものではと思います。
わが国でも社会主義者?の松本治一郎が大政翼賛会であったことは有名ですね。
アフガニスタンでは仕事も食料もなく戦争の継続による「同胞の死」によってしか自己実現や生き残りによる自己満足が得られない。。。いかに教育程度の低い彼らとて本気でアメリカに勝てるなどとは思ってもみないでしょうね。。。
このことは第二次大戦時の参謀にも言えることで特攻による「死の美学」を作り出した者が生きながらえて自民党議員を務める。。。。
真に愛国者ならば自決以外に道はないでしょうに。。。
戦争がおきる時はプロレタリア右翼と国際資本家の利害関係が一致したときに実際に行われるのでしょうね。。勝ち負けは関係なく望むのはどちらも「同胞の死」つまりは競争相手の削減でしょうか。
ナチスは国家社会主義労働者党という名前でしたし、朝日新聞は右翼の代表的新聞でしたし、社旗は今でも旭日日章旗ですね。。
プロレタリア型右翼の存在については、私も権威主義的パーソナリティ論をはじめとするフランクフルト学派流の解釈をしていました。彼らは自分の頭で判断・批判する能力のない人たちだと。貴方の説明で、自分の考え方が修正されたような気がします。
ただ、思うのは彼らが硬直化した状況を流動化するために、移民排除や好戦的な発想をもつのは、すこぶる感情的な反応であり、判断能力がある(頭がいい)とは思えません。もし、支配者が移民排除政策や外国との戦争を志向している場合、彼らはやはり権威というものにコントロール・利用されてしまうだけだからです。過剰流動性と硬直性、持たざる者たちがどちらを解消しようとしても、結局は権力の道具にされてしまうという点で、同じなのではないでしょうか? 結局は批判能力のなさに帰結しませんか?
支配階級にとっては、移民の排斥や冒険的戦争はメリットがないので、支配階級がこれらの目的実現のためにプロレタリア型右翼を活用するということはないでしょう。政治家が、移民の排斥や冒険的戦争をやるのは、あくまでも国内の不満分子に迎合するためで、自分たちのためではありません。
私は、判断力や理性のなさという点では、プロレタリア型右翼よりも心情型右翼の方が、ひどいのではないかと思います。心情型右翼は、愛国心や滅私奉公といった心情の美しさに心酔し、自分の行動がどういう帰結をもたらすかをあまり考えずに行動します。その結果、心情型右翼は、プロレタリア型右翼に騙され、唆され、煽られ、「愛国心」を叫びながら、亡国への道をひた走るという皮肉な結果が生じるわけです。心情型右翼の人は、プロレタリア型右翼に利用されないように注意する必要があります。
さっと一読しただけですが、素晴らしいです。
もっと早く読むべきだったと悔やまれます。
何故なら、私自身はずっと赤木智弘氏の愛読者であり、共感者であり、穏健な支持者でしたが(※1)、この立場を表現する言葉がなかったからです。
「ネット右翼」というと幅が広すぎる(それこそ「心情型右翼」も含んでしまう)。
「リバイアサン主義者」ではあるけれど、低賃金競争に反対する故に労働鎖国論者でもある。
しかし、私はこの「プロレタリア型右翼」です――と言えば、ぴったりです。
「プロレタリア型右翼」の隆盛を願います。無論、人が死ぬのは嫌なので、戦争にならない程度に。
同時に日本で「プロレタリア型左翼」が弱いのも問題に思えます。
というよりも「心情型左翼」が幅を利かせているのが問題です。
国内の(あるいは国外も含めた)プロレタリアを低賃金競争で奴隷状態に落とし込む移民政策を推進するような「心情型左翼」には賛同しかねます(※2)。
「プロレタリア型左翼」の隆盛を願います。無論、人が死ぬのは嫌なので、革命にならない程度に。
個人的にはベーシックインカム(+各種規制の撤廃)と労働鎖国の組み合わせが好みです。
※1:私自身は(おそらく赤木氏も本音では)今はまだ戦争を希望してはいませんが、しかし、それは現状への絶望が足りないだけでしょう。だからこそ、希望が多い社会が必要なのです。
※2:「ゼロ・サム・ゲーム的な発想では、すべての人を納得させるような社会を設計することはできない」という部分とその後の文章には「中長期的には」賛成します。しかし、私は社会が「短期的には」ゼロ・サム・ゲーム的と考えています。それ故(自分と他人の)目の前の苦境からの脱出のために「プロレタリア型右翼」たろうとしています。
ゼロ・サムならまだいいのですが、ゼロどころかマイナスになる可能性があります。ベーシックインカムは、増税なくしては不可能ですし、労働鎖国は、労働市場の硬直化をもたらします。労働市場が硬直的な増税国家では、投資や企業が減ってしまいます。その結果、失業率が増加し、税収が落ち込み、ベーシックインカムに必要な財源が確保できなくなります。
レスが貰えるとは思わなかったので、光栄です。
同時に頁の趣旨とずれた投稿をご容赦ください。
どうしても
>ベーシックインカムは、増税なくしては不可能
という部分が引っかかったので、コメントさせていただきます。
ベーシックインカムを
左派ベーシックインカム=公的年金や生活保護、各種控除等の既存の福祉制度を維持(※1)し、財源は増税で賄う。
右派ベーシックインカム=公的年金や生活保護、各種控除等の既存の福祉制度を根絶(※2)し、その分で財源は賄う。
と二つの『傾向』に分けたとして、
この内、左派ベーシックインカムなら、仰る通りの問題があります。
しかし、右派ベーシックインカムなら、その問題はありません。
私が言ったのはその右派ベーシックインカムです(※3)。
>労働鎖国は、労働市場の硬直化をもたらします
原則的には賛同します。
ただし、BI(特に右派BI)が導入された時点で、経営者は「労働者の生活を守る」義務から解放され、また労働者も「嫌な仕事をすぐやめる」権利を獲得します。
それでかなり労働市場は流動化すると思うのですが……不足でしょうか?
そもそも、高度技能者の類は既に十分出入りしているのですから、奴隷貿易みたいな移民政策はちょっと……。
※1:無論、これらはプロレタリア型右翼や「おにぎりが食べたい」と言って餓死した老人からすれば、すべて『既得権益』です。
※2:当然、そこで働く公務員の給料も、福祉制度的公共事業費も財源に回せます。いわゆる「必要な公共事業」の多くは市場原理で維持され、夜警国家に近づくでしょう。
※3:とはいえ、右派BIの達成には公的年金・生活保護受給者や公務員が強力な抵抗勢力となるでしょう。そこを加味し、右派BIの達成は政治的に不可能と判断され、左派BIを想定されたのかもしれません。
それだけでは、財源が足りません。再配分制度の受給対象者は、現制度においては人口の一部にすぎませんが、これを全人口に広げるとなると、もっと大きな財源が必要になります。それゆえに、増税は不可避です。
ベーシックインカムの利点として、国民全員に一定金額を配給するのだから、生活保護の時のように、受給者の所得や資産をいちいち調査する必要がないので、情報収集コストを低くすることができる点が挙げられます。たしかに、配分する時の情報収集コストは低くてすみますが、集金する時の情報収集コストはそうではありません。
言うまでもないことですが、国民から毎月10万円の人頭税を平等に徴収して、毎月10万円をベーシックインカムとして平等に支給するというような制度はナンセンスです。だから、集金する時には、高所得、高資産の人あるいは法人を見つけなければいけませんから、結局のところ、行政は、所得と資産の調査のコストを削減することはできません。
ベーシックインカムを実施しようとすると、高所得、高資産の人あるいは法人に大きな負担がかかりますが、それでも、国内の高所得者、高資産家は、ベーシックインカムの支給を受けられるのだから、まだましです。海外の投資家は、この制度の恩恵を受けないのだから、日本を、不当に高税をかける国として敬遠するでしょうし、日本の投資家も、利益率の高い海外に投資するでしょう。これは、日本経済にとって好ましくないことです。
ベーシックインカムのもう一つの問題点として、生命を維持するために必要な最低限の所得が、人によって一定ではないと点を挙げることができます。月数万円の所得で生きていくことができる健康な人もいる反面、難病を抱えて、生き延びるためには、高額の医療費を払わなければいけない人もいます。後者に合わせて、支給金額を一律に引き上げると、支給総額が膨大になりすぎて、財政が破綻します。もしも、受給者によって、支給金額を変えるということになるならば、情報収集コストが高くつきます。
したがって、ベーシックインカムを導入したからといって、行政コストが大幅に削減されるということにはなりそうもありません。やはり、ベーシックインカムのような、無差別絨毯爆撃的な再配分よりも、ピンポイント爆撃的な保険の方が、無駄が少なくて優れていると思います。但し、その保険事業を国営企業や国に独占的な権限を与えられた法人に委ねると、腐敗が起きるので、市場原理が機能する複数の企業に委ねなければいけません。この提案に関しては、「社会福祉は必要か」をご覧ください。
仮に、現在の中国においてプロレタリア型右翼が増えていて、彼(女)らが日本を敵視しているとした場合、日本としてはどうすれば良いのでしょうか。
プロレタリア型右翼は、戦争に負けても良いと考えている以上、日本とその同盟国の軍事的な優位性をいくら中国側に示しても、有効な抑止力になるとは限らないと思います。一方で宥和策も、相手を増長させるだけな気がします。
御教授いただければ幸いです。
たとえ、プロレタリア型右翼が戦争に負けて、体制が崩壊してもよいと思っていたとしても、既得権益の維持に腐心している中国の為政者はそうは思っていませんから、中国の為政者に、戦っても勝ち目が無いと思わせることは、戦争の抑止になります。
御返答ありがとうございました。あいまいな質問をしてすみませんでした。恐縮ですが、もう少しお考えを教えてください。
近隣国においてプロレタリア型右翼が影響力を拡大し、自国の脅威となる可能性が増大しつつあるときに、軍事的な抑止力の整備以外に、どんな政策が有効であり得るでしょうか。その国の為政者を援助するなどプロレタリア右翼を外部から抑える方法と、デフレ解消や格差の流動化を促すなどのプロレタリア右翼を内部から解消させようとする方法があるように思いますが、いかがでしょう。
最も望ましい方法は、二国間でも多国間でもよいから、貿易の自由化を進めて、相互に貿易障壁を撤廃し合うことです。これは、相互に特権産業と特権階級を解体することになるので、《規制ゆえの格差》を解消することになるからです。だから、私は、日本のTPPへの参加に期待しているのですが、最近、また雲行きが怪しくなってきました。
自由貿易などによって市場原理を普及させていくことで、社会の流動性が高まり、プロレタリア右翼は勢力を弱めていくということですね。
また考えて見ます。ありがとうございました。
歳川隆雄さんが「TPP解散」の可能性を指摘しています。可能性は高くないけれども、民主党も自民党も、党内にねじれを抱えているのだから、それを解消するためにも、TPP参加を争点にして、解散総選挙をして、政界再編制をした方が望ましいと思います。
所詮、日本の社会なんて汚い権力との癒着でできた利権社会です。つまり、社会はごく少数の権力者の要求によって動くのです。
TPPの参加も農林水産省の圧力で否決するでしょう。
権力者の現実逃避や責任転嫁はいつまでも続くと思います。そのうち、日本は経済破綻を起こして、ソマリアよりもひどい失敗国家になるでしょう。
そもそも、日本は、先進国の中で最も人権が侵害されやすい社会だと思います。
会社でのモラルハラスメントは日常化しており、部下に対するサービス残業の押し付けや、吊るし上げなどは当たり前だと聞きます。学校でも、いじめがあたりまでは、いつ自殺者が出るか分かりません。
今、権力者である老人たちは、自分たちの負担をプロレタリアである若者に押し付けて自分たちだけで極楽浄土に行こうとしています。
しかし、若者たちも、黙ってはいません。彼らは、自殺したり引きこもったりして日本経済を停滞させ、破綻させることによって権力者である老人・政治家・官僚・経営者を道連れにしようとしています。これを「サイレントテロ」と呼びます。
[「負け組」の「現実肯定」が、社会に致命的な一矢を報いる – こころ世代のテンノーゲーム]
[テロルの時代と大学の使命 – こころ世代のテンノーゲーム]
プロレタリア型右翼ってなにそれ?
右翼も左翼も方向が違うだけで社会的理想を求める者でしょう。
赤城氏(自称左翼)やら(WW2直前の)朝鮮人らは自分のために戦争を望む、ただのエゴイストでしょう。
すべての思想は右か左に分類できる、すべきだ!という二分法に思考が囚われて誤謬に陥ってるとしか思えません。
つーか、右翼=好戦的、左翼=平和的とか、偏見があって、(自称左翼だけど)戦争望んでるから右翼だ、こいつって、脊髄反射で言ってるだけでしょ?
没落貴族型右翼や心情型右翼と区別するために、私が考案した分類用語です。
心情型右翼は、美しい理想(と彼らが考えているもの)に心酔し、自分の利益に反する行動に出ることがあります。だからこそ、腹に一物があるプロレタリア型右翼に騙されて、彼らの利己的行動の道具として利用されないように警鐘を鳴らしているのです。赤城のように、自分の利己的動機を明確に語るプロレタリア型右翼は例外的で、大部分は、まさに自分の利己的目的を達するために、利己的動機を隠して、心情型右翼のようにふるまうから、要注意です。
それは誰に向かって言っているのですか。保守主義者やリバタリアンは、右翼や左翼とは異なるというのが本文での主張です。
保守主義者が好戦的に振舞うこともあれば、リバタリアンが平和的に振舞うこともあります。したがって、好戦的だから右翼とは限らないし、平和的だから左翼とは限りません。対外的な暴力を肯定するか否かといった表面的な特徴だけで判断するのではなくて、何を目的とし、どのような戦略に基づいて、そうした判断がなされているのかにまで踏み込んで考えなければいけません。
表題と壮絶にずれているので、投稿しようかどうか迷って、随分時間が経ってしまいましたが、一応投稿しておきます。
>財源が足りません。
いや、これはいくらでもあります。
社会保険庁の出している各種年金だけで44兆円。
生活保護が2兆円。
税金の控除廃止で20兆円。
公共事業及び公務員人件費の削減で6兆円。
これだけでも月額五万を一億二千万人に払う72兆円を確保できます。
問題はここでさらりと書いている削減や廃止が、実際には莫大で複雑な既得権益の解体に繋がるため、すんなりとはいかない点でしょう。
「税金の控除廃止」「公共事業及び公務員人件費の削減」などは、全体からみれば一部の額とはいえ、私のどんぶり勘定ですし。
とはいえ、財源の有無でいえば、間違いなく「有り」ます。
>配分する時の情報収集コストは低くてすみますが、集金する時の情報収集コストはそうではありません
片方なくなるだけでも、莫大な経費削減になりますし、何より「公正」になります。
例えば、上のBI月五万円では足りないという話になるなら、消費税を目的税化して増税すればいいでしょう。
BIの大きな長所は、こういった増税(あるいは減税)へのコンセンサスが得やすくなる点です。
福祉を強化しようとしても(あるいはその逆でも)、その福祉の対象が「一握りの特定弱者」というのが常に問題になります。
「福祉を削れば、あなたのBIが増えますよ」「増税すれば、あなたのBIが増えますよ」と明確に提示できれば、コンセンサス形成は容易くなります。
>ベーシックインカムのもう一つの問題点として、生命を維持するために必要な最低限の所得が、人によって一定ではない
よくいわれる事なのですが、これは「現行制度でも同じ事」なのではないでしょうか?
莫大な手術費用がかかる難病の子供を救うのに億単位の金が必要なので募金を――という宣伝は珍しくありません。
「難病を抱えて、生き延びるためには、高額の医療費を払わなければいけない人」はBIだろうと非BIだろうと結局はNPOや募金を頼る事になるのです。
違うのは非BIでは「おにぎりが食べたいと言って餓死した老人」のように初期資本のない人間には「頼る機会(*1)」すら与えられないのに対し、BIなら一定の「頼る機会」は与えられるという点です。
BIで「頼る機会」が完全に与えられる事はないでしょうが、現行制度よりは比較優位性があると思われます。
そもそも、現金給付の福祉を根絶と言っているのであって、別に身体介助の福祉を根絶と言っているのではありませんし、上の試算でも公的医療保険の類は根絶対象から外してあります。
少なくとも、移民による低賃金競争は貧困層の「難病を抱えて、生き延びるためには、高額の医療費を払わなければいけない人」をより一層危険にさらすのではないのでしょうか(*2)?
>独占的な権限を与えられた法人に委ねると、腐敗が起きるので、市場原理が機能する複数の企業に委ねなければ
このくだりについては先の
>※2:当然、そこで働く公務員の給料も、福祉制度的公共事業費も財源に回せます。いわゆる「必要な公共事業」の多くは市場原理で維持され、夜警国家に近づくでしょう。
で、ほぼ同じ事を私も書いています。個人的にはBI導入で解雇された元公務員が企業を立ち上げ、市場原理の下でそのノウハウを活かしてくれることを期待します。
*1:それこそ、ほんのわずかな社会的コストで救済できるにもかかわらず
*2:例えば、私は心臓に欠陥を抱えていたのですが、蓄えがあったので、完治しました。しかし、低賃金競争に巻きこまれていれば、医療費の捻出できず、また役所に行っても、非BI福祉では「水際作戦」で殺されたでしょう。
年金は、政府と国会の決定で何にでも使える税金とは異なります。年金は、被保険者が保険料を多く支払えば支払うほど多くの年金が受け取れるという了解のもとに徴収されてきたのであって、保険料負担の有無あるいは多寡とは無関係に、全国民にベーシックインカムとして均等に配分するなどということには同意が得られないでしょう。
片方なくなれば、情報コストが半分になるかといえば、そうはいきません。情報コストの大半は、個々人の資産と収入に関するデータベースの構築に費やされ、そのデータベースを税金の徴収や補助金の配分の際に利用すること自体には大してコストはかかりません。だから、「莫大な経費削減」にはならないでしょう。
消費税を一割上げると、ベーシックインカムも一割上げないと同じ生活水準は維持できません。ベーシックインカムを一割上げると、その財源としてさらに増税しなければいけません。こういういたちごっこを止めるには、ベーシックインカムの財源を累進性の高い税金に求めざるをえません。
現行制度で募金に頼っているのは、海外での認可外の治療に保険がきかないからで、保険が適用されるのなら、そのようなことにはなりません。だから、この問題を解決するには、やはり保険の方がベーシックインカムよりも優れています。
あなたも自覚のとおり、ここはセーフティネットについてつっこんだ議論する場所ではありません。本日「セーフティネットはどうあるべきか」という新しい記事を投稿したので、さらに議論を続ける場合は、このページのコメント欄に投稿してください。
初めまして、こんにちは。
仰っていることは大体理解出来るのですが
一つだけ下記の部分が気になりました。
一般に保守派とされたジロンド派が革命初期の議会において右側の席を
占めていたことは事実です。しかしジロンド派の主流はむしろ革命を初期に主導したブルジョア階層です。
彼らは経済的に富裕でしたが、フランス国内の階級としては新興の勢力です(革命によって貴族や寺院から没収され国有となった土地を買収していました。)。この頃、革命前の大貴族や軍の将校団に属していた貴族はほとんど亡命しています。だから初期のフランス革命軍は対外戦争では負け続けでした。そしてフランスに残っていた貴族は革命軍が外国に勝つことより、外国軍の力によって王政復古することを望んでいました(一例がヴァレンヌ逃亡事件ですね)。
確かに貴族の仕事は戦争でしたが、平民風情が指揮する国家に従うのは真っ平御免だったんですね。
諸外国に対して好戦的で、フランドル、ドイツ、イタリア各方面への進出に最初から積極的だったのは、むしろ議会左翼を占めていたロベスピエール率いるジャコバン派でした。ジャコバン派(急進派・左翼席・好戦的)、ジロンド派(穏健派・右翼席・消極的)、王党派(貴族、上級僧侶)はそれぞれ色々な思惑が有りました。しかし、穏健派・保守的とされるジロンド派も革命そのものは否定していません。何せ実力や経済力があっても身分制や法で栄達を妨げられる状態から解放されたのですから。その意味で革命前の旧体制に戻そうとする王党派は彼らにとっても敵だったのです。但し、ジャコバン派の主張する土地や資産の完全なる平等や無闇矢鱈に四方と戦争をして国を危うくする政策には反対でした。その為、ジロンド派は諸外国との和解を不可能にするルイ16世の処刑にも反対しています。 永井さんの言われる「プロレタリアが戦争を望む場合も有る」という論旨はそう間違っていないと思いますが、フランス革命において「右翼」が戦争を望んだとの表現はあまり適合していないのではないかと。
たぶん「フランス革命後の議会」を「フランス革命直後の議会」に限定しての御指摘かと思いますが、「右翼」という言葉がイデオロギー的な意味で頻繁に使われだしたのは王政復古後のことで、1814年にルイ18世が国王として即位し、ブルボン朝が復古すると貴族院が採用されたことからもわかるように、貴族たちは国内に帰っています。ルイ18世は穏健な保守派でしたが、その次のシャルル10世は超王党派で、アルジェリアを侵略するなど「右翼的」政策を行いました。
福島の原発事故によって多大な損害を被ったにもかかわらず、ネットには未だに原発擁護派が多いようです。これにはネット住民のプロレタリア右翼の考えが背景にあるような気がします。
すなわち、
1. 原発事故が起こらなければ、自分たちの安定した生活が従来通り送ることができる。
2. 原発事故が再び起これば、原発を推進していた官僚、政治家、学者、電力会社の社員・役員の社会的信頼を完全に失い、最終的には失脚する。そして、格差が流動化される。
ということです。
永井先生はどう思いますか。
ネットにはなりすましの書き込みが多いので、参考にはなりません。身元がはっきりしているものを取り上げると、右翼色の強い「在日特権を許さない市民の会」は、左翼が反対しているということを理由に、原発の全廃に抗議するデモを予定しています。
もとより、これを読むと、在特会は、原発の即時全廃に反対しているものの、原発の新設といった積極的な推進論にまではコミットしていないようです。私も以前から原発には反対の立場を取ってきたのですが、代替電力源ができるまでは、既存の原発を稼動し続けることはやむをえないと思います。しかし、将来的には、大気圏内での原発使用は全廃するべきだと考えています。
日本では、反原発=左翼という偏見が強いのですが、旧ソ連(ロシア)、中国、北朝鮮など、既存の社会主義国家が原発に積極的であることを考慮に入れると、左翼=反原発とは必ずしも言えません。反原発を掲げる左翼は、むしろ権力を掌握していない反体制派の左翼に多いようです。日本の社民党のように、国内では反原発を主張しながら、北朝鮮の原発推進には寛大という矛盾した立場をとる左翼もいます。原発に反対している反体制派の左翼も、権力を掌握すると、推進派になるのかもしれません。
イデオロギー的に言うならば、原発推進派には、左右を問わず、「大きな政府」を志向している人が多いように思えます。官僚が大きな力を持つフランスが原発大国であることがそれを象徴しています。原発は中央集権的な発電形態をとっており、開発独裁型の経済システムとの親和性が高いからでしょう。これに対して、分散型の発電形態は市場経済との親和性が高く、電力自由化の時代には、主流になるのではないかと期待されます。
原発事故が深刻な問題になっているにも関わらず、反原発デモが報道されず、デモの参加者には冷ややかな目線が送られるようです。そして、原発推進派の知事が次々と当選しました。(参考: 日本人は「フクシマ」の再来を回避できるのか – Railsで行こう!)
原発を消極的に容認するする人が多いですが、それ以上にプロレタリア型右翼の考えを持つ国民が多いと思います。
構造改革が行われないことと、平均収入や貯蓄率が下がっていわゆる下流社会に向かっていることを考慮すると、国民には、太平洋戦争の時と同じような強い破壊願望があるように見えます。
日本のテレビ各局が反原発運動を大きく報道しないのは、テレビが放送免許制度等によって政府の保護下にあり、また原発を推進している電力会社をスポンサーにしているからでしょう。2011年4月の統一地方選挙では、原発容認派の知事が当選したというよりも、有事ゆえに有権者が改革よりも行政機能の維持を重視し、現職が有利になったと考えた方がよいでしょう(従来原発容認派だった知事も、選挙中は原発の推進には慎重な発言を行っていた)。日本のプロレタリア型右翼は少数派であり、現実の政治を動かしていません。
“日本のプロレタリア型右翼は少数派であり、現実の政治を動かしていません。”
確かに、あなたが論文で書いた通り非正規雇用者の数が少ないので、プロレタリア型右翼が少ないです。しかし、地震の影響で経営悪化や倒産によるリストラや新卒採用の激減によって非正規雇用者が大きく増えると考えられますので、それと同様にプロレタリア型右翼も増えていくでしょう。
それにしても、ネットの利用者には若者が多い、あるいは、ネットには成りすましの書き込みが多いからか、ネットのヘビーユーザーである私には、プロレタリア型右翼が多いようにように見えます。
「福島の原発事故によって多大な損害を被ったにもかかわらず、ネットには未だに原発擁護派が多い」というのは、具体的にどこのことを言っているのでしょうか。試しに2ちゃんねるを見に行ってみると、東電、政府、原発推進学者に対する批判的なコメントがかなり多いような気がしました。
確かに、東電、政府、原発推進学者に対する批判的なコメントが多いです。しかし、その一方で、反原発に対する批判も多いです。「反原発は宗教」と言う人がいますし、「すべてウソだった」を歌った斉藤和義さんに対する批判も少なくありません。
それだけで、「ネット上の右翼は原発推進派」と言えるでしょうか。リンク先での反応を見ても、賛成ばかりではありません。例えば、noiehoie さんの以下のような発言に対してどう思いますか。
分かりました。ネットに原発推進派が多いのは、私の誤解でした。
興味深く拝見いたしました。
小生は、極右にも極左にも知人がいまして、どちらのご意見もそれなりに根拠があるし、正当であると考えています。
しがない小生の経験からすれば、赤木氏は極左であると考えております。参照項としては、新左翼の歴史を分画する「華青闘の告発」なんかいかがでしょうか。
彼はそもそも極左を志向したわけではなく、彼が状況の中で思考した結果、そうなっていると思います。その意味で、彼は自分の状況に誠実に向き合った結果、小生の言う極左になったのだと思っています。
彼へのあらゆる論理的批判は無効であると思っています。
なお、途中でお示しの絵に従うと、小生は、小生が大嫌いなリバタリアンであることになってしまいました。左翼は必ずしも結果平等を志向しませんし(多くのアナキストがそう)、マルクスはそのような「平等」が無効になる地平を明確に志向していました。「右翼としてのマルクス」「差別者マルクス」ってのをここ何年か考えています。
左翼イコールマルクス主義ではないし、また種々のマルクス主義とマルクス本人の思想は分けて考えるべきでしょう。右翼と同様に左翼にもいろいろな種類がありますが、フローチャートに出てくる左翼には、日本では主流でない無政府主義的な左翼は含まれていません。
はじめまして
本文拝読させて頂きました。本当に的を得た鋭い分析だと敬服致します。
>>宮台が言及しているフランクフルト学派の理論とは[・・・]『権威主義的パーソナリティ』(1950年)に見られる考えのこと
この手の心理還元主義的分析(変な言い方ですが)って、一見強力な説得力があるのですが、原動力の説明にはなっても、事態やそれを生み出した社会的なトリガーの説明にはならないんですね—「争いは人間のエゴが生み出す」みたいな説明と同じで。で、「そんなことは判っているが、じゃあ、なんで、今それが起きてるんですか?」の説明にはならないし、先生が言うように「その理屈じゃ、アンタにも該当するじゃん」ってなる(苦笑)。
その意味で、先生の分析の方が現状の社会・経済的背景を踏まえた上での心理的分析もされているから、本当に説得力があると思います。
なぜ心情右翼及び心情左翼は利用されやすいのですか
私はリバタリアンですか、保守ですか、右翼ですか
一、格差そのものはレソト以上にあっても良いが格差の固定化には反対
ニ、超利己主義賛成 異常な利己主義以外経営者に利用された挙げ句死ぬだけだ
三、善意の否定 善意では弱者は救われない
四、強欲の肯定と手段の正当性の否定 資本主義とは強欲が正しくそのためなら嘘、略奪、殺人何でもあり
五、戦争と革命と利己主義賛成
後市場原理にも賛成です
赤木の思想と私の極めて利己的な思想どちらがより普遍可能性がありますか
なぜ日本は貧困率は増えているのに自殺率は増えていないのですか
もしかして自殺しやすい遺伝子が消えたからですか
もはや絶望すら感じにくい国民になったからですか
過剰なしがみつきをする中間層が消えたからですか
分断社会のメリットですか
私は理論上脆弱性を少しでもある支配は全て崩壊する可能性があると思いますが正しいですか
国家から見ると経済のみで支配しても全員自死で支配からは抜けられるから自殺率を減らさなければいけない
餓死者を出すとその人は支配からは抜けられるので餓死者は減らさなければいけない
殺人をすると殺された人は支配からは抜けられるので殺人を減らさなければいけない
国家が永久に栄えたいのなら搾取より支配を優先させなければいけない
このような考え方は左翼ですか、右翼です
サイレントテロはテロとして成立しますか
気づかれないテロはテロとは言わないはず
確かテロは目的犯
私は良い格差はあっても良い貧困はないと思いますが本当ですか
良い貧困があるように見えてもそれは欺瞞でそれは良い格差か良いと思い込んでいるかのどちらかにすぎない
経営者はサイコパシーが多いという邪魔な要因がありますがこれはどうするのですか
保守とリベラルは、その地域ごとに全く別物となる。
日本の新自由主義と米国の新自由主義は採用方法からして違う。
これは家族構造の作り出す価値観に縛られているからだ。
工業化が遅れるのも家の近くで働く直系家族の特徴で、彼らは米英の絶対核家族と比べ移動性が低い。
だから植民地獲得でも遅れる。
今の日本の社会が家族という価値を大切にしているとは思えません。日本では、欧米と異なり、従業員が、本人の意思に反して会社から転勤を命じられ、家族がバラバラの状態になる単身赴任を強いられることがあります。欧米では、夫婦が別々になるぐらいなら、転職を選択した方がましと考える人が大半です。労働市場が自由な社会の方が、転職が容易で、家族の価値を大切にすることができるということです。
実は本当に怖いのは能力不足ではなく社会的排除による貧困
テロリストはこのタイプが多い
能力に対して権力が足りないので権力をほしがる場合が多い
実は祖父が富裕階級自分が貧困階級の場合、没落貴族、ルサンチマン、金目三つの要素が揃う場合がある
永井先生は日本会議のことをどう思っていますか。
この記事ではプロレタリア型右翼の話をする前に、没落貴族型右翼の話をしていましたが、現在の日本なら日本会議がそれに当たると思います。日本会議は戦中の社会を日本の伝統として復活させようとしていることから、戦中に勃興し、戦後に没落した没落貴族型右翼という印象が強いです。
日本会議は安倍総理と深い接点を持っているため、その気になれば戦中の社会制度を復活させることも可能だと思います。実際、特定秘密保護法で報道の自由を毀損しているし、今度は著作権法でダウンロードの刑罰対象を画像に拡大し、パソコンのスクリーンショットですら刑罰対象にして、インターネットユーザーを弾圧しようとしています。しかしながら、戦中の社会制度を復活させて特権を取り戻しても、その特権は長続きしないでしょう。なぜなら、特権は特権を持たない人が支えるからです。いずれ、為政者はポル・ポトのように政治がうまくいかないことに被害者意識を抱えて国民を粛清するようになると思います。
日本会議は、憲法改正や平和安全法制や新天皇即位後の新元号決定を主張していますが、ダウンロード違法化規制は、出版社などのコンテンツ業界が要望していることであって、日本会議が要望していることではありません。
私は、ダウンロード違法化には反対の立場を採っています。ダウンロード違法化は著作権(コピー・ライト)の保護を大義名分としています。その主張は、著作権(コピー・ライト)の保護がクリエイターの権利の保護になるという考えを前提にしています。しかし、この前提がすでに時代遅れになっています。
コピー・ライトとは、文字通り複製の権利です。コンテンツがアナログであった時代には、精巧な複製を作るには技術とコストがかかったので、それをする技能と財力を持った事業者に複製の独占的権利を与え、その事業者の権利行使を通じてクリエイターに報酬を支払うという仕組みには、合理性がありました。
ところが、コンテンツがデジタル化され、だれもが、ほぼゼロのコストで完全な複製が簡単にできるようになると、特定の事業者にのみコピーの権利を独占させるという仕組みが時代遅れになりました。それにもかかわらず、政府は、古い仕組みに依拠する斜陽産業を延命させるために時計の針を逆戻りさせようとしています。しかし、ダウンロードを違法化し、コピーが高コストであった時代へ逆行することは、決して好ましいことではありません。
コンテンツがデジタル化された現在、コピーの権利を守ることは、複製業者(料金徴収代行業者)の権利を守ることにはなっても、クリエイター(編集者なども含む)の権利を守ることにはなりません。そこで、私は、デジタル時代にふさわしいクリエイターの権利の守り方として2000年に「定額式超流通の提案」を行いました。
これは、今流行のサブスクリプション・サービス(定額で無制限のコンテンツが楽しめるサービス)に近いのですが、民間企業が個別に行っているサブスクリプション・サービスとは異なり、定額式超流通はグローバルな仕組みで、消費者のみならず、クリエイターにも他人の著作物の自由な使用を可能にします。
「定額式超流通の提案」を書いた当時とは異なり、現在は人工知能が発達している時代なので、クリエイターの貢献度の判定の精度もより高いものにすることができます。政府には、古い時代の発想にとらわれることなく、新しい時代にふさわしい制度を制定することを期待したい。
戦争するのは革命という名の内戦を肯定するマルキストであり彼らは左翼です。マルキスト以外にも左翼はいますけどね。
逆に右翼の典型である資本主義者は金がほしければ働いて稼ぐのであって戦争を希望するものは強盗であり資本主義者ではありません。資本家ではあるかもしれないが資本「主義者」では決して無い。主義とはそういうものだと私は理解しています。
資本主義者の典型が右翼というのは、「自分たち以外はすべて右翼」という左翼の間違った考えに基づいています。